振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

木之本町の映画館

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(写真)映画館「日吉座」の建物を転用した割烹・仕出し店「日吉座」(日吉屋)。

2020年(令和2年)8月、滋賀県長浜市木之本町を訪れました。かつて木之本町には映画館「日吉座」がありました。

 

1. 木之本町を訪れる

近世の木之本町は北国街道の宿場町として栄えた町であり、近代には伊香郡役所が置かれています。2010年(平成22年)には伊香郡の他町とともに長浜市編入されました。

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(写真)滋賀県における長浜市木之本町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1.1 北国街道

南北に延びる北国街道が木之本町のメインストリートであり、木之本市街地の中心には木之本地蔵院があります。

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(写真)木之本市街地。地理院地図

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(左)JR北陸本線木ノ本駅。 (右)木之本地蔵院。

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(写真)木ノ本駅と北国街道を結ぶ地蔵坂。 

 

1.2 木之本の和風建築

木之本市街地には2軒の酒蔵が現存しますが、桑酒で知られる山路酒造は天文元年(1532年)創業、「七本槍」の冨田酒造は天文3年(1534年)創業と、いずれも日本でも有数の古さだと思われます。

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(写真)山路酒造。

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(左)北国街道の町並み。(右)本陣薬局旧本店。

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(左)あいたくて書房。(右)ますや書店。

 

1.3 木之本の近代建築

江戸時代から近代の和風建築が並ぶ北国街道で異彩を放っているのが、1935年(昭和10年)竣工の登録有形文化財、きのもと交遊館(旧滋賀銀行木之本支店)。本来なら木之本の街歩きの起点になる施設だと思われますが、この日は休館日でした。

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(写真)きのもと交遊館。登録有形文化財

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(左)つるやパン。(右)つるやパンのサラダパン - Wikipedia

 

2. 江北図書館

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(写真)江北図書館。

 

2.1 図書館の歴史

木之本町に公立図書館は存在せず、私設図書館である江北図書館 - Wikipedia(こほくとしょかん)が公共図書館の役割を果たしています。1907年(明治40年)開館の江北図書館は「滋賀県に現存する最古の図書館」。1953年(昭和28年)時点では「滋賀県に6館しかない図書館のひとつ」、1993年(平成5年)までは「伊香郡唯一の図書館」であり、「個人が設立して100年以上にわたって運営が続けられてきた私立図書館は他に類を見ない」とのことです。

1926年(大正15年)に冨田酒造の冨田八郎が無報酬の館長に就任すると、90年以上・3代に渡って冨田家の当主が館長を務めています。1981年(昭和56年)頃からは冨田家14代目当主で経済学者でもある冨田光彦 - Wikipediaが館長を続けています。

ja.wikipedia.org

 

2.2 図書館の館内

上記のWikipedia記事を作成したのは2016年(平成28年)のことですが、江北図書館を訪れるのは今回が初めてでした。1階西側が児童書室、1階東側が一般書室であり、2階は開架書庫のような位置づけです。

玄関脇のガラスケースには坪内逍遥訳『新修シェークスピヤ全集』(中央公論社、1933年-1935年)が展示されていました。江北図書館の総蔵書数5万冊のうち1万冊は明治大正期の書籍だそうで、昭和初期の『新修シェークスピヤ全集』は古い蔵書とは言えないかもしれません。

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(左)1階の児童書室。(中)1階の一般書室と扁額。(右)講堂だった2階。現在は物置。

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(左)テーマ展示「麒麟がくる」。(中)絵本作家の長谷川義史と小説家の阿刀田高の色紙。(右)地域再生大賞と滋賀県文化賞の表彰状。

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(左)坪内逍遥訳『新修シェークスピヤ全集』(中央公論社、1933年-1935年)。(右)『世界文学全集』(新潮社、1927年-1932年)。

 

 

3. 木之本町の映画館

3.1 日吉座(昭和初期-1965年頃)

所在地 : 滋賀県伊香郡木之本町(1963年)
開館年 : 昭和初期
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿では「日吉館」。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「日吉座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館時代の建物は割烹・仕出し店「日吉座」(日吉屋)として現存。

