振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

美濃加茂市の映画館

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(写真)パチンコ店 ニューOS美濃加茂店の廃墟。

2021年(令和3年)10月、岐阜県美濃加茂市を訪れました。

かつて美濃加茂市には映画館「太田会館」「太田ニューOS劇場」「太田日活シネマ」「古井劇場」の4館がありました。「美濃加茂市中央図書館を訪れる」の続きです。

 

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1. 美濃加茂市の劇場

1.1 盛栄座

美濃加茂市史 民俗編』(美濃加茂市、1978年)には美濃加茂市にあった劇場・映画館に関する記述があり、その一部は美濃加茂市ミュージアムによる美濃加茂事典に反映されています。美濃加茂市ミュージアムが主導しているデジタルデータベースも興味深く、映画館に関するデータもいくらか登録されています。

現在は美濃太田駅から駅前通りが中山道に達していますが、かつては「太田本町1」交差点までだったようです。現在の美濃加茂市生涯学習センター付近から祐泉寺まで南下する道路は明治時代からあったようで、この道路の東側に芝居小屋の盛栄座がありました。

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(写真)盛栄座が掲載されている1905年の太田町家並地図。『美濃加茂市史 民俗編』(美濃加茂市、1978年)。

 

2. 美濃加茂市の映画館

かつて美濃太田市街地には映画館「太田日活シネマ」「太田ニューOS劇場」「太田会館」の3館が、古井市街地には「古井劇場」がありました。

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(写真)美濃太田市街地の映画館跡地。地理院地図

 

2.1 古井劇場(1951年頃-1958年頃)

所在地 : 岐阜県美濃加茂市古井町(1955年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が記載されていない。1951年の映画館名簿には掲載されていない。1952年・1953年・1955年の映画館名簿では「古井劇場」。1956年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「若尾助産院」付近。最寄駅はJR高山本線古井駅。

美濃太田市街地から北東に約3km、山之上街道に沿って古井(こび)市街地が形成されています。JR高山本線古井駅(こびえき)の開業は1922年(大正11年)ですが、それ以前の1917年(大正6年)に建てられた洋風建築の旧古井郵便局が残っています。1976(昭和51年)に郵便局が移転すると写真館となったようです。

1962年(昭和37年)の住宅地図によると、現在の若尾助産院付近には古井劇場があったようです。

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(地図)右下に古井劇場が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。

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(地図)右下に古井劇場が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。

 

2.2 太田日活シネマ(1945年-1966年頃)

所在地 : 岐阜県美濃加茂市太田町3768(1966年)
開館年 : 明治末期(福助座)、1945年(映画館化)、1950年10月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧1955』によると1950年10月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1956年・1957年・1958年・1960年の映画館名簿では「前進座」。1961年・1963年・1964年の映画館名簿では「日活キネマ」。1966年の映画館名簿では「太田日活シネマ」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「太田宿中山道会館」西にある「太田宿中山道会館駐車場」。最寄駅はJR・長良川鉄道美濃加茂駅。

明治末期には太田町の中新町に芝居小屋の福助座が開館。大正末期には経営者が交代して若嶋座に改称し、1945年(昭和20年)には前進座に改称して映画館化しています。1962年(昭和37年)の住宅地図には前進座として描かれていますが、1960年代の映画館名簿にはすでに太田日活シネマという名称で掲載されており、洋画の上映館だったようです。

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(地図)左下に前進座が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。

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(写真)時期不明の前進座。『美濃加茂市史 民俗編』(美濃加茂市、1978年)。

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(写真)1985年の太田日活シネマ跡地。撮影者不明。みのかも市民ミュージアムデジタルデータベース。※著作権は切れていないと思われます

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(写真)太田日活シネマ跡地にある太田宿中山道会館駐車場。奥が太田宿中山道会館。

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(写真)太田宿中山道会館。

 

2.3 太田ニューOS劇場(1956年-1989年頃)

所在地 : 岐阜県美濃加茂市太田町3563(1989年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1989年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「OS映画劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「OS劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「太田ニューOS劇場」。1973年・1976年・1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「太田ニューOS」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2015年以前閉店のパチンコ店「ニューOS美濃加茂店」廃墟。最寄駅はJR・長良川鉄道美濃加茂駅。

戦後の1956年(昭和31年)、美濃太田市街地で3番目の映画館としてOS劇場が開館。映画館名簿によると鉄筋造の映画館であり、経営者は岩木重雄です。1960年代中頃からの映画館名簿にはニューOS劇場として掲載されていますが、建物や経営者が代わったわけではなさそうで、改称の理由は不明です。1980年代には東映・にっかつ・洋画の上映館でした。

