振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

祖父江町の映画館

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(写真)かつて映画館「新豊座」だったパチンコ大和の廃墟。 

2019年(令和元年)7月と2020年(令和2年)10月、愛知県稲沢市の祖父江地区を訪れました。かつて祖父江町には映画館「新豊座」と「森上会館」がありました。関連記事として「稲沢市立祖父江の森図書館を訪れる」があります。

ayc.hatenablog.com

 

 

1. 祖父江町の映画館

1.1 新豊座(1952年頃-1963年頃)

所在地 : 愛知県中島郡祖父江町祖父江南川原(1963年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1963年頃
1950年・1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「新豊座」。1955年の映画館名簿では「新富座」。1958年の映画館名簿では「新豊座」。1960年の映画館名簿では「新富座」。1963年の映画館名簿では「新豊座」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。2015年には合名会社新豊座が稲沢市祖父江町祖父江南川原94番地に設立されている。跡地は「ダイワパチンコ」の廃墟。

 

1950年代から1960年代の映画館名簿には、祖父江町中心市街地の映画館として「新豊座」(しんとよざ)が登場します。1956年(昭和31年)の祖父江町の商工会員名簿には「演劇・映画」の欄に高木屋興行と酒井興行が掲載されていますが、新豊座を経営していたのがどちらなのかは不明です。

祖父江町史』には祝賀会場として新豊座が使われたという一文がありますが、その歴史などについては触れられていません。もっとも古い祖父江町の住宅地図は『全商工住宅案内図帳』であり、映画館が存在していた時期の住宅地図はないようです。要するに、稲沢市立中央図書館や稲沢市立祖父江の森図書館の文献ではこの映画館のことがほとんど何もわかりません。

Google ストリートビュー祖父江町中心市街地を閲覧していた際から気になっていたのが、巨大なパチンコ大和の廃墟です。この廃墟は新町通りの商店街の西端近くにあり、通りから約20m奥まった場所に建物の入口があります。建物の規模といい立地と言い閉館後の活用方法といい、典型的な映画館跡地に見えますか 、ここに新豊座があったのでしょうか。

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(写真)かつて映画館「新豊座」だったパチンコ大和の廃墟。

 

まずはこの廃墟を訪れて建物の周囲を確認しましたが、映画館だったことを示すものは見つかりませんでした。東側の路地に沿った建物の増築部分にスナック「硝ノ靴」がありましたが、とても営業しているようには見えません。そこで中心市街地の「花乃屋菓子舗」で60-70代と思われる店主に聞いてみると、やはりこの廃墟が映画館「新豊座」で間違いないとのことでした。

新町通りの商店街の発展策として地元有志が出資して開館した映画館だそうで、名称は新町通りに由来するそうです。映画館としての閉館後はアオキスーパーの店舗となり、その後パチンコ大和になったそうです。パチンコ大和が閉店してから久しいものの、開館時に出資した組合が残っているため安易に取り壊せないとのことでした。

花乃屋菓子舗の南側には大きな工場がありますが、この場所には1950年(昭和25年)から1951年(昭和26年)頃に開館した芝居小屋があったそうで、浪曲師の三波春夫が来館したこともあったそうです。芝居小屋と新豊座は同時期に存在していたとのことですが、主人はこの芝居小屋の名前は思い出せないとのことでした。

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 (写真)かつて映画館「新豊座」だったパチンコ大和の廃墟。

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 (写真)かつて映画館「新豊座」だったパチンコ大和の廃墟。

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(写真)1960年代の新町通り国土地理院 地理院地図 1961年-1969年に加筆

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(写真)2009年の新町通り国土地理院 地理院地図 航空写真 全国最新写真に加筆

 

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(地図)1982年の住宅地図。新豊座の建物はマキノチェーン祖父江センター。

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(地図)1993年の住宅地図。新豊座の建物は巨大な空白として描かれている。

 

1.2 森上会館(1952年頃-1963年頃)

所在地 : 愛知県中島郡祖父江町森上(1963年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1963年頃
1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「森上会館」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

 

1950年代から1960年代の映画館名簿を見ると、祖父江町には新豊座のほかに「森上会館」(もりかみかいかん)という映画館も掲載されています。

祖父江町にあった商店街は新町発展会と森上発展会の2つであり、森上発展会は名鉄尾西線森上駅の南東側、線路を挟んで東西に延びています。森上発展会は新町通りと同じく八神街道沿いにあり、新町通りからの距離は2.2km。森上発展会は新町発展会よりも営業中の店舗が少なく、衣料品店や八百屋やよろず屋がわずかに店を開けているだけでした。新町発展会にも森上発展会にも、イチョウの葉をデザインした洒落た街路灯があります。

商店街の近くで座っていた80代と思われる女性に映画館について聞いてみましたが、「映画館などなかった」と即答されてしまいました。花乃屋菓子舗の主人に聞いた時も「森上駅近くに映画館があったかどうかは知らない」とのことでした。映画館名簿には掲載されているものの、年に数回興行を行う程度の芝居小屋だったのかもしれません。

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(写真)名鉄森上駅前の商店街「森上発展会」。八百屋「八百トウ商店」。

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 (写真)名鉄森上駅前の商店街「森上発展会」の街路灯。

 

祖父江町で最も古い1970年の住宅地図を見ると、森上駅前に "森上館" という施設が描かれています。この場所について1961年の航空写真を見てみると、目立つほど大きな建物は写っておらず、"森上館" が映画館の森上会館であると断定することはできません。

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(地図)森上館という施設がある1970年の住宅地図。

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(写真)1961年の森上駅周辺の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス

 

さらに時代の進んだ住宅地図を見ると、"森上館" は映画館ではなく旅館であることがわかりました。残念。

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(地図)旅館 森上館と書かれた1982年の住宅地図。

 

祖父江町にあった映画館について調べたことは「尾張西部の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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