木之本町には映画館「日吉座」がありました。日吉座は伊香郡唯一の映画館であり、昭和初期から1965年(昭和40年)頃まで営業していたようです。日吉座の建物は北国街道の西側に並行する通り沿いに現存し、「凸」型のモルタル壁が目印です。母体は同一地点にあった料理旅館であり、「旅館に併設された映画館」という位置づけだったようです。

2017年(平成29年)公開の映画『カメラを止めるな』で有名になった映画監督の上田慎一郎木之本町出身。1984年(昭和59年)生まれの上田が育った時代の木之本町に映画館はなく、長浜市にも映画館がなかったため、彦根市のビバシティシネマ彦根まで映画を観に行っていたそうです。

2017年(平成29年)7月には木之本地区地域づくり協議会の主催で「第1回きのもと映画祭」が開催され、2018年(平成30年)には第2回映画祭が、2019年(令和元年)には第3回映画祭が開催されています。

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(写真)北から見た日吉座跡地。

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(写真)南から見た日吉座跡地。 

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(写真)日吉座跡地。地理院地図

 

木之本町にあった映画館について調べたことは「滋賀県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(滋賀県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

刈谷歴史の小径(東海道)を訪れる

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(写真)今川町2丁目の街並み。

2020年(令和2年)10月、愛知県刈谷市を訪れました。旧東海道沿いに古い民家が残っており、刈谷市がパンフレット「歴史の小径 東海道」を発行しています。名鉄名古屋本線富士松駅から南に向かって歩きました。

 

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(写真)密度が濃かった1960年代の東海道

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(地図)1893年の陸地測量部1:20000地形図。

 

1. 今川町

乗蓮寺(今川町2丁目602)

乗蓮寺(じょうれんじ)は真宗大谷派の寺院。今川町と今岡町にある3寺院の中で、本堂が東海道を向いているのは乗蓮寺だけ。境内はややこじんまりとしていますが、山門と本堂の両方が本瓦葺なのも乗蓮寺だけです。「乗蓮寺スダジイ」は樹齢約800年、樹高約10メートル、幹周り約6.1メートルで、刈谷市指定天然記念物に指定されています。運が良ければ境内で三毛猫に会えます。

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今川町1丁目・2丁目の民家

早川邸(今川町2丁目)。東海道を南北に分断している愛知県道282号のすぐ南側。

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杉山邸(今川町2丁目)。東海道を南北に分断している愛知県道282号のすぐ南側。

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塚本K邸(今川町1丁目)。名鉄名古屋本線富士松駅から東海道に出る場所にある塚本K邸は、東海道の街並みに配慮して建て替えられた民家のようです。同じく今川町1丁目にある加塚邸も、街並みに配慮して2010年代に建て替えされています。

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塚本T邸(今川町2丁目)。

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有限会社彌平(やへい、今川町2丁目)は木製建具の製造・施工・修繕などを行っているそうです。

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加塚邸(今川町1丁目)。

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岡田邸(今川町2丁目)。

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2. 今岡町

乗願寺(今岡町西畑61)

乗願寺(じょうがんじ)は真宗木辺派の寺院。洞隣寺の7年後の天正15年(1587年)創建。当初は地蔵寺と称し、表向きは浄土宗、実態は浄土真宗の寺院だったそう。新しそうな本堂には刈谷城主(誰かは不明)の位牌が祀られているようです。

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愛宕山(今岡町宮本)

この地にあった榎を切り倒した際に歯痛に苦しんだ若者が、京都から愛宕神社の分神を祀ったことで愛宕山と呼ばれるようになった地点。東海道よりわずかに高くなっています。

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ひもかわうどん発祥地(今岡町日向)

江戸時代前期の『東海道名所記』(浅井了意)や江戸時代後期の『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)に見える「芋川うどん」(ひもかわうどん)の発祥地がこの地であるとする木碑。

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洞隣寺(今岡町日向14)

