振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「瓦さんぽ@中川区戸田」に参加する(2)

(写真)軒丸瓦に菊紋と桐紋が半々で使われた鈴宮社の鬼瓦。

2023年(令和5年)4月23日(日)、愛知県名古屋市中川区で開催された大ナゴヤノートの「瓦さんぽ@中川区戸田」に参加しました。「瓦さんぽ@中川区戸田」に参加する(1)の続きです。

 

ガイドは本職が情報学の研究者だという瓦女子の脇田佑希子さんであり、脇田さんは毎年秋に名古屋市で開催されるやっとかめ文化祭などでもガイドを務めています。戸田という小さなエリアでこれだけ情報の濃いまちあるきができるのが驚きでした。これから町を歩くときには屋根瓦にも着目します。

 

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1. 中川区戸田の神社

中川区戸田(旧海部郡戸田村)の旧集落は戸田川の西岸にあります。現在は戸田1丁目から戸田5丁目までの5の町丁がありますが、現在の行政区分としての町丁とは無関係に、旧集落は北から順に一之割、二之割、三之割、四之割、五之割という字(あざ)に分かれています。

これらの字は地図には出てこないのでよそ者は把握しづらいのですが、旧集落内では現在でも一般的に使用されているようです。5の字にはそれぞれ神社がありますが、いずれも村社で規模が似通っています。

 

1.1 八幡神社(一之割)

旧集落の最も北、一之割には八幡神社があります。山車蔵の上部には大きく橘紋が描かれていますが、この神社の社紋だという橘紋は社殿の軒丸瓦にも刻まれており、社紋の主張が激しい神社です。

(写真)八幡神社

 

八幡神社は鳥居がないため "開かれている" 印象を受けたのですが、これは戸田祭りの山車を境内に出し入れするためだそう。社殿の隅鬼近くには鳩の瓦も乗っていますが、鳩は八幡神の使いであり、各地の八幡社の社殿に見られるそうです。

(写真)八幡神社

 

1.2 天満宮(二之割)

二之割にある天満宮の鬼瓦には「天満宮」の文字が刻まれていました。なお周辺では、春田5丁目の神明社の鬼瓦にも「神明社」の文字が刻まれています。

(写真)天満宮

 

隅鬼には一之割の八幡神社と同じく鳩の瓦が乗っています。梅紋は各地の天満宮の神紋だそうで、二之割の天満宮では隅鬼や鳥居の額束に梅が刻まれています。

(写真)天満宮

 

1.3 鈴宮社(三之割)

戸田の旧集落の中央部に位置するのが三之割であり、鈴宮社の周辺には5軒の寺院が釜経っています。軒丸瓦には2種類の字体で「鈴之宮」の文字が刻まれていて芸が細かい。

(写真)鈴宮社。

 

鈴宮社の軒丸瓦には左側に桐、右側に菊と、皇室に関係する文様が半分ずつ刻まれています。参加者にいた三州瓦の鬼師によると、2種類の文様を組み合わせる場合は通常より値段が高くなるそうです。社殿の扉上部にも桐と菊の文様が彫られています。

(写真)鈴宮社。

(写真)鈴宮社。

(写真)鈴宮社。

 

1.4 白山神社(四之割)

戸田川の東岸には現役の醸造所として末廣味醂醸造元があり、戸田の旧集落内には旧常盤醸造の主屋、旧桜味醂醸造の主屋と蔵が現存しています。かつてはこれらとは別に戸田味醂醸造もあったようで、四之割の白山神社には目立つ場所に戸田味醂醸造が寄進した玉垣がありました。

(写真)白山神社

(写真)白山神社

 

1.5 神明社(五之割)

戸田の旧集落で最も南に位置するのが五之割の神明社です。拝殿のすぐ前に鳥居があって不自然に見えますが、一之割の八幡神社と同様に、境内への山車の出入りを意識した配置のようです。

(写真)神明社

 

