振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

鳥取県立図書館を訪れる

(写真)鳥取駅前。

2020年(令和2年)9月、鳥取県鳥取市鳥取県立図書館を訪れました。

※本記事は2020年10月に投稿した「鳥取市の映画館」から2024年4月に分割したものです。

 

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1. 鳥取市を歩く

1.1 鳥取市中心市街地

鳥取市散策の起点はJR鳥取駅。米子市米子駅には2016年(平成28年)に自動改札機が導入されていますが、鳥取駅は自動改札機のない有人改札でした。駅前に銅像が建つ低めの高架駅であるところに地方中核都市の雰囲気を感じます。

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(写真)JR鳥取駅。 

 

駅前には鳥取県唯一の百貨店だという鳥取大丸がありました。駅前からは鳥取城がある久松山に向かって駅前通りの若桜街道が伸びています。駅前通りの突き当りには鳥取県庁があり、その周辺には鳥取県警察本部・鳥取県立図書館鳥取県民文化会館などの公共施設群がある点は好みの街並みです。

駅前には全蓋式アーケード商店街のサンロードがありますが、この町の商業やにぎわいの中心という雰囲気は感じませんでした。

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(写真)全蓋式アーケード商店街のサンロード。

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(写真)鳥取市中心部にある商店街。地理院地図

 

1.2 鳥取砂丘

鳥取市では手始めに鳥取砂丘を訪れました。9月中旬ということで暑さが和らぎ、行動自粛の風潮も弱まったことで、駐車場は近畿地方など他県ナンバーばかりでした。砂像を専門に展示する世界初の美術館「鳥取砂丘 砂の美術館」ではチェコスロバキアに関する展示が行われており、さすが日本一の砂場だと感じました。

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(写真)鳥取砂丘日本海

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(写真)鳥取砂丘 砂の美術館。ミュシャ風の造形の「リブシェの予言」。

 

鳥取砂丘を訪れた後には、鳥取市有数の観光名所であるすなば珈琲鳥取駅前店を訪れました。47都道府県で唯一スターバックスがなかった鳥取県平井伸治知事が「スタバはないけど日本一の“すなば(砂場)”はある」と発言したことに着想を得て、2014年(平成26年)に開店した新しい喫茶店チェーンです。

看板メニューの砂焼きコーヒーは248度に熱した鳥取砂丘の砂でじっくり焙煎した豆を使用したコーヒーだとか。炭焼きコーヒーのようで酸味がないので好みでした。なお、鳥取駅の反対側には2015年(平成27年)に開店したスターバックスシャミネ鳥取店もあります。

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(写真)すなば珈琲鳥取駅前店。

 

2. 鳥取県立図書館

2.1 オンラインデータベース

鳥取市では鳥取県立図書館鳥取市立中央図書館を訪れました。鳥取県立図書館と言えば、2018年(平成30年)6月にオンラインデータベース「ルーラル電子図書館」を県内すべての市町村立図書館で利用可能とし、2020年(令和2年)4月にはオンラインデータベース「聞蔵Ⅱビジュアル」「ヨミダス歴史館」を県内すべての市町村立図書館で利用可能とするなど、自治体規模が小さいことによる情報へのアクセス可能性の低さを補うビジネス支援サービスに定評があります。

この4月には県立長野図書館の支援によって北アルプス地域5市町村でも「聞蔵Ⅱビジュアル」の共同利用が開始されたように、全国の都道府県に広がってほしい取り組みです。地方紙(県紙)のデータベースは郷土の情報へのアクセス可能性を大きく広げるものであり、いずれ日本海新聞信濃毎日新聞でも同様のサービスが行えるといいですね。

鳥取県立図書館2階の郷土資料コーナーでは、2000年1月1日以降の新聞記事をワード検索で閲覧することができる日本海新聞のデータベースを利用しました。愛知県内の公共図書館では利用できないWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫雑誌記事索引)も使いたかったのですが、コロナ禍によるデータベースの利用時間制限(30分)のために断念しています。

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(写真)日本海新聞を発行する新日本海新聞社

中津市の映画館(2)