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(地図)中央上に太田東映が、右にOS映画劇場が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。

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(写真)ニューOS美濃加茂店の廃墟。

 

2.4 太田会館(1932年頃-2002年頃)

所在地 : 岐阜県美濃加茂市太田町4296(2002年)
開館年 : 1932年頃、1941年1月
閉館年 : 2002年頃
『全国映画館総覧1955』によると1941年1月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1943年・1947年・1950年の映画館名簿では「太田館」。1953年・1955年の映画館名簿では「太田座」。1956年・1957年の映画館名簿では「太田館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「太田東映」。1966年の映画館名簿では「太田東映劇場」。1969年・1973年・1976年・1980年・1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「太田会館」。1980年の映画館名簿では木造1階、240席、経営者・支配人ともに亘泰弘、東宝と松竹と洋画を上映。2003年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「シンコー薬局美濃太田店」。最寄駅はJR・長良川鉄道美濃加茂駅。

1931年(昭和6年)から1932年(昭和7年)頃には太田館が開館。映画黄金期の1955年(昭和30年)の映画館名簿によると、経営者は亘竜三であり、定員700の劇場でした。1960年代の映画館名簿では太田東映という名称であり、定員は300人台で東宝東映の上映館だったようです。

その後太田会館に改称していますが、太田会館の2階にはクリーニング店やスナックが入っていた時期もあるようです。どこかの時期で建物を建て替えていると思われますが、映画館名簿からを毎年分見ても建て替え時期が判然としません。

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(地図)中央上に太田東映が、右にOS映画劇場が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。

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(写真)太田会館の跡地にある駐車場とシンコー薬局美濃太田店。

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(写真)太田会館が面していた通り。

 

美濃加茂市の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

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美濃加茂市中央図書館を訪れる

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(写真)JR高山本線美濃太田駅

2021年(令和3年)10月、岐阜県美濃加茂市美濃加茂市中央図書館を訪れました。「美濃加茂市の映画館」に続きます。

 

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1. 美濃加茂市を訪れる

1.1 美濃太田駅前通り

美濃加茂市は関市と共に中濃地域の中心都市です。中山道木曽川を超える場所にあり、かつては中山道太田宿として栄えた町。戦後には工業都市となりますが、駅前を歩いている限りでは工業のにおいは感じません。

2021年(令和3年)11月時点の人口は5万1900人、うち外国人人口は10%を超える5272人(フィリピン国籍2203人、ブラジル国籍2150人)であり、全国で最も外国人比率が高い自治体のひとつです。

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(写真)駅前通り。

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1.2 中山道太田宿

JR高山本線美濃太田駅の南約800m、木曽川の北岸には中山道太田宿に由来する街並みが広がっています。重要伝統的建造物群保存地区には選定されていませんが、重要文化財(旧太田脇本陣林家住宅)、市指定文化財(旧太田宿本陣門)、登録有形文化財(吉田家住宅)が1件ずつあり、岐阜県の平野部では街並みがよく保存されている宿場町です。

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(写真)旧太田宿の街並み。

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(写真)旧太田脇本陣林家住宅。重要文化財

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(左)旧太田宿本陣門。(右)旧太田宿の街並み。

 

2. 美濃加茂市中央図書館

2.1 図書館の歴史

美濃加茂市は歴史ある宿場町ですが、図書館が設置されたのは1958年(昭和33年)、図書館条例が制定されたのは現行館開館時の1979年(昭和54年)と、図書館の歴史はそれほど古くありません。1996年(平成8年)には美濃加茂市東図書館が開館し、美濃加茂市中央図書館との2館体制となっています。美濃加茂市の図書館の歴史については美濃加茂市立図書館 - Wikipediaも参照。

美濃加茂市中央図書館の延床面積は1,231m2、2019年度(令和元年度)末時点の蔵書数は約15万冊、貸出数は約9万冊。美濃加茂市東図書館の延床面積は1,554m2、蔵書数は約11万冊、貸出数は約13万冊ということで、同規模の図書館が2館ある自治体といえます。両館の距離は約2.5kmしか離れておらず、なぜ同規模の図書館としたのかは気になります。

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(写真)美濃加茂市中央図書館。2019年7月。

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(写真)カウンター付近。2017年8月。

 

2.2 図書館の館内

1979年(昭和54年)に開館した美濃加茂市中央図書館の床面はフローリング、書架は重厚感のある木製書架です。壁面の高い位置には障子戸を模した窓があるのが特徴です。

