振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

新城市つくで交流館図書室を訪れる

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(写真)図書室がある新城市つくで交流館。

 

 2019年6月、愛知県新城市の作手(つくで)地区を訪れ、新城市つくで交流館図書室や映画館「常盤映画劇場」の跡地をめぐりました。

 

1. 新城市作手地区を訪れる

南設楽郡作手村は愛知県の東三河地方にあった自治体。2005年(平成17年)には南設楽郡鳳来町とともに新城市編入合併されました。平成の大合併以前の愛知県に7あった村のひとつであり、合併直前の人口は約3,200人でした。

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(地図)愛知県における新城市の位置。©OpenStreetMap contributors 

 

新城市街地のJR新城駅などから作手市街地には、新城市コミュニティバス「Sバス」が1日7往復(休日は1日4.5往復)運行されています。乗車時間は約40分。標高60m程度の新城市街地から標高530m前後の作手高原までバスが一気に上っていくのが爽快です。以下の地形断面図を見るとわかるように、2km地点から8km地点までの6kmを走るだけで標高差400mも登ります。山間部の盆地にある設楽町田口地区や東栄町本郷地区とは異なり、作手村は平坦な高原上にあるため、水田が広がっていて解放感があります。年平均気温は摂氏12.5度とのことで、名古屋市と比べると摂氏3-4度も低く快適な気候です。

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(地図)作手地区周辺の色別標高図。国土地理院 地理院地図に加筆

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(図)「Sバス」作手線の地形断面図。国土地理院 地理院地図より作成

 

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(左)新城市コミュニティバス「Sバス」。(右)作手地区のターミナルである作手高里バス待合所。

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(写真)作手地区の中心部にある「作手総合支所東」交差点とその周辺。

 

1.1 新城市作手歴史民俗資料館

作手市街地の中心部には新城市作手歴史民俗資料館がありました。かつて作手にあった映画館について尋ねてから作手市街地を散策しました。

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(左)作手歴史民俗資料館の外観。(右)作手歴史民俗資料館の2階。

 

2005年(平成17年)に南設楽郡作手村新城市編入されてから12年後、2017年(平成29年)には新城市役所作手支所が新築移転し、同時期には旧作手村役場の場所に「新城市つくで交流館・新城市立作手小学校」(複合施設)が完成しています。この2施設は地元産の木材を用いた木造平屋建ての建物であり、2014年(平成26年)に北設楽郡設楽町に完成した設楽町役場・設楽町民図書館と同じです。

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(写真)新城市役所作手支所。

 

1.2 愛知県立新城東高校作手校舎

私が乗車した新城市コミュニティバス「Sバス」には、新城市街地から愛知県立新城東高校作手校舎に通う高校生も乗車していました。作手村に隣接していた額田郡額田町や東加茂郡下山村には過去にも高校がなかったのに、作手村には現在も高校の校舎が存在しているうえに、1978年(昭和53年)から2011年(平成23年)までは愛知県立作手高校という独立した学校だったようです。

豊鉄バス「作手線」が新城市コミュニティバスに移管されて利便性が向上し、作手地区内からの入学者よりも作手地区外からの入学者のほうが多くなったそうです。新城東高校作手校舎のすぐ南側には、水田の中にたたずむ鎮守の森が青空に映える粕塚八幡宮がありました。

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(左)北から見た粕塚八幡宮。(右)南から見た粕塚八幡宮。左奥は愛知県立新城東高校作手校舎。

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(写真)愛知県立新城東高校作手校舎。

 

1.3 作手地区の農地

作手地区の農地は水田が中心ではありますが、ビニールハウスも目立ちます。同じように高原上に位置する設楽町津具地区ではビニールハウスでトマトを栽培していましたが、作手地区では菊を栽培しているようです。愛知県で菊といえば渥美半島の電照菊が有名ですが、作手村の菊には何か特色があるのでしょうか。

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(左)水田とビニールハウスが混じる作手清岳の農地。(右)農地の中央を通る用水路。

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 (左)ビニールハウスで栽培されている菊。(右)ビニールハウスの暖房機用燃料タンク。

 

1.4 作手谷中分水点

作手高原からは北に向かって矢作川水系巴川が、南に向かって豊川水系巴川が流れており、愛知県を代表する両河川の分水界となっています。基本的に東三河地方は豊川水系(と天竜川水系)に属しますが、水系を考えると作手地区は東三河地方と西三河地方の中間に位置するようです。両河川は作手高原でわずか2kmの距離にまで迫っており、農地の中央を流れる用水路で結ばれています。このため、作手高原上の標高530m地点には水流が北と南に分かれる地点(作手谷中分水点)があります。分水界(分水点)は一般的に山地の稜線であり、平地が分水界となる谷中分水点(谷中分水界)は全国的に見ても珍しいものです。

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(地図)矢作川水系豊川水系の分水界に位置する作手市街地。©OpenStreetMap contributors

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(写真)2つの巴川の上流部と作手谷中分水点。国土地理院 地理院地図 空中写真に加筆

