(写真)南平造船所。
2020年(令和2年)12月、三重県伊勢市大湊町を訪れました。
1. 伊勢市大湊町を歩く
伊勢市の大湊 (伊勢市) - Wikipedia地区は伊勢湾に面した島であり、宮川と勢田川の河口に挟まれています。伊勢湾から約5kmの距離がある山田の外港として、伊勢河崎や鳥羽に役割が移る近世初期まで港町として栄えたようです。
近代には造船業の町となり、1896年(明治29年)には大湊工業補習学校(後の三重県立伊勢工業高校造船科)が開校。1910年(明治43年)には白瀬中尉が南極を目指した「開南丸」の元となった「第二報效丸」が大湊の造船所で建造されています。
(地図)伊勢市における大湊町の位置。©OpenStreetMap contributors
大湊町に明確な中心地は存在しませんが、島のメインストリート沿いには旅館津田屋と湯田旅館というビジネス旅館がありました。長期滞在のビジネス客が多いとのことで、ビジネス客とは造船業関係者でしょうか。
(左)旅館津田屋。(右)湯田旅館。
1.1 大湊町の神社
メインストリートから北に向かうと日保見山八幡宮(ひほみやまはちまんぐう)がありました。拝殿の手前に蕃塀があるので先を見通せない。参道の脇には弥栄の松(いやさかのまつ)という立派なクロマツがあり、神社の境内ですがきれいな庭木仕立てです。幹周3. 44m、樹高約9.5m、推定樹齢約400年とのことで、伊勢市天然記念物に指定されています。
(写真)境内。
(左)本殿。(右)弥栄の松。
島の西側には伊勢神宮外宮の末社である志宝屋神社 - Wikipediaもありますが、明治時代の地形図を見ると集落から離れて孤立しています。
(地図)明治時代の大湊町の地図。今昔マップ
1.2 大湊町の民家
大湊町には木造の和風建築が多数残っています。伊勢河崎と同様に基本的に切妻・妻入であり、より新しい(?)家が入母屋でしょうか。直線状の屋根が多いものの、伊勢河崎と同様にむくりのある屋根もちらほら。破風板や軒がんぎ板がある民家が印象に残りました。