(写真)ストリップ劇場「あわらミュージック劇場」。
2019年(令和元年)7月、福井県あわら市の金津市街地と芦原市街地を訪れました。かつてあわら市には映画館「金津東映劇場」や「芦原文化映画劇場」がありました。
1. あわら市を訪れる
1.1 あわら市の沿革
あわら市は福井県北部にある人口3万人弱の自治体。2004年(平成16年)に坂井郡金津町と芦原町が合併して発足しました。2006年(平成18年)には坂井郡の残り4町が合併して坂井市が発足しており、坂井郡の6町は平成の大合併で2市に再編されています。
あわら市と坂井市には、JR北陸本線とえちぜん鉄道三国芦原線の2本の鉄道路線が通っています。しかし、JR芦原温泉駅は旧芦原町ではなく旧金津町にあり、芦原温泉街の最寄駅はえちぜん鉄道あわら湯のまち駅です。また、JR丸岡駅は旧丸岡町ではなく旧坂井町にあり、丸岡城の近くには鉄道駅がありません。芦原温泉街や丸岡城を公共交通機関で訪れるのはやや不便であり、観光客にとってはわかりにくい鉄道網に見えます。
(地図)福井県におけるあわら市の位置。©OpenStreetMap contributors
(地図)平成の大合併による坂井郡6町の再編。©OpenStreetMap contributors
1.2 旧芦原町を訪れる
現在のあわら市の西部にあったのが坂井郡芦原町(あわらちょう)です。芦原温泉は福井県最大の温泉街であり、芦原温泉 - Wikipediaによると「大正から昭和初期の旅行・観光ブームにのり発展した」そうです。この大正・昭和戦前期から営業している旅館も多くありますが、1956年(昭和31年)には芦原大火に見舞われているため、温泉街の建物の大半は芦原大火後に建てられたものです。
あわら市芦原図書館
芦原温泉街はえちぜん鉄道線の北側に形成されていますが、あわら市芦原図書館があるのはあわら湯のまち駅の南側です。あわら市湯のまち公民館の脇にある独立した建物であり、開館は1988年(昭和63年)、延床面積は695m2です。
蔵書数は約6万冊であり、旧坂井郡6町すべてに1館ずつある図書館の中ではもっとも規模の小さい図書館です。開架室からはみ出してロビーにまで書架が置かれていました。芦原温泉に関する郷土資料は一通りありますが、本の貸し借りに特化した旧来型の図書館という雰囲気であり、温泉客が訪れて楽しめる図書館ではありません。
(左)あわら市芦原図書館。(右)左はあわら市湯のまち公民館。右があわら市芦原図書館。
旅館べにや
芦原温泉街には旅館「べにや」があります。この老舗旅館は1884年(明治17年)創業であり、芦原大火直後の1957年(昭和32年)には数寄屋造りで本館が再建されています。明治時代には政治家の伊藤博文や後藤新平が、大火後の建物には皇太子時代の上皇夫妻、作家の水上勉や俳優の石原裕次郎が宿泊しているそうです。
2015年(平成27年)には本館が登録有形文化財に登録されましたが、2018年(平成30年)5月5日の失火により焼失してしまいました。シンボル的存在だった樹齢250年のシイの大木だけが残っており、更地となった敷地にはシートで目隠しがされていました。2020年(令和2年)夏の営業再開を目指して、今後建物の再建が行われるようです。
(写真)旅館「べにや」跡地。玄関脇のシイの大木は無事だった。
1.3 旧金津町を訪れる
現在のあわら市の東部にあったのが坂井郡金津町(かなづちょう)です。JR北陸本線芦原温泉駅には北陸新幹線の駅が設置される予定であり、2022年度(令和4年度)の福井延伸開業に向けて工事が進められています。
旧金津町の人口は1万5000人程度であり、また芦原温泉街からも離れているため、駅前商店街の規模は大きくありません。駅前のビルからは昭和の香りが漂っており、3年後には新幹線が停車する駅になることが信じられません。駅前からは芦原温泉街行きのバスの他に、丸岡市街地行きのバスも発車しています。
あわら市金津図書館
芦原温泉駅から駅前通りを歩いて徒歩10分の場所には、あわら市発足後の2013年(平成25年)に開館した「金津本陣IKOSSA」があります。1階にあわら市金津図書館が入っており、あわら市のメイン図書館に位置付けられているようです。あわら市図書館の利用者カードを作成できるのは、「あわら市在住・在学・在勤者、坂井市在住者、石川県加賀市在住者」。あわら市と石川県加賀市との間で交流がどれだけあるのか気になります。
一般名詞としての本陣は街道の宿場にある宿泊施設を指しますが、金津町では各地区にある公民館的施設のことを本陣と呼ぶようであり、全17区に本陣があるようです。
(写真)あわら市金津図書館が入る「金津本陣IKOSSA」。
2. あわら市の映画館
2.1 金津会館(1946年11月-1962年頃)
所在地 : 福井県坂井郡金津町六日(1962年)