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(写真)閲覧席。2021年10月。

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(写真)一般書の書架。2021年10月。

 

2.3 郷土資料

一般的な郷土資料の書架とは別に、美濃加茂市域出身の小説家である坪内逍遥、同じく美濃加茂市域出身の歴史学者である津田左右吉の著書などが納められたガラス戸付書架があります。一般的な郷土資料の書架はそれほど面白みがありませんが、ガラス戸付書架には貴重な資料が眠っているかもしれません。

(左)郷土資料の書架。2021年10月。

(右)津田左右吉の著書、坪内逍遥の著書、自治体史などの書架。2021年10月。

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(写真)津田左右吉の著書など。2021年10月。

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(写真)坪内逍遥の著書など。2021年10月。

 

2.4 テーマ展示

この日のテーマ展示は「柿」でした。岐阜県富有柿 - Wikipediaの発祥地であり、全国第4位の柿産地でもあります。柿を主題とする書籍を展示するだけでなく、雑誌記事のカラーコピーやパンフレットを紹介している点などに工夫が感じられました。

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(写真)テーマ展示「柿」。2021年10月。

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(写真)テーマ展示「柿」。2021年10月。

 

川辺町の映画館

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(写真)飛騨川と米田富士。

2021年(令和3年)10月、岐阜県加茂郡川辺町中川辺を訪れました。かつて中川辺には映画館「飛水会館」がありました。

 

1. 中川辺を訪れる

1.1 旧飛騨街道

木曽川の支流である飛騨川が平地に出た場所に中川辺の市街地があり、近世には飛騨街道(旧飛騨街道)の宿場町でもありました。太部古天神社を北端として、旧飛騨街道沿いは商店街となっており、旅館(かつや)、寿司屋(魚勘)、和菓子屋(松島屋老舗)、衣料品店(阿波屋)、金融機関(大垣共立銀行川辺支店と東濃信用金庫川辺支店)などが現在も営業しています。

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(写真)中川辺駅駅前通り。

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(写真)旧飛騨街道。

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(写真)旧飛騨街道。

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(写真)旧飛騨街道。

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(写真)旧飛騨街道。

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(左)旧飛騨街道。佐藤書店。(右)太部古天神社の境内にある中川辺公民館。

 

1.2 白扇酒造

駅前通りと旧飛騨街道の交差点を東に向かうと白扇酒造の工場や店舗がありました。白扇酒造は主にみりんで知られる醸造蔵のようですが、清酒「花美蔵」も製造しています。

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(写真)白扇酒造。店舗部分。

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(写真)白扇酒造。工場部分。

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(写真)筆柿。

 

2. 川辺町中央公民館図書室

川辺町は図書館未設置自治体であり、図書施設としては川辺町中央公民館図書室があります。川辺町中央公民館は川辺町役場に隣接しており、図書室は本館と連絡通路で結ばれた別棟となっています。

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(写真)川辺町中央公民館図書室。

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(写真)川辺町中央公民館のフロアマップ。左下の緑色が図書室。

 

2.1 図書館の館内

独立施設だけあって床面積は狭くなく、図書室というより図書館と呼ぶべき施設に思えます。南側には1人分がゆったり取られた学習コーナーがあり、東側には飛騨川を眺めながら読書ができる飛騨川眺望閲覧コーナーがあります。この閲覧コーナーの眺望は素晴らしく、この図書室の名物コーナーといえるのでは。

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(写真)川辺町中央公民館図書室のフロアマップ。

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(写真)館内。

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(写真)学習コーナー。

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(写真)飛騨川眺望閲覧コーナー。

 

2.2 図書館の統計

2021年(令和3年)1月に刊行された『岐阜県公共図書館・町村図書室調査集計表』によると、川辺町中央公民館図書室の年間入館者数は約1万4000人、年間貸出数は約2万2000冊、住民1人あたり貸出数は2.26点です。

住民1人あたり貸出数は岐阜県の図書館未設置自治体(8自治体)の中では4番目。独立施設があって床面積も狭くない図書室の割には低い数字に思えますが、なにか理由があるのでしょうか。

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(左)テーマ展示。(右)郷土資料。

 

3. 中川辺の劇場

2013年(平成25年)9月には川辺学研究会が発足し、2015年(平成27年)には『川辺学研究』第1号が発刊されました。2017年(平成29年)の第2号には堀井謙一「川辺町の芝居小屋」が掲載され、川辺町の劇場と映画館について論じられています。川辺町の映画館に言及している文献はこの論考しか確認できていません。

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(写真)中川辺の劇場・映画館。地理院地図

 

3.1 豊昇座(幕末-大正初期)

