振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

山中温泉の映画館

(写真)山中温泉文化会館にある「昭和六年山中町旧市街地図」。

2023年(令和5年)7月、石川県加賀市山中温泉を訪れました。かつて山中温泉には映画館「山中グリーン劇場」と「昭和館」がありました。「山代温泉の映画館」に続きます。

 

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1. 山中温泉を訪れる

1.1 山中温泉の街並み

山中温泉加賀市の山裾にある温泉地であり、山代温泉片山津温泉とともに加賀温泉郷に含まれます。奈良時代行基が発見したという開湯伝説はさておき、江戸時代にはよく知られた温泉地となっていたようであり、松尾芭蕉は「おくのほそ道」旅の終盤に山中温泉に一週間も滞在しています。北陸地方の温泉地では共同浴場を総湯と呼びますが、山中温泉総湯「菊の湯」は芭蕉の句に由来しています。

「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」おくのほそ道

(写真)山中温泉 南町ゆげ街道。

 

1971年(昭和46年)までは北陸鉄道加南線が山中温泉に通じており、終着駅である山中駅の跡地は北鉄加賀バスの山中温泉バスターミナルになっています。バスターミナル付近から南北に数本の通りが延びており、最も商店の数が多いのは本町通りですが、その西側の湯の本町商店振興会は活性化の取り組みが盛んなようです。

(写真)本町通り。

(写真)湯の本町商店振興会。

 

吉田初三郎に次ぐ鳥瞰図画家だった金子常光は、1924年大正13年)に山中温泉事務所の依頼で鳥瞰図「山中温泉御案内」を描いています。

(絵図)金子常光「山中温泉御案内」山中温泉事務所、1924年吉田初三郎式鳥瞰図データベース

 

1.2 山中温泉文化会館

加賀市立山中図書館で映画館に関する文献を探しました。特に昭和館の跡地が特定できる文献を見つけたかったのですが、図書館での成果はほとんどありませんでした。

(写真)加賀市立山中図書館。

 

たまたま図書館近くの山中温泉文化会館に入ったところ、ロビー奥に「昭和六年山中町旧市街地図」が掲示されているのを見つけました。1931年(昭和6年)の大火前の市街地を様子を明らかにするべく、45人の編纂委員によって1984年(昭和59年)11月に製作された地図です。文献や聞き取りに基づいて一から製作したという風に読み取れます。加賀市はぜひこの貴重な地図のデジタル化に取り組んでほしい。

(写真)山中温泉文化会館。

 

「昭和六年山中町旧市街地図」をくまなく見ていたところ、「昭和倶楽部」と「映画館 旭館」という施設を見つけました。現在のこの付近には加賀市山中温泉東町2丁目へ76という番地があります。1958年(昭和33年)の映画館名簿には昭和館の所在地が江沼郡山中町東町2-77となっていることから、昭和六年山中町旧市街地図における昭和倶楽部は1958年(昭和33年)の映画館名簿における昭和館と同一施設であると推測できます。

(写真)「昭和六年山中町旧市街地図」における昭和俱楽部と映画館 旭館。

 

日本の映画館数がピークに達した1960年(昭和35年)、山中温泉には山中グリーン劇場と昭和館の2館の映画館がありました。なお、戦前の映画館名簿を見ても旭館は掲載されていません。

(写真)山中温泉の映画館としてグリーン劇場と山中映劇昭和館が掲載されている『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

(写真)1963年の航空写真における山中温泉の映画館。地図・航空写真閲覧サービス

(写真)山中温泉文化会館のロビー。

 

2. 山中温泉の映画館

2.1 昭和館(1927年-1961年頃)

所在地 : 石川県江沼郡山中町東町2-18(1961年)
開館年 : 1927年、1949年2月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年2月開館。1930年・1936年の映画館名簿では「昭和倶楽部」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「昭和クラブ」。1953年の映画館名簿では「昭和劇場」。1955年の映画館名簿では「山中昭和館」。1956年・1957年の映画館名簿では「昭和劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「山中映劇昭和館」。1961年の映画館名簿では「山中昭和館」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「山中郵便局」東北東120mの空き地。最寄駅はJR北陸本線加賀温泉駅

昭和館の跡地だと思われる場所を訪れてみました。何か建物があったことを感じさせる空地が広がっており、崖下に大聖寺川が流れています。良い立地とは言えないし、聞き取りによる裏付けも取れていませんが、昭和倶楽部/昭和館はここにあったようです。

(写真)昭和館跡地の荒れ地。

(写真)昭和館に最も近い道路。

 

2.2 山中グリーン劇場(1957年頃-1973年頃)

所在地 : 石川県江沼郡山中町本町2丁目ソ10(1973年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1973年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「グリーン劇場」。1961年・1962年の映画館名簿では「山中グリーン劇場」。1963年の映画館名簿では「グリーン劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「山中グリン劇場」。1973年の映画館名簿では「山中グリーン劇場」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「山中温泉総湯 菊の湯」東すぐにある空き地。建物名は観光会館。最寄駅はJR北陸本線加賀温泉駅

戦後の1957年(昭和32年)頃から1973年(昭和48年)頃まで、山中温泉の中心部にある観光会館には山中グリーン劇場という映画館があったようです。場所は山中温泉総湯 菊の湯のすぐ東側であり、3階建てビルの2階部分にある388席の映画館だったようです。

(写真)1961年6月の観光会館。「(TH)EATRE YAMA(NAKA)」の文字が見える。『広報山中』山中温泉地区まちづくり推進協議会、2021年3月号。

(写真)「山中温泉なつかしい写真」『広報山中』山中温泉地区まちづくり推進協議会、2021年3月号。

(写真)山中温泉の中心部。左が山中グリーン劇場跡地、右が山中温泉総湯 菊の湯、左奥が北國銀行山中支店、中央奥が恩栄寺。

(写真)山中座。

 

山中温泉の映画館について調べたことは「石川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(石川県版)」にマッピングしています。

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