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(左)豊川矢作川分水点の縦長看板と説明看板。(右)豊川矢作川分水点。

 

 

1.5 作手地区の芸者置屋

作手歴史民俗資料館では70代の男性職員に「芸者置屋があった」という話を聞きました。『作手村誌』には昭和20年代の作手市街地における商店マップが掲載されており、市街地北端部の安ノ沢という小字には芸者置屋が2軒、他の地点にもさらに1軒あったようです。

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(写真)芸者置屋があった小字。(左)右の民家の地点に2軒の芸者置屋があったとされる。

 

 

2. 新城市作手交流館図書室を訪れる

2.1 2017年完成の複合施設

新築された新城市役所作手支所の場所には、かつて新城市作手開発センターがあり、3,000冊程度の蔵書を有する図書室があったようです。2017年(平成29年)には「新城市つくで交流館・新城市立作手小学校」(複合施設)が完成し、新城市つくで交流館図書室が開館しました。

この複合施設は芝生の中庭を取り囲むように「ロ」の字型に建物が配置され、東側には土のグラウンドがあります。靴からスリッパに履き替えて建物内に入ると、すぐ右手に図書室があり、奥の左手に多目的ホールがあります。奥の右手には多目的ルームがあり、調理室や和室などもあります。中庭は交流館と小学校の共有スペースです。小学校の専有スペースには市民が立ち入れないようになっています。

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(写真)新城市立作手小学校・新城市つくで交流館。

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(写真)新城市立作手小学校・新城市つくで交流館。

 

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(写真)新城市つくで交流館の内部。(左)つくで交流館の廊下から見た中庭。(中)つくで交流館ホール。(右)つくで交流館図書室。

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 (写真)新城市立作手小学校・新城市つくで交流館の中庭。

 

2.2 新城市つくで交流館図書室

交流館図書室の入口にはカウンターがあり、交流館の受付と図書の貸出返却窓口を兼ねているようです。図書室の東側には3方向に壁面書架が設置されているほか、中央部にも2つの書架が置かれています。机のある学習席、青色とオレンジ色のソファ席、黄色の背もたれ付きソファ席と、10人程度が座って本を読めるスペースがあります。

書庫はないと思われます。開架の蔵書数を確認したところ、一般書が約1,000冊、郷土資料が約100冊、文芸書が600-800冊、参考図書が200-300冊、児童書が200-300冊、絵本・紙芝居が500-1,000冊といったところでしょうか。新城図書館の「大阪圭吉コーナー」のような特設コーナーなどは存在しません。蔵書の充実のために300万円を寄贈した中川良隆氏についての紹介がありました。

特に一般書はこの数年で購入された新しい本が目立ち、古い本は廃棄したか新城図書館の書庫に移動されたのかもしれません。交流館図書室の蔵書は新城図書館と一体化させて管理されているそうですが、公民館図書室から公共図書館への昇格はなされておらず、今でも新城市公共図書館は新城図書館の1館だけです。交流館図書室内の写真を撮りたいというと、「宣伝になるから」と快く許可してくださいました。

 

中川良隆氏

1934年 愛知県南設楽郡作手村田原生まれ

1964年 東北大学医学部を卒業

1969年 東北大学大学院医学研究科を卒業

1981年 静岡県三島市に中川内科医院を開業

2012年 大塚敬節記念東洋医学賞を受賞

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(写真)新城市つくで交流館図書室。書架が置かれている東側半分。

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 (写真)新城市つくで交流館図書室。書架が置かれている東側半分。

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 (写真)新城市つくで交流館図書室。書架が置かれている東側半分。(左)文芸書。(右)一般書。

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 (写真)新城市つくで交流館図書室。西側にある絵本コーナー。

  

 

3. 作手地区の映画館

3.1 常盤映画劇場(-1960年代中頃)

所在地 : 愛知県南設楽郡作手村高里8
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「常盤映画劇場」。1960年の映画館名簿では「常盤映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。現在の新城市作手地区にあった唯一の映画館。

映画館名簿には作手村唯一の映画館として「常盤映画劇場」(常盤映劇)が登場します。作手歴史民俗資料館で70代の男性職員に映画館について聞いたところ、「(Aコープ作手店と作手郵便局の中間付近にある)現在の齋藤新聞店近くに映画館があったというような話を聞いたことがある」とのことでした。55年ほど前になくなっている映画館ですし、晩年は散発的に興行を行うだけだったのかもしれません。

作手村誌 本文編』(新城市、2011年)には昭和20年代作手村中心部にあった商店の地図が掲載されており、住民への聞き取りによって作成されたそうです。この地図にも常盤映画劇場は掲載されていませんが、映画館が開館したのは昭和30年代初頭のことだと思われるため、時期的には掲載されていなくてもおかしくありません。交流館図書室には作手村誌の編纂に携わった女性職員がおり、常設映画館については「まったく聞いたことがない」とのことでしたが、「作手村でもナトコ映画の上映会が開催されていたことは把握している」とのことでした。

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(写真)常盤映画劇場があったと思われる地点付近。左は齋藤新聞店。右奥に作手郵便局。