振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

野田史料館を訪れる

(写真)野田八幡宮

2022年(令和4年)8月28日(日)、愛知県刈谷市の野田八幡宮境内にある野田史料館を訪れました。同日には野田八幡宮で「野田雨乞笠おどり」が開催されています。

 

1. 野田史料館を訪れる

(写真)野田史料館。

(写真)加藤与五郎の胸像。

 

1.1 展示室

 

栗皮色塗紺糸威塗上仏胴具足(くりかわいろぬりこんいとおどしぬりあげほとけどうぐそく)の推定復元。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに勝利した後、刈谷城主の水野勝成は野田八幡宮に甲冑を奉納した。兜、面頬、胴甲、片籠手・片袖、脛当の現物が刈谷市歴史博物館に所蔵されており、それらから甲冑師の熱田伸道が計測して製作した復元物である。

 

野田八幡宮絵馬群(刈谷市指定文化財)。

 

雨乞い笠踊りで用いられる笠。

 

左は野田八幡宮の社殿が慶長5年(1600年)に再建されたことを示す棟札(刈谷市指定文化財)。当時の刈谷城主は水野勝成であり、野田八幡宮を崇拝する勝成が関ケ原の戦いの前に再建したことを示している。

右は野田八幡宮の社殿が正安2年(1300年)に再建されたことを示す棟札(刈谷市指定文化財)。右下は正安2年の棟札の裏側であり、野田八幡宮が白鳳5年(676年)に創建されたことが記されている。

 

野田八幡宮の社殿が正安2年(1300年)に再建されたことを示す棟札の数々(刈谷市指定文化財)。

 

御旅神事用獅子頭

 

野田八幡宮のお札の版木。

 

重原藩公印。縦3.6センチ×横3.7センチ、高さ4.0センチ。板倉家から寄託されている。

 

左は古銭。右は十円紙幣、五十銭紙幣、満州の旅行者外食券。

 

従軍記章。加藤修治遺品。

 

太平洋戦争に従軍した榊原武遺品。

 

 

昭和初期のミシン。長坂登寄贈。

 

『日露合戦記』大阪新報社、心臓防護板、戦陣記録。

 

1.2 図書室

 

加藤与五郎に関する所蔵物。

 

野田村古文書。

 

馬淵逸雄閣下コーナー。馬淵逸雄 - Wikipediaは依佐美村大宇野田出身の陸軍少将。

 

江戸時代初期に野田八幡宮に奉納された『神代小町絵巻』(刈谷市指定文化財)。小町絵巻は希少。

 

加藤鉄衛文庫。

 

野田村絵図。

 

1952年(昭和27年)に野田農業委員会が作成した耕地名寄帳。

 

1905年(明治38年)に馬淵逸雄が野田村立野田尋常高等小学校を卒業した際の修業証書。

 

1908年(明治41年)に馬淵逸雄が高等科で優秀な成績を収めた際の賞状。

 

左上は大正初期に野田小学校で行われた野田在郷軍人会の会合。左下は小垣江小学校校庭で行われた軍事教練。右上は1937年(昭和12年)3月27日に野田小学校校庭で行われた戦死者村葬。右下は出征兵士の武運長久祈願。