振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

羽村市の映画館

(写真)羽村市図書館。

2022年(令和4年)5月、東京都羽村市を訪れました。かつて羽村市には映画館「錦亀館」(きんきかん)がありました。

 

1. 羽村市図書館

JR青梅線羽村駅を挟んで西側に旧市街地が、東側に新市街地が広がっています。羽村駅から徒歩10分の場所には羽村市図書館と羽村市生涯学習センターゆとろぎが並んでおり、両者は連絡通路で結ばれています。

延床面積は3,280m2、蔵書冊数は約40万冊、屋上は庭園になっている立派な図書館ですが、人口5万人台という都市規模を考えるとオーバースペックな印象。直前に訪れた青梅市中央図書館と比べると利用者数の少なさが気になりました。入口付近の屋外にはまるで人気が無く、休館日に訪れてしまったかと勘違いするほどでした。

(写真)羽村市図書館。

(写真)羽村市図書館。ティーンズコーナー。

 

 

2. 羽村市の映画館

2.1 錦亀館(1930年-1965年)

所在地 : 東京都西多摩郡羽村町145(1962年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1954』によると1948年開館。『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年の映画館名簿では「錦亀館」。1955年の映画館名簿では「錦亀館(移動劇場)」。1956年・1957年・1958年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「錦亀館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「石川新聞サービスセンター」がある「樫の木ビル」。最寄駅はJR青梅線羽村駅

(写真)錦亀館。企画展「錦亀館 はむらの映画館」チラシ。

 

錦亀館(きんきかん)は映画館名簿に掲載されている羽村市域唯一の映画館です。掲載されているのは1950年代前半から1962年(昭和37年)まで。後述する錦亀館の営業期間とはやや異なっていますが理由は不明です。映画館名簿によると経営者は石川重一であり、ウェブ検索では石川新聞店が経営していたという情報がありました。

(写真)錦亀館が最後に掲載されている『映画便覧 1962』時事通信社、1962年。愛知県図書館所蔵。

 

2021年(令和3年)6月から8月には羽村市郷土資料館で企画展「錦亀館 はむらの映画館」が開催されました。錦亀館の開館年は1930年(昭和5年)、改築年(※閉館年であるかどうかは不明)は1965年(昭和40年)だそうです。芝居小屋として開館し、戦後に映画館に転向したのだと思われます。

羽村市郷土資料館に錦亀館の場所について問い合わせると、「現在の住所では羽村市羽東1-27-25であり、新聞店の店舗が建っている」とのこと。新聞店とは石川新聞店のことであり、映画館名簿の経営者とも一致します。企画展の概要が掲載される『羽村市郷土博物館紀要』第36号はまだ刊行されていませんが、2022年(令和4年)5月下旬にも発売予定だそうです。

(写真)企画展「錦亀館 はむらの映画館」チラシ。

 

1961年(昭和36年)の航空写真にも錦亀館が写っています。建物の長辺が通りに面していた珍しい映画館だったようです。

(写真)1961年の航空写真における錦亀館。地図・空中写真閲覧サービス

 

Googleストリートビューで跡地を見てみると、「ISHIKAWA SC since 1894」という文字のある樫の木ビルがあります。120年以上続いてる新聞店ってすごい。

(写真)錦亀館跡地にある石川新聞店。Googleストリートビュー

羽村市にあった映画館について調べたことは「東京都の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(東京都版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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