振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

鶴城映劇を訪れる

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(写真)鶴城映劇。2022年1月。

2020年(令和2年)12月や2022年(令和4年)1月、愛知県西尾市の成人映画館「鶴城映劇」を訪れました。「西尾市を訪れる」、「西尾市の映画館(1)」(※未投稿)からの続きです。

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1. 鶴城映劇の歴史

1.1 旧館時代(1955年12月末-1986年頃)

2022年(令和4年)1月時点で鶴城映劇は西尾市唯一の映画館であり、三河地方唯一の成人映画館です。大屋尚浩さんが管理人を務めるウェブサイト「港町キネマ通り」では2012年(平成24年)に「鶴城映劇」として紹介されていますが、中日新聞ほかのメディアで取り上げられたことはないようです。2020年(令和2年)12月、鶴城映劇の館主である斉藤さん(女性)に話を聞きました。

 

鶴城映劇の休館日は木曜日。基本の上映終了時間は21時だが、まったく客がいない日は20時台で上映を取りやめることもある

鶴城映劇は1955年に開館した。鶴城映劇がある菅原町は西尾市街地の北のはずれにあるが、夫が地域に請われて経営者となった。まだ日活の人気がさほど高くない時代だったため、西尾市における日活作品の興行権が取れ、石原裕次郎主演の作品などが盛り上がった。当時は建物の前の駐車場がなく、建て替え後の(現在の)建物よりかなり大きかった。現在の道路にかかる部分まで建物があったのではないかと思う。当時の多くの映画館とは異なり、2階席はなかった。日活がロマンポルノを上映するようになり、映画人気の低迷もあって、鶴城映劇は成人映画の上映館となった

 

西尾市で発行されている地域紙には『三河新報』と『愛三時報』があり、西尾市立図書館は両紙を原紙で保存しています。1956年(昭和31年)1月6日の『三河新報』には鶴城映劇の開館を伝えるコラムがあり、"寺津映劇ファン"氏が以下のように記しています。

天井も白く、二階のないのが清潔な感じで落着きもある。映劇としてはこの小じんまりしたところがいいであろう。難を云えば、扉の音が大きく響いて気になる。ステージ傍の時計が暗くてわからない。豆電気でも入れて寄付者の名も読めるようにし、時刻もわかるよう気をきかせてほしい。その他、椅子席の工合はいいし、ステージの装美もスマートだ。トイレットの位置もよく工夫されていて新しいことと共に清潔そのもので好もしい

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(写真)「鶴映所見」、「映画館の景気まあまあ 賑った商店街通り」『三河新報』1956年1月6日。西尾市立図書館所蔵。

 

鶴城映劇が初めて登場する『映画年鑑 1958年版 別冊 映画便覧 1958』(時事通信社、1958年)では、経営者が三河興行社、支配人が斉藤満となっています。斉藤さんの話に登場する「夫」は斉藤満氏のことと思われますが、斉藤満氏は西尾市で「平坂港座」と「寺津劇場」の支配人でもありました。

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(写真)『映画年鑑 1958年版 別冊 映画便覧 1958』時事通信社、1958年。

 

鶴城映劇は日活の上映館でした。西尾駅の西側に広がる市街地中心部からは外れた場所にあり、市街地北方の発展策として斉藤氏に映画館の開館が依頼された経緯があります。まだ日活の人気が高まる時期に開館したことで興行権を獲得できたようです。

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(地図)1959年の西尾市街地の地形図。今昔マップ on the web

 

開館当時は一般映画館だったため、『三河新報』などにも鶴城映劇の大きな広告が掲載されることがありました。下の広告は石原裕次郎主演作『太陽の季節』、長門裕之主演作『月下の若武者』です。

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(写真)鶴城映劇の広告『太陽の季節』『三河新報』1956年6月30日。西尾市立図書館所蔵。

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(写真)鶴城映劇の広告『月下の若武者』『三河新報』1957年8月9日。西尾市立図書館所蔵。

 

1963年(昭和38年)の住宅地図を見てみると、菅原町にはかなりの数の商店が並んでいます。

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(地図)1963年の住宅地図。右上に鶴映。愛知県図書館所蔵。

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(地図)1983年の住宅地図。中央上に鶴城劇場。愛知県図書館所蔵。

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(左)旧館。中央の灰色の建物。(右)現行館。中央の白い建物。地理院地図

 

 

1.2 現行館時代(1986年6月7日-営業中)

建物が面している道路を拡幅するために、1986年にはそれまでより小規模な建物に建て替えた。道路部分以外の敷地の形は変わっておらず、前面だけ背後に引っ込んだ形である。経営者の夫は教員免許も持っており、建て替えを決める前には閉館も検討した。建て替えにあたってビデオカセットをレンタルできるサービスを取り入れ、また館内にビデオ鑑賞席を設置した。レンタルビデオ店が少ない時代であり、映画館としては画期的なサービスだったと思う。1980年代後半の映画産業は斜陽であり、建て替え後も映画館の観客は少なかったが、レンタルビデオサービスは大好評だった。このため、建て替え後すぐにホールを狭めてビデオ棚を増設した。増設部分のビデオ棚は、建て替え当初のホール最後尾にあたる

2部屋あるビデオ鑑賞席からインターホンが受付に通じており、鑑賞したい作品の番号を伝えると受付から操作してビデオを再生する。ビデオ鑑賞室は休憩室という名称であり、扉のないガラス張りかつ4人掛けとすることで個室ではないことにしている

現時点では閉館は検討していないが、年配なのでいつまで続けられるかはわからない。形式的には息子が社長の肩書を背負っているが、愛知県外で別の仕事に就いており、自身の後継者はいない

 

菅原町と稲荷山(上町)方面を結ぶ道路の拡幅工事のために、1986年(昭和61年)6月7日には同一敷地でやや後退させて立て替えています。オープニングの三本立は『代々木忠の 奥義』、『今陽子蕾の眺め』、『ラブホテル 消し忘れ大全集』。斉藤さんの話ではロビー部分をレンタルビデオコーナーとしたのが画期的だったとのことですが、ビデオ鑑賞席のほうが興味深い。

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(写真)鶴城映劇の新館開館広告。『愛三時報』1986年6月7日。西尾市立図書館所蔵。

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(写真)鶴城映劇のビデオレンタルに関する広告。『愛三時報』1987年12月26日。西尾市立図書館所蔵。

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(地図)1988年の住宅地図。中央上に鶴城映劇場。愛知県図書館所蔵。

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(地図)鶴映が掲載されている愛知県の成人映画館案内。『中日スポーツ』。愛知県図書館所蔵。

 

 

2. 鶴城映劇の写真

2.1 外観

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(写真)鶴城映劇。2022年1月。

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(左)昼間の電飾看板。2022年1月。(右)夜間の電飾看板。2020年12月。

 

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(写真)昼間の入口。2022年1月。

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(写真)夜間の入口。2020年12月。

 

2.2 館内

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(写真)DVD販売・レンタルスペース。

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(写真)DVD販売・レンタルスペース。

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(写真)DVD販売・レンタルスペース。

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(写真)DVD鑑賞席。

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(写真)DVD鑑賞席。