(写真)こまねこウォークの参加者。
2023年(令和5年)10月15日、京都府京丹後市峰山町で開催された「ウィキペディアにゃウンvol.6」に参加しました。
1. こまねこウォーク
午前中はまちあるきイベント「こまねこウォーク」、午後はWikipedia編集イベント「ウィキペディアにゃウン」というスケジュールです。こまねこウォークは羽衣ステーション(京丹後市観光公社峰山町支部)が毎年開催しているイベントであり、福知山公立大学地域経営学部の小山元孝ゼミがガイド役となっています。
2023年(令和5年)のこまねこウォークのテーマは「峰山の古今食文化をめぐる」。峰山市街地にある小野甚味噌醤油醸造、KISSUIEN Stay & Food(旧・プラザホテル吉翠苑)、かさい食堂の3か所で工場見学や試食を行い、ゴール地点の金刀比羅神社では小山ゼミの学生が開発したクラフトコーラも試飲しました。
(写真)こまねこウォークの開会挨拶。
1.1 小野甚味噌醤油醸造
小野甚味噌醤油醸造は1912年(大正元年)創業の調味料メーカー。もとは中郡新山村(現・峰山町新町)にあり、戦後に峰山市街地に移転したとのこと。2000年(平成12年)に現在の工場が完成しています。丹後産の大豆や米を用いた商品づくりを行っているという点が気になりました。
(写真)醤油の醸造工程について説明する小野甚一社長。
(写真)小野甚一社長の説明を聞く参加者。
「うすむらさき」(淡口)、「こいむらさき」(濃口)、看板商品「甚左衛門」(濃口、本醸造)を試食しました。小野甚味噌醤油醸造は京都府内の他社に先駆けて本醸造の醤油の製造に着手したとのこと。
(左)創業者の名を冠した「甚左衛門」。(右)醤油の試食。
1.2 KISSUIEN Stay & Food
KISSUIEN Stay & Food(旧・プラザホテル吉翠苑)は峰山駅から峰山市街地に向かう道路にあるシティホテルです。
「駅前通り」といえるこの道路は1925年(大正14年)の峰山駅開業と同時に建設されたと思い込んでいたのですが、1934年(昭和9年)の地形図にはまだ描かれておらず、1963年(昭和38年)の航空写真を見ても周囲に建物はありません。現在のこの道路の両側には公共施設が建ち並んでいますが、この景観になったのは1970年代以後のことでしょうか。
(地図)1934年の地形図における峰山市街地。ひなたGIS
(写真)1963年の航空写真における峰山市街地。地図・空中写真閲覧サービス
KISSUIENではビーツやクラフトコーラを使ったプリン、ゴマのプリンを試食。将来的には懐石料理のメニューなどに加えられるとのことでした。たまに煮物に入っているビーツは鮮やかな赤色が印象的ですが、味は表現が難しい。
(左)ビーツとゴマを使ったデザート。(右)デザートの新メニューの説明。
1.3 かさい食堂
かさい食堂は創業80年超の食堂であり、京都府立峰山高校に通っていた野村克也もよく訪れていた店だったとか。嚙む力や飲み込む力が衰えた方向けに、デリソフターという圧力調理家電を使った「やわらか食」を開発しており、3種類の固さの巻き寿司を試食しました。
(写真)かさい食堂のやわらかメニューである巻き寿司。
1.4 金刀比羅神社
3か所をまわり終えた参加者は金刀比羅神社に集まり、小山ゼミの学生が開発したクラフトコーラを試飲。コーラというと炭酸飲料のイメージがありますがそうではなく、独自の割合でスパイスを調合したシロップを、牛乳またはコーヒー飲料で割って飲みました。
2. ウィキペディアにゃウン
2.1 編集記事
京丹後市 - Wikipedia(加筆) - 「長寿」や「京たんご茶」について加筆
間人 - Wikipedia(加筆) - 「間人ガニ」について加筆
間人漁港 - Wikipedia(加筆)- 「間人ガニ」について加筆
小野甚味噌醤油醸造 - Wikipedia(新規作成)
丹後クラフトコーラ - Wikipedia(新規作成)
丹後国営農地開発事業 - Wikipedia(新規作成)
2.2 Wikipedia編集
漱石の猫さんにWikipediaに関する説明を聞き、その後は各自で編集に取り掛かりました。「小野甚味噌醤油醸造」「丹後クラフトコーラ」「丹後国営農地」「間人ガニ」などについては、事前に京都府立図書館や京丹後市立図書館などから文献が集められていました。
(写真)Wikipediaの説明を聞く参加者。
2.3 Wikipedia「丹後国営農地開発事業」
私はWikipedia「丹後国営農地開発事業」を新規作成しました。
以下の写真は宮津市木子の国営農地。下は1970年代の国営農地造成前の航空写真と、国営農地造成後の現在の地形図です。標高550m地点にあった棚田や山林が広大な農地に変わったことがわかります。
(写真)宮津市木子の国営農地。photo : At by At - Wikimedia Commons
他の参加者が取り組んだ記事とはやや毛色の異なる題材ということで、書籍以外の文献も事前に集められていました。
記事の核となったのはJ-STAGEで公開されている雑誌論文(「丹後地方の農業開発」『農業土木学会誌』1986年7月)であり、東京都世田谷区の大宅壮一文庫でコピーされた雑誌記事(「丹後半島コルホーズ方式大成功!!」『週刊プレイボーイ』1994年9月6日)も役立ちました。京都新聞や朝日新聞の記事で近年の取り組みについて補い、ある程度まとまりのある記事となりました。