振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

刈谷市の映画館

f:id:AyC:20200327134236j:plain

(写真)刈谷日劇が入る愛三ビル。名鉄刈谷市駅前ロータリー。

2020年(令和元年)3月、愛知県刈谷市を訪れました。刈谷市では現在も「刈谷日劇」が営業を続けていますが、2000年代までは「大黒座」と「刈谷映画劇場」もありました。戦前には「刈谷キネマ」があったようです。

前半部分は「刈谷市を訪れる」に分割しました。

ayc.hatenablog.com

 

1. 刈谷市の映画館

戦後の刈谷市には映画館が「大黒座」「刈谷映画劇場」「刈谷日劇」の3館あり、いずれも名鉄三河線刈谷市駅が最寄り駅でした。2020年(令和2年)現在は刈谷日劇のみが営業しています。

f:id:AyC:20200327164739p:plain

(写真)1960年代の刈谷市中心市街地。

f:id:AyC:20200327164747p:plain

(写真)2010年の刈谷市中心市街地。

 

刈谷市郷土資料館には2012年(平成24年)から2020年(令和2年)まで刈谷市副市長を務めた川口孝嗣氏による「昭和のコレクション」があります。昭和のおもちゃがメインですが、『キングコング対ゴジラ』(東宝、1962年)などの映画ポスターも展示されているほか、3映画館それぞれについて川口氏の思い出が語られています。

f:id:AyC:20210510040607j:plain

(写真)刈谷市郷土資料館1階展示室にある映画ポスター。

f:id:AyC:20210510040612j:plainf:id:AyC:20210510040618j:plainf:id:AyC:20210510040621j:plain
(写真)刈谷市郷土資料館1階展示室。

f:id:AyC:20210510082451j:plain

(写真)『全国映画館総覧 1958年版』(時事通信社、1958年)。愛知県図書館や名古屋市鶴舞中央図書館が所蔵。

 

1.1 刈谷キネマ(戦前)

所在地 : 愛知県碧海郡刈谷刈谷八丁(1936年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前?
1930年・1936年の映画館名簿では「刈谷キネマ」。1930年の映画館名簿では経営者が羽田銗次郎、定員361、松竹を上映。1936年の映画館名簿では経営者が田中米次、支配人が丘紅二、定員361、新興キネマ・洋画を上映。

戦前に刊行された『日本映画事業総覧 昭和5年版』(国際映画通信社、1930年)や『全国映画館録 昭和11年度』(キネマ旬報社、1935年)には、碧海郡刈谷町唯一の映画館として「刈谷キネマ」が掲載されています。「愛知県碧海郡刈谷町全図」によると、1941年(昭和16年)以降に「刈谷映画劇場」があった地点に見えますが、経営面で連続性があったのかどうかは不明です。

f:id:AyC:20210510033634j:plain

(地図)刈谷キネマ(地図ではキネマ)と大黒座(地図では大国座)が描かれた地図。「愛知県碧海郡刈谷町全図」(1932年-1935年)。愛知県図書館や岡崎市立中央図書館が所蔵。

(地図)刈谷キネマが掲載された映画館名簿。『日本映画事業総覧 昭和5年版』(国際映画通信社、1930年)。国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開。

 

1.2 刈谷映画劇場(1941年-2000年)

所在地 : 愛知県刈谷市広小路1-15(2000年)
開館年 : 1941年6月
閉館年 : 2000年9月24日
Wikipedia刈谷映劇
『全国映画館総覧 1955』によると1941年6月設立。1946年の映画館名簿では「刈谷東宝」。1950年の映画館名簿では「刈谷東宝映画劇場」。1953年・1955年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「刈谷映画劇場」。1973年の全航空住宅地図帳では「刈谷映画劇場」。跡地は2002年竣工のマンション「ユーハウス第5刈谷」。「刈谷映劇」とも。

