振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

高根村の映画館

(写真)高根第二ダム。photo:Qurren

岐阜県高山市高根町(旧・大野郡高根村)には2館の映画館がありました。

 

1. 高根村の歴史

高根村は岐阜県北部の飛騨地方にあった自治体。2005年(平成17年)には周辺町村とともに高山市編入され、高山市高根町となっています。

3000m峰の乗鞍岳御嶽山のいずれにも近く、飛騨国信濃国を隔てる野麦峠でも知られていました。中心集落の標高は約1000mであり、2005年(平成17年)時点の人口はわずか731人と、深刻な過疎化が進行していた自治体でもあります。

(地図)高山市高根町の位置。©OpenStreetMap contributor

 

1960年代の高根村では高根第一ダム・高根第二ダムが建設されました。中部電力電源開発計画の一環であり、飛騨川の上流域にダムと水力発電所が建設されています。ダム建設工事によって高根村の一部が湖底に沈み、日影集落の69戸が移転を余儀なくされています。うち66戸は高根村外の高山市などに移転したことで、高根村ではさらなる過疎化が進んだわけですが、ダム建設の労働者が流入した1960年代中頃は好景気に沸き、この時期のみは2館の映画館も営業していたようです。

(左)1932年の高根村中心部。日影集落がダム湖に沈む前。(右)現在の高山市高根町中心部。

(写真)高根第二ダム。photo:Qurren

 

1966年(昭和41年)の映画館名簿には大野郡高根村の映画館として高根映画劇場と高根ハッピー劇場が掲載されています。

高根映画劇場はこの年の映画館名簿にしか掲載されておらず、高根ハッピー劇場も1966年(昭和41年)から1969年(昭和44年)の映画館名簿にしか掲載されていません。全国的には映画館数のピークは1960年(昭和35年)であり、1960年代中頃にしか営業していなかった点で特異な映画館と言えますが、高根村の2館の場合はダム建設工事による好景気という理由があったわけです。

(写真)高根村に2館が掲載されている『映画便覧 1966』時事通信社、1966年。

 

『高根村史』には好景気に沸いた1960年代中頃の上ヶ洞集落の地図が掲載されていました。白色の四角はこの時期に村外から進出した店舗です。多数の飲食店や商店、2館の映画館、2館のパチンコ店などがあったことがわかります。

(地図)電源開発計画時代の高根村上ヶ洞。『高根村史』高根村、1984年。

 

現在の航空写真における上ヶ洞集落です。高山市高根支所がある集落であり、高根郵便局やJAひだ高根支店などの公共施設もありますが、映画館が2館もあった集落とはとても思えないほど小規模です。

(写真)高根村にあった映画館。地理院地図

 

2. 高根村の映画館

2.1 高根映画劇場(1960年代中頃)

所在地 : 岐阜県大野郡高根村(1966年)
開館年 : 1965年頃
閉館年 : 1966年頃
1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「高根映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「高山市高根支所」西南西60mの空き地。最寄駅はJR高山本線久々野駅。

1966年(昭和41年)の映画館名簿によると、高根映画劇場の経営者は金山和義、木造平屋、定員182、松竹・東宝・日活・洋画を上映。

 

2.2 高根ハッピー劇場(1960年代中頃)

所在地 : 岐阜県大野郡高根村上ヶ洞414(1967年・1968年・1969年)
開館年 : 1965年頃
閉館年 : 1969年頃
1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1967年・1968年・1969年の映画館名簿では「高根ハッピー劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「高山市高根支所」東30mの建物。最寄駅はJR高山本線久々野駅。

1967年(昭和42年)の映画館名簿によると、高根ハッピー劇場の経営者は田口興業、支配人は田口一造、木造平屋暖房付、定員210、東映・日活・大映・混合・洋画を上映。経営者の田口一造(田口興業)は、1950年代中頃から1960年代中頃まで大野郡白川村平瀬でハッピー劇場、同じく白川村御母衣(みぼろ)で御母衣劇場を経営していた人物であす。ハッピー劇場という個性的な名称は白川村の劇場を受け継いでいるのでしょう。なお、昭和30年代には恵那郡明智町(現・恵那市明智町)にもハッピー劇場という名称の映画館がありましたが、こちらは田口一造とは無関係のようです。

 

3. ダム建設と映画館

岐阜県の過疎地域では大野郡白川村平瀬/御母衣でもやはりダム建設工事が行われ、1961年(昭和36年)に御母衣ダムが完成しています。1957年(昭和32年)の着工から1961年(昭和36年)の完成までには多数の労働者が流入して栄えたと思われ、ハッピー劇場と御母衣劇場はその過程で営業していた映画館です。

中部地方では長野県の牧尾劇場と池原劇場も類例と思われます。西筑摩郡王滝村北島にあった牧尾劇場は、1961年(昭和36年)完成の牧尾ダムの建設工事中のみ営業していたようです。南安曇郡安曇村稲核(現・松本市安曇)にあった池原劇場は、1969年(昭和44年)完成の奈川渡ダムの建設工事中のみ営業していたようです。

 

高根村の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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