振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

笠岡市の映画館

f:id:AyC:20210911003313j:plain

(写真)『笠岡市住宅案内図』(日本住宅地図刊行会、1964年頃)。

2021年(令和3年)8月、岡山県笠岡市を訪れました。かつて笠岡市には多数の映画館がありました。「笠岡市立図書館を訪れる」からの続きです。「笠岡諸島の映画館」に続きます。

ayc.hatenablog.com

ayc.hatenablog.com

 

1. 笠岡市街地の映画館

戦後の笠岡市街地には「笠岡セントラル」「笠岡東映劇場」「笠岡中央劇場」「金星映画劇場」「笠岡映画館」「大洋座」の計6館の映画館があり、約1.5km離れた金浦地区にも「金浦座」がありました。

f:id:AyC:20210911022714p:plain

(地図)笠岡市街地の映画館。Googleマイマップ

f:id:AyC:20210911022913p:plain

(地図)金浦地区の映画館。Googleマイマップ

f:id:AyC:20210912191616j:plain

(写真)笠岡市の映画館が最も多かった時代。『映画便覧 1958』時事通信社、1958年。

f:id:AyC:20210912191622j:plain

(写真)笠岡市に2館あった時代。『映画館名簿 1980年』時事映画通信社、1979年。

 

1.1 大洋座(1951年頃-1960年5月31日)

所在地 : 岡山県笠岡市笠岡2869(1960年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1960年5月31日
戦前の同一地点には曙館があった。1953年の映画館名簿では「大洋座」。1955年の映画館名簿では「大洋館」。1958年・1960年の映画館名簿では「大洋座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1964年頃の笠岡市住宅地図では跡地に「スーパーマーケットニュー和信」。跡地は「観照院」南南西50mにある「笠岡中央ふれあい会館」。最寄駅はJR山陽本線笠岡駅

 

1.2 笠岡映画館(1946年-1962年)

所在地 : 岡山県笠岡市笠岡2869(1960年)
開館年 : 1946年頃
閉館年 : 1962年頃
戦前の同一地点には曙館があった。1950年の映画館名簿では「笠岡映画館」。1953年の映画館名簿では「笠岡映画劇場」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「笠岡映画館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1964年頃の笠岡市住宅地図では跡地に「スーパーマーケットニュー和信」。跡地は「観照院」南南西70mにある「株式会社丸民」。最寄駅はJR山陽本線笠岡駅

f:id:AyC:20210911003318j:plain

(写真)「スーパーマーケットニュー和信」が描かれた笠岡市住宅案内図』。

 

1.3 金浦座(1950年-1965年頃)

所在地 : 岡山県笠岡市金浦1048(1963年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1965年頃
1953年・1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「金浦座」。1964年頃の笠岡市住宅地図では「金浦座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「報恩寺」西南西70mにある空き地。最寄駅はJR山陽本線笠岡駅

f:id:AyC:20210911003323j:plain

(写真)「金浦座」が描かれた笠岡市住宅案内図』。

 

1.4 金星映画劇場(1951年3月-1969年頃)

所在地 : 岡山県笠岡市笠岡2127(1969年)
開館年 : 1951年3月
閉館年 : 1969年頃
1953年の映画館名簿では「金星劇場」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「金星映画劇場」。1964年頃の笠岡市住宅地図では「金星劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「笠岡金星映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「浄心寺」南東120mにある駐車場。最寄駅はJR山陽本線笠岡駅

f:id:AyC:20210911003326j:plain

(写真)「金星劇場」が描かれた笠岡市住宅案内図』。

 

1.5 笠岡中央劇場(1955年5月-1970年9月末)

所在地 :岡山県笠岡市笠岡2839(1969年)
開館年 : 1955年5月
閉館年 : 1970年9月末
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1964年頃の笠岡市住宅地図では「中央劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「笠岡中央劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1985年のゼンリン住宅地図では跡地に「山陽相互銀行笠岡支店」。跡地は「トマト銀行笠岡支店」。最寄駅はJR山陽本線笠岡駅

f:id:AyC:20210911003330j:plain

(写真)「中央劇場」が描かれた笠岡市住宅案内図』。

 

1.6 笠岡東映劇場(1878年-1981年11月末)

