振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

石岡市を訪れる

(写真)石岡市の看板建築。

2020年(令和2年)8月、茨城県石岡市を訪れました。

※本記事は2020年8月に投稿した「石岡市の映画館」から2024年2月に分割した記事です。

 

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1. 石岡市を訪れる

石岡市茨城県の県南地域にある人口約7万人の自治体。かつては常陸国国府や総社が置かれ、近世には府中藩2万石の城下町として栄えます。1902年(明治35年)時点の人口は水戸市に次ぐ規模であり、明治時代は「水戸に次ぐ県内第2の商都」だったようです。

1929年(昭和4年)3月14日の石岡大火 - Wikipedia後、復興時には現在まで残る看板建築が建てられます。1935年(昭和10年)時点の都市規模は県南地域のもうひとつの中心都市である土浦市とほぼ同等ですが、戦後には土浦市に大きく差を付けられます。都市としての立ち位置が相対的に低下したことで看板建築が残ったのではないかと思いました。

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(図)石岡市に関する統計。『写真集 いしおか 昭和の肖像 増補改訂版』(写真にみる石岡の昭和史研究会出版部、2004年)より。

 

2. 石岡市を歩く

石岡市中心市街地を歩きました。大通りの中町商店街/香丸通りと御幸通りが「ト」の字型になっており、御幸通りよりも古い金丸通りの周辺などにも古い建物があります。中町商店街/香丸通りと御幸通りは電線地中化がなされて開放感があり、他の通りも落ち着いた雰囲気です。

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(写真)石岡市中心市街地。地理院地図

 

2.1 中町商店街(中町通り)

(写真)左は1930年竣工の十七屋履物店。木造2階建ての看板建築。屋根部分の装飾や縦長の連窓が印象的。右は1930年竣工の久松商店。木造2階建ての看板建築。戦前には下見板張りの壁面に銅板が用いられていた。いずれも登録有形文化財

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(左)左から十七屋履物店、久松商店、福島屋砂糖店。福島屋砂糖店は1931年竣工。木造2階建ての商家建築。壁面は土壁漆喰塗りではなくコンクリート。看板建築と重厚な商家建築が隣り合ってるのが不思議。(右)十七屋履物店の店内。

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(左)江戸時代末期竣工の丁子屋(まち蔵 藍)。木造2階建ての商家建築。石岡大火で焼失を免れた商家建築では現存する唯一の建物。登録有形文化財。(右)丁子屋の店内。

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(写真)1932年頃竣工のきそば東京庵。木造2階建ての和風食堂建築。登録有形文化財

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(写真)左は1930年頃竣工の森戸文四郎商店。木造2階建・アールデコ調の看板建築。登録有形文化財

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(左)現在の中町商店街。2000年代以後にアーケードの撤去と電線の地中化が行われたことで明るくて開放的な通りに。(右)昭和戦前期の中町商店街。ガス灯がある。

 

2.2 その他の通り

御幸通り(駅前通り)

1896年(明治29年)には国鉄常磐線石岡駅が開業。1924年大正13年)には鹿島参宮鉄道(後のJR鉾田線)も開業して石岡駅の拠点化が進んだ後、石岡大火直後の1929年(昭和4年)10月に開通したのが御幸通り(駅前通り、八間道路)です。現在でもゆったりした道路という印象ですが、車道幅9m、歩道幅3m、計24mという幅員は当時から変わっていないことに驚きます。

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(左)現在の御幸通り。(右)昭和初期の御幸通り。『写真集 いしおか 昭和の肖像 増補改訂版』(写真にみる石岡の昭和史研究会出版部、2004年)より。

 

香丸通り

石岡大火で市街地が焼失した中町商店街とは異なり、大火の影響を受けていないのが香丸通り。大火後の建築が存在感のある中町商店街と比べると街並みに統一感がなく、これはこれで新鮮に見える。小売店が多い中町商店街と比べると卸売業者が多かったようです。

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(写真)香丸通り。

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(写真)1934年竣工の旧浜総業本社。土蔵造2階建て。

 

気になる通りや建物

中町商店街や御幸通りなどの大通り沿い以外にも、気になる通りや建物が多数ありました。

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(写真)1930年頃竣工の喫茶店四季。木造2階建ての看板建築。コリント様式の柱頭飾りと側面の板張りのギャップが素晴らしい。隣接地の朝日屋食堂東日本大震災で被災し、近年に取り壊されたことで側面が見えるようになったみたい。登録有形文化財

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(左)1932年頃竣工の栗山呉服店。木造2階建ての商家建築。2階の窓枠が美しいらしいけど雨戸が閉まってて見えない。登録有形文化財。(右)石岡大火前年の1928年竣工の平松理容店。内部の床が珍しいらしい。登録有形文化財

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(写真)若宮1丁目にあった旧商店。

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(左)看板建築の喫茶店四季と和風建築が対峙してる金丸通り。(右)土橋通にある中川鳥獣店。

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(写真)石岡東宝劇場跡地の北西にある土屋邸。

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(左)日本通運石岡支部の工場跡地を囲む煉瓦塀。(右)金丸町の旧町名標。金丸町は石岡東宝劇場の所在地。

 

3. 石岡市立中央図書館

3.1 図書館の歴史

組織としての石岡市立中央図書館 - Wikipediaの歴史は、1889年(明治22年)に開館した私立図書館の石岡書籍館まで遡ることができ、石岡市立中央図書館は「茨城県では最も長い歴史を持つ図書館」とされています。1989年(平成元年)には図書館史『石岡市図書館百年』が、2019年(令和元年)には図書館史『石岡市立中央図書館創立130周年記念誌』が刊行されています。

組織としての歴史は古いものの、1980年(昭和55年)に開館した現行館が初の単独施設であり、その現行館も古さを感じる建物です。2017年(平成29年)には隣接地に児童書専門の「こども図書館本の森」(大阪市に開館した「こども本の森 中之島」とややこしい)が開館しており、本館における一般書エリアが拡大されたようです。

開架室を見渡す限りでは130年の歴史を感じさせるような書架や展示はありませんでした。住宅地図に関しては1963年の『土浦市石岡市住宅明細図』や1970年代以後のゼンリン住宅地図などがあり、映画館の位置を特定するのに役立ちました。

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(写真)『石岡市図書館百年』(1989年)と『石岡市立中央図書館創立130周年記念誌』(2019年)。

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(写真)石岡市立中央図書館。