振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

大浜の映画館

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(写真)旧大浜警察署。

2022年(令和4年)1月、愛知県碧南市の大浜地区を訪れました。かつて大浜地区には映画館「寿々喜座」がありました。

 

1. 大浜を訪れる

1.1 大浜の近代建築

大浜地区は醸造業や海運業で栄えた町であり、大蔵が登録有形文化財となっている九重味淋 - Wikipedia碧南市藤井達吉現代美術館などが観光スポットになっています。近代建築もいくつかあり、中でもひときわ目立つのが1924年大正13年)に竣工した旧大浜警察署 - Wikipedia刈谷市に建築事務所を構えた大中肇の作品とされ、平屋建て部分、2階建て部分、塔屋がバランスよく配置されている建物です。

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(写真)旧大浜警察署。錦町1丁目。

 

旧大浜警察署は堀川の南岸にありますが、北岸には1937年(大正12年)から1938年(大正13年)頃に竣工した磯貝電機(旧・名古屋相互銀行碧南支店)、戦前竣工とされる八百品理容院などがあります。

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(写真)磯貝電機。音羽町1丁目。

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(写真)八百品理容院音羽町3丁目。

 

1.2 大浜の街並み

堀川以南

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(写真)堀川橋南詰の路地。錦町1丁目。

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(写真)堀川橋南詰の路地。錦町1丁目。

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(写真)堀川橋南岸の建物。錦町1丁目。

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(写真)堀川橋南岸の建物。錦町1丁目。

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(写真)堀川橋南詰の路地の街灯。錦町1丁目。

 

碧南駅前

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(写真)碧南駅の駅前通り。中央奥が碧南駅。中町2丁目。

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(写真)碧南駅の駅前通りの街灯。中町。

 

堀川以北

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(写真)大浜街道沿いの古民家カフェ わっぱ堂。明治時代築の眼科医院を改装。音羽町1丁目。

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(写真)大浜街道沿いの蔵と看板建築。音羽町1丁目。

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(写真)蔵。羽根町1丁目。

 

2. 映画館調査

2.1 映画館名簿

1960年の映画館名簿

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2.2 住宅地図

1961年の住宅地図

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(写真)1961年の住宅地図。中央に寿々"木"座。

 

1966年の住宅地図

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(写真)1966年の住宅地図。中央に寿々喜座。

 

1976年の住宅地図

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(写真)1961年の住宅地図。寿々喜座跡地に主婦の店碧南店。

 

1979年の住宅地図

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(写真)1961年の住宅地図。寿々喜座跡地に碧海信用金庫碧南支店。※碧"南"信用金庫は誤り。

 

2.3 イラスト

加藤まさみ『ふるさとの風景画集 第1集』(加藤まさみ、2008年)には碧南市の名所・旧跡が多数描かれており、寿々喜座のイラストもありました。

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(写真)寿々喜座を描いたイラスト。加藤まさみ『ふるさとの風景画集 第1集』2008年。碧南市民図書館所蔵。※著作権は切れていません。

 

大浜海岸を描いたイラストもありました。1969年(昭和44年)4月9日には大浜と半田を結んでいた渡船が廃止されていますが、1968年(昭和43年)に衣浦大橋が無料開放されたことが契機でしょうか。林泉寺の北にあった旅館 海月は、新川の鶴洲楼と主に碧南を代表する旅館だったようです。

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(写真)大浜海岸を描いたイラスト。加藤まさみ『ふるさとの風景画集 第1集』2008年。碧南市民図書館所蔵。※著作権は切れていません。

 

阿部繁弘による『へきなんのまちめぐり』では、拡幅される前の大浜街道が描かれています。

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(写真)大浜中央通り商店街。阿部繁弘(文・絵)『へきなんのまちめぐり』碧南商工会議所、2007年。※著作権は切れていません。

2.4 鳥観図

吉田初三郎は大正期または昭和戦前期に大浜町を訪れ、鳥観図「三河大はま町」(大浜町鳥観図)を描いています。映画館の寿々喜座も存在していたはずですが、鳥観図には描かれていません。大浜まちかどサロンには鳥観図の複製が展示されています。

 

中心部全体

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(写真)大浜。吉田初三郎「三河大はま町」碧南市文化振興課『写真展図録 碧南の移り変わり』碧南市、2007年。

 

堀川以北

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(写真)大浜の北部。吉田初三郎「三河大はま町」碧南市文化振興課『写真展図録 碧南の移り変わり』碧南市、2007年。

 

堀川以南

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(写真)大浜の南部。吉田初三郎「三河大はま町」碧南市文化振興課『写真展図録 碧南の移り変わり』碧南市、2007年。

町役場、郵便局、警察署、税務署、税関、水上巡会派出所、碧南商業学校、大浜尋常高等小学校大浜幼稚園、岡崎銀行大浜支店、伊藤銀行大浜支店、大浜漁業協同組合、稲荷社、西方寺、海徳寺、林泉寺、宝珠寺、常行院、清浄院、本伝寺、称名寺、割烹海水浴旅館 海月、割烹旅会浜田屋、碧南食糧処理場、トヨダ自動車指定工場合資会社太田鋳造所、日本水産株式会社大浜冷凍工場、尾三巡航汽船会社、半田渡船場武豊船場名鉄バスのりば、問半魚市場、コンロ問屋、大清材木店、大浜織物検査所、倉田因織布工場、亀島織布工場、杉浦織布工場、碧南合同運輸社、大浜合同運送合資会社、三碧青果物市場株式会社、石浜漁網商店、石浜漁網工場、醸造用搾袋高松工場、正宗醸造本家、三粉屋村松醤油工場、味醂御室桜磯貝清、魚茂商店、磯貝飼料店、鳥松芋菓子製造工場、角谷醤油店、五ノ井味醂醸造所、大浜三鱗株式会社窯業工場、大浜三鱗株式会社煉炭工場

 

 

3. 大浜の映画館

3.1 寿々喜座(1879年-1963年)

所在地 : 愛知県碧南市六供1(1963年)
開館年 : 1879年、1902年(移転・改称)
閉館年 : 1963年
Wikipedia寿々喜座
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「寿々喜座」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「碧南信用金庫碧南支店」。最寄駅は名鉄三河線碧南駅。

寿々喜座の読みは「すずきざ」であり、住宅地図では寿々木座という漢字表記も見られます。改称当初の経営者は鈴木喜三郎であり、晩年の経営者は鈴木暉雄でした。木造2階建、定員約600の立派な劇場でした。

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(写真)1951年の寿々喜座。『碧海の今昔』樹林舎、2021年。

 

1960年代から1970年代の寿々喜座跡地にはスーパーマーケットの主婦の店があり、1970年代後半に碧海信用金庫碧南支店に変わっています。碧海信用金庫の建物は2017年(平成29年)12月4日に建て替えられました。

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(写真)碧海信用金庫碧南支店。

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(写真)碧海信用金庫碧南支店が面する大浜街道

 

大浜の映画館について調べたことは「西三河地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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