所在地 : 岡山県笠岡市笠岡5602(1982年)
開館年 : 1878年(祝座)、1903年(戎座)、1930年(大和座)
閉館年 : 1981年11月末
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「大和座」。1960年・1963年の映画館名簿では「笠岡東映」。1964年頃の笠岡市住宅地図では「東映」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「笠岡東映劇場」。1976年・1980年の映画館名簿では「笠岡東映」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1985年のゼンリン住宅地図では跡地に「アキヤ」。跡地は「セントラル歯科・矯正歯科」西80mにある駐車場。最寄駅はJR山陽本線笠岡駅

f:id:AyC:20210911003335j:plain

(写真)「東映」が描かれた笠岡市住宅案内図』。

 

1.7 笠岡セントラル(1960年6月-1985年5月)

所在地 : 岡山県笠岡市笠岡2629(1985年)
開館年 : 1960年6月
閉館年 : 1985年5月
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「笠岡セントラル」。1964年頃の笠岡市住宅地図では「東映セントラル」。1985年のゼンリン住宅地図では「笠岡セントラル」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。少なくとも2008年まで建物が現存。笠岡市最後の映画館。跡地は「セントラル歯科・矯正歯科」。最寄駅はJR山陽本線笠岡駅

(写真)笠岡セントラルが東映セントラル会館として開館した際の短報。「映画館ニュース」『キネマ旬報』1960年4月1日、256号。

f:id:AyC:20210911003339j:plain

(写真)「東映セントラル」が描かれた笠岡市住宅案内図』。

 

笠岡市の映画館について調べたことは「岡山県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(中国・四国版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com


笠岡市立図書館を訪れる

f:id:AyC:20210910232804j:plain

(写真)笠岡市立図書館。

2021年(令和3年)8月、岡山県笠岡市笠岡市立図書館を訪れました。「笠岡市の映画館」「笠岡諸島の映画館」に続きます。

ayc.hatenablog.com

ayc.hatenablog.com

 

1. 笠岡市立図書館

1.1 立地・建物

笠岡市から岡山市までは50km超の距離があり、最寄りの都市は県境を越えた広島県福山市笠岡市福山市の図書館は相互利用が可能です。この時期は福山市中央図書館が書架への立ち入りを不可とする中(※サービスは返却と予約本貸出のみ)、笠岡市立図書館は閲覧席の削減などを行いながら開館していました。
外から見ると「笠岡市立図書館」と「こども図書館」の2棟の建物からなりますが、一般書棟と児童書棟という感じで一体的に運営されています。

f:id:AyC:20210910232808j:plain

(写真)笠岡市立図書館の児童書棟(こども図書館)。

 

1.2 歴史

1954年(昭和29年)7月に中心市街地の遍照寺に笠岡市立図書館が開館。図書館条例が制定されたのもこの時です。慶長11年(1606年)建立で重要文化財遍照寺多宝塔はこの場所に残っていますが、遍照寺自体は1977年(昭和52年)に土地区画整理事業によって移転しています。

1956年(昭和31年)9月には笠岡消防署だった建物の2階に移転。1966年(昭和41年)9月には笠岡医師会館だった建物に移転。1978年(昭和53年)4月に現在地に移転して現行館が開館しています。

1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)には木山捷平の妻から直筆原稿・蔵書・書簡などが寄贈され、笠岡市立図書館に保管されて整理が行われました。2000年(平成12年)には森田思軒の子孫から笠岡市に対して遺稿や手紙などが寄贈され、図書館の閲覧室を改装して森田思軒の展示コーナーが設置されました。

2009年(平成21年)4月には現行館に隣接する勤労青少年ホームの建物が改修され、こども図書館(児童書棟)が開館。本館とこども図書館は連絡通路で結ばれています。

 

1.3 館内:一般書

書架ではくっきりした大きな文字とイラストを用いた分類案内が見やすい。2019年(令和元年)12月に岡山県立大学デザイン学部の学生によって製作されたものだそうです。
利用できる閲覧席は半分となっていましたが、間引かれた席の上をテーマ展示コーナーとする工夫がありました。

f:id:AyC:20210910233232j:plain

(写真)3類と4類の分類案内。

f:id:AyC:20210910233254j:plain

(写真)貸出期間と貸出冊数の案内。

f:id:AyC:20210910233329j:plain

(写真)間引いた閲覧席でのテーマ展示。

f:id:AyC:20210910233306j:plain

(写真)6類の細かい見出し。

f:id:AyC:20210910233310j:plain

(写真)予約が多い本の紹介。

 

