(写真)吉文。2020年3月。
2020年(令和2年)3月、愛知県碧南市の衣浦温泉(衣浦温泉街、衣浦荘)を訪れました。かつて衣浦温泉には映画館「浜劇」がありました。
1. 衣浦温泉を訪れる
(写真)愛知県道50号山神町交差点。2020年3月。
(写真)衣浦温泉の道路。2020年3月。
1.1 衣浦温泉の歴史
衣浦荘の発足
衣浦湾に面したこの地域は風光明媚な土地として知られ、大正時代には近藤坦平が院長を務める洋々医館の別荘である沖見園があった。
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)、愛知県碧海郡明治村東端(現・安城市)に明治航空基地が完成し、多数の隊員が東端地域に流入した。海軍将校の慰安所を建設する目的で、当局によって衣浦湾岸の約9,900平方メートルの土地が斡旋され、公娼街として衣浦荘が発足した。碧南や高浜の料理業者や旅館業者など約15人が集まって特殊飲食店を開業したのである。
(写真)新明石海水浴場。『1949年碧南市勢要覧』碧南市、1949年。碧南市民図書館所蔵。
戦後の歓楽街化
1945年(昭和20年)8月に太平洋戦争が終戦を迎えると、進駐軍のための慰安所に充てられたが、その後はそのまま赤線(特飲街)として営業を行った。衣浦荘組合によって海岸に桟橋が設置され、夏季にはボートが設置されるなどした。また、沖見平14番地にはマーケットが建設され、パチンコ店・マージャン店・射的店・軽飲食店など12店舗が並んだ。
(写真)衣浦荘の特殊喫茶一覧。『1949年碧南市勢要覧』碧南市、1949年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)衣浦荘の特殊喫茶一覧。『1955年碧南市商工名鑑』碧南市、1955年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)1955年頃の「特殊喫茶 衣浦荘」のキャラバン。『写真アルバム 碧海の昭和』樹林舎、2012年。著作権保護期間満了によりパブリック・ドメイン。
温泉街への転換
1954年(昭和29年)頃に売春防止法制定の機運が高まると、制定の動きを察知した業者は温泉街への転業を図った。1955年(昭和30年)8月4日には衣浦荘組合を改組して株式会社新明石を設立し、同年10月4日から鑿泉(さくせん)を開始した。1956年(昭和31年)7月27日には愛知県衛生研究所から泉質の成績書の交付を受け、温泉法による単純温泉(緩和性低張微温泉)として認可された。湧出量は毎分51リットル、水温は摂氏25.5度だった。
1954年(昭和29年)10月には料理旅館の吉文(吉ふみ、よしふみ)が開業し、1956年(昭和31年)7月27日には温泉旅館の湯元本館が開業した。湯元本館から組合員全戸に配湯され、湯元本館には大衆浴場も設けられた。衣浦温泉旅館組合が結成され、最盛期の1957年(昭和32年)には10軒の旅館が存在していた。1956年(昭和31年)5月24日には売春防止法が制定され、1957年(昭和32年)4月1日に施行されている。春から秋には釣り、夏には海水浴、冬には海苔採りなどでにぎわい、西尾市と衣浦温泉の間には定期バスも運行された。1958年(昭和33年)には劇場・映画館の浜劇も開館した。浜劇は平屋建てで270席の映画館だったが、1962年(昭和37年)に閉館している。
1959年(昭和34年)の伊勢湾台風後、海岸部には護岸防波堤が築かれ、また新川港に沿って一部が埋め立てられた。また、1963年(昭和38年)以降にはさらに広範囲に埋め立てられて臨海工業地帯が造成されたことで、衣浦温泉は景勝地・保養地としての性格を失った。現在の湯元本館跡地ではラブホテルが営業している。
(写真)衣浦温泉のパンフレット。『写真展図録 碧南の移り変わり』市史資料調査室、2005年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)衣浦温泉鳥観図。『写真展図録 碧南の移り変わり』市史資料調査室、2005年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)1958年の衣浦温泉の遠景。『1958年碧南市勢要覧』碧南市、1958年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)1960年の衣浦温泉の遠景。『1960年碧南市勢要覧』碧南市、1960年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)湯元本館。『碧南の事業と人物』碧南市、1965年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)昭和30年代の衣浦温泉のネオンアーチと湯本 本館。『碧海の今昔』樹林舎。2021年。※著作権が切れていない可能性があります。