太部古天神社の境内の南東、旧飛騨街道に沿う奥田家敷地内(現在は駐車場)には豊昇座があり、明治時代には中川辺で唯一の娯楽場だったとのこと。祭日や祝日に興行が行われ、地方巡業の芝居一座などが来演したそうです。

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(写真)豊昇座の跡地にある駐車場。

 

3.2 美川座(1913年10月9日-大正末期)

大正初期には老朽化によって豊昇座が廃止され、1913年(大正2年)10月9日には春日町1丁目(現在の下町)に美川座が開設されていますが、美川座も大正年間には廃止されたようです。

 

4. 中川辺の映画館

4.1 飛水会館(1959年頃-1961年頃)

所在地 : 岐阜県加茂郡川辺町中川辺(1961年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1961年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1961年の映画館名簿では「飛水会館」。1961年の映画館名簿では経営者が佐藤円次郎、支配人が熊沢美利、木造2階、定員700。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「田原医院」。

昭和に入ると浦町(現・田原医院)に川辺座が開館し、やがて映画も上映することになります。浦町街道に沿って東西に長い木造建築であり、土間や出店を通ると数百人を収容できる観覧席がありました。

戦後の川辺座は町営公民館の飛水会館となり、1975年(昭和50年)頃まで使用されたとのこと。映画館名簿では1960年版と1961年版の2年間のみ掲載されており、定員は「700」となっています。

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(写真)右の茶色の建物が飛水会館跡地の田原医院。中央奥は養瑞寺。

 

中川辺の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

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津島市の映画館

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(写真)津島市立図書館。

2021年(令和3年)11月、愛知県津島市を訪れました。かつて津島市には映画館「津島映画劇場」と「巴座」があり、現在は「TOHOシネマズ津島」があります。「津島市を訪れる」からの続きです。

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1. 映画館に関する文献

かつて津島市には2館の映画館がありましたが、尾張地方西部の中心都市として栄えた歴史、毛織物工業の中心地のひとつとして栄えた歴史を考えると少ない。毛織物工場で働く女工

映画館名簿には上映系統も掲載されています。一つの町に2館の映画館がある場合は "東映大映の上映館" と "松竹・日活・東宝の上映館" というように上映系統が分かれていたことが多いですが、津島市尾西市はいずれの映画館も単に "邦画の上映館" と記されており、毛織物工場で働く女工が多かったことが関係しているかもしれません。

津島市の映画館に関する文献は少なく、書籍レベルで文章を確認できるのは『津島町史』(津島町、1938年)、『西尾張今昔写真集』(樹林舎、2007年)、『郷土の歴史絵物語』(津島ロータリークラブ、2021年)くらいです。

 

1.1 郷土資料

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(写真)津島映画劇場と巴座の上映案内が掲載されている『津島新聞』1949年9月3日。

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(地図)巴座と豊富座が掲載されている1936年頃の「津島町切図」『昭和初年津島風俗画集』 。津島市立図書館所蔵。

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(地図)温泉マークのような地図記号で映画館2館が描かれている「津島町全図」『津島町勢要覧 昭和13年版』愛知県海部郡津島町、1938年。津島市立図書館所蔵。

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(写真)津島映画劇場と巴座の広告。『津島商工名鑑 1963』津島商工会議所、1963年。津島市立図書館所蔵。

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(写真)合資会社津島映画劇場と津島劇場株式会社(巴座)が掲載されている商工名鑑。『津島商工名鑑 1966』津島商工会議所、1966年。津島市立図書館所蔵。

 

1.2 映画館名簿

1930年の映画館名簿

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(写真)『日本映画事業総覧(昭和5年版)』 国際映画通信社、1930年。国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開。

 

1936年の映画館名簿

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(写真)『全国映画館録 昭和11年度』キネマ旬報社、1935年。国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開。

 

1955年の映画館名簿

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(写真)『全国映画館総覧 1955年版』時事通信社、1955年。愛知県図書館所蔵。

 

1966年の映画館名簿

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(写真)『映画年鑑 1966年版 別冊 映画便覧 1966』時事通信社、1966年。愛知県図書館所蔵。

 

1982年の映画館名簿

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(写真)『映画館名簿 1982年』時事映画通信社、1981年。愛知県図書館所蔵。

 

1.3 住宅地図

1965年の住宅地図

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(地図)津島映画劇場と巴座が掲載されている1965年の住宅地図。愛知県図書館所蔵。

 

1976年の住宅地図

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(地図)津島映画劇場と巴座跡地のパチンコ津島一番が掲載されている1976年の住宅地図。愛知県図書館所蔵。