1.4 館内:郷土資料

郷土資料の棚にも「0類 総記」「1類 哲学」などの分類見出しがある上に、「0類 雑誌『高梁川』」「2類 郷土の偉人」「4類 カブトガニ」「6類 干拓」など笠岡市の特色に合わせた分類見出しが設けられていました。
笠岡市出身の翻訳者 森田思軒と小説家 木山捷平に関する文献は別置されていますが、別置するまでもない量の題材にも気を配っていてよいですね。

f:id:AyC:20210910233354j:plain

(写真)郷土資料。「4類 カブトガニ」の見出し。

f:id:AyC:20210910233403j:plain

(写真)郷土資料。「0類『高梁川』」「2類『岡山県史』」「2類『笠岡市史』」「2類 郷土の偉人」「6類 干拓」「7類 小野竹喬」などの見出しがある。

f:id:AyC:20210911185214p:plain

(地図)左は1925年の笠岡湾、右は現在の笠岡湾干拓地 - Wikipedia今昔マップ

 

笠岡市立図書館のOPACには未登録されていませんが、カウンターには1964年(昭和39年)頃の『笠岡市住宅案内図』がありました。寄贈されたものとのことで、映画館の跡地を特定するために大いに役立ちました。傷みかけているので複写不可というのは仕方ないですが、岡山県立図書館にはない年代の住宅地図なのでOPACには登録してほしい。

f:id:AyC:20210910233410j:plain

(写真)郷土資料。住宅地図『笠岡市住宅案内図』(日本住宅地図刊行会、1964年頃)。

 

1.5 館内:展示室

2階には森田思軒顕彰コーナーと木山捷平文学コーナーがあります。森田思軒 - Wikipedia1861年-1897年)は翻訳家、木山捷平 - Wikipedia(1904年-1968年)は小説家であり、いずれも笠岡市出身です。

f:id:AyC:20210911001043j:plain

(写真)森田思軒顕彰コーナーと木山捷平文学コーナーの入口。

f:id:AyC:20210911001109j:plain

(写真)森田思軒顕彰コーナー。森田の愛用品。

f:id:AyC:20210911001118j:plain

(写真)木山捷平文学コーナー。年譜と銅像

f:id:AyC:20210911001125j:plainf:id:AyC:20210911001130j:plain

(左)木山捷平文学コーナー。著書など。(右)木山捷平文学コーナー。ゆかりの文学作品。

 

1.6 サービス

帰宅してから笠岡市立図書館について検索したところ、1983年(昭和58年)から市艇「しらさぎ」で笠岡諸島の離島に本を運んでいるというサービスが気になりました。
このサービスは笠岡諸島において1人あたり1冊/年の貸出冊数を生んでいるとのことで、『ライブラリー・リソース・ガイド』はこのサービスについて「極めて印象的」と書いています。

 

公式Twitterではスタッフの日々の仕事が淡々と紹介されているのも味わいがあります。児童書コーナーには児童向けのレファレンスサービスの紹介がありましたが、児童からのレファレンス対応ではレファレンス力が鍛えられそうです。

f:id:AyC:20210911001730j:plain

(写真)児童向けのレファレンスサービスの案内。

 

橋本市の映画館

f:id:AyC:20210909160254j:plain

(写真)橋本東映跡地にあるスーパートーエイ橋本ショッピングセンター廃墟。

2021年(令和3年)9月、和歌山県橋本市を訪れました。かつて橋本市街地には映画館「橋本日活」と「橋本東映」の2館がありました。橋本市全体では計6館の映画館があり、旧・伊都郡高野口町には橋本市街地を上回る3館の映画館があったようです。「橋本市図書館を訪れる」からの続きです。

ayc.hatenablog.com

 

1. 橋本市街地の映画館

1950年代後半から1960年代の『映画館名簿』によると、橋本市街地には映画館「橋本日活」と「橋本東映」の2館がありました。「八千代座」は橋本市街地ではなく岸上地区にあった映画館です。

f:id:AyC:20210908170554j:plain

 

1.1 橋本東映(1939年-1963年頃)

所在地 : 和歌山県橋本市古佐田(1963年)
開館年 : 1939年9月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』では1939年9月開館。1933年の大日本職業別明細図では「明治座」。1955年の映画館名簿では「都映画劇場」。1960年の映画館名簿では「都映」。1963年の映画館名簿では「橋本東映」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の住宅地図では跡地に「●●東映」。1994年の住宅地図では跡地に「スーパートーエイ橋本ショッピングセンター」。「橋本駅」南南東100mにある「スーパートーエイ橋本ショッピングセンター」廃墟。最寄駅はJR和歌山線橋本駅

