振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

富士吉田市の映画館

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(写真)富士吉田市の本町名店街。背後は富士山。CC BY-SA 3.0 -  Yobito KAYANUMA - Wikimedia Commons

2021年(令和3年)5月、山梨県富士吉田市を訪れました。

最盛期の富士吉田市には「富士吉田国際劇場」「武蔵野館・松竹東映劇場」「銀嶺シネマ」「松竹館」「富士映画劇場」「吉田映画劇場」の6館の映画館がありました。

 

1. 富士吉田市を訪れる

1.1 西裏地区

富士吉田のメインストリートは富士山に向かって一直線に伸びる本町通り(本町名店街、富士みち)です。富士山とアーケード通りが両方入るフォトスポットとして人気を集めているようですが、この日は曇っていたため富士山が見えませんでした。

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(写真)本町通り(本町名店街)。 晴天日なら背後に富士山が見える。

 

本町通りの西側には歓楽街の西裏地区があります。南北の軸は本町通り(富士みち)や西裏通り、東西の軸は月江寺大門商店街や中央通りであり、これらの通りから分岐する路地に夜間営業の飲食店が集まっています。新世界乾杯通り、子之神通り、一本杉通り、ウエストクイーン通り、ウエストキング通り、ミリオン通り、プリンセス通りなどの名前を付けたのは最近なのかもしれません。

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(写真)西裏地区のマップ。

 

本町通りから西に延びる月江寺大門商店街には複数のカフェや本屋などがあり、月の江書店の店内には富士吉田の古写真が束ねて置いてありました。月の江書店の創業は1949年(昭和24年)とのことで、1956年(昭和31年)に近くに映画館「富士吉田国際劇場」が開館する前からこの商店街にあったようです。月の江書店ではややわかりにくい富士吉田国際劇場の跡地(敷地)を教えてもらいました。

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(写真)月江寺大門商店街。

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(写真)月江寺大門商店街。(左)Cafe月光。(右)月の江書店。

 

西裏通りには本町通りよりも幅広い種類の商店が並んでおり、本町通りに対する "裏通り" の雰囲気を感じます。西裏通りからは何本もの細い路地が伸びており、それらに面してスナックなどが並んでいます。

かつて西裏通り沿いには映画館「松竹館」と「銀嶺シネマ」がありました。銀嶺シネマの跡地は銀嶺駐車場となっています。せっかくなので、松竹館や銀嶺シネマの跡地に近いべんけいで吉田のうどん - Wikipediaを食べました。

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(写真)西裏通り。

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(左)西裏通りと一本杉通りをつなぐウエストクイーン通り。(左)西裏通りと本町通りをつなぐ子之神通り。(右)西裏通りと本町通りをつなぐ新世界乾杯通り。

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(写真)べんけいの吉田のうどん。

 

2. 富士吉田市立図書館

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(写真)閲覧室。

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(左)一般書。(中)郷土資料。(右)児童書。

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(左)イベントのチラシ。(右)図書館入口。

 

3. 富士吉田市の興行会社

最盛期の富士吉田市には「富士吉田国際劇場」「武蔵野館・松竹東映劇場」「銀嶺シネマ」「松竹館」「富士映画劇場」「吉田映画劇場」の6館の映画館がありました。

その後、1980年代には「富士吉田国際劇場」、「武蔵野館・松竹東映劇場」、「銀嶺シネマ」の3施設4館がありました。

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(写真)富士吉田市街地の映画館跡地。地理院地図

 

3.1 富士吉田興行(渡辺五郎)

武蔵野館を除く映画館の経営は渡辺五郎が経営者である富士吉田興行。1960年代前半の富士吉田興行は山梨県内で20館以上も経営しており、これは山梨県の映画館総数の1/3以上にも上ります。

同時期には富士吉田市議会副議長として「渡辺五郎」の名前が見えますが、『東興紳士録』(東京興信所甲府支部)によると市議会副議長の渡辺氏は三国屋商店の社長を務めた人物とのことで、映画興行主の渡辺五郎氏とは別人のようです。市議会副議長の渡辺五郎氏の生年は1915年(大正4年)であり、映画興行主の渡辺五郎氏の生年は1928年(昭和3年)頃です。

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(写真)1960年の富士吉田市にあった映画館一覧。『映画便覧 1960』(時事通信社、1960年)。

