振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

御殿場市の映画館

f:id:AyC:20210521232332j:plain

(写真)マウント劇場跡地とマイロード商店街。

2021年(令和3年)5月、静岡県御殿場市を訪れました。

かつて御殿場市には、「御殿場マウント劇場」「御殿場中央劇場」「御殿場東映劇場」「御殿場新橋劇場」「御殿場文化劇場」の5館の映画館がありました。2012年(平成24年)まで営業していた御殿場マウント劇場の建物は現存し、マンテンゲストハウス(※その後ノクタリウムに改称)として活用されています。

 

1. マンテンゲストハウス

1.1 建物入口

f:id:AyC:20210521232444j:plain

(写真)建物入口。

f:id:AyC:20210521232542j:plain

(写真)フロアマップ。

f:id:AyC:20210521232538j:plainf:id:AyC:20210521232546j:plain

(左)フロア入口。(右)チラシ。

 

1.2 ホール部分

f:id:AyC:20210521232713j:plain

(写真)マンテンゲストハウスのホール部分。

f:id:AyC:20210521232742j:plain

(写真)マンテンゲストハウスのホール部分。

f:id:AyC:20210521232738j:plainf:id:AyC:20210521232748j:plain

(写真)マンテンゲストハウスのホール部分。

 

1.3 宿泊施設部分

f:id:AyC:20210521232842j:plain

(写真)宿泊施設部分。

f:id:AyC:20210521232848j:plain

(写真)宿泊施設部分。

f:id:AyC:20210521232948j:plainf:id:AyC:20210521232953j:plain

(写真)宿泊施設部分。

 

2. 御殿場市の映画館

かつて御殿場市には「マウント劇場」「御殿場中央劇場」「御殿場東映劇場」「御殿場新橋劇場」「御殿場文化劇場」の5館がありました。うち3館がJR御殿場駅前のマイロード商店街に集まっており、御殿場東映劇場はやや離れた場所に、御殿場文化劇場は静岡県立御殿場高校の近くにありました。

静岡県立中央図書館は1961年(昭和36年)の『御殿場市住宅明細図』や1971年(昭和46年)の『ゼンリン住宅地図』を所蔵しています。

f:id:AyC:20210521214847p:plain

(地図)現在の御殿場市の映画館跡地。Google My Maps

f:id:AyC:20210521214853p:plain

(地図)現在の御殿場駅前の映画館跡地。Google My Maps

(写真)御殿場市に5館が掲載されている1963年の映画館名簿。『映画便覧 1963』時事通信社、1963年。

 

2.1 御殿場文化劇場(1923年-1963年頃)

所在地 : 静岡県御殿場市仲町46(1963年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧1955』によると1923年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「文化劇場」。1955年・1958年の映画館名簿では「御殿場文化劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「文化劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は仕出し屋「むびょう」。

御殿場市に5館あった映画館の中で1館だけ外れた場所にあるのが「御殿場文化劇場」。JR御殿場駅からは約1.5km離れていますが、江戸時代から明治時代の御殿場村の中心部にあたるようです。近くには静岡県立御殿場高校があります。

f:id:AyC:20210521215533p:plain

(写真)1962年の御殿場文化劇場跡地。地図・空中写真閲覧サービス

f:id:AyC:20210602002014j:plain

(地図)1961年の住宅地図における文化劇場。中央下。御殿場市住宅明細図。

 

2.2 御殿場新橋劇場(1924年-1970年)

所在地 : 静岡県御殿場市新橋1994(1969年)
開館年 : 1924年
閉館年 : 1970年
『全国映画館総覧1955』によると1924年開館。1950年の映画館名簿では「御殿場新橋劇場」。1953年の映画館名簿では「新橋劇場」。1955年の映画館名簿では「御殿場新橋劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「新橋劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「御殿場新橋劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は居酒屋「さかなや駅前店」。

1889年(明治22年)の御殿場駅開業から35年後、1924年大正13年)に開館した劇場が「御殿場新橋劇場」です。もともとこの場所には新生座という劇場があったそうですが、駅前の発展策として御殿場駅の開業直後くらいに開館したのでしょうか。