神明社の社殿にはやや奇妙な生き物の瓦がありますが、脇田さんによるとこれは酒の神などとして知られる猩猩 - Wikipedia(猩々、しょうじょう)だそうです。戸田が味醂醸造業で栄えたことと関係があるのでしょうか。

(写真)神明社

(写真)神明社

 

1.6 神明社(春田)

戸田川の東岸は中川区戸田ではなく中川区春田ですが、春田にある神明社にも二之割の天満宮と同じく「神明社」の字が刻まれた鬼瓦があります。なお、戸田の一之割から五之割の神社も春田の神明社も、本殿は石垣の上に築かれており、標高が-1mから2m程度という旧集落の低さを痛感します。

(写真)神明社

(写真)神明社

 

2. 中川区戸田の寺院

2.1 西照寺(真宗大谷派

戸田の旧集落の神社は5の字(あざ)ごとに分散していますが、5軒の寺院は三之割に固まっています。神社と寺院の数が同じなのが気になるのですが、字ごとに特定の寺院の檀家が多かったりするのでしょうか。西照寺と浄賢寺と宝泉寺は真宗大谷派太平寺曹洞宗法然寺は浄土宗の寺院です。

(写真)西照寺。

 

西照寺の敷地を囲む塀には「西照寺」の文字が刻まれていました。2009年(平成21年)11月3日には小学4年児童の放火によって本堂が焼失しており、本堂や鐘楼門形式の山門はその後再建されたものだそうです。

(写真)西照寺。

 

2.2 浄賢寺(真宗大谷派

浄賢寺の山号は梅香山であり、軒丸瓦に梅紋が刻まれているほか、本堂の脇にもウメ系の果樹が植えられていました。

(写真)浄賢寺。

 

2009年(平成21年)の西照寺の火災の際には、浄賢寺の建物にも延焼したとのことです。火災とは無関係に本堂の改修を行っていたようであり、2012年(平成24年)の本堂修復を記念した本堂の鬼瓦にもやはり梅紋が刻まれています。この鬼瓦には三州瓦を意味する「三河」の字、山形、製造所を示す「み」の字が刻まれています。

(写真)浄賢寺。

(写真)浄賢寺。

 

2.3 太平寺曹洞宗

太平寺平城京への遷都が行われた和銅3年(710年)の創建。当時は清洲にありましたが、室町時代の永亨5年(1433年)に戸田荘に移転して曹洞宗の寺に。戸田荘の荘園領主である戸田家の菩提寺だったようです。周辺にある他の寺もこの時期に集められたのでしょうか。

住職は早稲田大学駒澤大学大学院を経て、東京新聞記者を26年間務めた後に太平寺に戻って住職になったそうです。本堂の軒丸瓦には菊紋が刻まれています。

(写真)太平寺

 

2.4 宝泉寺(真宗大谷派

「瓦さんぽ@中川区戸田」のイベント告知ページには宝泉寺の写真が使われていました。この写真では気づかなかったのですが、塀の屋根の軒丸瓦にはかわいらしい自体で「宝」と刻まれています。この「宝」字の軒丸瓦は比較的新しそうですが、山門の軒丸瓦には伝統的なハス(蓮華)が刻まれています。

(写真)宝泉寺。

(写真)宝泉寺。

 

宝泉寺の創建は文安2年(1445年)であり、寛永元年(1624年)に戸田に移転しました。手水舎の柱には鼻の長い動物と鼻の短い動物の木彫りがあります。説明をきちんと聞いていなかったのですが、獏と獅子の組み合わせでしょうか。

(写真)宝泉寺。

 

2.5 法然寺(浄土宗)

常盤郡道を挟んで宝泉寺の南にある法然寺。開山は寛永9年(1632年)であり、境内には戸田保育園があります。本堂は鯱瓦を有していますが、周辺では唯一の鯱瓦ではないかとのことでした。隅鬼には山形が刻まれています。

(写真)法然寺。

 

法然寺の山門は鐘楼門であり、真下には鐘楼が見える穴が開いていました。庫裏の鬼瓦には「法」字が刻まれています。

(写真)法然寺。