国鉄和歌山線・南海高野線橋本駅の駅前にあったのが「橋本東映」です。1933年の大日本職業別明細図では、戦後に橋本東映がある場所付近に「明治座」が描かれていますが、明治座は木造の立派な劇場だったようです。1950年代後半の映画館名簿には都映画劇場として、1960年代初頭の映画館名簿には橋本東映として掲載され、1963年頃に閉館したようです。

f:id:AyC:20210908173141j:plain

(地図)「明治座」が描かれた1933年の『大日本職業別明細図』。

f:id:AyC:20210908173417j:plain

(地図)「●●東映」という文字が見える1971年のゼンリン住宅地図。『橋本の町と町屋』に掲載されている。

 

橋本東映跡地の向かいには喫茶パーラー美花があります。この喫茶店から出てきた男性(80代?)に話を聞くと、「喫茶パーラー実花の向かいにあるスーパーの廃屋が『東映』の跡地である。この建物は鉄筋造であり、『東映』の映画館時代から同じ建物だった。駅前なので取り壊して跡地を活用できればよいのだが」とのことでした。

映画館名簿によると橋本東映は木造とのことであり、橋本東映の閉館後に建てかえたビルではないかと思いましたが、"『東映』の映画館時代から同じ建物だった" というのは気になる証言です。

f:id:AyC:20210909160557j:plain

(写真)橋本東映跡地にあるスーパートーエイ橋本ショッピングセンター廃墟。

f:id:AyC:20210909160603j:plainf:id:AyC:20210909160608j:plain

(写真)橋本東映跡地にあるスーパートーエイ橋本ショッピングセンター廃墟。

f:id:AyC:20210909160613j:plainf:id:AyC:20210909160617j:plain

(写真)橋本東映跡地にあるスーパートーエイ橋本ショッピングセンター廃墟。

f:id:AyC:20210908172735p:plain

(写真)1961年の橋本東映周辺。地理院地図

 

1.2 橋本日活(1950年代後半-1970年代初頭)

所在地 : 和歌山県橋本市東家4-4(1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「橋本映劇」。1960年の映画館名簿では「橋本劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「橋本日活」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1994年の住宅地図では跡地に「土生駐車場」。跡地は「橋本簡易裁判所」北東90mにある駐車場。最寄駅はJR和歌山線橋本駅

橋本東映から約600m南西に向かうと、橋本簡易裁判所の近くに橋本日活がありました。映画館跡地自体は変哲のない駐車場や民家となっていますが、跡地北東の路地にはスナック「ねね」「たみちゃん」「廣」「HIYOKO」、スタンド「愛」などの看板が見え、飲み屋街として栄えていた時代の名残がありました。『保存版 橋本・伊都・那賀今昔写真帖』(郷土出版社、2004年)には橋本日活の写真が掲載されています。

f:id:AyC:20210909160632j:plain

(写真)橋本日活跡地。

f:id:AyC:20210908172751p:plain

(写真)1961年の橋本日活周辺。地理院地図

f:id:AyC:20210908172755p:plain

(写真)1974年の橋本日活跡地周辺。地理院地図

 

橋本市の映画館について調べたことは「和歌山県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(和歌山県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com


 

橋本市図書館を訪れる

f:id:AyC:20210909160435j:plain

(写真)橋本市図書館の閲覧室。

2021年(令和3年)9月、和歌山県橋本市橋本市図書館を訪れました。「橋本市の映画館」に続きます。

ayc.hatenablog.com

 

f:id:AyC:20210909171245p:plain

(地図)和歌山県北部における橋本市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1. 橋本市を歩く

橋本駅はJR和歌山線と南海高野線が接続する主要駅であり、駅の南側には紀の川に向かって駅前通りが下っています。公共施設や大規模小売店は約1km南西の国道24号沿いに集中しているようで、駅前は予想よりずっとローカル駅の風情でした。

f:id:AyC:20210909160332j:plain

(写真)駅前通り。橋本駅側から紀ノ川側を見下ろす。

f:id:AyC:20210909160336j:plainf:id:AyC:20210909160341j:plain

(左)駅前通り。紀ノ川側から橋本駅側を見上げる。(右)駅前通りにある「人形とおもちゃの店フランス」廃墟。

 