(写真)新中津市学校。登録有形文化財

2024年(令和6年)3月、大分県中津市を訪れました。

かつて中津市には多数の映画館がありました。2011年(平成23年)に「中津シネマ」が閉館して映画館がなくなりましたが、2020年(令和2年)にはシネコンの「セントラルシネマ三光」が開館しています。

中津市立小幡記念図書館を訪れる」「中津市の映画館(1)」からの続きです。

 

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1. 中津市街地の映画館

1.1 大博映画劇場(1956年頃-1961年頃)

所在地 : 大分県中津市新博多町(1960年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1961年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年の映画館名簿では「大博映画劇場」。1960年・1961年の映画館名簿では「大師松竹」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。

 

1.2 中津東映(1950年頃-1961年頃)

所在地 : 大分県中津市蛭子町(1961年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年の映画館名簿では「タイガー映画劇場」。1952年・1953年の映画館名簿では「タイガー映劇」。1955年の映画館名簿では「中津映劇」。1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「中津東映」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「光善寺」南西60mのアパート「エスパジオ日進」。

(地図)中津東映跡が描かれた『ゼンリン住宅地図』善隣出版社、1966年。

 

1.3 宝館(1918年頃-1961年頃)

所在地 : 大分県中津市日ノ出町(1961年)
開館年 : 1918年頃
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「宝館」。1958年の映画館名簿では「中津東宝」。1960年・1961年の映画館名簿では「宝館」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東横INN大分中津駅前」北西140mの駐車場など。

(写真)1923年頃の宝館と金剛川。『目で見る 中津・宇佐・豊後高田の100年』郷土出版社、2003年。

(写真)1950年頃の宝館。『なつかしのアルバム ふるさと中津・耶馬渓』ふるさと豊前中津の会、1980年。

 

(地図)宝パチンコ会館や中津銀映が描かれた『ゼンリン住宅地図』善隣出版社、1966年。

(写真)宝館跡地の駐車場。

(写真)日の出町商店街。

 

1.4 (旧)大師館(1931年12月-1964年頃)

所在地 : 大分県中津市大師町(1964年)
開館年 : 1931年12月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年・1950年・1953年・1955年・1956年の映画館名簿では「大師館」。1957年・1958年の映画館名簿では「第二大師映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「大師館」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「和田歯科医院」西40mの駐車場。

(写真)1935年に新発足した旧大師館。『目で見る 中津・宇佐・豊後高田の100年』国書刊行会、2003年。

(写真)1958年の旧大師館。『写真アルバム 中津・宇佐の昭和』樹林舎、2018年。

(地図)丸和デパートが描かれた『ゼンリン住宅地図』善隣出版社、1966年。

(写真)旧大師館跡地の駐車場。

(写真)旧大師館跡地の駐車場。

 

1.5 中津東洋映画劇場(明治時代-1969年頃)

所在地 : 大分県中津市寺町(1969年)
開館年 : 明治時代以前
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「中津大映劇場」。1950年の映画館名簿では「大映劇場」。1953年の映画館名簿では「東映」。1955年の映画館名簿では「東洋映劇」。1958年の映画館名簿では「東洋映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「東洋映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「中津東洋映画劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「桜町天満宮」東10mの「寺町クリニック」。

(地図)常春座が描かれた「ぶぜん中津花街再現」。『遠き日々の中津祇園』中津地方文化研究所、2011年。

(地図)常春座が描かれた1929年の「中津市全図」。『遠き日々の中津祇園』中津地方文化研究所、2011年。

(写真)1942年頃の大映。『なつかしのアルバム ふるさと中津・耶馬渓』ふるさと豊前中津の会、1980年。

(地図)東洋映画劇場が描かれた『ゼンリン住宅地図』善隣出版社、1966年。

(写真)中津東洋映画劇場跡地の医院。

(写真)中津東洋映画劇場跡地の医院と寺町通り。

 

1.6 中津金星映劇(1962年頃-1971年頃)

