振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

美川町の映画館

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(写真)JR北陸本線美川駅

2021年(令和3年)3月、石川県白山市の美川地区(旧・石川郡美川町)を訪れました。かつて美川町には映画館「都劇場」がありました。

 

1. 美川町を訪れる

美川町(みかわまち)は手取川の河口部に形成された町。室町時代から本吉湊として栄え、江戸時代には北前船の寄港地となります。

1869年(明治2年)には石川郡本吉村と能美郡湊村が合併し、両者の郡名から一文字ずつ取って美川村が発足。1889年(明治22年)に美川町となり、2005年(平成17年)には松任市鶴来町などと合併して白山市の一部となりました。

ここ数年で街並み保存の取り組みが活発化したようであり、2020年(令和2年)には藤塚神社などが日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に追加認定されています。

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(写真)手取川扇状地における美川町の位置。地理院地図

 

美川駅に停車する列車は1時間2本にすぎませんが、駅舎の2階にはカフェが併設されていました。コンパクトな町なので鉄道駅をまちづくりの中心に据えているのでしょうか。白山市立美川中学校は三谷美菜津などを輩出したバドミントンの強豪であり、町を挙げてバドミントンを奨励しているようで、こちらにもまちづくりの方向性が感じられました。

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(左)美川駅に併設された美川37カフェ。(右)白山市立美川中学校。

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(写真)美川駅前にある美川町の案内図。近年に設置されたと思われる。

 

1.1 大正通り周辺

美川駅から北に本町通りが伸びていますが、往時のメインストリートは本町通りの西側に並行する大正通り(大正浪漫通り)だと思われます。この通りは古くから大正通りと呼ばれていたようですが、大正浪漫通りと名付けられたのは近年ではないかと思います。"大正"の要素は薄く、"昭和"の要素を押し出したほうが良いのではないかと思いました。

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(写真)大正通り。

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(写真)大正通りにある「大正浪漫通り」の看板。

 

大正通り沿いにはWikipediaにも記事がある徳証寺 (白山市) - Wikipediaがあり、赤茶色の石州瓦を用いた本堂の屋根が目につきます。航空写真を見ると美川町全域で赤茶色の瓦屋根が多く、その色合いには「落ち着いた赤茶色」と「明るい赤茶色」の2種類があるのが気になりました。

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(写真)徳證寺。

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(左)赤茶色の瓦屋根が多い美川町の民家。(右)大正通りの町屋。

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(左)黒色の瓦屋根が多い鶴来町の街並み。(右)赤茶色の瓦屋根が多い美川町の街並み。

 

1.2 五十鈴通り・宮前通り周辺

大正通りよりも西側、五十鈴通りや宮前通り周辺には古くからの町屋が残っています。美川市街地の通りは概して道幅が広く、農家のように奥まった場所にある民家もありました。目立つ商店は仏壇店くらいで不思議な印象を受けます。勝見仏壇店の蔵には鏝絵の獅子が据えられていましたが、目線の高さにある鏝絵というのが珍しいと思いました。

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(写真)今町の佐渡家。

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(左)五十鈴通り。(右)今町の通善家。

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(写真)加能合同銀行新町支店跡。

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(左)町中に設置された看板。(右)五十鈴通りの濱上家。

 

街並みのすぐ南には藤塚神社がありました。藤塚神社から鬼門の方角(北東)には御旅所があり、美川おかえり祭りに用いる13棟の台車小屋がずらりと並んでいます。山車まつりかと思いましたが神輿まつりであり、巡行ルートが毎年異なるようなのが興味深い。

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(左)藤塚神社。(右)藤塚神社御旅所にある台車小屋。

 

2. 白山市立美川図書館

2.1 図書館の歴史

美川町における図書館活動の歴史は、1901年(明治34年)に美川町の有志らによって開館した美川読書館にさかのぼるようです。4部19門に分類された開館当時の蔵書約2200冊は、現在も美川図書館が所蔵しているとのこと。1905年(明治38年)には蔵書を美川町に移管した上で美川町立美川小学校に移転。文部大臣から公立図書館としての認可を得て、美川町立図書館に改称しています。