駅前通りの途中から西に向かって上本町商店街があり、車では入れないほど狭い路地の両側に個人商店が残っています。上本町商店街の東端よりさらに東にはスーパートーエイ橋本ショッピングセンターの廃墟がひっそり残っていますが、この場所は映画館「橋本東映」の跡地でもあります。

f:id:AyC:20210909160345j:plain

(写真)上本町商店街。梶川印刷所や平林医院付近。

f:id:AyC:20210909160350j:plain

(写真)上本町商店街。板垣とうき店付近。

f:id:AyC:20210909160557j:plain

(写真)橋本東映跡地にあるスーパートーエイ橋本ショッピングセンター廃墟。

 

上本町商店街の南西にはアーケードの本町商店街がありましたが、1996年(平成8年)以降の橋本都市計画事業中心市街地第一地区土地区画整理事業で宅地化が進んでいます。 ほとんどの商店は取り壊されたようですが、登録有形文化財に登録されている火伏医院やみそや呉服店は残されています。

f:id:AyC:20210909174743j:plainf:id:AyC:20210909174747j:plain

(左)火伏医院。登録有形文化財。(右)みそや呉服店登録有形文化財

 

2. 橋本市図書館

2.1 図書館の歴史

橋本市教育文化会館の竣工は1975年(昭和50年)7月であり、5階に橋本市図書館が開館したのは1976年(昭和51年)11月。施設の竣工から46年が経ち、フロア案内の字体が歴史を感じさせます。5階のフロア全体を使っている橋本市図書館の床面積は1,400m2。中央の階段室やエレベータールームを開架室が囲む構造になっています。

和歌山県立図書館の『令和3年度要覧』によると、和歌山県の市町村立図書館としては海南市海南図書館(7,850m2)、和歌山市民図書館(7,597m2)、岩出市立岩出図書館(2,848)、田辺市立図書館(2,004m2)に次いで5番目に大きな図書館のようです。
※2021年10月3日に開館予定の新宮市立図書館新館の床面積は不明。

2013年(平成25年)4月1日からは橋本市大阪府河内長野市奈良県五條市において図書館の相互利用(金剛三市公共図書館相互利用)が可能なようですが、3都道府県をまたぐ相互利用は珍しいと思われます。金剛三市という枠組みは初めて知りました。橋本市河内長野市橋本市五條市の組み合わせはともかく、河内長野市五條市も結びつきがあるのでしょうか。

図書館の取り組みとしては、「ビブリオバトル in はしもと」や「橋本市図書館を使った調べる学習コンクール」など、中高生に向けた取り組みが目立つように思われました。2016年(平成28年)に和歌山県情報化推進協議会が主催する「ウィキペディアタウン橋本in高野口」が行われた際には、図書館も文献提供で協力したようです。

f:id:AyC:20210909160359j:plain

(写真)橋本市教育文化会館のフロア案内。

f:id:AyC:20210909160403j:plainf:id:AyC:20210909160407j:plain

(左)図書返却ポスト。(右)図書館のフロア案内。

 

2.2 図書館の館内

児童書コーナーを除けばフロア全体に整然と書架が並べられており、それぞれの書架にはみっちりと本が詰められているため、床面積のわりに開架冊数は多そうです。購入した時代が異なると思われる様々な書架や閲覧席があり、開館から46年という歴史を感じます。

f:id:AyC:20210909160412j:plain

(写真)文芸書の書架。

f:id:AyC:20210909160416j:plainf:id:AyC:20210909160419j:plainf:id:AyC:20210909160423j:plain

(写真)様々な書架。

f:id:AyC:20210909160427j:plainf:id:AyC:20210909160431j:plain

(写真)様々な閲覧席。

 

郷土資料コーナーは「橋本市」と「和歌山県」に分けられており、「高野山」に関する資料が別置されていました。高野山がある伊都郡高野町は図書館未設置自治体であり、高野山に関する資料は橋本市図書館のほうが多いのでしょう。

f:id:AyC:20210909160440j:plain

(写真)郷土資料コーナー。

f:id:AyC:20210909160443j:plainf:id:AyC:20210909160447j:plain

(左)高野山関係資料。(右)橋本市に関する冊子の綴り。

 

郷土資料コーナーでは橋本市に関する新聞記事を集めたスクラップブックの棚が目立ちます。和歌山県には県紙に相当する新聞がなく、和歌山県北部地域で発行されている『わかやま新報』もオンラインデータベースなどはないようです。数百冊あると思われるスクラップブックは地味ですが貴重な郷土資料に見えます。

f:id:AyC:20210909160452j:plainf:id:AyC:20210909160456j:plain

(左)橋本市に関する新聞記事スクラップブック。(右)1981年に南海高野線林間田園都市駅が開業した際の記事。