洞隣寺(とうりんじ)は曹洞宗の寺院。天正8年(1580年)創建とのことで、東海道沿いに町が生まれたのと同時に建てられたのでしょう。2020年(令和2年)竣工の本堂がまぶしい。台地の縁にあることから眺望がよく、広い境内を持て余しているようにさえ感じます。墓地には「中津藩士の墓」「めったいくやしいの墓」などの史跡があり、境内の入口には寛政8年(1796年)建立の常夜燈があります。

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十王堂(今岡町新町)

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今岡町宮本・日向・新町の民家

近藤製麺所(今岡町宮本)。

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藤田邸(今岡町宮本)。

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小川邸(今岡町日向)。

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井上邸(今岡町日向)。

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澤田邸(今岡町新町)。

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鳥取市の映画館

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(写真)鳥取砂丘

2020年(令和2年)9月、鳥取県鳥取市を訪れました。

※2024年4月には本記事から「鳥取県立図書館を訪れる」を分割しました。

 

ayc.hatenablog.com

1. 鳥取市における映画館の歴史

2020年(令和2年)現在の鳥取県には「MOVIX日吉津」(6館)、「倉吉パープルタウン シネマエポック」(3館)、「鳥取シネマ」(2館)の3施設の映画館があり、それぞれ西部の米子都市圏、中部の倉吉都市圏、東部の鳥取都市圏に所在します。県庁所在地である鳥取市にはわずか2館しかなく、山口県山口市(0館)、奈良県奈良市(0館、実質的には9館)に次いで日本で3番目にスクリーン数が少ない県庁所在地です。その他でスクリーン数が少ない県庁所在地には、山梨県甲府市(3館)、島根県松江市(5館)などがあります。

鳥取県全体で3施設という映画館施設数も少ないのですが、隣接する島根県は「松江東宝5」(5館)と「T・ジョイ出雲」(10館)のわずか2施設。鳥取市のスクリーン数は47都道府県中45位、鳥取県の施設数は47都道府県中46位と、どちらも最下位を回避しています。

 

各年版の『映画館名簿』に掲載されている映画館について、鳥取県立図書館が所蔵する住宅地図で場所を特定しました。また鳥取県立図書館の郷土資料や日本海新聞のデータベースで映画館の情報を探し、「消えた映画館の記憶 - 中国地方の映画館」に登録しています。

昭和30年代の鳥取市における最大の映画館街は末広温泉町であり、現在も飲食店やホテルが集中する繁華街です。2014年(平成26年)まで全蓋式アーケードがあった川端通り(川端銀座)にも2館があり、川端通りも袋川北側における繁華街だったようです。鳥取都市圏にはシネコンが存在したことがないため、映画館が閉館した時期はばらばらで傾向を見いだせません。

2000年(平成12年)以降の新聞記事を閲覧できる日本海新聞のデータベースによると、2000年(平成12年)に「鳥取映画史 第5部」という連載が、2005年(平成17年)に「鳥取映画史 第6部」という連載があり、自治体別/館別にかつて存在した鳥取県の映画館が紹介されています。オンラインデータベースには登録されていない第1部から第4部の内容も気になります。

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(写真)1960年代の航空写真における鳥取市中心市街地の映画館。

 

2. 鳥取市の映画館

2.1 スパル映劇(1948年-1961年)

所在地 : 鳥取県鳥取市吉方町777(1960年)
開館年 : 1948年、1953年12月(新築?)
閉館年 : 1961年8月
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月開館。1950年の映画館名簿では「文化映劇」。1953年の映画館名簿では「丸十映画劇場」。1955年の映画館名簿では「鳥取スバル座」。1958年の鳥取市住宅案内図では「スパル座」。1958年・1960年の映画館名簿では「鳥取スバル」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「スパル映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図では跡地に「アキチ」。跡地はビジネスホテル「ホテルアルファーワン鳥取」南南東70mの居酒屋「因幡宿」。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

東京の有楽町スバル座に由来するのが1948年(昭和23年)開館の「鳥取ル」。スバル興行から離れる際に改称し、1956年(昭和31年)には「スル映劇」という奇妙な名称になっています。1956年以後も『映画館名簿』には(誤字とみなされたようで)鳥取スバルとして掲載されています。

 

2.2 大森映劇(1956年-1962年)

