振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

水窪町の映画館

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(写真)水窪小学校北側から見た水窪市街地。

2019年(令和元年)12月、静岡県浜松市天竜区水窪町(みさくぼちょう)を訪れました。「浜松市立水窪図書館を訪れる」からの続きです。

ayc.hatenablog.com

 

 

1. 浜松市水窪民俗資料館

水窪市街地から北東に1kmほど歩くと、水窪発電所を越えた先に浜松市水窪民俗資料館がありました。隣接地に収蔵庫や移築民家もある立派な資料館ですが、その立地のせいで入館者数が少ないのではないかと思います。

"撮影した画像をホームページ等で情報発信する場合は、浜松市博物館本館または教育委員会水窪分室に連絡をお願いいたします" という注意書きがありました。写真撮影に対する態度が明快なのはいいですね。

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(写真)浜松市水窪民俗資料館。

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(左)館内の写真撮影についての注意書き。(右)水窪石。

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(写真)浜松市水窪民俗資料館の館内。(左)1階。(右)2階。

 

2階には民俗資料が詳しい説明などもなく並べられています。静岡県指定有形民俗文化財の藤布織機がありました。1968年(昭和43年)3月19日というかなり古い時期に文化財指定されていますが、どういう経緯でこの資料館に置かれているのかよくわかりませんでした。Google検索で見る藤布は麻布よりごつごつした印象ですが、織る前の藤糸はさらさらしていました。

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(写真)藤布織機。静岡県指定有形民俗文化財

 

1階には水窪町民が収集した商店広告が展示されていました。この中には「水窪劇場と小畑劇場」の広告があり、両劇場がおそらく同一経営者であることがわかります。映画館名簿や文献に小畑劇場という名称の劇場は登場しませんが、小畑区にあった三嶋座が小畑劇場に改称したのだと思われます。

「矢作映劇」の広告もありました。矢作とは岐阜県恵那郡上矢作町のことかと思いましたが、上矢作町に劇場があったとは聞いたことがないし、映画館名簿にも上矢作町は登場しません。同じ額縁内には愛知県豊田市岡崎市の商店の広告がいくつかあることから、1969年(昭和44年)まで岡崎市矢作橋にあった矢作映画劇場の広告のようです。この商店広告を収集した女性は水窪町から豊田市岡崎市に嫁いだのかもしれません。

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(写真)商店の広告類。(中)水窪劇場と小畑劇場の広告。(右)矢作映劇の広告。

 

2. 水窪町の映画館

『映画年鑑 1963年版 別冊 映画便覧』(時事通信社)などの各年版映画館名簿によると、戦後の水窪町には「水窪劇場」と「八幡劇場」という2館の映画館がありました。『水窪の民俗』(遠州常民文化談話会、2012年)によると、戦前の水窪町には「水窪座」と「八幡座」と「三嶋座」という3館の劇場がありました。三嶋座は昭和20年代初頭に閉館したようですが、水窪座は水窪劇場となり、八幡座は八幡劇場となったようです。

浜松市水窪図書館にいた男性職員(50代?)に話を聞くと、この職員は水窪劇場と八幡劇場について覚えており、「水窪劇場の跡地は空き地になり、駐車場として使用されている」「八幡劇場の建物が取り壊された跡地には工場が建っている」と話してくれました。

松屋製菓のおかみ(60代?)に話を聞くと、「神原区にあった八幡劇場は知っている」「本町の水窪劇場のことはよく知らない」「小松屋製菓から少し北、附属寺の下にあるみしま会館の場所にも劇場があったと聞いている」と話してくれました。小松屋製菓から水窪劇場は1km以上離れているため、同じ水窪町でも訪れる機会がなかったのかもしれません。

水窪町の映画館について調べたことは「静岡県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(全国版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 

2.1 水窪座/水窪劇場(-1960年代後半)

所在地 : 静岡県磐田郡水窪町本町(1960年)、静岡県磐田郡水窪町1032(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「水窪劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「水窪自主防災倉庫」とその駐車場。

水窪町でもっとも遅くまで、1960年代後半まで営業していた映画館が水窪座/水窪劇場です。本町の通りから水窪川に向かって路地を下っていくと、国道152号にぶつかる前に映画館がありました。1983年の住宅地図では水窪劇場跡地に「倉庫」があり、水窪劇場の建物が倉庫として使用されていたと思われます。現在は水窪自主防災倉庫の駐車場になっています。

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(写真)『水窪の民俗』に掲載された昭和初期の水窪市街地図。本町地区。右下に水窪座。

 

2.2 八幡座/八幡劇場(-1960年代中頃)

所在地 : 静岡県磐田郡水窪町(1960年)、静岡県磐田郡水窪町大里(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「八幡劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は工場の廃墟。

大里区にあったのが八幡座/八幡劇場です。1983年の住宅地図では八幡劇場跡地に「川越電子工業水窪工場」があり、現在もこの建物が建っていると思われますが、現地で所有者の名称などは確認できませんでした。大里区の通りから山に向かって路地を上る場所にあり、正面にはふくもと旅館の廃墟がありますが、映画館が営業していた頃から旅館もあったかどうかはわかりません。

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(写真)八幡座跡地にある工場。

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(写真)ふくもと旅館の廃墟。

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(写真)『水窪の民俗』に掲載された昭和初期の水窪市街地図。大里地区。左下に八幡座。

 

2.3 三嶋座/小畑劇場(-昭和20年代初頭)

小畑区の附属寺のすぐ下にあったのが三嶋座/小畑劇場です。1983年の住宅地図では三嶋座跡地に「生活改善センター」が建っています。現在はみしま会館が建っていますが、生活改善センターの建物が転用されたのだと思われます。

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(写真)三嶋座跡地にあるみしま会館。

 

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 (地図)水窪盆地の色別標高図。国土地理院 地理院地図

 

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 (写真)「水窪劇場」と「八幡劇場」が掲載された『映画年鑑 1963年版 別冊 映画便覧 1963』(時事通信社、1963年)。