振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

設楽町の映画館

f:id:AyC:20220216053050j:plain

(写真)田口市街地。2017年11月。
2022年(令和4年)2月、愛知県北設楽郡設楽町を訪れました。かつて設楽町には映画館「田口劇場」と「田口キネマ」がありました。

なお、2017年(平成29年)11月には「設楽町民図書館を訪れる」を書いています。

ayc.hatenablog.com

 

1. 設楽町民図書館

1.1 図書館の歴史

1990年(平成2年)には現在の設楽町役場にあった設楽町立田口小学校が移転。1991年(平成3年)には跡地に残った特別教室棟の一角に設楽町民図書館が開館しました。2014年(平成16年)には田口小学校跡地に設楽町役場が新築移転し、議場・図書館棟に2代目の設楽町民図書館が開館しています。

一方で、1998年(平成10年)には北設楽郡津具村につぐグリーンプラザ図書室が開館しました。2005年(平成17年)には(旧)設楽町津具村が合併して(新)設楽町が発足し、設楽町は2の図書室を有する自治体となっています。いずれも1万5000冊~2万冊程度の開架を有する立派な図書室であり、片方は設楽町図書館という名称ではありますが、設楽町は図書館条例を制定しておらず、図書館未設置自治体という位置づけのままです。

2017年(平成29年)には設楽町民図書館 - Wikipediaを作成しました。

f:id:AyC:20220216052529j:plain

(写真)設楽町役場。左側の平屋部分が設楽町民図書館。2017年11月。

f:id:AyC:20220216052546j:plain

(写真)旧館時代に使われていたと思われる額。2022年2月。

 

1.2 図書館の館内

f:id:AyC:20220216052533j:plain

(写真)設楽町民図書館。2017年11月。

f:id:AyC:20220216052535j:plainf:id:AyC:20220216052538j:plain

(左)児童書。2017年11月。(右)一般書と文芸書。2017年11月。

f:id:AyC:20220216052540j:plainf:id:AyC:20220216052544j:plain

(左)愛知県図書館貸出文庫と新刊コーナー。2017年11月。(右)雑誌コーナー。2017年11月。

 

 

2. 映画館調査

2.1 映画館名簿

各年版の『映画館名簿』を見ると、1950年代後半から1960年代前半の設楽町には「田口劇場」と「田口キネマ」の2館の映画館がありました。この時代の設楽町の住宅地図は存在せず、また航空写真には解像度の高いものがありません。

f:id:AyC:20220216220132j:plain

(写真)田口劇場と田口キネマが掲載された1964年の映画館名簿。『映画便覧 1964』時事通信社、1964年。京都府立図書館所蔵。中部地方公共図書館に所蔵なし。

 

2.2 聞き取り調査

2020年(令和2年)8月、設楽町民図書館で田口劇場と田口キネマについてレファレンスしました。図書室のカウンターで尋ねたところ、同一施設の設楽町役場にいた設楽町役場産業課の方が対応してくれ、さらに奥三河ふるさとガイドの田辺さん(1948年生)に話を聞くことができました。

設楽町には映画館が2館あり、先に開館したのが田口劇場、後に開館したのが田口キネマである。田口劇場は大映や日活などの作品を上映していた。戦後に建てられた建物ではあるが2階席もあった。田口キネマが閉館してからも営業していた

田口キネマは東宝の作品などを上映していた。現在のJA愛知東 設楽支店の西側で、設楽郵便局の向かい辺りにあった。田口キネマが面する通りは新道(しんみち)という名前であり、かつては田んぼが広がっていたが、戦後になってから道路を築いたからこの名称になった。田口キネマのほうが田口劇場より先に閉館した

とのことでした。この聞き取りから1年後には設楽町三河郷土館が開館しますが、田辺さんは映画館に関する展示にも関わっているかもしれません。

 

3. 設楽町三河郷土館

2021年(令和3年)5月には田口市街地から離れた清崎に道の駅したらが開業しました。道の駅したらは設楽町三河郷土館を中心とした施設であり、床面積の半分以上が奥三河郷土館に割かれていると思われます。

1960年(昭和35年)には設楽町郷土博物館が開館し、1977年(昭和52年)には郷土博物館を発展させた設楽町三河郷土館(初代)が開館しました。2016年(平成28年)9月に初代奥三河郷土館が閉館して移転準備に入り、道の駅したら開業と同時に奥三河郷土館(2代目)として開館を再開しています。当初は2020年(令和2年)再開の予定でしたが1年遅れ、結局5年弱も閉館していたことになります。

f:id:AyC:20220216053115j:plain

(写真)奥三河郷土館が入る道の駅したら。2022年2月。

 

