振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

山中湖村の映画館

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(写真)山中湖情報創造館。

2021年(令和3年)5月、山梨県南都留郡山中湖村を訪れました。かつて山中湖村には劇場・映画館「富嶽座」がありました。

 

1. 山中湖村を訪れる

山中湖の湖面の標高は980mと高く、夏季には観光地・保養地・別荘地としてにぎわうようです。山中湖畔の別荘開発が始まったのは、富士山麓土地株式会社(富士急行の前身)が設立された1926年(大正15年)のことだそう。したがって、昭和初期の地形図にはまだ開発の状況は見られず、西岸の山中、東岸の平野の2集落が目立っています。劇場・映画館「富嶽座」は山中にありました。

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(地図)1:50000地形図「山中湖」(1929年要修)今昔マップ on the web

 

1990年(平成2年)の地形図を見ると、別荘地開発の開始から100年近く経っていることで山中湖畔がまんべんなく開発されていることがわかります。地図を見ただけでは中心集落がどこなのかわかりづらい。

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(地図)1:50000地形図「山中湖」(1990年修正)今昔マップ on the web

 

1.1 山中湖情報創造館

山中湖村公共図書館として山中湖情報創造館があります。2004年(平成16年)4月21日の開館時は日本で初めて指定管理者制度を導入した公共図書館でした。

その後も2014年(平成26年)に電子図書館サービスの提供を開始(2017年度末で終了)、2015年(平成27年)6月にボードゲームの貸出を開始、2015年(平成27年)8月に3Dプリンターを導入(日本の公共図書館で2番目)するなど、様々なサービスを早い段階で導入している先進的な図書館です。

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(写真)「図書館をうまくつかうコツ」。

 

郷土資料で特徴的なのはやはり富士山資料であり、ガイドブックなどの軽めの本は入口近くの書架に、学術書などの重い本は奥の書架に配置されていました。ウェブ上では富士山資料の件名インデックスが提供されています。

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(写真)富士山資料のうち面展示を多用した開架。

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(写真)富士山資料の件名インデックス。

 

山中湖古写真目録flickrを利用しています。出典・説明・撮影年などがないのでやや見づらいのですが、公共図書館が簡単に導入できるデジタルアーカイブツールだと思いました。

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コロナ禍ということで雑誌コーナーは封鎖されており、館内には座って本を読める閲覧席がない状態でした。通常時は窓際にコンセント付きの「湖の見える閲覧席」がありますが、座席が撤去されてチラシ置き場になっていました。3Dプリンタコーナー(FabLib@山中湖)もやはり封鎖されていました。

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(写真)一般書の書架。(左)奥は封鎖された雑誌コーナー。(右)「湖の見える閲覧席」。

 

山中湖村は様々な文学作品・映像作品の舞台になっているようで、郷土資料の脇には「山中湖ゆかり作品」コーナーがあります。映画パンフレットもゆかり作品コーナーの一部でしょうか。

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(左)映画パンフレットの書架。(右)「山中湖ゆかり作品」コーナー。

 

2. 山中湖村の映画館

2.1 富嶽座(1952年頃-1964年頃)

所在地 : 山梨県南都留郡中野村山中(1964年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1964年頃
1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「富岳館」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「富嶽座」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン山中湖畔店」駐車場。

映画館名簿には山中湖村の映画館として「富嶽座」が掲載されています。1950年(昭和25年)の映画館名簿では経営者が渡辺五郎、1960年代の映画館名簿では経営者が富士吉田興行ですが、渡辺五郎が経営していた会社が富士吉田興行です。定員は映画館名簿年度によって異なりますが700-800であり、山中湖村の規模を考えると立派な劇場だったと思われます。

富嶽座について映画館名簿以外の文献では言及を確認できていません。1963年(昭和38年)の映画館名簿における所在地は中野村山中62とのことで、現在の山中湖村山中63-2にあるセブンイレブン山中湖畔店近くにあったのではないかと推測。山中湖情報創造館でレファレンスを行いました。文献からは特定できなかったとのことですが、「当時を知る方からの情報」によってセブンイレブン駐車場が富嶽座跡地であることがわかりました。

(写真)富嶽座が掲載された映画館名簿。『映画便覧 1962』(時事通信社、1962年)

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(写真)1959年の山中湖村地図・空中写真閲覧サービス

 

その後訪れた富士吉田市立図書館には『富士五湖周辺戸別明細図 1966年版』がありました。現在のセブンイレブン山中湖畔店駐車場の場所には「映画館」とあり、映画館の名称は掲載されていないものの、文献からもセブンイレブン駐車場が富嶽座跡地であることがわかりました。

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(地図)『富士五湖周辺戸別明細図 1966年版』富士五湖周辺戸別明細図発行事務局、1965年。中央右に「映画館」。

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(写真)『富士五湖周辺戸別明細図 1966年版』富士五湖周辺戸別明細図発行事務局、1965年。

 

山中湖村の映画館について調べたことは「山梨県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(山梨県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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