(写真)衣浦温泉の旅館一覧。『1977年碧南商工名鑑』碧南市、1977年。碧南市民図書館所蔵。
1.2 衣浦温泉の建築物
旅館「吉文」
吉文(よしふみ)は1954年(昭和29年)10月開業。建物は2021年(令和3年)に取り壊されています。
(写真)吉文。2020年3月。
(写真)吉文。2020年3月。
(写真)ラブホテル「シーザー」と吉文。2020年3月。
(写真)吉文。『碧南の事業と人物』碧南市、1965年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)吉文の広告。『1955年碧南市商工名鑑』碧南市、1955年。碧南市民図書館所蔵。
旅館「丸新」
建物は2021年(令和3年)に取り壊されています。
参考 : 「『やりてばばあ』が客を呼び込み 愛知の元遊郭、解体へ」『朝日新聞』2020年12月15日
(写真)丸新。2020年3月。
(写真)丸新。2020年3月。
「鎌倉屋」と温泉旅館「山月」
左側が鎌倉屋、右奥が山月であり、両者は結ばれています。
(写真)鎌倉屋と山月。2020年3月。
旅館「八千久」
(写真)八千久。2020年3月。
(写真)翠扇、すゞ本(すず本)、八千久の広告。『碧南市附高浜町住宅地図 1966年』1966年。愛知県図書館所蔵。
旅館「清月」跡地
右側の空き地の場所に清月がありました。
(写真)清月跡地。2020年3月。
ラブホテル「シーザー」
かつて湯元本館があった大区画にはラブホテル「シーザー」が営業しています。
(写真)ラブホテル「シーザー」。2020年3月。
新川温泉
衣浦温泉の範囲からは外れますが、同じ山神町には現役の銭湯の新川温泉があります。
(写真)新川温泉。2020年3月。
(写真)新川温泉。2020年3月。
1.2 衣浦温泉の地図
1962年の地図
『東海三県全都市地図』昭文社、1962年
1964年の住宅地図
1979年の住宅地図
2. 衣浦温泉の映画館
2.1 浜劇(1958年-1962年7月31日)
所在地 : 愛知県碧南市沖見平35(1970年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 1962年7月31日
1958年・1959年の映画館名簿では「碧南映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「浜劇」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「碧南浜劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「アサヒデンキセンター」と北側の駐車場。最寄駅は名鉄三河線新川町駅。
浜劇は衣浦温泉のアーチの北東にあった映画館であり、衣浦荘が衣浦温泉への転換を図ったあとの1958年(昭和33年)に開館しました。「衣浦温泉鳥観図」にも浜劇と思われる建物が描かれています。2017年(平成29年)には「浜劇 - Wikipedia」を作成しました。
(写真)衣浦温泉鳥観図。赤丸の建物が浜劇。『写真展図録 碧南の移り変わり』市史資料調査室、2005年。碧南市民図書館所蔵。
(写真)1962年の映画館一覧。『1962年 碧南市商工名簿』碧南市、1962年。碧南市民図書館所蔵。
映画館名簿には1970年代初頭まで浜劇が掲載されていますが、『ふるさとの風景画集 第3集 新川』(加藤まさみ、2008年)には閉館日が1962年(昭和37年)7月31日であるとはっきり書かれており、『碧南事典』(碧南市、1993年)や『新川町発足100周年記念事業 この街 この人 100年』(奥谷弘和、1997年)にも1962年と書かれています。映画館名簿と郷土資料で閉館日がずれている原因はわかりません。
浜劇の写真は確認できていませんが、『ふるさとの風景画集 第3集 新川』には浜劇のイラストが掲載されています。
(写真)浜劇と衣浦温泉。加藤まさみ『ふるさとの風景画集 第3集 新川』2008年。※著作権は切れていません。
(写真)浜劇跡地。2020年3月。
(写真)浜劇跡地。2020年3月。
衣浦温泉の映画館について調べたことは「西三河地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。