振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。図書館におけるウィキペディアタウンの開催を推進しています。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

幸田町立図書館を訪れる

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(写真)幸田町立図書館。

 

2019年11月、愛知県額田郡幸田町幸田町立図書館を訪れました。幸田町立図書館には何度も訪れていますが、今回は11月19日から11月27日まで図書館ギャラリーで開催された展示「菱池物語」を見るのが目的です。

 

1. 幸田町を訪れる

幸田町岡崎市の南側にある人口約4万人の自治体。岡崎平野(西三河平野)の南東端にあり、南側は東三河蒲郡市と接しています。平成の大合併時には単独での町制を維持しましたが、岡崎市蒲郡市幸田町・額田町の4自治体での合併も構想されました。デンソー幸田製作所など多数の工場を有しているため、1989年から30年連続で地方交付税不交付団体となっており、 2017年-2018年の人口増加率1.87%は愛知県トップです。

財政的な余裕を活かして、大浦猶之町長時代(1986年-1998年)にはいわゆる "文化ゾーン" である「ハッピネス・ヒル・幸田」の整備が行われました。町域のどこからもアクセスしやすい国道248号沿いの小高い丘を取り崩して、1996年には幸田町立図書館、多目的ホール幸田町民会館、幸田町民プールの3施設が相次いで開館しています。

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(地図)愛知県における幸田町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

明治中期(1888年-1889年)の地形図を見てみると、現在の幸田町域に大規模な村はなく、幸田駅周辺や幸田町役場周辺には「田」「ハイマツ他」「針葉樹林」などの地図記号が見られます。1908年(明治41年)に東海道本線幸田駅が開業すると、1920年大正9年)の地形図では線路と並行する通りができています。1959年(昭和34年)-1960年(昭和35年)の地形図では市街地北東にある三菱レイヨンの工場が目立ちますが、現在の地形図では工場から幸田中央公園に変わっています。

駅名の読みは一貫して「こうだ」ですが、自治体名の読みは1906年明治39年)から1954年(昭和29年)が「こうだ」、1954年以降が「こうた」です。幸田駅設置以前の地名は「幸田」ではなく「広田」であり、幸田町内を流れる広田川に旧地名の名残があります。

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(地図)明治時代の幸田町今昔マップ on the web

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(左)1920年幸田町中心部。1959年頃の幸田町中心部。現在の幸田町中心部。いずれも今昔マップ on the web

 

2 幸田町立図書館

2.1 図書館の特徴

幸田町立図書館では郷土史講座を毎年開催しており、2019年10月には深溝地区の歴史を題材とする「「ウィキペディアタウン in 幸田」」を開催しています。2019年秋には閉館後の図書館内で各分野の著名人を招いた「働く人のための図書館講座」(全5回)を開催するなど、興味深い催しを多数開催しています。

2階にはカウンターでの受付をして入室する特別閲覧室(郷土・参考資料室)がありますが、この特別閲覧室には不満があります。デンソー幸田製作所をはじめとする工業、筆柿などが特徴的な農業、菱池や幸田映画劇場などの地理・歴史など、幸田町の特色が手に取るようにわかる部屋であってほしいと思います。

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(左)幸田町民会館。(右)ハッピネス・ヒル・幸田の中央部にある広場。


2.2 ギャラリー展示「菱池物語」

「菱池」は現在の幸田町中心部にあった池です。近世に描かれた絵図では三河国最大の大池として描かれ、菱池でとれる菱の実は三河の特産品だったようです。ギャラリーの入口すぐの場所には菱の実の実物が置かれており、武器のような外観からは何に用いていたのか見当がつきませんでしたが、食料だったようです。

菱池は豊かな漁場となり、菱の実の収穫の場となりました。近世の新田開発で菱池の面積は半分以下となり、1883年(明治16年)以降に神野金之助が行った干拓によって消滅しました。2000年(平成12年)の東海豪雨では広田川の堤防が決壊し、往時の菱池が再現されたということです。

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(図)幸田町における菱池の推定範囲。「菱池物語」パンフレットより。

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(写真)「菱池物語」のポスターが見える幸田町立図書館入口。

 

3. 幸田町を歩く

3.1 菱池干拓地と池神社

1888年明治21年)には広田川と相見川の合流地点に、豊受五社の神を勧請して池神社が建立されました。鳥居の奥には社殿があり、社殿の左側には菱池の干拓を行った神野金之助 (初代) - Wikipediaの功績を顕彰する1887年(明治20年)の石碑が、社殿の右側には地元住民の功績を顕彰する1932年(昭和7年)の石碑があります。

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(写真)幸田市街地における菱池干拓地と池神社の位置。国土地理院地理院地図

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(写真)池神社の鳥居。(左)菱池干拓地と逆方向を向いて撮影。社殿の左奥と右奥に石碑がある。(右)菱池干拓地を向いて撮影。右奥には東海道新幹線の車両が見える。

 

3.2 幸田駅

2017年4月には幸田駅前に商業施設「幸田駅前銀座」が開店しています。幸田駅区画整理事業の際にカフェ・パン屋・雑貨店などが集まった施設であり、毎月15日に開催される幸田駅前銀座朝市(モノマルシェ)も気になります。2014年には幸田駅前書店も開店しており、幸田駅は人が集まる場所になりつつあります。

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(写真)商業施設「幸田駅前銀座」。カフェやパン屋などの店舗群。

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(写真)幸田駅前書店。

 

4. 幸田町の映画館

4.1 幸田映画劇場(1953年-1960年代中頃)

所在地 : 愛知県額田郡幸田町芦谷字幸田33(1963年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「幸田映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1970年のゼンリン住宅地図では跡地に「コウダショッピングセンタードミープラザ」。跡地は「幸田駅前銀座駐車場」。

昭和30年代の幸田町には映画館「幸田映画劇場」がありました。幸田町立図書館の職員の話によると、幸田駅前書店の東側、幸田駅前銀座駐車場がある場所にはかつてショッピングセンターがあり、ショッピングセンターが建つ前には映画館があったようです。ただし幸田映画劇場が掲載された住宅地図はないし、映画館名簿以外で幸田映画劇場に言及している文献は見つけられていません。

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(写真)「幸田映画劇場」跡地。幸田駅前銀座駐車場。