振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

木曽川町の映画館

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(写真)木曽川東映劇場の建物を転用した倉庫。2020年10月。

2020年(令和2年)10月、愛知県一宮市木曽川町(旧・葉栗郡木曽川町)を訪れました。かつて木曽川町には「木曽川銀映劇場」「木曽川東映劇場」「帝国劇場」の3館の映画館があり、木曽川東映劇場の建物は倉庫として現存しています。

 

1. 木曽川町を訪れる

葉栗郡木曽川町は愛知県の北西端にあった自治体であり、町域の北西側が木曽川に面しています。一宮市津島市・旧尾西市・旧木曽川町などは世界3大毛織物産地とされる「尾州産地」をなし、現在もこの地域を歩くとのこぎり屋根工場 - Wikipediaからガチャガチャという音が聞こえてきます。2008年(平成20年)に完成したJR東海道本線木曽川駅は、のこぎり屋根工場をモチーフにした橋上駅舎です。

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(写真)JR東海道本線木曽川駅

 

2. 木曽川町の映画館

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(写真)木曽川町の映画館。

 

2.1 帝国劇場(1930年頃-1959年頃)

所在地 : 愛知県葉栗郡木曽川町黒田(1960年)
開館年 : 1930年頃
閉館年 : 1959年秋頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「帝国劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「木曽川キリスト教会」。最寄駅はJR東海道本線木曽川駅

木曽川町に3館あった映画館のうち、最も早く閉館したのが「帝国劇場」です。跡地は木曽川キリスト教会のようであり、教会の公式サイトには「1957年(昭和32年)にドイツ人宣教師W・ウエレナー師によって木曽川キリスト教会が開設された。D・ホッテンバッハ師の時代に、旧「帝国劇場」(国定興行社の事務所跡)を購入して木曽川キリスト教会の集会所とした。」と書かれています。

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(写真)帝国劇場跡地の同盟復音木曽川教会。

 

2.2 木曽川東映劇場(1959年頃-1966年)

所在地 : 愛知県葉栗郡木曽川町大字内割田字墓東(1966年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1966年
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「木曽川東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1967年の映画館名簿では「木曽川東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。「十六銀行木曽川支店」南西110mに映画館時代の建物が現存。最寄駅は名鉄名古屋本線新木曽川駅

木曽川東映劇場の建物は織物会社の倉庫として現存し、入口前には織り糸が無造作に置かれていたりします。木造平屋建て、360席の映画館でした。昭和30-40年代に建てられた愛知県の映画館で現存する建物は、木曽川東映劇場を含めて4館だけだと思われます。

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(写真)木曽川東映劇場の建物を転用した倉庫。2019年9月。

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(地図)1960年代の住宅地図。右上に木曽川東映劇場。

 

愛知県に現存する黄金期の映画館建築

「海老劇場」(新城市海老南貝津、1929年竣工)[ブログ記事]

「新豊座」(稲沢市祖父江町祖父江、1950年代初頭竣工?)[ブログ記事]

木曽川東映劇場」(一宮市木曽川町内割田、1950年代末竣工?)本ブログ記事

「一宮国際劇場」(一宮市神山、1957年竣工?)[ブログ記事]

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 (左)映画館の受付だった窓。(右)建物入口前に置かれた織り糸。

f:id:AyC:20201029191006j:plainf:id:AyC:20201029191019j:plain(左)建物の南面。(右)建物の東面と北面。

 

2.3 木曽川銀映劇場(1958年5月3日-1968年頃)

所在地 : 愛知県葉栗郡木曽川町大字黒田字古城1511(1966年)
開館年 : 1958年5月3日
閉館年 : 1966年? 1968年?
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「木曽川銀座劇場」。1963年・1964年の映画館名簿では「木曽川銀座映画劇場」。1966年・1968年の映画館名簿では「木曽川銀映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「V・ドラッグ木曽川店」南東140mの数軒分の民家。最寄駅は名鉄名古屋本線新木曽川駅

JR東海道本線名鉄名古屋本線に挟まれた場所には、木曽川町の中心的な商店街である木曽川銀座通りがあります。JRと名鉄に挟まれた中心商店街という点では知多郡武豊町に似ているかもしれません。木曽川銀映劇場は木造平屋建て、416席の映画館でした。

