(写真)河口湖。663 highland - Wikimedia Commons
2021年(令和3年)5月、山梨県郡内地方の富士吉田市と山中湖村を訪れました。
郡内地方にある富士河口湖町には、かつて映画館として既存興行館の「河口映劇」(1955年頃-1957年頃)、「船津座」(1956年-1960年代中頃)、ビデオシアター「河口湖ベルシアター」(1987年-2006年)がありました。
1. 富士河口湖町の映画館
1.1 河口映劇(1955年頃-1957年頃)
所在地 : 山梨県南都留郡河口湖町(1957年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1957年頃
1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年の映画館名簿では「河口映劇」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。
1956年と1957年の映画館名簿のみに登場する映画館として「河口映劇」があります。経営者は渡辺五郎、木造1階、定員700、邦画・洋画を上映。映画館名簿によると船津座よりも定員が多いのですが、この時代の後発(のように見える)の映画館で700もの定員があるのは奇妙です。
(写真)河口映劇と舟座(船津座)が掲載された映画館名簿。『映画便覧 1957』(時事通信社、1957年)。
1.2 船津座(1956年-1965年頃)
所在地 : 山梨県南都留郡河口湖町船津3922(1963年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1965年頃
1953年の映画館名簿では「船津座」。1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「舟座」。1958年の映画館名簿では「舟津座」。1960年・1963年の映画館名簿では「船津座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「円通寺」南東80mにあるガレージ。最寄駅は富士急行線河口湖駅。
河口湖に近い円通寺の東側には、参道に南面して船津座がありました。「1956年に新築された」とのこと。経営者は富士吉田興行(渡辺五郎)であり、映画館名簿の年度によって定員には揺れがありますが、336や410などと記載されています。富士吉田市立図書館には1966年の『富士五湖周辺戸別明細図』を所蔵しており、「船津映画劇場」とあることから跡地が判明しました。
(地図)中央右に「船津映画劇場」。『富士五湖周辺戸別明細図 1966年版』(富士五湖周辺戸別明細図発行事務局、1965年)
(写真)1970年代と2013年の船津座跡地付近。地理院地図
(写真)船津座が掲載された映画館名簿。『映画便覧 1965』(時事通信社、1965年)。
1.3 河口湖ベルシアター(1987年11月26日-2006年4月2日)
所在地 : 山梨県南都留郡河口湖町船津2986(2005年)
開館年 : 1987年11月12日
閉館年 : 2006年4月2日
1985年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「河口湖ベルシアター」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。河口湖ショッピングセンターベル3階。1スクリーン90席のビデオシアター。
ビデオシアターは映写機の代わりにビデオプロジェクターを用いて上映するミニ映画館のこと。日本では1985年(昭和60年)~1986年(昭和61年)頃に普及し始め、1990年(平成2年)頃に本格的な普及期を迎えた映画上映方式です。フィルム上映では必ず必要だった映写機や映写技師が不要であり、低コスト・省スペースで映画館を設置できたため、郊外型ショッピングセンターの上層階などに数十館が開館しました。
その後、1993年(平成5年)には神奈川県海老名市と大阪府岸和田市に日本初のシネコンが開館し、1990年代後半から2000年代初頭には全国的なシネコンブームが起こります。2006年(平成18年)にはビデオシアター用ビデオの製作・配給を行っていた会社がビデオシアター事業から撤退。港南台シネサロンなど一部の映画館はフィルム上映設備を導入して映画上映を続けますが、河口湖ベルシアターを含めた大半のビデオシアターはフィルム上映に移行することなく閉館しています。
2006年(平成18年)4月2日の河口湖ベルシアターの閉館後、河口湖ショッピングセンターベルの運営会社はシネコンの建設も構想しますが、結局は建設に至らなかったようです。
(写真)河口湖ショッピングセンターベル。Mr.W - Wikimedia Commons
(写真)河口湖ベルシアターが掲載された映画館名簿。『映画年鑑 2006年版別冊 映画館名簿』時事映画通信社、2005年。
富士河口湖町の映画館について調べたことは「山梨県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(山梨県版)」にマッピングしています。