3.1 豊橋鉄道「モハ14」

愛知県南設楽郡鳳来町(現・新城市)の本長篠駅設楽町三河田口駅を結ぶ鉄道路線として豊橋鉄道田口線がありました。1965年(昭和40年)に北端の一部区間が休止、1968年(昭和43年)に全線が廃止され、設楽町から鉄道路線が消えています。

田峯駅に放置されていた「モハ14」は1977年(昭和52年)に田口の奥三河郷土館(初代)に移設され、2021年(令和3年)の道の駅したらの開業と同時に道の駅敷地内に移設されています。

f:id:AyC:20220216053117j:plain

(写真)道の駅したらの敷地内にある豊橋鉄道「モハ14」。2022年2月。

f:id:AyC:20220216221329j:plain

(写真)道の駅したらの敷地内にある豊橋鉄道「モハ14」。2022年2月。

 

3.2 映画館に関する展示

三河郷土館の常設展示には昭和30年代の田口商店街を表した地図があります。この地図には「田口劇場 映画館」と「キネマ 映画館」(田口キネマ)が掲載されており、両者を説明する文章も添えられています。田口劇場と田口キネマの場所がはっきり示されている唯一の文献かもしれません。

f:id:AyC:20220216052550j:plain

(写真)奥三河郷土館。昭和30年代の田口商店街地図。

f:id:AyC:20220216052552j:plain

(写真)奥三河郷土館。昭和30年代の田口商店街地図。

f:id:AyC:20220216052554j:plain

(写真)奥三河郷土館。2館の映画館に関する説明。写真は田口劇場。

 

 

4. 設楽町の映画館

※ここでは『映画館名簿』や郷土資料に基づく閉館年を採用したため、奥三河ふるさとガイドの田辺さんの話や設楽町三河郷土館の展示とは閉館年に齟齬があります。

4.1 田口劇場(1955年5月-1963年9月)

所在地 : 愛知県北設楽郡設楽町田口字大西(1964年)
開館年 : 1955年5月
閉館年 : 1963年9月
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「田口劇場」。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は国道257号「役場北交差点」北西角にある「やまだ屋」やその東の道路。

『写真で見る郷土の20世紀』(設楽町教育委員会、2002年)や『豊川・蒲郡・新城・北設の昭和』(樹林舎、2011年)には田口劇場の写真が掲載されています。奥三河郷土館の常設展示には田口劇場の模型があります。

f:id:AyC:20220216052556j:plain

(写真)1959年頃の田口劇場。『写真で見る郷土の20世紀』設楽町教育委員会、2002年。

f:id:AyC:20220216052558j:plain

(写真)奥三河郷土館。田口劇場の模型。

f:id:AyC:20220216052600j:plain

(写真)奥三河郷土館。昭和30年代の田口商店街地図。

 

田口劇場の跡地は国道257号(田口商店街)「役場北」交差点北西角です。この交差点から設楽中学校に向かう道路は田口劇場の閉館後に開通した道路であり、田口劇場の建物は現在の道路部分にもかかっていたと思われます。

f:id:AyC:20220216052602j:plain

(写真)田口劇場の跡地付近。信号左奥の建物付近にあった。2020年8月。

f:id:AyC:20220216052603j:plainf:id:AyC:20220216052605j:plain

(左・右)田口商店街。(左)三菱UFJ銀行田口特別出張所。2020年8月。※出張所は2021年3月廃止。(右)おでかけ北設 栄町バス停付近。2020年8月。

 

4.2 田口キネマ(1956年頃-1965年頃)

所在地 : 愛知県北設楽郡設楽町大字田口(1965年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1965年頃
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1959年・1960年・1961年・1962年・1963年・1964年の映画館名簿では「田口キネマ」。1965年の映画館名簿では「田口東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

田口キネマの定員は200人台であり(※映画館名簿の年によって揺らぎあり)、田口劇場より小さい映画館だったようです。聞き取り調査では田口劇場より早く閉館したとのことですが、『映画館名簿』では田口東映という名前で1965年版まで掲載されています。奥三河郷土館には遠くに田口キネマの建物が写った写真が展示されていますが、田口キネマを大きく写した写真は文献などで発見できていません。

f:id:AyC:20220216052607j:plain

(写真)奥三河郷土館。

 

1980年代の住宅地図では跡地に設楽郵便局があります。郵便局はその後道路の北側に移転したようです。

f:id:AyC:20220216052609j:plain

(写真)田口キネマ跡地にあるおでかけ北設車庫。2020年8月。

f:id:AyC:20220216052611j:plainf:id:AyC:20220216052613j:plain

(左・右)新道通り。(左)田口キネマ跡地にあるおでかけ北設車庫と設楽郵便局。2020年8月。(右)スーパーおかのや付近。2020年8月。