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(写真)木曽川銀座劇場の開館を報じる記事。「映画館」『キネマ旬報』1958年5月15日、204号。

(写真)1960年代の木曽川銀映劇場周辺の航空写真。地理院地図

 

2022年(令和4年)には愛知県蒲郡市蒲郡市博物館で「なつかしの映画ポスター展」が開催されましたが、この展覧会では木曽川銀映劇場の上映作品チラシや上映スケジュールも展示されていました。

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(写真)1958年と思われる木曽川銀映の上映作品チラシ。蒲郡市博物館所蔵。「なつかしの映画ポスター展」2022年で展示。

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(写真)木曽川銀映の上映作品チラシ。蒲郡市博物館所蔵。「なつかしの映画ポスター展」2022年で展示。

 

銀座通りには「GINZA」のアーチが健在ですが、2020年(令和2年)3月にはミズボウが経営していた木曽川スイミングスクールが営業を終了しました。ミズボウの旧称は水新紡織であり、プールはのこぎり屋根の紡織工場を転用した特徴的な外観でした。跡地には2020年(令和2年)10月29日にV・ドラッグ木曽川店が開店しています。

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(左)木曽川銀座通り。(右)銀座通りにある和洋菓子舗の萬寿堂。左はミズボウ創業家の水野邸。

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(地図)1960年代の住宅地図。中央右に木曽川銀映劇場。

 

2.4 TOHOシネマズ木曽川(2004年-営業中)

所在地 : 愛知県一宮市木曽川町黒田南八ツケ池25-1 イオンモール木曽川内(2020年)
開館年 : 2004年6月24日
閉館年 : 営業中
2004年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2006年・2010年・2012年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ木曽川1-10」(10館)。イオンモール木曽川3階。最寄駅は名鉄名古屋本線黒田駅

2004年(平成16年)にはシネコンの「TOHOシネマズ木曽川」が開館し、約36年ぶりに木曽川町に映画館が復活しました。

なお、2005年(平成17年)には木曽川町尾西市一宮市編入されていますが、一宮市は1990年(平成2年)から2005年(平成17年)まで映画館が存在しない自治体でした。1990年(平成2年)の一宮市の人口は26万人であり、この規模の都市に映画館が存在しないのは異例だったかもしれません。一宮市最後の映画館が閉館した際には中日新聞朝日新聞日本経済新聞などに記事が掲載され、地域情報誌『City-1』では「映画館のない町」という特集が組まれています。

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(写真)TOHOシネマズ木曽川。2018年1月。

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(写真)TOHOシネマズ木曽川。2018年1月。

 

木曽川町にあった映画館について調べたことは「一宮市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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『全国映画館総覧 1955』東海地方

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『全国映画館総覧1955』

 

 

 

5. 東海地方

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(1)静岡県(2)静岡県(3)静岡県(4)静岡県(5)静岡県(6)静岡県

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(7)愛知県(8)愛知県(9)愛知県(10)愛知県(11)愛知県(12)愛知県

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(13)愛知県(14)愛知県(15)愛知県(16)愛知県(17)岐阜県(18)岐阜県

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(19)岐阜県(20)三重県(21)三重県(22)三重県(23)三重県

 

 

今津町の映画館

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(写真)今津教会礼拝堂。

2020年(令和2年)8月、滋賀県高島市今津町(旧・高島郡今津町)を訪れました。かつて今津町には映画館「栄楽座」がありました。

 

1. 今津町を訪れる

滋賀県高島市は湖西地域にある自治体。2005年(平成17年)に高島郡今津町マキノ町安曇川町高島町新旭町朽木村の5町1村が合併して発足しています。

今津町高島郡の郡役所が置かれた町であり、滋賀県を中心に活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築が3棟残っています。銀行・教会・郵便局と役割が異なり、三者三様の外観で通りに溶け込んでいました。

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(写真)今津ヴォーリズ資料館。旧百三十三銀行今津支店。登録有形文化財

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(左)今津教会礼拝堂。登録有形文化財。(右)旧今津郵便局。登録有形文化財

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(写真)1970年代の航空写真におけるヴォーリズ建築と栄楽座の位置。地理院地図