所在地 : 鳥取県鳥取市大森町780(1963年)
開館年 : 1956年3月
閉館年 : 1962年11月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の住宅地図では「大森劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「大森映劇」。1960年の住宅地図では「大森映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図では跡地に「安東」邸と「シバタフードセンター大森店」。跡地は「マルワ相生店」敷地南西角。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

末広温泉町の映画館街から1.5km北、川端通りの映画館街から1km北にあったのが「大森映劇」です。1960年代の航空写真に映っている住宅群は鳥取市営大森団地や鳥取県相生町団地のようで、住宅地図によるとこれらの団地の一角に映画館がありました。経営者は同じく二番館の「立川映画劇場」と同一です。1960年代の航空写真では団地の西側に農地が広がっていますが、現在は鳥取城北高校などが立地しています。

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(写真)1960年代の航空写真における大森映劇。

 

2.3 栄楽館(1961年-1972年)

所在地 : 鳥取県鳥取市東品治町113-7(1969年)
開館年 : 1961年12月
閉館年 : 1972年6月
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の鳥取市住宅詳細図では「栄楽館」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「栄楽館」。1969年の住宅地図には掲載されていない。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「ホテルナショナル」北西の居酒屋「大阪新世界山ちゃん鳥取駅前店」。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

末広温泉町の映画館街では後発組だったのが、永楽通りに面する洋画上映館の「栄楽館」です。通りの名前と映画館名が異なりますが誤りではないようです。

 

2.4 日の丸劇場(1955年-1969年)

所在地 : 鳥取県鳥取市今町2(1969年)
開館年 : 1955年4月
閉館年 : 1969年7月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の鳥取市住宅案内図では「日の丸劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日ノ丸劇場」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「日の丸映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「鳥取日の丸劇場」。1969年の住宅地図では鳥取大丸の北側に「日ノ丸映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「鳥取大丸」。跡地は「鳥取大丸」建物北東角。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

1955年(昭和30年)4月、鳥取大丸の北側に建設費1億円をかけて開館したのが「日の丸劇場」ですが、1969年(昭和44年)にはもう閉館したとのこと。開館時には『キネマ旬報』の新館紹介欄にも掲載されましたが、"日の丸" ではなく "日の出" と誤記されています。

(写真)「新館紹介」『キネマ旬報』1955年6月1日、第120号。

 

2.5 立川映画劇場(1954年-1970年代中頃)

所在地 : 鳥取県鳥取市立川2(1973年)
開館年 : 1954年6月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1954年6月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「松竹座」。1958年の鳥取市住宅案内図では「松竹座」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「立川映劇」。1963年の映画館名簿では「立川映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図では「立川映劇」。1969年・1973年の映画館名簿では「鳥取立川映画劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「立川公園」西のアパート「スタンドリバー」。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

鳥取市街地東部の立川町にあったのが「立川映画劇場」です。岩美郡の町から鳥取城下を訪れる際に必ず通る町であり、江戸時代後期から栄えていたようです。1952年(昭和27年)の鳥取大火で被害を受けていない町であり、戦前の商家なども残っているようです。近くには中川酒造があります。鳥取市中心市街地から離れた場所にある「大森映劇」と「立川映画劇場」は同一の経営者でした。

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(写真)1960年代の航空写真における立川映画劇場。

 

2.6 鳥取世界館(1914年-1978年)

所在地 :鳥取県鳥取市川端2丁目(1976年)
開館年 : 1914年、1947年8月
閉館年 : 1978年(移転)
『全国映画館総覧 1955』によると1947年8月開館。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「世界館」。1958年の鳥取市住宅案内図では「世界館」。1960年の映画館名簿では「鳥取世界館」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「世界館映画劇場」。1963年の映画館名簿では「世界館」。1969年の住宅地図では「世界館映劇」。1969年・1973年の映画館名簿では「鳥取世界館」。1976年の映画館名簿では「鳥取ニュー世界」。1978年に川端から南吉方に移転。1980年の住宅地図では跡地に「Sマート(シバタフードセンター)」。跡地はスーパーマーケット「エスマート川端店」。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