所在地 : 大分県中津市新博多町1728-4(1971年)
開館年 : 1962年頃
閉館年 : 1971年頃
1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「銀座金星」。1966年・1969年の映画館名簿では「中津金星映画劇場」。1970年・1971年の映画館名簿では「中津金星映劇」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「西日本シティ銀行中津支店」駐車場北西部。

(地図)銀座金星が描かれた『ゼンリン住宅地図』善隣出版社、1966年。

 

1.7 中津ローズ映画劇場(1955年3月26日-1971年頃)

所在地 : 大分県中津市蛭子町(1971年)
開館年 : 1955年3月26日
閉館年 : 1971年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ローズ映劇」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「中津ローズ映画劇場」。1971年の映画館名簿では「中津ローズ映劇」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「TSUTAYA中津店」南西60mの「ステーキレストランもみのき」など。

(写真)ローズ劇場(ローズ映劇)の開館を報じる「興行街」『キネマ旬報』1955年5月1日。

(地図)ローズ映劇が描かれた『ゼンリン住宅地図』善隣出版社、1966年。

 

1.8 中津大師文化(1956年頃-1973年頃)

所在地 : 大分県中津市新博多町173-4(1973年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1973年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「第一大師映画劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「大師東映」。1963年・1964年の映画館名簿では「大師文化」1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「中津大師館」。1969年の映画館名簿では「中津大師文化」。1970年・1973年の映画館名簿では「中津大師館」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「福岡銀行中津支店」南南西30mの「ドラッグセイムス中津新博多店」敷地。

(写真)1971年頃の大師館。『なつかしのアルバム ふるさと中津・耶馬渓』ふるさと豊前中津の会、1980年。

(地図)大師文化劇場が描かれた『ゼンリン住宅地図』善隣出版社、1966年。

(写真)1977年頃の寿屋百貨店。『写真アルバム 中津・宇佐の昭和』樹林舎、2018年。

(写真)中津大師文化跡地のドラッグストア。

(写真)中津大師文化跡地と隣接地にある大師ビル。

 

1.9 (旧)中津銀映劇場(1940年代中頃-1981年)

所在地 : 大分県中津市大字島田町363-2(1981年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1981年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「第一劇場」。1953年の映画館名簿では「第一映劇」。1955年の映画館名簿では「松竹映劇」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中津銀映」。1966年・1969年の映画館名簿では「中津銀映映画劇場」。1973年の映画館名簿では「中津銀映劇場」。1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「中津銀映」。1981年の映画館名簿では「中津ロマン」。後継館は中津銀映1・2。跡地は明照寺管理の月極駐車場「味道筋駐車場」。

(地図)中津銀映と宝パチンコ会館が描かれた『ゼンリン住宅地図』善隣出版社、1966年。

(写真)中津銀映劇場跡地の駐車場。

(写真)中津銀映劇場跡地が面する飲み屋街。

 

1.10 中津シネマ(1981年-2011年3月)

所在地 : 大分県中津市東本町1-1 ビッグパレスビル4階(2011年)
開館年 : 1981年
閉館年 : 2011年3月
前身館は別地点の中津銀映。1981年・1982年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「中津銀映1・2」。2003年・2005年・2010年・2011年の映画館名簿では「中津シネマ1・2」(2館)。2012年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「中津駅北口」北東50mの駐車場。

1981年に配転。2002年4月21日には中津銀映が閉館し、同年7月には中津シネマが開館。

(写真)中津シネマ跡地のコインパーキング。

(写真)中津シネマ跡地と中津駅周辺。

2. 中津市郊外の映画館

中津市街地から南南東4kmにある大貞市街地には、公園劇場と富士館がありました。1975年(昭和50年)まで大分交通耶馬渓八幡前駅があった地区です。

また、中津市街地から東7kmにある今津市街地には、1957年(昭和32年)版の映画館名簿にのみ今津大師館が掲載されています。

さらに、山間部の下毛郡耶馬渓村には下郷会館が、下毛郡山国町には守実映劇がありましたが、いずれも正確な跡地は不明です。守実映劇については『山国町郷土誌叢書 第13集』(山国町誌刊行会、1984年)に言及されています。