 

2. 今津町の映画館

2.1 栄楽座(1947年-1962年頃)

所在地 : 滋賀県高島郡今津町(1962年)
開館年 : 1947年9月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧1955』によると1947年9月開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「栄楽座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は滋賀県道291号栄町交差点北北東80mの民家。最寄駅はJR湖西線近江今津駅

高島郡今津町唯一の映画館として「栄楽座」がありました。『全国映画館総覧 1955』によると1947年(昭和22年)9月開館とのことですが、写真を見るとファサードの館名が右書きであることから戦前の開館にも思われます。ファサードモルタルの「凸」型であり、本体は和風建築である看板建築だと思われます。

1960年代初頭の閉館後、建物はそのままパチンコ店となり、1983年(昭和58年)には取り壊されたようです。跡地には一見すると古そうな和風建築が建っていますが、よく見ると新しい建物であることがわかります。

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(写真)時期不明の栄楽座。『今津町のあゆみ写真集』(今津町、2004年)

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(写真)栄楽座跡地の民家。

 

今津町にあった映画館について調べたことは「滋賀県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(滋賀県版)」にマッピングしています。

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大須の映画館

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(写真)大須。万松寺通りと大須301ビル。2020年5月。

2020年(令和2年)5月、愛知県名古屋市中区大須を訪れました。かつて大須には名古屋市最大の映画館街がありました。1988年(昭和63年)には大須から映画館がなくなったものの、2019年(平成31年)には「大須シネマ」が開館して30年ぶりに映画館が復活しました。


 

1. 大須を訪れる

大須の象徴である大須観音は、慶長17年(1612年)に美濃国大須(現・岐阜県羽島市)から名古屋に移された真言宗智山派の寺院です。古典籍の大須観音は『古事記』の最古写本(真福寺本、国宝)などを有しています。1892年(明治25年)には境内にあった宝生座の火災(大須大火)で、1945年(昭和20年)には名古屋大空襲で本堂が焼失。仮設の本堂は東向きでしたが、1970年(昭和45年)に現在の本堂が建つ際に南向きに帰られています。

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(写真)大須観音。2020年5月。

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(写真)メインストリートの万松寺通り。2020年5月。


 

2. 大須の映画館

2.1 大須の映画館の歴史

名古屋初の映画上映

1897年(明治30年)2月28日、エジソンが発明したキネトスコープが若宮八幡宮境内の劇場「末広座」で試験上映されました。大阪に次いで日本で2番目の試験上映であり、大阪での上映からわずか18日後のことでした。キネトスコープは翌日の3月1日から15日間にわたって一般公開されましたが、これも大阪に次いで日本で2番目の一般公開でした。

 

名古屋初の映画館

1908年(明治41年)1月には大須に活動写真常設館(映画館)の「文明館」が開館しています。1903年明治36年)10月に開館した東京・浅草の「電気館」、1907年(明治40年)7月に開館した大阪・千日前の「文明館」に次いで、日本で3番目の活動写真常設館でした。浅草・千日前・大須の3地区は、戦前の日本における三大商業地と呼ばれた地区です。

文明館の開館から3か月後の1908年4月、大須2番目の活動写真常設館として「電気館」が開館しています。昭和戦前期には大須の映画館数が23館に達しましたが、名古屋で大須に次ぐ繁華街だった広小路通には2館しか存在していませんでした。

 

戦後の大須

1945年(昭和20年)の名古屋大空襲によって大須の街は焼失し、焼け残ったのは一部の鉄筋コンクリート造館だけでした。戦後にはすぐに営業が再開され、大須観音周辺には「港座」・「太陽館」・「キネマ会館」・「大須新松竹」・「大須東映」(旧文明館)、万松寺周辺には「赤門劇場」・「日活シネマ」・「大須大映」・「東洋劇場」がありました。

戦後のピークは昭和30年代前半であり、大須には14館の映画館がありました。昭和40年代には映画が斜陽産業となり、大須の映画館は相次いで閉館、名古屋の映画館街は名古屋駅前と栄に移っていきました。

 

映画館の消滅と復活

1989年(昭和63年)12月には成人映画館「名画座」が閉館し、大須から映画館が消滅しています。2019年(平成31年)3月には「大須シネマ」が開館し、約30年ぶりに映画館が復活しました。

