振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「WikipediaTown in 沼津#16」に参加する

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(写真)帯笑園にある臨春亭。

2022年1月30日(日)、静岡県沼津市で開催されたウィキペディアタウン「WikipediaTown in 沼津#16」に参加しました。沼津市原にある名勝「帯笑園」を見学した後、沼津市立図書館に移動してWikipediaの編集を行いました。

codeforfujinokuni.doorkeeper.jp

 

1. イベント概要

イベントの主催者は静岡市沼津市周辺で活動するシビックテック団体のCode for ふじのくに。デジタル(Digital)、デザイン(Design)、データ(Data)の3つの「D」を使って社会を変えることを目的としている団体であり、ウィキペディアタウンの活動はデータを使う活動に当てはまります。

Code for ふじのくにがウィキペディアタウンを開催する理由としては、検索エンジンで上位に来やすいウィキペディアを用いることで認知される可能性が高まること、地域を知ることによって地域愛(シビックプライド)が高まることなどがあるようです。

2017年(平成29年)12月にはCode for ふじのくにによるウィキペディアタウンで「大泉寺 (沼津市)」が作成されました。大泉寺はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場するとのことで、この2022年(令和4年)1月には閲覧回数が劇的に増加しています。

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(写真)2021年8月1日から2022年2月1日までのWikipedia「大泉寺 (沼津市)」の閲覧回数

 

1.1 スケジュール

10:00     集合(帯笑園)
10:00~11:45 帯笑園の見学(帯笑園)
11:45~13:30 昼食&移動
13:30~14:00 ウィキペディア執筆レクチャー(沼津市立図書館)
14:00~16:00 ウィキペディア執筆(沼津市立図書館)
16:00~16:30 成果発表(沼津市立図書館)
16:45     解散

 

2. 帯笑園の見学

今回の題材は沼津市原にある名勝「帯笑園」(たいしょうえん)。帯笑園保存会の方に帯笑園の歴史などの話を聞いた後、庭園や臨春亭を見学しました。

帯笑園は東海道の宿場町である原宿の中心部にあり、原宿の名士である植松本家によって造られました。植物園、庭園、文化サロンなどの性格を有しており、江戸時代には参勤交代の際に各国の大名が訪れ、明治時代には皇太子(後の大正天皇)が足繫く通っていたとのことです。

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(写真)帯笑園保存会の方による説明。

 

2.1 庭園

池を中心として庭石や草木が配された一般的な日本庭園とは異なり、帯笑園は珍しい植物の鉢植えなどが主体の庭園でした。鉢植えは季節ごとに取り替えられ、現代の植物園のような性格を有していました。東海道を往来する旅人の交流拠点の役割も果たしており、この地を訪れた多数の著名人が和歌などを残しています。

帯笑園の公式サイトには "植物を主体とする文化財のため、当時の様子を示す構成要素はあまり残っていない" とあります。庭園としての価値、植物園としての価値、文化サロンとしての価値が絡み合うことで評価されている史跡のようです。花が乏しい季節ということもあって、庭園を見ただけではその価値を見誤ってしまう場所です。

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(写真)帯笑園にある鉢植えなど。

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(左)帯笑園にある牡丹園。(右)帯笑園にある沼津垣。

 

2.2 臨春亭

帯笑園の敷地内には植松本家の邸宅の一部である臨春亭(りんしゅんてい)があります。ウェブ上では臨春亭への言及が少ないのですが、見ごたえのある建物でした。

植松本家は池大雅円山応挙との交友があったとのことで、床の間には円山応挙「双鶴図」(1786年、東京国立博物館所蔵)複製の掛軸が掛けられています。隣接する部屋は畳敷きながら籐椅子が置かれており、美しい文様が彫られた机もありました。

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(写真)臨春亭の床の間。

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(左)臨春亭の机。(右)臨春亭の椅子。

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(左)臨春亭の釘隠し。(中)臨春亭のふすまの引手。(右)臨春亭の欄間。

 

おひるごはんは帯笑園の近くにある日本料理店「ひろ繁」で食べました。

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(写真)「ひろ繁」の焼魚定食。

 

3. Wikipedia編集

おひるごはんを食べた後には沼津市立図書館に移動し、4階の会議室でWikipedia編集を行いました。Wikipediaにはすでに「帯笑園」の記事があるため、参加者が節ごとに役割分担して加筆していきました。

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(写真)Wikipedia記事編集のレクチャー。

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(写真)遠隔地から作成されたWikipedia記事編集のレクチャーのグラフィックレコーディング。

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(写真)遠隔地から作成されたWikipedia記事編集のレクチャーのグラフィックレコーディング。

 

3.1 文献

沼津市立図書館に対して事前にレファレンスが行われており、ブックトラック1台分の文献が準備されていました。

一見すると充分すぎる量の文献があるように見えますが、帯笑園について多くのページを割いて言及している文献は少なく、"加筆の役に立つ文献" と "それほど役に立たない文献" を判断するのにやや時間を要しました。また、全員が同じ記事を編集したため、核となる文献を複数人で同時に閲覧できないのはやや不便であり、主要な文献については複数あると便利でした。

今回の編集で核となった文献のひとつに小野佐和子駿河原宿植松家の帯笑園」『ランドスケープ研究』59巻5号、1996年がありますが、この文献はウェブ上のJ-STAGEで閲覧できるものです。望月宏充「原 植松本家と帯笑園」『沼津史談』沼津史談会、56号、2005年なども大事な参考文献であり、題材によっては書籍よりも雑誌論文がメインになりうることを改めて感じました。

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(写真)沼津市立図書館によって事前に準備された文献。

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(写真)編集会場。

 

3.2 編集記事

今回の編集記事は帯笑園 - Wikipediaのみです。私は沿革節を担当しましたが、帯笑園保存会の活動について気になったため、現代の保存活動について多めに加筆しています。

地元でも帯笑園のことを知らない住民がほとんどだった時代があったものの、いくつかの取り組みを経て保存会が結成され、保存会による尽力の結果として沼津市が管理するようになった保存活動の流れについて解説できているかな。

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(写真)Wikipedia「帯笑園」保存活動節。