1914年(大正3年)に鳥取県3番目の映画館として開館した歴史のある映画館が「鳥取世界館」です。1978年(昭和53年)には鳥取駅南側に移転し、やがて「シネマスポットフェイドイン」に改称しています。川端通り時代の跡地にあるスーパーマーケットのエスマート川端店の建物は古そうに見え、1978年以後に建てた建物かどうか疑問が残るのですが、古い鳥取世界館の写真とは異なるように思われます。

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(写真)川端通り。右のスーパーが鳥取世界館跡地、右奥のマンションが鳥取名画座跡地。街路灯の場所にかつて世界館のアーチがあった。

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(写真)1970年の世界館。『写真アルバム 鳥取因幡の昭和』(いき出版、2012年)。

 

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(左)川端通り。2014年までこの部分には全蓋式アーケードが設置されていた。(右)世界館も登場する川端二丁目の説明。

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(写真)エスマート川端店。(左)砂丘地農業のらっきょう畑。(右)鳥取砂丘らっきょう。

 

2.7 鳥取名画座(1955年12月末-1986年1月)

所在地 : 鳥取県鳥取市川端町1-214(1985年)
開館年 : 1955年12月末
閉館年 : 1986年1月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「名画座」。1958年の鳥取市住宅案内図では「名画座」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「名画座映画劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「鳥取名画座」。1969年の住宅地図では「名画座」。1980年の住宅地図では「名画座(豊島商事)」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2002年竣工のマンション「ポレスター鳥取川端」専用駐車場。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

鳥取世界館」と同じく川端通りにあった映画館が日活封切館の「鳥取名画座」です。1972年(昭和47年)以降は日活ロマンポルノの上映が多かったようで、鳥取世界館よりも遅くまで川端通りで存続しています。

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(写真)鳥取名画座跡地のマンション。 

 

2.8 鳥取末広映劇(1950年以前-1980年代後半)

所在地 : 鳥取県鳥取市末広温泉町(1985年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が書かれていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「末広映画劇場」。1958年の鳥取市住宅案内図では「末広映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「鳥取末広映画劇場」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「末広映画劇場」。1963年の映画館名簿では「末広映画劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「鳥取末広映画劇場」。1969年の住宅地図では「末広映劇」。1980年・1985年の映画館名簿では「鳥取末広映劇」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパーマーケット「エスマート末広店」建物南側。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

末広温泉町に1980年代後半まで存続した東宝系の映画館が「鳥取末広映劇」です。川端通りの「鳥取世界館」と同じく、跡地はスーパーマーケットのエスマートです。

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(写真)1984年の鳥取末広映劇。『写真アルバム 鳥取因幡の昭和』(樹林舎、2012年)。

 

2.9 松竹鳥取映劇(1956年4月-1991年2月)

所在地 : 鳥取県鳥取市末広温泉町779(1990年)
開館年 : 1956年4月
閉館年 : 1991年2月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の鳥取市住宅案内図では「鳥取映劇」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「鳥取映劇」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「鳥取映劇」。1969年の住宅地図では「鳥映会館」。1985年・1990年の映画館名簿では「松竹鳥取映劇」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「ホテルアルファーワン鳥取」東南東50mの有料駐車場「Tパーク末広」。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

1956年(昭和31年)に開館した鳥取市初のシネマスコープ劇場であり、1961年(昭和36年)の火災後に再建されてからも鳥取市最大の洋画上映館だったのが「鳥取映劇」です。1975年(昭和50年)には松竹の直営館となり、館名に松竹が冠されています。

 

2.10 シネマスポットフェイドイン(1978年-2006年10月29日) 

所在地 : 鳥取県鳥取市南吉方1-112(2005年)
開館年 : 1978年(世界館移転)、1991年(フェイドイン)
閉館年 : 2006年10月29日
1978年に川端から南吉方に移転。1980年の住宅地図では「世界館」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「鳥取世界館」。1995年の映画館名簿では「シネマスポットフェイド インWEST・EAST」(2館)。2000年の映画館名簿では「シネマスポットフェイドインWest・East」(2館)。2005年の映画館名簿では「シネマスポットフェイド インWEST・EAST」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東富安公園」東の整骨院「はっぴー骨盤 猫背整骨院整体院」。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