1941年(昭和16年)6月、刈谷市初の映画専門館として開館したのが「刈谷映画劇場」です。もっとも銀座通りに近く、また県道沿いでもあったことから、往時は刈谷市で一番目立つ映画館だったのではないかと思われます。刈谷映画劇場は東宝や松竹の作品を上映する映画館であり、1980年代前半には『スター・ウォーズ』や『ゴジラ』を上映しています。

f:id:AyC:20200413234359j:plain

(写真)昭和20年代刈谷映画劇場。『写真アルバム 碧海の昭和』(樹林舎、2012年)。パブリック・ドメイン(PD)

f:id:AyC:20210530213748j:plain

(地図)1985年のゼンリン住宅地図。中央に刈谷映劇。

f:id:AyC:20200413203511j:plain

 (写真)「59年の歴史に幕 『刈谷映劇』24日に閉館 散り際は潔く 最後の2日間は『ドラえもん』を無料上映」『刈谷ホームニュース』(2000年9月9日)。刈谷市中央図書館が所蔵。

 

刈谷市内の3館で一番早く、2000年(平成12年)9月24日をもって刈谷映画劇場は閉館しました。跡地には2002年竣工のマンション ユーハウス第5刈谷が建っています。

f:id:AyC:20200327134512j:plainf:id:AyC:20200327134517j:plain

(左)中央奥の茶色のマンションは刈谷映画劇場跡地にあるユーハウス第5刈谷。(右)刈谷映画劇場が面していた愛知県道48号岡崎刈谷線。

 

1.3 大黒座(1918年-2012年)

所在地 : 愛知県刈谷市司町1-31(2010年)
開館年 : 1918年(芝居小屋として)、1950年(映画専門館化)、1978年12月23日(建て替え)
閉館年 : 2012年
Wikipedia大黒座
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月設立。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「大黒座」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「刈谷大黒座」。1973年の全航空住宅地図帳では「大黒座」であり当時は大黒座前バス停もあった。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「刈谷大黒座シネマ1・2」(2館)。跡地は分譲住宅地。

明治時代の同一地点にあった芝居小屋「大生座」の跡地には、1918年(大正7年)に「大黒座」が開館しました。名古屋・伏見の御園座を模しており、格天井・回り舞台・花道などのある立派な劇場だったようです。1950年(昭和25年)には映画館に転換し、刈谷映画劇場に次いで2館目の映画専門館になると、東映や日活の作品を上映します。

f:id:AyC:20200413234141j:plain

(写真)大正建築時代の大黒座。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 刈谷』(国書刊行会、1981年)。パブリック・ドメイン(PD)

f:id:AyC:20210618195550j:plain

(地図)昭和初期の刈谷町の絵図。中央に大黒座。吉田初三郎『刈谷刈谷町役場、1936年。刈谷市中央図書館所蔵。

f:id:AyC:20210530214543j:plain

(地図)1970年のゼンリン住宅地図。中央に建て替え前の大黒座。

f:id:AyC:20210530214240j:plain

(地図)1976年のゼンリン住宅地図。右に建て替え前の大黒座。

 

1978年(昭和53年)12月23日には建て替えを行い、『トラック野郎 一番星北へ帰る』と『水戸黄門』をオープニング作品として再開館しました。その後2館化し、やがて成人映画の専門館となっています。

f:id:AyC:20210510034316j:plain

(写真)開館記念広告。「祝刈谷大黒座竣工 明日23日待望のオープン」『中日新聞』1978年12月22日。

f:id:AyC:20210510035100j:plainf:id:AyC:20210510035103j:plain

(左)大黒座が建て替えのために休館する際の上映作品案内。(右)大黒座の新館オープン直前の上映作品案内。いずれも『中日新聞』。

 

f:id:AyC:20210530213907j:plain

(地図)1985年のゼンリン住宅地図。中央に大黒座1・2。

f:id:AyC:20200413210100p:plainf:id:AyC:20200413210106p:plain

(左)1970年代後半の大黒座周辺。中央の巨大な和風建築が大黒座。左上の庭園は料理屋 大喜館。(右)1980年代初頭の大黒座周辺。中央の青屋根が大黒座。左上の赤屋根はふれあいプラザゆうきそう。いずれも国土地理院 地理院地図

 

2012年(平成24年)に閉館するとすぐに取り壊され、跡地は8軒分の戸建て住宅地となっています。大黒座の北西隣には広い庭園を持つ料理屋 大喜館がありましたが、大黒座と同時期に取り壊されてふれあいプラザゆうきそう(刈谷少年少女発明クラブなど)が建てられています。コメダ珈琲店刈谷司店の向かい、金寿司の東側にある戸建て住宅地が大黒座跡地ですが、映画館の面影を偲ばせるものは何も残っていません。ロビーではレンタルビデオ業も行っていたようで、2013年(平成25年)には近隣のデイサービス施設に1200本のビデオテープが譲渡されています。

f:id:AyC:20200327134544j:plain

(写真)左の金寿司の向こうが大黒座跡地にある戸建て住宅地。愛知県道51号知立東浦線。

 

