振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。図書館におけるウィキペディアタウンの開催を推進しています。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「WikipediaTown沼津#14」に参加する

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(写真)沼津市明治史料館。

 

2019年6月8日(土)、静岡県沼津市沼津市明治史料館で開催された「WikipediaTown沼津#14」に参加しました。

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1. 沼津市明治史料館を訪れる

1. 明治史料館と歴史民俗資料館

1984年に開館した沼津市明治史料館は、沼津市街地から北にやや離れた場所にある博物館。江原素六記念館という愛称を持ち、「江原素六に関する展示」と「沼津市の(近代以降の)歴史に関する展示」の2本立てです。沼津市には1974年に開館した沼津市歴史民俗資料館もあり、こちらは「沼津市の(近世以前の)歴史」を対象としています。

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(左)沼津市明治史料館の入口脇にある江原素六の胸像。(右)江原素六Wikimedia Commonsより。アメリカ議会図書館所蔵。パブリック・ドメイン(PD)。

 

2. 明治史料館がある金岡地区

沼津ICで降りてからは直線距離3kmで標高差100mを下ります。国道1号沼津バイパスに沿ってそびえる洋風建築が明治史料館であり、近くには道路整備と古墳の保存をめぐって揉めている高尾山古墳 - Wikipediaもありました。

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 (左)国道1号沼津バイパス。中央奥に沼津市明治史料館(右)高尾山古墳。

 

沼津市明治史料館の北側には東海道新幹線も通っています。6車線の国道1号沼津バイパスは交通量が多く、ロードサイド店舗も集積していて活気がある地域に見えます。江原素六(1842年-1922年)が生きていた時代はどうだったか。江原素六が沼津を訪れたのは1868年(明治元年)だそうで、その後は死去する1922年(大正11年)まで沼津と東京を行き来していたとのこと。1899年(明治32年)の地形図を見ると、江原素六邸のある場所は駿東郡金岡村の中心部であり、沼津市街地と金岡村の間には水田が広がっていたようです。

1959年(昭和34年)には江原素六邸の土地と建物が沼津市に寄付されました。1964年(昭和39年)には東海道新幹線が開業、1970年(昭和45年)には国道1号沼津バイパスが開通。周辺地域が激変する時代を経ても大正時代の建物が残っていたようですが、その跡地に1984年(昭和59年)に開館したのが沼津市明治史料館です。現代であれば江原素六邸の保存運動などが展開されてもおかしくないですが、1980年代のことなので仕方ないですね。

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(地図)現在の沼津市街地と沼津市明治史料館。©OpenStreetMap contributors

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(地図)明治32年沼津市街地と江原素六邸。今昔マップ on the webより作成

 

2. Code for ふじのくに/Numazuの活動

この日の会場は沼津市明治史料館の2階にある講座室。Code for ふじのくに/Numazuのこれまでの活動報告を聞いた後、Wikipediaウィキペディアタウンの説明を聞きました。沼津市の方に加えて、静岡県内の公共図書館員や行政職員、Code for NerimaやCode for Niigataの方、ウィキペディアンのハロワンドさん、新潟県内の元学校司書の方など約11人が参加されていました。

 

Code for ふじのくに/Numazuはこれまで13回開催したウィキペディアタウンで沼津市内の古墳記事などを編集しており、近年の沼津市でにわかに注目を集めている高尾山古墳 - Wikipediaなどが加筆されています。Code for ふじのくに/NumazuはWikipediaを効果的な情報発信手段であるとして行政に働きかけ、2019年3月以降には沼津市の史跡にQRコードを設置するプロジェクトを進めています。また2019年5月29日には、隣接する裾野市との間でも「Wikipediaを活用した情報発信の推進に係る覚書」を調印し、裾野市でもQRコードなどを用いてWikipedia記事を活用する取り組みを行っています。

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 (左)会場の講座室。(右)沼津市文化財に関するQRコード

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 (写真)Code for ふじのくに/Numazuの活動報告。

www.at-s.com

スマホで名所・旧跡の情報 沼津・神明塚古墳看板に専用コード」『静岡新聞』2019年3月22日

www.city.susono.shizuoka.jp

Wikipediaを活用した情報発信の推進に係る覚書」裾野市、2019年5月29日

 

Wikipediaウィキペディアタウンの説明用スライドには、"広告コスト" や "Wikipedia記事の閲覧数" などの具体的な数字が出てきます。Wikipediaの有用性についてとても説得力のあるスライドです。