1978年(昭和53年)には川端通りにあった「鳥取世界館」が鳥取駅南側に移転し、110席と70席の小規模映画館として再出発。1991年(平成3年)には改装して「シネマスポットフェイドイン」に改称し、2006年(平成18年)に閉館しています。

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(写真)2000年代の航空写真におけるシネマスポットフェイドイン。

 

2.11 鳥取シネマ(1949年12月-営業中)

所在地 : 鳥取県鳥取市栄町606 まるもビル3階(2020年)
開館年 : 1949年12月、1979年7月(ビル化)
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「富士館」。1958年の鳥取市住宅案内図では「鳥取東映」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「鳥取東映」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「鳥取東映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「鳥取東映劇場」。1969年の住宅地図では「鳥取東映」。1976年の映画館名簿では「鳥取東映」。1980年ビル化。1980年の映画館名簿では「鳥取東映劇場・鳥取東映パラス劇場」(2館)。1985年の映画館名簿では「鳥取東映劇場・鳥取東映パラス」(2館)。1990年の映画館名簿では「鳥取東映鳥取東映パラス」(2館)。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「鳥取東映シネマ1・2」(2館)。2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「鳥取シネマ1・2」(2館)。鳥取県東部唯一の映画館。最寄駅はJR山陰本線因美線鳥取駅。

鳥取シネマはまるもビルという商業ビルに入っているビル型映画館であり、2006年(平成18年)以後は鳥取市唯一の映画館です。JR鳥取駅から徒歩3分程度の好立地であり、大通りに面している点でも見つけやすい映画館です。ビルの3階と4階に1つずつスクリーンがあり、チケット販売やグッズ/飲食物の売店は4階のみのようですが、エレベーター内の階数ボタン横にも上映作品名が書かれている点が親切だと思いました。

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(写真)駅前通りの若桜街道。右の高いビルが鳥取シネマ。

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(左)鳥取東映シネマという旧称が残るビルの看板。(右)鳥取シネマのビルの入口。

 

鳥取市にあった映画館について調べたことは「鳥取市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(鳥取県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 

「ウィキペディアにゃウン vol.3」に参加する

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(写真)2018年に閉校となった京丹後市丹波小学校。

2020年(令和2年)9月20日京都府京丹後市峰山町で行われた「ウィキペディアにゃウン vol.3」に参加しました。この週末に開催された地域おこしイベント「こまねこまつり」の一企画として実施されています。

 

1. イベント概要

1.1 こまねこまつり

2016年(平成28年)から峰山町金刀比羅神社 (京丹後市) - Wikipedia周辺で毎年開催されている「こまねこまつり - Wikipedia」(公式サイト)。全国的に見て珍しい狛猫(狛犬の変種)の存在に着想を得た地域おこしイベントであり、「ねこ」「丹後ちりめん - Wikipedia」「現代アート」などがキーワードのようです。2018年(平成28年)にはこまねこまつりの一企画としてウィキペディア編集イベント「ウィキペディアにゃウン」が初開催され、ウィキペディアにゃウンの開催は今年で3回目です。

丹後地方における絹織物の歴史は享保5年(1720年)に遡るといい、2020年(令和2年)は丹後ちりめん創業300周年の年でした。本来ならばこまねこまつりにとって節目となる年であり、コロナ禍の影響で大々的な宣伝を行えなかったものの、感染症予防対策を入念に行った上で今年も開催されました。なお、2020年(令和2年)9月1日付で金刀比羅神社の狛猫が京丹後市指定文化財に指定されています。

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(左)2020年版こまねこまつりのポスター。(右)金刀比羅神社

 

1.2 参加者

参加者は約15人であり、京丹後市網野町弥栄町や大宮町の在住者、阪神間地域在住のウィキペディアンなどがいました。また、京都府立大学地域創生coc+プログラム(地域社会との連携強化による地域課題解決の取り組み)の一環で、京都府立大学の公共政策学部と文学部から学生3人がイベントに参加してくださいました。

 