 

1.4 刈谷日劇(1954年-営業中)

所在地 : 愛知県刈谷市広小路3-33(移転前)、愛知県刈谷市御幸町4-208(移転後)
開館年 : 1954年(開館)、1971年(移転)
閉館年 : 営業中
Wikipedia刈谷日劇
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「日本劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「刈谷日本劇場」。1973年の映画館名簿では「刈谷日本劇場・刈谷小劇場」(2館)。1973年の全航空住宅地図帳では「刈谷会館 小劇 日劇 パチンコ」であり移転前の場所は空き地。1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「刈谷日劇刈谷小劇場」(2館)。1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「刈谷日劇刈谷小劇場・刈谷日劇3」(3館)。2010年の映画館名簿では「刈谷日劇刈谷小劇場」(2館)。2015年の映画館名簿では「刈谷日劇1・2」(2館)。

 

刈谷日劇の歴史

1954年(昭和29年)、刈谷市3番目の映画館として開館したのが「刈谷日劇」です。刈谷映画劇場や大黒座とは違って洋画上映館であり、刈谷市郷土資料館には「洋画の日劇」と書かれた広告物が展示されています。1954年から1971年までの刈谷日劇は、現在の京極歯科の場所にありました。

f:id:AyC:20200327134549j:plainf:id:AyC:20200327134609j:plain

(左)刈谷日劇旧館跡地にある京極歯科。(右)京極歯科が面した通り。

f:id:AyC:20210530214645j:plain

(地図)1970年のゼンリン住宅地図。中央左に移転前の日劇

 

1971年(昭和46年)頃には170m南に5階建ての総合レジャービルを建設して移転。移転開館当初は刈谷日劇刈谷小劇の2館の小規模映画館で営業、1987年(昭和62年)4月29日には刈谷日劇日劇3・刈谷小劇3館体制となり、2000年代後半に再び2館に戻っています。2012年(平成24年)からは片方のスクリーンが名画座として、もう片方がミニシアターとして運用されています。

f:id:AyC:20200413220905j:plain

(写真)刈谷日劇が入る愛三ビル。

f:id:AyC:20210530214057j:plain

(地図)1985年のゼンリン住宅地図。中央下に刈谷日劇が入る愛三ビル。

 

刈谷日劇の写真

f:id:AyC:20200413220944j:plain

(写真)スクリーン1。

f:id:AyC:20200413220954j:plainf:id:AyC:20200413221004j:plain

(左)スクリーン1の座席。(右)スクリーン2。

f:id:AyC:20200413221213j:plain

(写真)ロビーの壁面。壁画は美術監督林田裕至 - Wikipediaによる。刈谷市出身の映画監督である山戸結希 - Wikipediaのインタビュー記事が貼られている。

f:id:AyC:20200413221125j:plainf:id:AyC:20200413221129j:plainf:id:AyC:20200413221142j:plain

(左)受付とスクリーン2入口。(中)スクリーン1入口。(右)ロビー。

f:id:AyC:20200413221147j:plainf:id:AyC:20200413221154j:plain

(左)ロビーにあるパンフレット棚。(右)ロビー。

f:id:AyC:20200413221207j:plainf:id:AyC:20200413221252j:plain

(左)ロビーにあるメッセージボード。(右)ロビー。

f:id:AyC:20200413221259j:plain

(写真)建物5階の刈谷日劇入口。

f:id:AyC:20200413221315j:plainf:id:AyC:20200413221306j:plain

(左)入口脇のチラシ置き場。(右)入口脇の上映スケジュール案内。

f:id:AyC:20200413221417j:plainf:id:AyC:20200413221430j:plainf:id:AyC:20200413221440j:plain

(左)建物の階段。(中)建物のエレベーター内。(右)建物の階段にある創業者の銅像

f:id:AyC:20200413221449j:plainf:id:AyC:20200413221503j:plain

(左)夜間の建物1階部分。(右)屋外のポスター掲示場。

 

刈谷市の映画館について調べたことは「西三河地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com