振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

刈谷市の龍江寺を訪れる

(写真)権現宮。

2023年(令和5年)6月、愛知県刈谷市小垣江町の龍江寺を訪れました。

 

1. 龍江寺を訪れる

1.1 龍江寺の境内

龍江寺 - Wikipedia刈谷市小垣江町北竜6にある曹洞宗の寺院。山号は宝玉山。小垣江町ではありますが高須町に近く、小垣江市街地からはかなり距離があります。農地の中に境内がある奇妙な立地です。

(写真)龍江寺の本堂。

(写真)本堂の内陣。

(左)山門。(右)弁財天。

 

龍江寺境内の西側奥には権現宮があります。刈谷市今川町にある今川八幡宮が県道拡幅のために移転することになり、1973年(昭和48年)に今川八幡宮の本殿が龍江寺に移築されたとのことですが、今川八幡宮が本殿を売却したのはなぜだろう。鬼瓦には「八」の字が刻まれています。

(写真)権現宮。

 

他の寺院と同じように、龍江寺の梵鐘も戦時中に供出されたようです。現在の鐘楼堂に鎮座しているのは、1949年(昭和24年)8月5日に長村鋳物師(おさむらいもじ)の黄地佐平(おうちさへい)によって鋳造されたものです。

長村鋳物師は滋賀県愛知郡(現・東近江市)の著名な鋳物師集団であり、その中でも黄地佐平は著名な鋳匠のようです。2019年(令和元年)には「長村梵鐘」が滋賀県伝統的工芸品に指定されています。黄地佐平から連なる梵鐘の製造企業として金壽堂がありましたが、2021年(令和3年)に廃業してしまったようです。

(写真)梵鐘。

 

龍江寺境内の西側には墓地があり、塀で囲まれた「内藤家累代之墓」が目立ちます。三河地方で活動した自由民権運動家の内藤魯一 - Wikipediaの墓でもあり、側面には「故衆議院議員内藤魯一 明治四十四年六月二十九日歿」と刻まれています。

(写真)内藤魯一など内藤家の墓。

 

1.2 石碑「稲生平七報徳碑」

龍江寺山門の前には稲生平七郎(稲生平七)の石碑が建っています。稲生平七郎は江戸時代前期の人物であり、碧海郡南部(現・碧南市)に平七新田を築いたことで知られていますが、菩提寺は10km以上離れた龍江寺だったようです。

(写真)稲生平七報徳碑。

 

(表面)

報徳碑

稲生平七翁は伊勢崎城主稲垣長茂公家老職たり後三条城主代故ありて

寛永年間三河国小垣江村に移住す慶安四年刈谷城主稲垣平七を龍江寺

中興開山禅師に宅す仍って稲生と改姓し地内に居住し下に酒蔵を建て

醸造し富豪となる尓来七代平七を襲名す

二代平七私財を投じ明暦三年東浦新田を開拓し三代平七刈谷城主命に

依り天和元年元刈谷地先に平七新田を開拓し四代平七正徳元年洪水の

為皆滅せし新田を自費改修す以来人呼んでお助新田と言ふ

九代平太郎明治四拾四年枝下用水建設等公益事業に尽瘁せり

即今末裔稲生家祖先の偉業を讃へ報恩のため碑を建立し永劫に伝ふ

(裏面)

稲生孝司  稲生富夫  神谷美代吉

稲生栄一郎 稲生恭一  神谷吾一郎

稲生明   稲生勇次  黒川富弘

稲生祝   水越はるよ 長澤武夫

稲生弘   稲生明一  稲生國満

稲生隆夫  稲生紀   稲生平一

稲生賢   稲生満郎  稲生敏幸

維時昭和四十六年十二月十一日建立