振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

各務原市川島ほんの家を訪れる

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 (写真)川島ほんの家が入っている川島会館。

 2019年(令和6年)6月、岐阜県各務原市の川島地区(旧・羽島郡川島町)にある各務原市川島ほんの家を訪れました。

 

1. 旧川島町を訪れる

岐阜県各務原市(かかみがはらし)は岐阜市の東側に位置する自治体であり、2004年(平成16年)に羽島郡川島町を編入合併しています。

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(地図)愛知県から見た各務原市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1-1. 全域が川に囲まれている町

羽島郡川島町は木曽川に囲まれた自治体でした。この地域で木曽川は本流、北派川(ほっぱがわ)、南派川(なんぱがわ)の3派に分かれており、北派川で岐阜県各務原市岐阜県羽島郡笠松町と、南派川で愛知県一宮市や愛知県江南市と接していました。町域は木曽川本流で分断されており、町役場などがある南側と北側の笠田地区の間には、川島大橋と平成川島大橋が架けられていました。

川島町が各務原市編入された2006年(平成18年)時点で愛知県の自治体との間に架かっていた橋梁は河田橋、渡橋、思いやり橋の3本。岐阜県自治体との間に架かっていた橋梁はもぐり橋の1本でした。合併時点で各務原市と川島町を直接結ぶ橋梁はなく、各務原大橋が架けられたのは2013年になってからです。

近世以後のこの地域はずっと美濃国/岐阜県に含まれているものの、地理的には愛知県の一部のようなものであり、愛知県一宮市名鉄一宮駅からは1時間に2本のバスが運行されています。2018年(平成30年)に名鉄バスで旧川島町を訪れたこともありますが、今回は名鉄一宮駅から約9kmを自転車で走りました。

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 (地図)旧川島町に架かっている橋梁。©OpenStreetMap contributors

 

1-2. 旧川島町の渡船 

旧川島町の中央部には「V」字型に県道が通っており、各務原市役所川島支所、各務原市立川島小学校、各務原市立川島中学校などの公共施設の多くは「V」字の内側にあります。東側の県道を北端まで進むと木曽川松倉渡船場跡(松倉の渡し)がありました。木曽川本流を渡船で渡ってからまっすぐ北に進むと、1963年(昭和38年)に各務原市となった那加町の市街地があります。

1962年(昭和37年)には木曽川本流に川島大橋が架けられ、松倉の渡しは下流側の笠田の渡しとともに廃止されたとのこと。川島大橋の架橋からまだ57年。わずか2世代前まで渡船が唯一の交通手段だったなんて信じられません。 

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(左)木曽川本流。松倉の渡しがあった地点。(右)松倉の渡しの説明看板。

 

「V」字の北東端には木曽川松倉渡船場跡がありますが、北西端にあるのが川島会館です。堤防道路のすぐ南側に4階建ての建物が建っており、木曽川の河川敷は川島会館の駐車場としても使用されています。

建物近くには「三斗山島の跡」碑がありますが、三斗山とは木曽川本流の中州にあった地区のことで、大正時代の河道改修で全戸移転となったようです。1891年(明治24年)の地形図には「松原嶋三斗山」という集落が掲載されていますが、木曽川の河道は現在とは異なりすぎていて当時の姿が想像できず、郷愁を感じることはできませんでした。

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(左)河川敷にある川島会館駐車場。右は川島会館。(右)「三斗山島の跡」と川島会館。

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(地図)明治24年のこの地域の地図に現在の木曽川の河道・県道・高速道路を追加。今昔マップ on the webを加工。

 

2. 川島会館を訪れる

2-1. 川島ほんの家

川島会館の3階に公共図書館各務原市川島ほんの家」があります。川島ほんの家は羽島郡川島町時代の1983年(昭和58年)4月21日開館。ワンフロア型で床面積は670m2です。

岐阜県の町立図書館としては比較的早い開館と思われ、開館を報じる中日新聞の記事には「県下でも指折りの立派な図書館」と書かれていますが、この言葉に誇張はないでしょう。当時の川島町の人口は約7900人。1983年時点ですでに書店がない自治体だったそうで、図書館の開館当初は大盛況だったとのことです。

開館当時は一般書1万冊、児童書7000冊、計1万7000冊。現在は一般書5万2000冊、児童書3万1000冊、その他も含めて計9万6000冊。書架の数は開館時のままのように思われ、現在も1983年の写真と変わらずゆったり並んでいます。3階にある図書室の北西方向は大きな窓になっており、本を読みながら木曽川の景色を眺めることができますが、本の退色は気になりました。

雑誌書架は図書室に入る前のロビー部分にありますが、開館当初からこのような配置だったそうです。1983年以前の「文芸書の貸し借りを行うだけの場所」とは異なる、「くつろいで雑誌や新聞を読める場所」であることをアピールするために工夫したのでしょう。

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(写真)図書室の入口外にあるロビー。左は雑誌書架。

 

2-2. 木曽川文化史料館・各務原市空襲資料室・民俗資料室

川島会館の4階には、旧川島町の歴史や経済について学べる木曽川文化史料館があります。気になったのは岡田式渡船の展示。両岸の堤防にワイヤロープを張り、船に結び付けた針金とワイヤロープを滑車で結ぶことで、水流を利用して動力なしに渡河できるという方式です。この地域でも明治末期からは岡田式が用いられていたとのこと。理屈はなんとなくわかりますが、本当に櫂なしに渡河できるのだろうかと思いました。

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(写真)木曽川文化史料館。右は渡船ではなく川漁に用いられていた帆掛船。

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(写真)岡田式渡船の模型。

 

木曽川文化史料館と同一階には各務原空襲資料室と民俗資料室があります。いずれも2018年(平成30年)7月21日に開館したばかりとのこと。各務原市は陸軍各務原飛行場があった関係で、何度も大規模な空襲を受けています。旧川島町も空襲を受けたそうですが、なぜ各務原市本土の各務原市歴史民俗資料館ではなく旧川島町に資料室を作ったのでしょう。

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(左)各務原空襲資料室。(右)民俗資料室。

 

3. 旧川島町の映画館

3-1. 川島劇場(-1970年代初頭)

所在地 : 岐阜県羽島郡川島町阿田島(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

羽島郡川島町には川島劇場という映画館があったようですが、映画館名簿以外の文献では言及を確認できていません。1969年(昭和44年)の映画館名簿では所在地が川島町阿田島となっています。現在の川島市街地南部は河田町という地名であり、「阿田島」は「河田島」の誤りかもしれません。

 

4. 旧川島町を歩く

4-1. ごんぼ積み地区

旧川島町の西部では家屋の基礎としてごんぼ積みと呼ばれる石積みが多用されており、各務原市は旧川島町の「ごんぼ積み地区」を重要な景観資源としています。各務原市によるサイトをみてもごんぼ積みの定義はよくわからないのですが、水害に備えて丸石を高く積んだ石垣のことをごんぼ積みと称しているようです。

民家のそれとはだいぶ異なりますが、旧川島町でいちばん印象的だったのは八幡神社 (各務原市川島渡町) - Wikipediaのごんぼ積み。木曽川南派川の堤防のすぐ内側ということもあって、約3mの高さで大きな丸石の石垣が築かれていました。

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(写真)八幡神社

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 (写真)八幡神社のごんぼ積みの石垣。

 

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(写真4枚)川島渡町にあるごんぼ積みの街並み。

 

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(写真)木曽川南派川に架かる渡橋。旧川島町と愛知県一宮市を結ぶ。左は一宮市にあるツインアーチ138