戦後の1946年(昭和21年)、美川町立図書館は徳證寺に近い託児所跡に移転。1948年(昭和23年)には美川町役場2階に移転し、専任の司書を置いた上で1950年(昭和25年)に図書館条例を制定。1951年(昭和26年)には公民館とともに美川町警察跡に移転。この時から日本十進分類法を採用し、自由に書棚から本を手に取れる接架式を採用しました。

1954年(昭和29年)の合併を機に名称を美川町中央図書館に改称。1963年(昭和38年)からは石川県立図書館の巡回図書館文庫(移動図書館車)が美川町にも巡回しています。1978年(昭和53年)には美川町役場跡に新築移転。

2005年(平成17年)には合併に伴って白山市立美川図書館に改称。2014年(平成26年)に白山市役所美川支所跡に移転したのが現行館です。現行館は平屋建ての単独館であり、北側で白山市役所美川支所とつながっています。このように美川町の図書館はとても長い歴史を有し、2001年(平成13年)には『百年のあゆみ 創立百周年記念』が刊行されています。

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(写真)白山市立美川図書館。

 

公式サイトにはフロアマップが掲載されています。建物に入ると向かって右側が一般書コーナー、左側が児童書コーナーであり、中央にカウンターや新聞・雑誌コーナーがあります。お話の部屋(ファンタジールーム)の規模が大きめか。1万2000人という人口規模を考えると郷土資料の冊数は多く、さすが歴史ある図書館だと思いました。

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(左)郷土資料。(中)閲覧席と書架。(右)書架。

 

2.2 呉竹文庫

なお1922年(大正11年)には、北前船主だった熊田源太郎が私設図書館として呉竹文庫を開館させています。呉竹文庫は図書・美術品・古文書などからなり、現在はミュージアムとして一般公開されています。呉竹文庫は美川市街地から手取川を挟んで西側にあり、今回は訪れていません。

 

2. 美川町の映画館

2.1 都劇場(1953年10月-1963年頃)

所在地 : 石川県石川郡美川町179(1963年)
開館年 : 1953年10月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年10月開館。1955年・1958年の映画館名簿では「都劇場」。1960年の映画館名簿では「美川都劇場」。1963年の映画館名簿では「都劇場」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「北國銀行美川支店」北北東60mにある駐車場。最寄駅はJR北陸本線美川駅

美川町にあった映画館「都劇場」について、石川県立図書館などでは文献における言及を見つけられませんでした。白山市立美川図書館で見つけた自費出版の『「みかわ」思い出の我が町』(二口みつ子、2003年)には、1952年に美川駅前に開館したこと、1965年頃(?)に閉鎖されたことなどが書かれています。住宅地図が存在しない時代に閉館したこともあって、所在地については「美川駅前」としかわからない状態で現地を訪れました。

(写真)都劇場が掲載された1963年の映画館名簿。

 

美川駅前にある和菓子屋 フタマサ御酒堂(ごんしゅどう)の主人(70代?)に話を聞くと、

美川町の映画館は御酒堂の南東にある駐車場の場所にあった。御酒堂のすぐ南の通りは銀座通りと呼ばれた繁華街だった」とのこと。

フタマサ御酒堂は「御酒最中」(ごんしゅもなか)で知られる和菓子屋だそうですが、愛知県民としては餡をカステラ生地で巻いた和菓子が気になりました。名前は知立名物と同じ「あんまき - Wikipedia」ですが、やや小ぶりかつこしあんを用いている上品な和菓子です。この地域ではあんまきは珍しくないとの話に驚きました。

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(左)映画館の話を聞いたフタマサ御酒堂のあんまき。(右)都劇場跡地の駐車場。

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(地図)1963年の都劇場周辺。地図・空中写真閲覧サービス

 

美川町の映画館について調べたことは「石川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(石川県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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