(写真)飛騨川と米田富士。
2021年(令和3年)10月、岐阜県加茂郡川辺町中川辺を訪れました。かつて中川辺には映画館「飛水会館」がありました。
1. 中川辺を訪れる
木曽川の支流である飛騨川が平地に出た場所に中川辺の市街地があり、近世には飛騨街道(旧飛騨街道)の宿場町でもありました。太部古天神社を北端として、旧飛騨街道沿いは商店街となっており、旅館(かつや)、寿司屋(魚勘)、和菓子屋(松島屋老舗)、衣料品店(阿波屋)、金融機関(大垣共立銀行川辺支店と東濃信用金庫川辺支店)などが現在も営業しています。
(写真)旧飛騨街道。
(写真)旧飛騨街道。
(写真)旧飛騨街道。
(写真)旧飛騨街道。
(左)旧飛騨街道。佐藤書店。(右)太部古天神社の境内にある中川辺公民館。
駅前通りと旧飛騨街道の交差点を東に向かうと白扇酒造の工場や店舗がありました。白扇酒造は主にみりんで知られる醸造蔵のようですが、清酒「花美蔵」も製造しています。
(写真)白扇酒造。店舗部分。
(写真)白扇酒造。工場部分。
(写真)筆柿。
2. 川辺町中央公民館図書室
川辺町は図書館未設置自治体であり、図書施設としては川辺町中央公民館図書室があります。川辺町中央公民館は川辺町役場に隣接しており、図書室は本館と連絡通路で結ばれた別棟となっています。
(写真)川辺町中央公民館図書室。
(写真)川辺町中央公民館のフロアマップ。左下の緑色が図書室。
独立施設だけあって床面積は狭くなく、図書室というより図書館と呼ぶべき施設に思えます。南側には1人分がゆったり取られた学習コーナーがあり、東側には飛騨川を眺めながら読書ができる飛騨川眺望閲覧コーナーがあります。この閲覧コーナーの眺望は素晴らしく、この図書室の名物コーナーといえるのでは。
(写真)川辺町中央公民館図書室のフロアマップ。
(写真)館内。
(写真)学習コーナー。
(写真)飛騨川眺望閲覧コーナー。
2021年(令和3年)1月に刊行された『岐阜県内公共図書館・町村図書室調査集計表』によると、川辺町中央公民館図書室の年間入館者数は約1万4000人、年間貸出数は約2万2000冊、住民1人あたり貸出数は2.26点です。
住民1人あたり貸出数は岐阜県の図書館未設置自治体(8自治体)の中では4番目。独立施設があって床面積も狭くない図書室の割には低い数字に思えますが、なにか理由があるのでしょうか。
(左)テーマ展示。(右)郷土資料。
3. 中川辺の劇場
2013年(平成25年)9月には川辺学研究会が発足し、2015年(平成27年)には『川辺学研究』第1号が発刊されました。2017年(平成29年)の第2号には堀井謙一「川辺町の芝居小屋」が掲載され、川辺町の劇場と映画館について論じられています。川辺町の映画館に言及している文献はこの論考しか確認できていません。
(写真)中川辺の劇場・映画館。地理院地図
3.1 豊昇座(幕末-大正初期)
太部古天神社の境内の南東、旧飛騨街道に沿う奥田家敷地内(現在は駐車場)には豊昇座があり、明治時代には中川辺で唯一の娯楽場だったとのこと。祭日や祝日に興行が行われ、地方巡業の芝居一座などが来演したそうです。
(写真)豊昇座の跡地にある駐車場。
3.2 美川座(1913年10月9日-大正末期)
大正初期には老朽化によって豊昇座が廃止され、1913年(大正2年)10月9日には春日町1丁目(現在の下町)に美川座が開設されていますが、美川座も大正年間には廃止されたようです。
4. 中川辺の映画館
4.1 飛水会館(1959年頃-1961年頃)
所在地 : 岐阜県加茂郡川辺町中川辺(1961年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1961年頃
1958年・1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1961年の映画館名簿では「飛水会館」。1961年の映画館名簿では経営者が佐藤円次郎、支配人が熊沢美利、木造2階、定員700。1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「田原医院」。
昭和に入ると浦町(現・田原医院)に川辺座が開館し、やがて映画も上映することになります。浦町街道に沿って東西に長い木造建築であり、土間や出店を通ると数百人を収容できる観覧席がありました。
戦後の川辺座は町営公民館の飛水会館となり、1975年(昭和50年)頃まで使用されたとのこと。映画館名簿では1960年版と1961年版の2年間のみ掲載されており、定員は「700」となっています。
(写真)右の茶色の建物が飛水会館跡地の田原医院。中央奥は養瑞寺。
中川辺の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。