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(写真)昭和前期の大須商店街案内図。11館もの劇場・映画館が掲載されている。

 

2.2 大須の映画館の位置

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(写真)1958年以後の大須に存在した映画館。地理院地図

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(左)『全国映画館総覧 1955』(時事通信社、1955年)。(右)1955年の大須にあった映画館。

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(写真)1958年の住宅地図。(左)文明館/大須東映の位置。(中)キネマ会館の位置。(右)赤門劇場の位置。

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(写真)1963年の住宅地図。(左)大須観音周辺。(右)新天地映画館街。

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(写真)1985年の住宅地図。(左)名画座。(右)ヘラルドシネプラザ。

 

大須にあった映画館について調べたことは「名古屋市中区の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

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3. 各館

3.1 キネマ会館(1946年-1958年)

所在地 : 愛知県名古屋市中区門前町2-12(1958年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1958年頃
1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「キネマ会館」。1958年の名古屋市全商工住宅案内図帳では「キネマ会館」。1959年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の名古屋市全商工住宅案内図帳では跡地に「喫茶軽食宝塚 車社交場 ショーボート」。現在の跡地は「大光院」西側の有料駐車場「名鉄協商パーキング大須大光院」。

戦後の大須で最も早く開館したのが「キネマ会館」。1946年(昭和21年)12月に洋画専門館として開館し、1954年(昭和29年)にはシネスコ上映館となるも、『映画館名簿』に名前がみられるのは1958年(昭和33年)までです。この年には日本の映画人口(総観客数)がピークに達し、明仁皇太子御成婚を機にテレビが普及しだした1959年(昭和34年)には映画人口が減り始めました。

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(左)名鉄協商パーキング大須大光院。2020年5月。(右)曹洞宗大光院。2020年5月。

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(写真)1956年3月のキネマ会館。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.2 赤門劇場(1952年-1960年頃)

所在地 : 愛知県名古屋市中区矢場町3-71(1960年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1960年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「赤門劇場」。1961年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「三輪神社」の西50mの有料駐車場「鈴木不動産コインパーク大須」。『大須レトロ』で場所確定。

洋画二番館、東宝封切館、洋画三番館、新東宝封切館という変遷をたどったのが名古屋市中公設市場に近かった「赤門劇場」。1918年(大正7年)の米騒動を機に設置された中公設市場は、100年後の2017年(平成29年)に廃止されて取り壊され、2019年(令和元年)9月には跡地に商業施設のマルチナボックスが開業しています。

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(写真)鈴木不動産コインパーク大須。2020年5月。

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(写真)名古屋市中公設市場跡地に2019年に開業したマルチナボックス。2020年5月。

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(写真)1956年6月の赤門劇場(赤門コニー)。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.3 文明館/大須東映(1908年-1961年)

所在地 : 愛知県名古屋市中区門前町4-52(1962年)
開館年 : 1908年1月25日
閉館年 : 1961年12月11日
1908年に日本で3番目の常設映画館として開館。1925年・1930年・1936年の映画館名簿では「文明館」。1950年・1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年・1955年の映画館名簿では「文明館」。1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「大須東映劇場」。1962年の映画館名簿では「大須東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大須仁王門フロント」。

1908年(明治41年)1月25日、名古屋初&日本で3番目の活動写真常設館として開館したのが「文明館」。戦後には同一地点に再建され、映画最盛期には「大須東映」として営業していましたが、1961年(昭和36年)に火災で焼失して閉館しました。

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(写真)左は大須仁王門フロント。路面店串カツ田中大須観音店。2020年5月。

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(左)仁王門通のアーケード西端部。2020年5月。(右)仁王門通大須仁王門フロント。2020年5月。

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(写真)仁王門通。2020年5月。

 

3.4 港座(1920年-1963年)

所在地 : 愛知県名古屋市中区門前町4-8(1963年)
開館年 : 1914年(芝居小屋)、1920年9月20日(映画館化)、1957年(再映画館化)
閉館年 : 1963年
1925年・1930年・1936年の映画館名簿では「港座」。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「大須劇場」。1963年の映画館名簿では「港座」。1964年の映画館名簿では「港文化・港ミュージック」(2館)。1966年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「大須演芸場」と「名古屋企業福祉会館」建物北側。