2. 丹波区の街歩き

今回のイベントは京都丹後鉄道峰山駅に集合し、峰山市街地の北東にある丹波区を歩きました。集合場所の峰山駅から丹波区まで、丹波区から編集会場の金刀比羅神社までは1-2km離れているため、参加者の自家用車に分乗しています。

街歩きガイドはこまねこまつり実行委員会ウィキペディアにゃウン事務局の小山元孝さん。小山さんは丹後における神社の研究をされており、2016年度に編纂が完了した京丹後市史編さん事業にも深く関わっています。

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(写真)丹波小学校閉校之碑の前で説明する街歩きガイドの小山さん。 

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(左)丹波区を歩く参加者。(右)相光寺。

 

参加者は旧丹波小学校、相光寺、多久神社、湧田山古墳群、丹波の大溝の各スポットを歩きました。山裾にある多久神社は式内社であり、立派な彫物や女性画のある社殿内部を近くから鑑賞できる珍しい構造でした。拝殿の中央部を通行できる割拝殿という形式は京都府や丹後地方に多いようです。

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(写真)多久神社。(左)社名標と鳥居。(右)社殿。

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(写真)多久神社。(左)丹後地方に多い割拝殿。(中)社殿の立派な彫刻。(右)社殿の内部。

 

湧田山古墳群では比高40m分の山登りも行いました。地形のふくらみ全体が古墳となっている網野銚子山古墳と比べるとわかりにくい古墳ですが、張られているロープを支えにしながら墳墓の頂上まで登ったことで、全長約100mという規模感を確認できました。

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(写真)湧田山古墳群がある山を登る参加者。

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(左)丹後半島最大の河川である竹野川。(右)小西川と丹波の大溝の交差部。

 

3. ウィキペディア編集

3.1 文献

今回のイベントでは京丹後市立峰山図書館・京丹後市立あみの図書館、京都府立図書館、京都府久美浜高校図書館などから文献が集められています。峰山図書館や久美浜高校図書館は郷土に関する新聞記事のスクラップブックを作成しています。新聞記事は書籍での言及とは異なる視点で書かれているため、丹波小学校の記事などに役立ちました。

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(写真)準備された文献。(左)広報みねやまや峰山町制要覧。(右)京丹後市史など。

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(写真)峰山町に関するスクラップブック。丹波小学校の新聞記事。

 

3.2 編集記事

今回のイベントでは8記事が新規作成、2記事が加筆されました。大字、古墳、神社、郷土芸能、寺院、石造物、用水路、小学校、律令国、郡と、編集記事のジャンルはバラエティ豊かであり、峰山町丹波(や峰山町)について広い視点から情報を発信できたのではないかと思います。イベント終了後もしばらくは参加者によって編集が続けられました。新規作成された8記事のうち7記事は投票によって質が評価され、Wikipediaのメインページに掲載されています。

峰山町丹波 - Wikipedia(新規作成)

湧田山古墳群 - Wikipedia(新規作成)

多久神社 - Wikipedia(新規作成)

丹波の芝むくり - Wikipedia(新規作成)

縁城寺 - Wikipedia(新規作成)

狛猫 - Wikipedia(新規作成)

丹波の大溝 - Wikipedia(新規作成)

京丹後市立丹波小学校 - Wikipedia(新規作成)

丹波国 - Wikipedia(加筆)

中郡 (京都府) - Wikipedia(加筆)

 

4. 旧丹波小学校

私は峰山町丹波の地区記事と京丹後市丹波小学校の学校記事を新規作成しました。丹波区の中で特に興味を持った題材は丹波小学校です。児童数の減少によって2018年(平成30年)に閉校となり、組織としては廃止されたものの校舎が残っているという状況。Googleマップや最新の道路地図からは名前が消え、ウェブ検索でも情報が見えにくくなりつつある学校です。

当面は地域の施設として活用されるようですが、校舎が取り壊される日はいつか来ます。丹波小学校の記憶は地域住民の頭の中からも徐々に消えていくでしょうが、記憶が薄れたとしても記録が残っている世界がいいですね。

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 (左)丹波小学校の二宮金次郎像。(右)丹波小学校の遊具。