開館年 : 1946年11月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年11月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「金津会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
1947年(昭和22年)1月1日、坂井郡金津町六日に公会堂兼映画館の金津会館が開館しました。映画館名簿には1962年(昭和37年)版まで掲載されていますが、正確な跡地は不明です。
2.2 芦原文化映画劇場(1953年頃-1966年頃)
所在地 : 福井県坂井郡芦原町二面(1966年)
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「芦原文化映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。
旧坂井郡芦原町の芦原温泉街の東側にある二面温泉地区には芦原文化映画劇場(芦原文映)がありました。1953年(昭和28年)の芦原温泉開湯70周年記念事業と同じ頃に開館したとされ、冬季には豆炭暖房のサービスを行っていたようです。
1965年(昭和40年)のゼンリン住宅地図には二面温泉地区に「映画館」とあり、これが芦原文化映画劇場であるならば、跡地は駐車場と民家になっています。道路を挟んで西側には、廃業した老舗旅館「仁泉」の廃墟がありました。「仁泉」はかなり敷地の広い旅館であり、地形図には池も描かれています。
(写真)芦原文化映画劇場の跡地にある駐車場。
(地図)芦原温泉街における芦原文化映画劇場の位置。国土地理院 地理院地図に加筆
2.3 金津東映劇場(1960年頃-1968年頃)
所在地 : 福井県坂井郡金津町新富(1968年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1968年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「金津東映」。1962年・1963年の映画館名簿では「金津東映劇場」。1966年・1968年の映画館名簿では「金津劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「コシカワ写真館」の奥の空き地。
旧坂井郡金津町のJR芦原温泉駅の近くには金津東映劇場がありました。金津会館が1960年代初頭に金津東映劇場に改称したと思われますが、両者は別施設の可能性もあります。1948年(昭和23年)6月28日には福井地震が起こっていますが、金津会館の建物は無事だったため避難所として使用され、その後は金津町の震災復興対策本部が置かれたそうです。
金津東映劇場の跡地は「若桜料理店」の裏手のようですが、現在は駅前通りから映画館跡地に至る路地はありません。航空写真や地形図を見ると、少なくとも2008年(平成20年)まで金津東映劇場の建物が残っていた可能性があります。
(写真)芦原温泉駅の駅前通り。灰色の建物は若桜料理店。ベージュ色の建物はヨシカワ写真館。オレンジ色の建物はニシタ時計店。右の写真の手前は水口橋。金津東映劇場は若桜料理店の奥にあった。
(地図)現在の地形図における金津東映劇場の位置。国土地理院 地理院地図に加筆
(地図)1960年代の航空写真における金津東映劇場の位置。国土地理院 地理院地図に加筆
3. あわら市のストリップ劇場
3.1 あわらミュージック劇場(1956年頃-営業中)
あわら温泉を象徴する劇場はストリップ劇場であり、ストリップ劇場「あわらミュージック劇場」が健在です。2010年(平成22年)に石川県加賀市(山代温泉)のストリップ劇場「山代劇場」が閉館したことで、北陸4県では唯一のストリップ劇場となりました。『芦原温泉ものがたり』によると「1956年4月の芦原大火後まもなく」、『ストリップのある街』によると「1958年」に開館し、今日まで営業を続けています。
東海3県唯一のストリップ劇場である岐阜市のまさご座は、基本的に1か月のうち10日間が休館となるようです。一方であわらミュージック劇場は、1か月の中で頭興行(上旬)・中興行(中旬)・結興行(下旬)すべてを行うようです。岐阜市のまさご座は1日の興行に5人の踊り子が出演しますが、あわらミュージック劇場は1日の興行に3人しか出演しないようです。
成人映画館の館外には男性の欲情をあおるタイトルやビジュアルのポスターが貼ってあることが多いですが、ストリップ劇場の館外は踊り子のポスターもなく殺風景であり、通りに溶け込んでいます。
(左)あわらミュージック劇場がある通り。中央左があわらミュージック劇場。(右)あわらミュージック劇場の入口。
映画館について調べたことは「福井県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(福井県版)」にマッピングしています。