戦前からあった「港座」は1945年(昭和20年)の名古屋大空襲で焼失した後、1947年(昭和22年)に再建されてストリップ劇場として営業再開。1957年(昭和32年)には映画館化し、1963年(昭和38年)に閉館しています。跡地の一部には大須演芸場 - Wikipediaが建ち、観客の少なさを自らネタにする芸風の演芸場として生き残っているようです。

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(写真)名古屋企業福祉会館。2020年5月。

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(左)大須演芸場。2020年5月。(右)名古屋企業福祉会館と大須演芸場が面する通り。2020年5月。

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(写真)ストリップ劇場時代の1954年3月の港座。公演『尼寺変態愛戯史』に抗議する尼僧団体。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.5 OS劇場(1938年-1969年)

所在地 : 愛知県名古屋市中区門前町3-25(1970年)
開館年 : 1938年1月
閉館年 : 1969年11月
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「大須宝塚劇場」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「OS劇場」。1963年の映画館名簿では「名古屋日劇」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「名古屋日本劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は2018年開店の「スギ薬局大須西店」などが入る「大須ういろビル」。

1938年(昭和13年)に鉄筋コンクリート造4階建てで開館したのが「OS劇場」。赤門通と大須本町通の交差点南東角にありました。1000人を収容する大規模館であり、名古屋大空襲でも戦災を免れています。比較的早い時期の1969年(昭和44年)に閉館し、跡地にはまず名古屋ういろ本社が、2003年(平成15年)には大須ういろビルが建てられています。

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(写真)大須ういろビル。路面店スギ薬局大須西店。2020年5月。

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(写真)1956年のOS劇場。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.6 大須大映劇場(1948年-1970年代初頭)

所在地 : 愛知県名古屋市中区裏門前町1-52(1969年)
開館年 : 1948年5月
閉館年 : 1970年以後1972年以前
1950年の映画館名簿では「平和映画劇場」。1953年の映画館名簿では「日活平和劇場」。1955年の映画館名簿では「名古屋平和劇場」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「大須大映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。万松寺には北から順に日活シネマ、大須大映、名古屋劇場、万松寺日活の4館が並んでいた。現在の跡地は新天地通にある「万松寺パーキングビル」南側。

萬松寺に近い新天地通には4館の映画館が並んでいました。戦前に「常盤館」があった場所には、1948年(昭和23年)に「日活平和劇場」が開館。1954年(昭和29年)には中部地方初の大映直営館となり、「大須大映劇場」に改称しています。

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(写真)万松寺パーキングビル。路面店ツクモ名古屋1号店 デジタル・モバイル館。2020年5月。

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(写真)1956年2月の大須大映。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.7 名古屋劇場(1947年-1972年)

所在地 : 愛知県名古屋市中区裏門前町1-52(1970年)
開館年 : 1947年7月
閉館年 : 1972年6月
1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「名古屋劇場」。1960年の映画館名簿では「万松寺松竹」。1963年の映画館名簿では「東宝名古屋劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「松竹名古屋劇場」。1970年の映画館名簿では「東宝名古屋劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は1977年竣工の「第1アメ横ビル」。

新天地通に並んでいた4館の中で南から2番目にあったのが「名古屋劇場」であり、主に松竹作品を上映しました。南側の2館、名古屋劇場と「万松寺日活」は巨大な木造館であり、1972年(昭和47年)に火災で焼失しています。跡地には大須アメ横ビルが建ち、電気街としての大須の中心的存在です。

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(写真)第一アメ横ビル。路面店ツクモ名古屋1号店。2019年11月。

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(写真)1956年4月の名古屋劇場。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.8 万松寺日活(1951年-1974年頃)

所在地 : 愛知県名古屋市中区大須3-30-80(1974年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1974年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「万松寺日活映画劇場」。1955年の映画館名簿では「万松寺日活」。1958年の映画館名簿では「万松寺日活映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「万松寺日活劇場」。1966年の映画館名簿では「万松寺日活映画劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「万松寺日活劇場」。1973年・1974年の映画館名簿では「万松寺日活映画劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「万松寺ビル」建物北西部。万松寺には北から順に日活シネマ、大須大映、名古屋劇場、万松寺日活の4館が並んでいた。

