振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

飛騨小坂の映画館

(写真)飛騨小坂駅前。

2023年(令和5年)3月、岐阜県下呂市小坂町(おさかちょう)を訪れました。

 

 

1. 飛騨小坂を訪れる

1.1 小坂町大島

2004年(平成16年)、益田郡下呂町・萩原町・金山町・小坂町・馬瀬村に4町1村が合併して下呂市が発足しました。下呂市自治体域は面積850m2と広大であり、北端に位置していたのが旧小坂町(おさかちょう)です。

小坂市街地は飛騨川を境に北東と南西のふたつの市街地に分けることができ、飛騨小坂駅がある南西が小坂町大島、かつての町役場である下呂市小坂振興事務所がある北東が小坂町小坂町です。大字としての小坂町小坂町は「おさかちょうおさかまち」と読むようですが、読みが分かりにくいうえに、誤植を疑ってしまう。小坂町小坂では駄目だったのでしょうか。

なお、小坂町が属していた益田郡は「ましたぐん」と読み、益田郡を営業範囲とする益田信用組合(ましたしんようくみあい)がありますが、略称は「ますしん」です。

(写真)小坂町大島。

 

JR高山本線飛騨小坂駅は特急「ひだ」の一部停車駅。2017年(平成29年)の乗車人員は69人/日と少ないものの、駅前には大衆食堂や複数の居酒屋があります。

(写真)小坂町大島。

(写真)小坂町大島。

(写真)小坂町大島。

 

1.2 小坂町小坂町

飛騨小坂駅から飛騨川に架かる大島橋を渡ると、坂の上に小坂町小坂町の市街地が築かれています。坂の途中には長谷寺下呂市小坂振興事務所、JAひだ小坂支店などがあり、その先の三叉路付近までの場所に小坂町の公共施設が集まっています。

(写真)小坂町小坂町。左は長谷寺

 

下呂市小坂振興事務所の北にある三叉路からは、西側と東側にほぼ同じ規模の街並みが形成されており、東西の街並みを川井田通りとも呼ぶようです。

(写真)小坂町小坂町。右は高山信用金庫小坂支店。

(写真)小坂町小坂町

(写真)小坂町小坂町

 

小坂町小坂町の看板建築

高山信用金庫小坂支店の西80mには、パラペット部分の形状や装飾が凝った看板建築があります。1980年代末の住宅地図によると、この建物は小坂町議会議長を務めた住良夫の自宅のようですが、もとは商店として建てられた看板建築でしょうか。

なお、小坂町には住(すみ)という姓が一定数あるようで、下呂市小坂振興事務所の敷地内には初代小坂町長を務めた住幸謹を顕彰する「住幸謹翁寿像」が建っています。

(写真)小坂町小坂町の看板建築。

(写真)小坂町小坂町の看板建築。

 

小坂町小坂町のうだつ町屋

高山信用金庫小坂支店の西側のはす向かいには、うだつを有する町屋があります。うだつは京町屋から各地に広がった装飾とされ、特に中山道の街道筋に多いとされています。

岐阜県では重要伝統的建造物群保存地区に選定されている美濃市美濃が知られていますが、1階部分と2階部分の屋根それぞれにうだつがある様子は、徳島県美馬郡つるぎ町の貞光二層うだつの町並みのようです。

(写真)小坂町小坂町のうだつ町屋。

 

小坂町小坂町の蔵

高山信用金庫小坂支店の西100mには、街道に向かって間口のある立派な蔵がありました。

(写真)小坂町小坂町の蔵。

(写真)小坂町小坂町の蔵。

 

小坂町小坂町の腰壁装飾

小坂町小坂町の多くの民家では、腰壁部分にモルタルで似たような装飾がなされています。

(写真)小坂町小坂町の腰壁装飾。

(写真)小坂町小坂町の腰壁装飾。

 

2. 飛騨小坂の映画館

2.1 朝六座(1921年9月-1969年頃)

所在地 : 岐阜県益田郡小坂町小坂565(1969年)
開館年 : 1921年9月
閉館年 : 1969年頃
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「朝六座」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1949年の映画館名簿では「朝六座」。1950年・1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「朝六座」。1966年・1967年・1968年・1969年の映画館名簿では「小坂朝六座」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は書店「ツタヤ」東南東120mの民家とガレージ。最寄駅はJR高山本線飛騨小坂駅

映画館名簿には益田郡小坂町の映画館として朝六座が掲載されています。

朝六座について最も詳しく書かれているのは1965年(昭和40年)の『岐阜県小坂町誌』。1921年(大正10年)9月に合資会社朝六座が設立されて建てられた劇場であり、やがて橋本文平が経営者となって常設映画館に転向しました。

映画黄金期の1958年(昭和33年)には飛騨小坂駅前に小坂劇場という映画館も開館しますが、小坂劇場は約2年という短命だったとのことであり、映画館名簿にも登場しません。

(左)朝六座が掲載されている『日本映画年鑑 昭和16年度版』大同社、1941年。(右)小坂朝六座が掲載されている『映画便覧 1969』時事通信社、1969年。

(写真)中央右に朝六座の屋根が見える1967年の小坂市街地。『保存版 ふるさと飛騨』郷土出版社、2010年。

 

『飛騨人物事典』には朝六座の経営者だった橋本文平も掲載されています。

橋本文平は1893年明治26年)は益田郡小坂村に生まれ、戦後の1947年(昭和22年)から5期に渡って小坂町議会議員を務めた人物です。1965年(昭和40年)には小坂町自治功労者に選ばれ、1969年(昭和44年)には勲六等単光旭日章を受章。1978年(昭和53年)に死去しました。

興行主は顔が広くないと務まらない職業であり、市町村議会議員を務めた映画館主は一定数います。

(写真)朝六座の経営者だった橋本文平が掲載されている『飛騨人物事典』高山市時報社、2000年。

 

文献からは朝六座の跡地が判明しませんでした。ゴトウ金物店の店主に聞くと、

通りを東に向かうとツタヤ書店がある。ツタヤからさらに東に100mほど行き、北側の駐車場になった部分に朝六座があった。アサロクザではなくアサムツザといった

とのことでした。この場所にはガレージを有する広い敷地の民家があり、橋本文平と同じ姓の表札が掲げられていました。

(写真)朝六座跡地の民家。

(写真)朝六座跡地の民家。

 

なお、朝六座という名称は小坂川に架かる朝六橋に由来するようです。朝六橋の北詰には享保13年(1728年)建立の「朝六橋畔の碑」があり、下呂市指定史跡に指定されています。「闇夜でもこの橋の上は明け六つ(朝6時)と同じくらい明るい」という伝承が橋名の由来だそうです。

(写真)朝六橋。

(左)朝六橋。(右)「朝六橋畔の碑」。

 

飛騨小坂の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com