2020年3月7日、中津市街地から南5kmにあるイオンモール三光に、8スクリーンを有するシネコンのセントラルシネマ三光が開館しました。

(写真)セントラルシネマ三光。photo:おっふ照橋さん


中津市の映画館について調べたことは「中津市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(大分県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 

中津市の映画館(1)

(写真)中津神社の鳥居と中津城

2024年(令和6年)3月、大分県中津市を訪れました。

かつて中津市には多数の映画館がありました。2011年(平成23年)に「中津シネマ」が閉館して映画館がなくなりましたが、2020年(令和2年)にはシネコンの「セントラルシネマ三光」が開館しています。

中津市立小幡記念図書館を訪れる」からの続きです。「中津市の映画館(2)」に続きます。

 

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1. 中津市の劇場

1.1 蓬莱観(1882年-戦時中)

所在地 : 大分県中津市三ノ丁
開館年 : 1882年
閉館年 : 1945年頃(解体)
蓬莱館とも表記される。芝居小屋であるため各年版の映画館名簿には掲載されていない。跡地は戦後に整備された庭園「蓬莱園」。

中津市にあった芝居小屋として、文献には蓬莱観や常春座が登場します。常春座は寺町通りにあった芝居小屋であり、昭和に入ると中津劇場に改称し、戦後には中津大映東映など何度も名前が変わった後、1950年代後半以後は中津東洋映画劇場として映画館名簿に掲載されています。

(地図)蓬莱観や常春座が描かれた1929年の「中津市全図」。『遠き日々の中津祇園』中津地方文化研究所、2011年。

(地図)蓬莱館が描かれた1932年の上祇園神輿神幸経路図。左が北、右が南。『遠き日々の中津祇園』中津地方文化研究所、2011年。

 

蓬莱観は1882年(明治15年)に中津城公園の南に建てられた芝居小屋であり、廻り舞台を有する西日本有数の大劇場でした。

川上音二郎川上貞奴水谷八重子東海林太郎、水之江滝子、長谷川一夫などが来演。「芝居は、博多か中津で」と称される芝居処でしたが、戦時中に建物疎開で取り壊されました。戦後には跡地に庭園の蓬莱園が整備され、芝居小屋と同名のカフェ 蓬莱観が営業しています。

(写真)1936年1月に栗島すみ子が来館した際の蓬莱観の館内。『ふるさとの想い出 写真集 明治・大正・昭和 中津』国書刊行会、1979年。

(写真)中津神社の鳥居。正面は中津城の模擬天守。蓬莱観は左後方にあった。

 

2. 航空写真と映画館名簿

2.1 1962年の航空写真

中津駅から西に向かって全蓋式アーケード商店街の日の出町商店街(日の出町アーケード)があるのは現在と同じ。日の出町商店街の北側の飲み屋街にあったのが(旧)中津銀映と宝館です。福沢通りは戦後に拡幅された通りであり、中津城下に生まれた福澤諭吉の旧宅(国史跡「福澤諭吉旧居」)に由来します。

福沢通りの西にはやはり全蓋式アーケード商店街の新博多町商店街(新博多町アーケード)があり、福沢通りに近い場所には戦前に遡る(旧)大師館、戦後に開館した中津大師文化と中津金星映劇があります。

中津駅から北に延びる通り沿いには中津ローズ映画劇場と中津東映がありました。以下の航空写真の範囲外には、寺町通り沿いに中津東洋映画劇場もありました。

(写真)1962年の航空写真における中津市街地の映画館。この他には左上の範囲外に中津東洋映画劇場がある。地図・航空写真閲覧サービス

 

2.2 『映画便覧 1960』

日本の映画館数がピークに達した1960年(昭和35年)、中津市には中津市街地に8館、大貞に1館、計9館の映画館がありました。なお、同年の大分市には21館、別府市には23館、佐伯市には8館、日田市には7館がありました。

9館中6館の経営者は大堀紋二、2館の経営者は多川直彦でした。大堀紋二は戦前から大師館などを経営していた興行主であり、1956年(昭和31年)2月1日には中津映画株式会社を設立しています。

