(写真)高知第一東映だった建物。
2023年(令和5年)3月、高知県高知市菜園場(さえんば)を訪れました。かつて菜園場には映画館「高知第一東映」と「菜園場劇場」がありました。高知第一東映は駐車場として建物の骨格が現存しています。
1. 菜園場商店街
菜園場商店街ははりまや交差点から東に500mの距離にあり、新堀川を渡った場所にあります。この新堀川は高知城下と郊外を隔てる河川だったようで、江戸時代にあった野菜畑が名称の由来というのもうなずけます。
(写真)菜園場商店街南端のアーチ。
菜園場商店街には約120mの片側式アーケードがあり、南端に「菜園場」、北端に「さえんば」のアーチがあります。なお、似たような立地の升形商店街や愛宕商店街も片側式アーケード+商店街アーチという点が共通しています。
(写真)菜園場劇場。
(写真)菜園場商店街。(左)森山製パン。(右)商店街北端のアーチ。
2. 菜園場の映画館
かつて菜園場商店街とその周辺には2館の映画館がありました。商店街の東側すぐの場所には映画館の廃墟が残っており、この建物はウェブ上で菜園場劇場として紹介されています。実際には菜園場劇場ではなく第一東映の廃墟であり、菜園場劇場があったのは商店街の北西です。
池田寝具店の主人に話を聞くと、
「菜園場には映画館が2軒、パチンコ店も2軒あった。建物が残っているのは東映系の第一劇場である。池田寝具店と北隣の商店の間には2メートルくらいの路地があり、ここが映画館の入口だった。ただで入らせてもらったこともある。建物に往時の面影はないが、ぜひ入ってみてほしい」
「(スマホのGoogleストリートビューを見て)リラクゼーションスペース風の西隣から北に入る路地があるが、この先に菜園場劇場があった。もう建物はなく、駐車場などになっている。」
とのことでした。池田寝具店の店内には昭和50年代の菜園場商店街の写真が展示されています。たまたま写真が見えたので立ち止まったのですが、いい方に話を聞けました。
(写真)菜園場商店街と映画館跡地。地理院地図
『月刊土佐』1986年2月号には戦後の高知市にあった映画館の地図が掲載されています。はりまや交差点のすぐ西、高知市中央公園付近に多数の映画館が集まっており、その他には菜園場商店街周辺、愛宕商店街周辺、玉水新地跡の玉水町周辺に複数の映画館があったことがわかります。
(写真)戦後の高知市街地にあった映画館。『月刊土佐』1986年2月、第24号。
2.1 菜園場劇場(1955年頃-1963年頃)
所在地 : 高知県高知市田淵町(1963年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「サエンバ劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「さえんば劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「久病院」北東40mの駐車場。最寄駅はとさでん交通御免線菜園場町電停。
現役の映画館として1955年(昭和30年)開館のあたご劇場 - Wikipediaがあります。あたご劇場初代館主の水田兼美は、1956年(昭和31年)頃に2館目の映画館として菜園場劇場を開館させますが、経営不振によってすぐに売却しました。1950年代後半の映画館名簿を見ても、経営者が水田兼美から佃佐次郎に変わっているのがわかります。
(左)サエンバ劇場の経営者が水田兼水となっている『映画便覧 1957年版』時事通信社、1957年。(右)さえんば劇場の経営者が佃佐次郎となっている『映画便覧 1959年版』時事通信社、1959年。
菜園場劇場に入る路地は残っています。菜園場劇場の敷地自体は分割されてしまっているようですが、便宜的に駐車場を跡地としています。
(写真)菜園場劇場の入口だった路地。
(写真)菜園場劇場跡地付近。
2.2 高知第一東映(1956年12月30日-1968年頃)
所在地 : 高知県高知市菜園場町127(1968年)
開館年 : 1956年12月30日
閉館年 : 1968年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「高知第一劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「第一劇場」。1960年の映画館名簿では「菜園場第一東映」。1963年の映画館名簿では「高知第一東映」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「高知第一東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「高知市さえんば保育園」南西50mに廃墟として現存。最寄駅はとさでん交通御免線菜園場町電停。
ウェブ上では廃墟として残る建物が菜園場劇場として紹介されていますが、オーテピア高知図書館で閲覧した住宅地図にははっきり第一劇場(高知第一東映)と書かれていました。
高知第一東映が開館した1956年(昭和31年)は、高知市で映画館が爆発的に増えた年です。特に12月下旬には11日間で7館が増える開館ラッシュであり、12月20日にはOS劇場が、12月22日には旭東宝が、12月26日には高知松竹劇場が、12月27日にははりやま劇場が、12月30日には高知第一劇場が、12月31日には朝日劇場と高知劇場が開館しています。
(地図)第一劇場が描かれている『高知市縦横明細地図』高知市地図編纂会、1959年。オーテピア高知図書館所蔵。
(地図)第一劇場が描かれている『ゼンリン住宅地図』1968年。オーテピア高知図書館所蔵。
(左)高知第一東映劇場が掲載されている『映画便覧 1967年版』時事通信社、1967年。
高知第一東映の建物構造は、1956年(昭和31年)当時としては珍しかった鉄筋コンクリート造です。撤去にもお金がかかるためか、建物の骨格は廃墟として現存しており、現在は駐車場として利用されています。
(写真)高知第一東映だった建物。
(写真)高知第一東映だった建物。
(写真)高知第一東映だった建物。
(写真)高知第一東映だった建物。
現在も営業中のあたご劇場も3階建てであり、1階と2階は客席、3階は映写室となっています。高知第一東映も同様の構造だったと思われ、開口部の少ない3階部分は映写機室だったようです。1階から2階席に上る階段が撤去されているため、建物の2階以上に上がるのは容易ではなく、2階部分に生えた草はそのまま残されています。
(写真)高知第一東映だった建物。
(写真)高知第一東映だった建物。
(写真)高知第一東映だった建物。
高知市菜園場にあった映画館について調べたことは「高知市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(高知県版)」にマッピングしています。