わたしは2017年夏に沼津市立図書館を初めて訪れ、沼津尋常小学校の校長を務めた間宮喜十郎 - Wikipediaを新規作成したり、沼津市立図書館 - Wikipediaを加筆したりしました。2018年1月には沼津市立図書館で開催された「WikipediaTown沼津#7」に参加し、天神洞古墳群 - Wikipediaを見学してWikipedia記事を編集しました。WikipediaTown沼津に参加するのは2回目ですが、市民や司書や学芸員や行政を巻き込みながら新しいことを行っているCode for ふじのくに/Numazuにはいつも刺激を受けます。

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(写真)ウィキペディアタウンを開催する意義などのスライド。

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 (写真)ウィキペディアタウンを開催する意義などのスライド。

 

 

3. 明治史料館の見学

Wikipediaウィキペディアタウンの説明の後は、木口学芸員の解説を聞きながら明治史料館の展示を見学しました。木口さんの名前で検索すると、親子で戦争史跡を巡るツアーなどが出てきます。楽しそう。

3階の江原素六コーナーには江原素六邸が復元・移築されています。明治史料館は "鹿鳴館を意図したデザイン" とのことですが、4階建てかつ正方形に近い外観なので、それこそファサードにしか明治っぽさを感じない。

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(写真)3階の展示室。江原素六コーナー。

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 (写真)復元・移築された江原素六邸。

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 (写真)江原素六コーナー。(右)キリスト者である江原素六が愛用していた聖書。

 

江原素六は様々な事業を行ったそうですが、特に製茶の国外輸出や、愛鷹山官有地の払い下げ運動などで功績があるようです。明治30年代の地形図を見ると、金岡村のすぐ北側の傾斜地には茶畑の地図記号が多数あります。江原素六沼津市街地ではなく金岡村に居を構えたのは、愛鷹山官有地の行く末を見届けたかったからでしょうか。

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(地図)明治32年愛鷹山御料地と江原素六邸。今昔マップ on the webより作成

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(地図)現在の沼津茶の産地と沼津市明治史料館。国土地理院 地理院地図

 

この日は江原素六がメインだったため、沼津市の歴史コーナーはさらっと見学。1951年(昭和26年)の沼津市街地にあった商店・会社が掲載された地図がありましたが、この年の沼津市に映画館は6館(沼津第一劇場・セントラル劇場・沼津映画劇場・東海劇場・銀星座・沼津文化劇場)しかなかったようです。映画館名簿によれば、日本の映画館数がピークを迎えた1960年(昭和35年)には10館となり、24館の静岡市と浜松市、11館の清水市に次ぐ規模となります。住宅地図などで場所を確定させた映画館については「消えた映画館の記憶地図(全国版) - Google My Maps」に掲載しています。

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 (写真)沼津市の歴史コーナー。(右)1951年の「沼津市中心地商店会社案内図」。沼津文化劇場と沼津第一劇場の文字が見える。

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(参考写真)沼津文化劇場の跡地にある沼津信用金庫本店。

www.google.com

 

 

4. 文献調査とWikipedia編集

近くにあるロイヤルホストで昼食を取り、午後は明治史料館1階にある図書室で文献調査を行ってからWikipediaを編集しました。編集対象記事は江原素六 - Wikipedia(加筆)と沼津市明治史料館 - Wikipedia(新規作成)。沼津市明治史料館の図書室では蔵書検索ができないのが不便でしたが、江原素六に関する文献は沼津市立図書館よりも多いのだろうと思います。

沼津市明治史料館に関する言及を書籍から探すのは難しかった。開館当時の『広報ぬまづ』や教育要覧、静岡新聞記事データベースなどを閲覧すれば、より広い視野で沼津市明治史料館を説明できるかもしれません。

敷地内には沼津兵学校の門柱があったり、よくわからない歌碑があったり、日露戦争の戦役記念碑があったり、沼津城の石垣の一部があったりします。これらについても何かしらの説明を行いたいところです。

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 (左)沼津明治史料館の受付。(右)図書室。

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(左)沼津兵学校の門柱。(中)よくわからない歌碑。(右)「明治三十七八年戦役記念」碑。

 

WikipediaTown沼津の特徴のひとつに、主催者と参加者の境界があいまいなことがある。イベントを企画する側の方はいるけれど、文献調査やWikipedia編集の時間には主催者も参加者に交じって作業を行う。Wikipedia編集が得意なウィキペディアン、文献調査が得意な図書館司書はいるけれど、それらを指導する先生、指導される生徒というほどの立場の差はない。私はウィキペディアンとして他者の編集をサポートしたり、参加者の前で何かを話すこともあるけれど、沼津ではいち参加者として参加できるのが居心地がいいです。2015年5月から2018年12月まで20回開催されたウィキペディア街道プロジェクトも似たような雰囲気でしたね。

 

成果発表後に記念撮影を行って解散。私は沼津市街地に足を運び、沼津文化劇場跡地や沼津シネマ10を見に行きました。

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(写真)成果発表。沼津市明治史料館 - Wikipedia