 

2.3 『映画便覧 1969』

『映画便覧 1969』には5館の映画館が掲載されており、多川直彦の経営館が最多となっています。多川直彦は多川興行の経営者であり、福岡県北九州市門司区を拠点とする多川興行は門司区中津市で複数館を経営していました。中津大師文化と中津東洋映画劇場は文化興業(大師文化興業)の経営となっていますが、文化興業は中津映画株式会社の後継企業のようです。

 

2.4 『映画館名簿 1982』

『映画館名簿 1982』に掲載されている映画館は中津銀映1・2の2館のみとなっています。日の出町商店街の北側にあった中津銀映は、1981年(昭和56年)に中津駅北口のビルに移転して2スクリーン体制となりました。晩年の中津銀映の経営者は、大分市でセントラルプラザを経営する力武英五郎(セントラル興行)でした。

中津銀映1・2は2002年(平成14年)4月に閉館しますが、同年7月には西日本産業が新経営者となって中津シネマ1・2が開館し、2011年(平成23年)3月まで営業を続けました。

 

中津市立小幡記念図書館を訪れる

(写真)中津市立小幡記念図書館。

2024年(令和6年)3月、大分県中津市を訪れました。「中津市の映画館(1)」「中津市の映画館(2)」に続きます。

 

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1. 中津市立小幡記念図書館

1.1 図書館の歴史

中津における図書館の歴史は、1909年(明治42年)に開設された中津図書館に遡ります。慶應義塾の社頭を務めた 小幡篤次郎 - Wikipedia が土地・建物・蔵書を寄付して開館した図書館であり、1912年(明治45年)には財団法人小幡記念図書館と改称されました。1938年(昭和13年)には近代建築に建て替えられ、この建物が1993年(平成5年)まで55年間も使用されます。

(写真)小幡篤次郎。

 

戦後の1947年(昭和22年)には中津市に移管されて中津市立小幡記念図書館となりました。1993年(平成5年)には槇総合計画事務所(槇文彦)の設計で現行館が開館し、現行館は1995年(平成7年)に日本図書館協会建築賞を受賞、1998年(平成10年)には公共建築百選に選定されています。

旧館は長らく中津市歴史民俗資料館として使われ、1997年(平成9年)には「旧小幡記念図書館」として登録有形文化財に登録されました。中津市歴史民俗資料館は新施設の中津市歴史博物館が開館する際に閉館し、2019年(令和元年)には建物が学習交流拠点施設の新中津市学校に転用されています。

(写真)1938年から1993年までの中津市立小幡記念図書館。現在の新中津市学校。登録有形文化財

 

1.2 郷土資料

中津市立小幡記念図書館の延床面積は2892m2であり、戦前に市制施行した自治体の中央館としては控えめな数字。2020年代の基準だと開架室には窮屈さを感じ、郷土資料コーナーに割り当てられているスペースもそれほど広くありませんが、郷土資料が「中津」「宇佐」「日田・玖珠・九重」「臼杵・佐伯・津久見」など地域別に分けられている点などに、歴史ある公共図書館の雰囲気を感じます。

(写真)郷土資料コーナー。

 

郷土資料コーナーの近く、東側の壁面沿いには「中津ゆかりの人コーナー」がありました。廣池千九郎 - Wikipedia は法学者、福永光司 - Wikipedia は中国哲学者、松下竜一 - Wikipedia著作家横松宗 - Wikipedia は中国史学者、田原淳 - Wikipedia は病理学者。福澤諭吉や小幡篤次郎の関連書籍もこのコーナーに置かれています。

(写真)中津ゆかりの人コーナー。

 

戦国武将の黒田官兵衛黒田孝高)は中津城を築いた人物です。2014年(平成26年)にNHK大河ドラマ軍師官兵衛』が放送された際には、中津城公園内に黒田官兵衛資料館が開館し、図書館内に「黒田官兵衛コーナー」が設置されています。

(写真)黒田官兵衛文庫。