(写真)一宮国際劇場の建物を転用した月極駐車場。
2020年(令和2年)10月、愛知県一宮市を訪れました。名鉄一宮駅・JR尾張一宮駅の西側の駅西と呼ばれる地区にはかつて「一宮国際劇場場」があり、その建物は月極駐車場として現存しています。
1. 一宮市を訪れる
人口約38万人の一宮市は尾張地方の中心都市であり、2021年(令和3年)には中核市への移行を控えています。近代のこの地域は繊維業で栄え、日本国内最大の毛織物産地「尾州産地」として知られています。
2. 一宮駅西の映画館
「一宮国際劇場」の建物は一宮市神山に現存します。昭和30-40年代に建てられた愛知県の映画館で現存する建物は、一宮国際劇場を含めて4館だけだと思われます。同じ一宮市の起(旧・尾西市)にあった「尾西映画劇場」も長らく建物が現存していたのですが、2020年(令和2年)2月に取り壊されたようです。
愛知県に現存する黄金期の映画館建築
「海老劇場」(新城市海老南貝津、1929年竣工)[ブログ記事]
「新豊座」(稲沢市祖父江町祖父江、1950年代初頭竣工?)[ブログ記事]
「木曽川東映劇場」(一宮市木曽川町内割田、1950年代末竣工?)[ブログ記事]
「一宮国際劇場」(一宮市神山、1957年竣工?)本ブログ記事
2.1 一宮国際劇場(1955年頃-1960年代中頃)
所在地 : 愛知県一宮市八幡通3-3(1963年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年以後1966年以前
地図 : 「消えた映画館の記憶地図」一宮市付近
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年・1958年・1959年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「一宮国際劇場」。1959年の住宅地図では「一宮国際劇場」。1960年・1963年の全商工住宅案内図帳では「国際劇場」。1963年の映画館名簿では「一宮メトロ劇場」。1966年の住宅地図協会ポータブル住宅地図では跡地に「パチンコマルコセンター」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の全商工住宅案内図帳では跡地に「カネスエ駅西店」。
一宮市の中心市街地は名鉄一宮駅・JR尾張一宮駅の東側に広がっており、かつて約10館の映画館がありました。駅の西側は駅裏と言える側であり、映画館は「一宮国際劇場」の1館だけ、それも1960年代中頃にはすでに閉館しています。跡地はまずパチンコ店に、続いてスーパーマーケットとなり、現在は月極駐車場となっています。
松本勝二『史録いちのみや』(郷土出版社、1986年)には開館時期が1957年(昭和32年)5月、閉館時期が1971年(昭和46年)3月と書かれていますが、『映画館名簿』に掲載されている時期(1956年版から1963年版)とは整合性が取れません。この文献以外で国際劇場に言及している書籍は確認できていません。
(写真)一宮国際劇場の建物を転用した月極駐車場。
(地図)1963年の全商工住宅案内図。中央に「国際劇場」。
1970年のゼンリン住宅地図。一宮国際劇場跡地にカネスエ駅西店。
(写真)一宮国際劇場の建物を転用した月極駐車場の正面。建物正面の壁面には「いちばやさん ジャンボ市 グリンP」と書かれている。
(写真)一宮国際劇場の建物を転用した月極駐車場の側面。経営者の家(?)が併設されている。
(写真)一宮国際劇場の建物を転用した月極駐車場の内部。鉄骨で補強されている。3枚目には階段の痕跡があり、映画館閉館後に2階部分が取り壊されたと思われる。
(写真)一宮国際劇場の建物を転用した月極駐車場の内部。ホールだった部分と通路だった部分では床面の色が異なる。3枚目には2階相当の高さに非常口がある(トマソン)。
(写真)1960年代の一宮国際劇場周辺。地理院地図
(写真)現在の一宮国際劇場跡地周辺。地理院地図
一宮駅西にあった映画館について調べたことは「一宮市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。