名古屋の日活系洋画封切館としては、大須の「万松寺日活」と栄の「名古屋日活」の2館がありました。1974年(昭和49年)頃に閉館し、跡地には万松寺ビルが建っています。東の大津通から新天地通まで、ビル内を萬松寺の「全国に類のない都市計画参道」が通っています。

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(写真)万松寺ビル。路面店タイトーステーションフェドラ大須店。2019年11月。

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(左・中)新天地通。2020年5月。(右)単立寺院の萬松寺。2020年5月。

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(写真)1956年4月の万松寺日活。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.9 日活シネマ(1951年-1976年頃)

所在地 : 愛知県名古屋市中区大須3-30-96(1976年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1976年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日活シネマ」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「万松寺日活シネマ」。1976年の映画館名簿では「日活シネマ」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。万松寺には北から順に日活シネマ、大須大映、名古屋劇場、万松寺日活の4館が並んでいた。跡地は新天地通にある「万松寺パーキングビル」北側。

1951年(昭和26年)に洋画の二本立上映館として開館した「日活シネマ」は、新天地通の映画館街では最も遅い1976年(昭和51年)まで生き残っています。アーケードの北端近くにありました。

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(写真)万松寺パーキングビル。路面店ツクモ名古屋1号店 デジタル・モバイル館。2020年5月。

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(写真)1956年4月の日活シネマ。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.10 東洋劇場(1955年-1979年頃)

所在地 : 愛知県名古屋市中区大須3-24-26(1979年)
開館年 : 1955年11月1日
閉館年 : 1979年頃
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「東洋劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年・1979年の映画館名簿では「中映東洋劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大須公園」北西隣にある1982年竣工のマンション「ライオンズマンション大須」。

1952年(昭和27年)に演劇場として開館、1955年(昭和30年)に映画館化して洋画二番館となったのが「東洋劇場」です。大須公園の北西角にあり、人通りの多いアーケード通りからはやや離れた場所にあります。

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(写真)大須公園とライオンズマンション大須。2020年5月。

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(写真)1955年11月の開館時の東洋劇場。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.11 太陽館(1921年-1985年)

所在地 : 愛知県名古屋市中区大須2-16-26(1985年)
開館年 : 1921年、1946年
閉館年 : 1985年3月29日
1925年・1930年・1936年の映画館名簿では「太陽館」。1950年の映画館名簿では「グランド劇場」。1953年の映画館名簿では「ムービ太陽」。1955年の映画館名簿では「ムービー太陽」。1958年・1960年の映画館名簿では「大須東宝」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「大須太陽館」。1986年・1990年の映画館名簿には掲載されていない。晩年は成人映画館。跡地は喫茶店「シャポーブラン大須本店」。

1921年(大正10年)7月5日、文明館・電気館に次いで大須で3番目の活動写真常設館として「太陽館」が開館。後に日本ヘラルド映画の創業者となる古川為三郎が経営し、「グランド劇場」や「大須東宝」などの名称だった時代もあります。跡地はヘラルドグループのヘラルドフーズ大須工場となり、その後はやはりヘラルドグループの喫茶店であるシャポーブラン大須本店がありました。シャポーブランは2020年(令和2年)3月10日に閉店し、10月現在の跡地は商業施設の建設用地となっています。

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(左)シャポーブラン大須観音店。2019年10月。(写真)シャポーブラン大須観音店跡地。2020年5月。

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(写真)1956年3月の大須東宝(太陽館)。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

 

3.12 名画座(1950年-1988年)

所在地 : 愛知県名古屋市中区大須2-20-30(1988年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1988年12月
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「大須名画座」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「名画座」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「大須名画座」。1989年・1990年の映画館名簿には掲載されていない。晩年は成人映画館。大須最後の映画館。跡地は衣料品店クリーミー 大須観音店」があるマンション「宝マンション大須」。