 

1984年の住宅地図

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(地図)津島映画劇場と巴座跡地の空き地が掲載されている1984年の住宅地図。愛知県図書館所蔵。

 

1.4 航空写真

1966年の航空写真

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(写真)1966年の航空写真における津島市の映画館。地図・空中写真閲覧サービス

 

現在の航空写真

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(写真)現在の航空写真における津島市の映画館跡地。地理院地図

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(写真)現在の空中写真における天王通りと津島市の映画館跡地。津島市立図書館における「天王通りの今昔写真展」。

 

 

2. 津島市の映画館

2.1 巴座(1906年12月-1966年頃)

所在地 : 愛知県津島市金町18(1966年)
開館年 : 1906年12月、1951年12月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「巴座」。1966年の映画館名簿では「津島巴座」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「天王通パーク・ホームズ」。最寄駅は名鉄尾西線津島線津島駅

1872年(明治5年)から1873年明治6年)頃には津島町初の芝居小屋として寿美喜座が開館。1906年明治39年)6月には寿美喜座の跡地に株式会社組織の巴座が落成しまし、『津島町史』が刊行された1938年(昭和13年)時点では津島町唯一の芝居小屋でした。

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(写真)1932年の巴座。文献名不明。津島市立図書館における「天王通りの今昔写真展」。

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(写真)巴座など津島町の劇場について書かれている『津島町史』愛知県海部郡津島町、1938年。津島市立図書館所蔵。

 

戦後には津島映画劇場とともに津島市に2館ある映画館の片方となりますが、映画館名簿によると両館とも特定の配給会社の系列には加わっていなかったようです。巴座は1966年(昭和41年)頃に閉館し、跡地はパチンコ店の津島一番となります。1992年(平成4年)には14階建てのマンションである天王通パーク・ホームズが建っています。

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(写真)天王通りと巴座跡地のマンション。2021年6月。

 

本町通りにある平徳呉服店の女性(70代?)に話を聞くと、

津島には巴座と映画館の2館があった。巴座は芝居などもやっていた劇場である。平徳呉服店のはす向かいにある大きな家は巴座の経営者の自宅である。今も住んでいるかはわからないが、存命なら100歳くらいだろうか

とのことです。津島映画劇場を単に "映画館" と呼んだこと、伊藤長八氏の邸宅を "大きな家" と呼んだことが印象的でした。

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(写真)巴座の経営者である伊藤長八邸。2021年6月。

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(写真)巴座株式会社の札がかかる伊藤長八邸。2021年11月。

 

2.2 津島映画劇場(1925年7月-1985年頃)

所在地 : 愛知県津島市池須町67(1985年)
開館年 : 1925年7月、1940年11月
閉館年 : 1985年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1940年11月開館。1930年の映画館名簿では「秋津館」。1936年の映画館名簿では「大勝館」と「豊富館」の双方が掲載されている。1943年・1949年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「津島映画劇場」。1986年・1990年の映画館名簿には掲載されていない。1987年4月17日焼失。跡地はマンション「サンハウス津島」。最寄駅は名鉄尾西線津島線津島駅

『津島町史』(津島町、1938年)によると、1925年(大正14年)7月には津島初の活動写真専門館として秋津館が開館。1930年(昭和5年)7月に大勝館に改称し、1934年(昭和9年)8月に豊富館に改称したとのこと。1936年(昭和11年)の映画館名簿には大勝館と豊富館の双方が異なる電話番号・経営者で掲載されており、『津島町史』とは齟齬があります。

津島映画劇場は1985年(昭和60年)頃に閉館。1987年(昭和62年)4月17日には池須町の料理旅館から出火する火災が発生し、津島映画劇場の建物を含む8軒が焼失する惨事となっています。発生したのが昼の12時40分ということで、1.5km離れた愛知県立津島高校からも炎が見えたそうです。

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(写真)「津島の中心街火事 8軒を全半焼」『中日新聞』1987年4月18日朝刊。

 

1990年(平成2年)には跡地に11階建てのマンションであるサンハウス津島が建っています。

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(写真)津島映画劇場跡地にあるマンション。2021年6月。

 

2.3 TOHOシネマズ津島(2005年12月8日-営業中)

所在地 : 愛知県津島市大字津島字北新開351 ヨシヅヤ津島本店南(2020年)
開館年 : 2005年12月8日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2006年・2008年・2010年・2012年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ津島1-10」(10館)。

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(写真)ヨシヅヤ津島本店シネマ棟。2019年5月。

 

津島市の映画館について調べたことは「尾張地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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