2020年(令和2年)8月、愛知県北設楽郡東栄町を訪れました。「東栄町図書室「のき山文庫」を訪れる」からの続きです。
1. 東栄町を訪れる
東栄町は愛知県の東三河地方にある人口約3000人の自治体。設楽町・豊根村とともに奥三河と呼ばれる地域にあり、重要無形民俗文化財の花祭などの民俗行事が残っています。
2012年(平成24年)に三遠道路(三遠南信自動車道の一部)が新東名高速道路と接続した結果、東栄町の本郷市街地から南10kmの鳳来峡インターチェンジまでは高規格道路で訪れることができるようになりました。公共交通機関の場合はJR飯田線東栄駅が起点となり、奥三河2町1村が共同で運行するコミュニティバス おでかけ北設で本郷市街地に向かいます。
(地図)愛知県における東栄町の位置。©OpenStreetMap contributors
2. 映画館について調べる
映画館名簿には東栄町にあった3館の映画館が掲載されていますが、東栄町の最も古い住宅地図は1980年版であり、映画館は掲載されていません。また、愛知県図書館などの郷土資料では東栄町の映画館についての情報を得られませんでした。映画館の跡地だけでも明らかにするべく、地元の方に聞き込みを行いました。
1. 白川美容室の女性
森山にあるパチンコ店の廃墟は以前から気になっており、まずはこのパチンコ店に近い白川美容室(廃業)の女性(86歳)に聞いてみます。「閉店したパチンコ店の場所には『キネマ』があった。主任の名前は松ちゃん。主に大映の作品を上映した。(東栄町にもう1館映画館がなかったかと聞くと)キネマしかなかった。本郷地区に86年間住んでいるが、映画館は1館だけだった」。
映画館名簿に登場する「東映キネマ」はパチンコ店 ラッキースマイルの廃墟の場所にあったようです。映画館名簿によると東映キネマの経営者は上出寅夫、支配人は山岸松枝とのことで、松ちゃんというのは支配人の名前のようです。
映画館名簿には2館または3館の映画館が掲載されていますが、この方が1館だったと断言している点はやや気になりました。映画館名簿に掲載されている他の映画館について、映画館ではなく "芝居小屋" や "集会場" と認識していた可能性もあります。
(写真)森山にある白川美容室。
2. 東栄町役場近くにいた女性2人
その後東栄町役場近くを歩いていると、井戸端会議をしていた女性2人(70代?)に「帽子もかぶらないで歩いてたら暑いでしょ」と声をかけられました。
「閉店したパチンコ店の場所に映画館があった。その映画館以外には、坂の上にもあったかもしれない。よその地区から嫁いできたので映画館があった頃のことは知らない」とのことです。坂の上とは本郷商店街のことです。
3. 若松屋製菓の女性店主
暑いので市場にある若松屋製菓で水まんじゅうを買い、女性店主(70代?)にも映画館について聞いてみます。
「1959年に本郷地区に嫁いできた時には、坂の途中のパーマ屋の近くに『キネマ』があり、よく音楽が流れていた。その後、映画館の建物を取り壊してパチンコ店が建った。もう1館映画館があったかどうかはわからない」。パーマ屋とは最初に話を伺った白川美容室のことです。
(写真)市場にある和菓子司 若松屋。
4. 原田松治郎商店の男性店主
本郷商店街は気軽に入れそうな店が少なくて困りましたが、日用雑貨店の原田松治郎商店で男性店主(70代?)に聞いてみると、「西万場信号から東にあるJA愛知東東栄支店の場所に、『キネマ』とは異なる映画館があった。名前は覚えていない。(赤玉会館ではないかと聞くと)『赤玉会館』はバス停の手前側にあった。赤玉会館は映画館ではなかったが、映画も上映していた。本郷地区で映画を上映していたのはこの3館である」とのこと。
映画館名簿に掲載されている映画館は「東映キネマ」「東栄館」「赤玉会館」の3館なので、JA愛知東東栄支店の場所にあった映画館は「東栄館」だと思われます。"キネマ" や "赤玉会館" と比べると印象に残らない名前なので記憶に残らなかったのかもしれません。
(写真)西万場にある原田松治郎商店。
3. 東栄町の映画館
3.1 赤玉会館(1953年頃-1959年頃)
所在地 : 愛知県北設楽郡本郷町(1954年・1955年)、愛知県北設楽郡東栄町本郷(1959年)
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1959年頃
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年・1955年の映画館名簿では「赤玉会館」。1956年・1957年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「赤玉会館」。
映画館名簿に「赤玉会館」が初めて掲載されたのは1954年版ですが、その後は掲載されない年もあります。1959年の映画館名簿によると経営者は杉山邦雄ですが、建物構造や定員などは掲載されていません。
『東三河今昔写真集』(樹林舎、2005年)にはレストラン赤玉という施設が掲載されており、ホールには浪曲師や歌手などが来場して演劇や芸能が行われていた旨が記されています。どうやら映画館名簿に登場する赤玉会館は、レストラン赤玉の中にあったホールのようです。
(写真)昭和初期のレストラン赤玉(左)と旅館福島屋。『東三河今昔写真集』樹林舎、2005年。
(左)レストラン赤玉跡地の本郷バスターミナル。(右)旅館福島屋跡地の空地。
3.2 東栄館(1956年頃-1960年頃)
所在地 : 愛知県北設楽郡東栄町本郷(1957年・1960年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1960年頃
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「東栄劇場」。1958年・1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「東栄館」。1961年・1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「東栄農協」。1989年の住宅地図では跡地に「東栄町農協総合資材倉庫」。跡地は「JA愛知東東栄支店」。
「東栄館」も赤玉会館と同じく、映画館名簿には年によって掲載されたりされなかったりする映画館です。1960年の映画館名簿によると、経営者が北村定一であり、大映・日活・新東宝を上映していたようです。映画館名簿に定員は書かれていませんが、赤玉会館と比べるとかなり広い敷地にあったようです。
3.3 東映キネマ(1958年頃-1965年頃)
所在地 : 愛知県北設楽郡東栄町東栄(1959年)、愛知県北設楽郡東栄町大字本郷森山(1960年)、愛知県北設楽郡東栄町大字本郷(1960年・1961年・1962年・1963年・1964年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1955年・1956年・1957年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「本郷キネマ」。1960年・1961年の映画館名簿では「東映キネマ」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「東映キネマ」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1989年の住宅地図では跡地に空白。現在の跡地はパチンコ店「ラッキースマイル」の廃墟。
東栄町にあった3館の映画館のうち、場所が確定している唯一の映画館が「東映キネマ」であり、もっとも遅くまで映画館名簿に掲載されている映画館でもあります。東栄町にある東映キネマとはややこしいのですが、東映作品を上映していた映画館なので館名は東映が正しい。跡地にあるパチンコ店の店内には写真集『AKB48 友撮』のポスターが貼られていることから、パチンコ店は2011年前半に閉店したと思われます。
(写真)東映キネマ跡地にあるパチンコ店 ラッキースマイルの廃墟。
(左)ラッキースマイルの店内。(右)ラッキースマイルの敷地と森山の町並み。
(地図)1980年の住宅地図。本郷地区の北部。東栄町役場や大千瀬川などが見える。
(地図)1980年の住宅地図。本郷地区の中央部。龍洞院や東栄町立中央小学校(「東栄中央小学校」は誤記)などが見える。
(地図)1980年の住宅地図。本郷地区の南部。諏訪南宮神社(地図では単に「神社」)などが見える。
東栄町の映画館について調べたことは「東三河地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。