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(写真)1960年の山梨県にあった映画館一覧。『映画便覧 1960』(時事通信社、1960年)。右から左に向かって3ページ強。

 

4. 富士吉田市の映画館

4.1 吉田映画劇場(1950年代初頭-1962年頃)

所在地 : 山梨県富士吉田市上吉田町3978(1962年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「吉田映画劇場」。1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。1962年の映画館名簿では「吉田映画劇場」。1963年の映画館名簿では「吉田映画劇場(休館中)」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。

 

3.2 富士映画劇場(1950年代初頭-1962年頃)

所在地 : 山梨県富士吉田市下吉田町5203(1962年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「富士映画劇場」。1963年の映画館名簿では「富士映画劇場(休館中)」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。

 

3.3 松竹館(戦前-1970年)

所在地 : 山梨県富士吉田市下吉田278(1969年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1970年2月26日
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1927年の映画館名簿には掲載されていない。1930年・1934年・1936年・1943年・1947年の映画館名簿では「松竹館」。1950年の映画館名簿では「下吉田松竹館」。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「松竹館」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「富士吉田松竹館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「月江寺駅入り口」交差点北西120mにある建物。

富士吉田では唯一、戦前から営業していることが明らかな劇場・映画館が「松竹館」です。1930年(昭和5年)の映画館名簿には山梨県に9館しかない映画館として名前が見えますが、正確な開館年は不明です。

1930年(昭和5年)時点では定員700、最晩年の1970年(昭和45年)時点でも定員600とのことであり、閉館時まで戦前に建築された劇場で営業していたものと思われます。1970年(昭和45年)2月26日には火災で全焼し、その後建て直されなかったようです。

(写真)松竹館が掲載されている1930年の山梨県の映画館一覧。次頁に市川大門町の市川電気館あり。『日本映画事業総覧(昭和5年版)』( 国際映画通信社、1930年)

 

3.4 銀嶺シネマ(1953年8月-1985年頃)

所在地 : 山梨県富士吉田市下吉田263(1985年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1985年頃
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1953年8月。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「銀嶺シネマ」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「富士吉田銀嶺シネマ」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「銀嶺月極駐車場」。

 

『写真で見る富士吉田の歩み 市制60周年記念』(富士吉田市教育委員会、2011年)には、富士吉田の主要な四辻だった月江寺駅入口交差点にあった大月信用金庫の写真が掲載されています。信用金庫の建物前には「松竹館」と「銀嶺」の看板も見えます。

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(写真)銀嶺シネマ跡地の銀嶺月極駐車場。

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(地図)中央下に「映画 銀嶺」と「松竹館」。『富士五湖周辺戸別明細図 1966年版』(富士五湖周辺戸別明細図発行事務局、1965年)

 

3.5 武蔵野館・松竹東映劇場(1956年6月25日-1987年頃)

所在地 : 山梨県富士吉田市下吉田1731(1987年)
開館年 : 1956年6月25日
閉館年 : 1987年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「武蔵野大映」。1973年の映画館名簿では「富士吉田武蔵野館」。1976年の映画館名簿では「富士吉田武蔵野館・富士吉田松竹東映劇場」(2館)。1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「下吉田武蔵野館・下吉田松竹東映劇場」(2館)。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「都留信用組合本店」南西の「都留信用組合駐車場」。

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(地図)左下に「武蔵野大映」。『富士五湖周辺戸別明細図 1966年版』(富士五湖周辺戸別明細図発行事務局、1965年)

 

3.6 富士吉田国際劇場(1956年9月-1989年頃)

所在地 : 山梨県富士吉田市下吉田827(1989年)
開館年 : 1956年9月
閉館年 : 1989年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「富士国際劇場」。1970年のゼンリン住宅地図では「富士国際劇場」。1973年・1976年・1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「富士吉田国際劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「内藤医院」北西の建物。

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(地図)中央下に「富士国際映画劇場」。『富士五湖周辺戸別明細図 1966年版』(富士五湖周辺戸別明細図発行事務局、1965年)

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(写真)右奥が富士吉田国際劇場跡地。左は1928年に料亭として建てられた旧角田医院

 

富士吉田市の映画館について調べたことは「山梨県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(山梨県版)」にマッピングしています。

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