松竹上映館、名画座東宝封切館、成人映画館という変遷をたどったのが「名画座」。映画評論家の木全公彦は、1960年代の若松孝二監督の作品群や、1965年の新藤孝衛監督作『雪の涯て』、1970年の梅沢薫監督作『濡れ牡丹 五悪人暴行篇』、1969年の武田有生監督作『好色一代 無法松』、1965年の武智鉄二監督作『黒い雪』などのピンク映画を大須名画座で鑑賞しています。大須では最後まで生き残った映画館でしたが、1988年(昭和63年)に経営者が死去したことで12月頃に閉館しました。『大須レトロ』などは閉館年を1989年(平成元年)と書いていますが、1988年(昭和63年)12月中に建物が取り壊されているのは間違いありません。

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(左)クリーミー大須観音店。2020年5月。(右)クリーミー大須観音店の隣にあるタピオカ DING TEA大須観音店。2020年5月。

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(写真)大須観音通り。2020年5月。

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(写真)1956年3月の名画座。『大須レトロ』(樹林舎、2010年)より。

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(写真)「“シネマの大須”灯消える 『名画座』も閉館 80年の歴史、最盛期は17館 新しい魅力づくり 商店主たち決意」『読売新聞』1988年12月20日

 

3.13 ヘラルドシネプラザ(1964年-2004年)

所在地 : 愛知県名古屋市中区栄3-35-34(2000年)
開館年 : 1964年12月25日
閉館年 : 1999年9月(部分閉館)、2004年2月22日(完全閉館)
1963年の名古屋市全商工住宅案内図帳では後の映画館の場所に「大林組材料置場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1976年の映画館名簿では「中日シネラマ劇場・中日シネラマ地下劇場」(2館)。1980年の映画館名簿では「中日シネラマ劇場・中日シネラマ地下劇場・シネマA」(3館)。1985年の映画館名簿では「中日シネラマ劇場・中日シネチカ劇場・シネマA」(3館)。1990年の映画館名簿では「ヘラルドシネプラザ1・2・3」(3館)。1995年の映画館名簿では「シネプラザ1・シネプラザ2・シネプラザ3・シネプラザ50」(4館)。2000年の映画館名簿では「シネプラザ2・シネプラザ4・シネプラザ50」(3館)。跡地はまずディスコ「OZON」となったが2004年に閉店し、現在の跡地は2019年2月竣工の「栄タワーヒルズ」。

栄の中でも大須に近い場所にあったのが、1964年(昭和39年)に開館した「ヘラルドシネプラザ」です。シネラマスクリーンを設置した日本で最後のホールだそうで、横25.4m×縦9.4mのスクリーンは1999年(平成11年)の閉館時点で日本最大でした。2019年(令和元年)には跡地に栄タワーヒルズが竣工し、2020年(令和2年)には名古屋刀剣ワールドが開館予定だったことでも話題を集めました(※コロナ禍のため開館延期)。

1897年(明治30年)2月28日に名古屋で初めて映画の上映が行われた「末広座」は、栄タワーヒルズの北側付近にあったようです。

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(写真)栄タワーヒルズ。2020年5月。

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(左)栄タワーヒルズの下層階。2020年5月。(右)大須本町通り。奥に栄タワーヒルズ。2020年5月。

 

3.14 大須シネマ(2019年-)

所在地 : 愛知県名古屋市中区大須3-27-12(2020年)
開館年 : 2019年3月31日
閉館年 : 営業中
Wikipedia大須シネマ
2019年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「大須シネマ」。

昭和最後の年に映画館がなくなった大須の地に、平成も終わろうとする2019年(平成31年)3月31日に開館したのが「大須シネマ」です。同年10月には大須シネマ - Wikipediaを作成しています。

大須の衣料品雑貨店経営者がNPO法人を設立して運営していましたが、2020年(令和2年)3月にはコロナ禍を名目上の理由として休館。他の映画館が営業を再開した後も休館を続けていましたが、8月24日には運営体制を一新して営業を再開しています。運営元はNPO法人から大須のデザイン会社 株式会社大丸に代わっています。

ja.wikipedia.org

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(写真)大須シネマ。2020年5月。

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(左)受付。2019年7月。(中)座席とスクリーン。2019年8月。(右)座席。2019年8月。

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(左)世界の山ちゃん大須シネマ店。2019年11月。(中)ロビー。2019年11月。(右)フロアマップ。2019年11月。