(写真)準備された文献。
2022年(令和4年)10月23日、京都府京丹後市峰山町で開催された「ウィキペディアにゃウンvol.5 峯山京極氏」に参加しました。
1. イベント概要
「ウィキペディアにゃウン」は「こまねこまつり」の一企画。こまねこまつりは2016年(平成28年)から京丹後市峰山町で毎年秋に開催されている地域おこしイベントであり、2018年(平成30年)の第3回こまねこまつりからはウィキペディアタウン - Wikipediaとしてウィキペディアにゃウンが開催されています。
(写真)こまねこまつり2022。
こまねこまつりの主要な企画としてまちあるき「こまねこウォーク」があり、ウィキペディアにゃウンはこまねこウォークとセットで開催されました。午前中はこまねこウォークの一般参加者に交じってまちあるきを行い、午後は金刀比羅会館でWikipediaの編集という流れです。
スケジュール
09:00 イベント開始(京丹後市役所)
09:00~12:00 まちあるき
12:00~13:00 昼食休憩
13:00~13:30 Wikipedia講習(金刀比羅会館)
13:30~16:00 Wikipedia編集(金刀比羅会館)
16:00~16:30 成果発表(金刀比羅会館)
(写真)金刀比羅神社。
2. まちあるき
2.1 金刀比羅神社
金刀比羅神社は「丹後のこんぴらさん」として親しまれている神社。神社の境内にある "狛猫" (狛犬のねこバージョン)がこまねこまつりの由来です。
丹後ちりめん産業が盛んだった峰山町では、蚕や繭を食い散らすねずみが大敵であり、ねずみを捕らえるねこを大事にしてきた歴史があります。天保3年(1832年)と弘化3年(1846年)に、養蚕の守護神として奉納されたのが "狛猫" であり、2020年(令和2年)には京丹後市有形文化財に指定されています。
(写真)狛猫「阿」。
(左)狛猫「吽」。(右)狛猫と木島神社。
こまねこウォークのガイドは福知山公立大学地域経営学部の小山元孝教授。小山さんはもともと京丹後市役所に勤務されていた方であり、edit Tangoのメンバーでもあります。こまねこウォークには小山ゼミ2回生が多数参加しており、各ポイントでまず学生が説明を行った後、小山さんが補足説明を行うという形で進行しました。
(写真)玉垣の説明を聞く参加者。
近世以前の歴史は苦手..ということで、金刀比羅神社ではきちんと説明を聞いていませんでしたが、次々と子に先立たれてしまった可哀そうな藩主の話が記憶に残りました。この峰山藩7代藩主京極高備(たかまさ)こそが金刀比羅神社を創建した人物です。京極高備 - Wikipediaを読んでも金刀比羅神社については一切書かれていなかったため、午後の編集時間には墓石の写真とともに金刀比羅神社について追記しています。
(左)燈籠の説明を聞く参加者。(右)神輿の行列について説明する脇阪卓爾宮司。
(参考)峰山町の震災復興建築
金刀比羅神社からは峰山市街地を縦断して金峰神社と常立寺に向かいました。1927年(昭和2年)の北丹後地震では98%の家屋が倒壊したため、峰山市街地に震災以前の建物はありません。震災からの復興時に建築された建物として、峰山小学校本館(1929年)や丹後震災記念館(1929年)がありますが、まちあるきルート上にあったスクラッチタイル建築の旧峰山乳児院も気になりました。
スクラッチタイルは1920年代末から1930年代初頭の短期間にブームが起こった外装材であり、全国の著名なスクラッチタイル建築はこの期間に集中しています。震災からの復興期間を考えると、旧峰山乳児院もこの期間に建築されたと考えるのが妥当。戦後の建物が多い峰山町において目につく建物です。
(写真)RC造の峰山小学校。1929年建築。
(左)RC造の丹後震災記念館。1929年建築。(右)スクラッチタイル建築の旧峰山乳児院。建築年不明。
2.2 金峰神社
峰山市街地の北側にある小高い丘が金峰神社。金峰神社は "峰山最古の神社" であり、毎年10月に開催される金刀比羅神社の神輿渡御祭では御旅所となります。両神社は北と南から峰山の街並みを見下ろしており、それぞれの社殿は街並みを向いています。
(写真)金峰神社に集まる参加者。
(左)金峰神社について説明する氏子総代。(右)金峰神社の神輿。
2.3 常立寺
峰山小学校の西にあるのが常立寺。峰山藩主を務めた京極氏の菩提寺であり、丹後ちりめんの創始者である絹屋佐平治(森田治郎兵衛)の墓もありました。これまでWikipediaに記事がなかったのが不思議なほどの寺院です。京丹後市に3軒しかない浄土宗寺院とのことですが、藩主の菩提寺と同じ宗派が敬遠されたことで少ないのだろうか。
(写真)常立寺に向かって歩く参加者。
(左)常立寺について説明する小山元孝さん。(右)本堂で写真を見る参加者。
(左)京極家墓所。(右)森田治郎兵衛翁の墓。
3. Wikipedia編集
金刀比羅神社の境内にある金刀比羅会館が編集会場。京都府立図書館や京丹後市立図書館に文献協力を依頼し、届いた文献を編集会場に持ち込んでいます。
(写真)準備された文献。
(写真)edit Tango。
(写真)峰山町の区割り。
参加者は少数精鋭の6人。まちあるきで説明を受けた「常立寺」「金峰神社」「峰山1区」の3記事を新規作成し、京極氏に関わる「峰山藩」を加筆、過去のウィキペディアにゃウンで作成した「丹波」を加筆したほか、関係記事の加筆修正も行っています。
常立寺、金峰神社、峰山1区については、Wikipedia:メインページ新着投票所 - Wikipediaへの推薦と推薦を経てメインページに掲載されました。
編集記事
常立寺 (京丹後市) - Wikipedia(新規作成)
金峰神社 (京丹後市) - Wikipedia(新規作成)
峰山1区 - Wikipedia(新規作成)
峰山藩 - Wikipedia(加筆)
京極高備 - Wikipedia(加筆)
(写真)編集する参加者。