地名でもある新橋の読みは 「しんばし」ではなく「にいはし」。新橋劇場の開館によって、現在のマイロード商店街が劇場通りと呼ばれるようになります。

f:id:AyC:20210628191633j:plain

(地図)1961年の住宅地図における新橋劇場。中央左。御殿場市住宅明細図。

 

1940年(昭和15年)には常設映画館となり、戦後の1970年(昭和45年)まで営業を続けています。閉館後の建物は短期間のみパチンコ店として使用された後、現在は居酒屋のさかなや駅前店の建物が建っています。

f:id:AyC:20210521230839p:plain

(写真)1962年の御殿場駅前の映画館跡地。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.3 御殿場東映劇場(1955年頃-1976年頃)

所在地 : 静岡県御殿場市新橋2046(1976年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1976年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「御殿場東映富士劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「富士映画劇場」。1966年の映画館名簿では「御殿場富士映画劇場」。1969年の映画館名簿では「御殿場東映映画劇場」。1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場東映劇場」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「石坂ふとん店」南西の名称不明の駐車場。

御殿場東映劇場はもともと富士映画劇場と呼ばれていた映画館。静岡県道394号沼津小山線沿いにある望月たばこ店から北西に入った場所にありました。現在の跡地は駐車場で周囲はひっそりしていますが、スナックや居酒屋が立ち並ぶ飲食店街の御殿場新天地に近い。

f:id:AyC:20210602002133j:plain

(地図)1971年の住宅地図における御殿場東映劇場(地図では富士映画)。ゼンリン住宅地図

 

2.4 御殿場中央劇場(1955年頃-1989年頃)

所在地 : 静岡県御殿場市新橋2001(1989年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1989年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年・1960年の映画館名簿では「御殿場中央劇場」。1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場中央劇場」。1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「中央劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1階に居酒屋「GOTEN 御殿場店」がある「中央ビル」。

マイロード商店街にあった3映画館の中で最後発だったのが「御殿場中央劇場」。映画館名簿によると1950年代後半の開館時から鉄筋コンクリート造であり、地方都市としてはかなり珍しかったと思われます。

開館直後の映画館名簿では定員380の映画館として、晩年の映画館名簿には180席の映画館として掲載されています。

f:id:AyC:20210602002248j:plain

(地図)1971年の住宅地図における御殿場中央劇場(地図では中央劇場)とマウント劇場(地図ではマウント会館)。ゼンリン住宅地図

 

2.5 御殿場マウント劇場(1952年-2012年)

所在地 : 静岡県御殿場市新橋1988(2012年)
開館年 : 1952年7月、1965年(ビル化)
閉館年 : 2012年
『全国映画館総覧1955』によると1952年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「マウント映画劇場」。1955年の映画館名簿では「御殿場マウント劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「マウント映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場マウント劇場」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2012年の映画館名簿では「マウント映画劇場」。2014年の映画館名簿には掲載されていない。建物は「マンテンゲストハウス」として現存。

1952年(昭和27年)に劇場通りで2番目の映画館として開館したのが「マウント劇場」。マウント(Mount)は富士山(Mount Fuji)の意味だと思われますが詳細は不明。

1965年(昭和40年)には同一地点に現在のビルが建ちましたが、建て替えを行ったのは御殿場市の5館のなかでマウント劇場だけだと思われます。1980年代末以降は20年以上も御殿場市唯一の映画館として営業し、晩年には映画『真夜中の弥次さん喜多さん』(2005年公開)のロケ地になったりしたようです。

2012年(平成24年)に閉館した後、跡地はレコーディングスタジオとして数年使用され、2020年(令和2年)9月中旬にマンテンゲストハウス(Mountain Guest House)が営業を開始しました。

マウント劇場の経営者は加藤茂治(初代)と加藤広孝(2代目)で、映画全盛期は洋画館。1980年(昭和55年)の映画館名簿では座席数が400席だったのが、1990年(平成2年)の映画館名簿では300席に、2000年(平成12年)の映画館名簿では256席に減っていますが、座席数が2/3となった理由は不明。

f:id:AyC:20210521233107j:plain

(写真)マウント劇場跡地のマンテンゲストハウス。

 

御殿場市の映画館について調べたことは「静岡県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(静岡県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com