振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

小田原市立図書館を訪れる

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(写真)小田原城の桜並木と星崎記念館。

2019年(平成31年)3月末、神奈川県小田原市小田原市立図書館を訪れました。

※2024年2月、本記事から「小田原市の映画館」を分割しました。

 

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小田原市は神奈川県西部に位置する人口約20万人の自治体。小田原城の城下町でもあり、東海道の宿場町でもありました。

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(地図)神奈川県における小田原市の位置。©OpenStreetMap contributor

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(地図)小田原城址公園における小田原市立図書館の位置。©OpenStreetMap contributor

 

1. 小田原市立図書館

1.1 図書館の歴史

小田原の図書館の歴史は長い。1890年(明治23年)に伊藤博文書籍館の建設を進めたことに始まり、報徳文庫や辻村文庫などの私設図書館を経て、1916年(大正5年)には公立図書館の足柄下郡図書館が開館。1933年(昭和8年)には郡図書館からの移譲を受けて小田原町立図書館が開館しました。

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(写真)1933年から1954年の小田原町立図書館/小田原市立図書館。『小田原・足柄今昔写真帖』。1956年以前に発行された写真の著作物であるためパブリック・ドメイン(PD)。

 

戦後の1954年(昭和29年)には小田原市民会館大ホールの場所に移転。1958年(昭和33年)に星崎記念館という名称の現行館が開館しています。アメリカに農業移民して成功した星崎定五郎からの寄付金5万ドル(約1800万円)を基金とし、神奈川県補助金500万円、小田原市費1285万円を合わせて建設したものだそうです。

1958年の開館時の星崎記念館は、"大都市を除く全国の図書館のうちでは最も大きく立派な建物" (『星崎記念館開館50周年記念誌』)だったそうで、市立図書館建設ブームの先駆者となったそうです。1994年(平成6年)には市内2番目の図書館として小田原市立かもめ図書館が開館しています。

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(写真)星崎記念館の開館を伝える記事。『小田原市報』1959年11月25日、第116号、p.1。公表後50年が経過した団体名義の著作物であるためパブリック・ドメイン(PD)。

 

愛知県内の現役図書館でもっとも古い建物は豊橋市向山図書館(1967年開館)であり、次いで名古屋市千種図書館(1968年)、蒲郡市立図書館(1969年)、常滑市立図書館・瀬戸市立図書館・刈谷市城町図書館(1970年)です。1950年代竣工の建物で現存するのは豊田市立図書館旧館(1954年)くらいだと思われますが、現在は博物館の収蔵庫となっています。そんな時代の建物が現役図書館として使われているのは驚きです。

下の写真は1960年と1967年の星崎記念館です。2枚目の写真は本ブログ冒頭の構図とほぼ同じ。1枚目の写真は南側から石垣越しに映していますが、現在は木々が邪魔で図書館の姿はほとんど見えないのではないかと思います。また南側は1980年(?)に増築がなされており、現在は1枚目の写真とは姿が変わっています。

3階では特集展示「星崎記念館の歩み」を開催しており、開館時の写真も使って60年の歴史を紹介していました。展示期間は「当分の間」。雑だな。これ以外にテーマ展示は見あたりませんでしたが、見逃してしまったのでしょうか。

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(写真)1960年の星崎記念館。『小田原市勢要覧 1960年』。

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(写真)1967年の星崎記念館。『小田原市勢要覧 1967年』。

 

1.2 図書館の館内

星崎記念館の1階には児童室があり、2階には郷土資料室があり、3階には一般開架室があります。この建物にはエレベーターがなく、塗装のはげた傾斜の急な階段を上る必要があります。BDSも未導入でしょうか。3階カウンターの背後にある小荷物専用昇降機(ダムウェーター)は現役で使用されているものなのかどうか気になりました。これだけ古いと施設のいろいろな点が気になって楽しいです。

2階の郷土資料室は古き良き図書館という感じで静まり返っていました。後から映画館跡地をめぐるために住宅地図を閲覧したのですが、1988年以前のものがありません。これにはがっかり。古い図書館だから古い地域資料が充実しているというわけでもないのですね。

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(写真)小田原市立図書館の入口。

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(写真)「星崎定五郎氏胸像」。

 

1.3 今後の動向

小田原駅東口には広域交流施設が建設される予定であり小田原駅から小田原城址公園に向かう際には工事現場の脇を通りました。2018年5月に着工しており、2020年6月にオープンする予定。14階建てのホテルがランドマークとなりますが、6階には小田原市小田原駅東口図書館が入るそうです。これにともなって、2020年4月には小田原市立図書館が廃止され、小田原市立かもめ図書館が小田原市立中央図書館に改称される予定です。

本エントリー冒頭には小田原城址公園における小田原市立図書館の位置を示す地図を掲載しました。2020年以降に建物が取り壊されると、ウェブ上の地図には掲載されなくなります。小田原市立図書館がどこにあったのかもわからなくなってしまうかもしれません。閉館まであと1年強となった小田原市立図書館。小田原城を観光する際にはぜひ立ち寄ってみてください。

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(写真)星崎記念館。

 

大磯町立図書館を訪れる

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2019年3月、神奈川県の大磯町立図書館を訪れました。大磯町は平塚市の西隣にある自治体で、ホテルや別荘などが多い保養地として知られている町です。

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(地図)神奈川県における大磯町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

大磯町立図書館

図書館の沿革

JR東海道本線大磯駅から海側に300m下った場所に大磯町立図書館があります。道路に面した部分は切妻屋根であり、1階にも2階にも大きな窓ガラスがはめ込まれた外観が印象的。図書館前の道路は交通量が多いため、建物と道路の間にポーチを設置してワンクッション置いています。

 

1954年(昭和29年)にはこの場所に単独館の図書館が建設され、1983年(昭和58年)には同一地点で現行館への建て替えを行いました。設計は和設計事務所。1987年(昭和62年)の第3回日本図書館協会建築賞を受賞しており、日本建築協会賞や神奈川県建築コンクール優秀賞も受賞しているようです。1983年の開館時から閉館時間は19時と遅く、開館時から貸出返却にコンピュータを導入していたということです。

 

1階

地域資料以外の書籍はすべて1階にあります。建物に入って左側が一般書、右側が児童書。児童書部分は2階層分の吹き抜けになっています。一般書の書架は、下部が斜めになっているタイプの木製書架。日野市立中央図書館などと同じです。所狭しと並ぶ書架には本がびっしりと詰め込まれています。壁面書架が占める比率が大きいことからも、やや圧迫感を感じます。

児童書部分は吹き抜けや窓の存在で開放的。奥まった場所にある小部屋、入口脇にもあるガラス窓の小部屋と、いわゆる "おはなし室" が2つありました。しかしおはなし室として使われているのは前者のみであり、後者はリサイクル本コーナーとして使われています。この建物の中でいちばん明るくにぎやかな場所だけに、この使い方はなんだか残念です。

児童書部分から見える半屋外の場所には消防車が止まっています。この場所は消防署分団駐車場であり、消防署分団駐車場を組み込んで図書館を設計したのだそうです。

 

2階

児童書部分の上部の吹き抜けはこの図書館の特徴で、設計段階では2階から1階を見下ろせるのが売りだったはず。でも今は2階の手すり部分に書架が置いてあったりして、見下ろせる場所は意図的に制限されている気がする。1階から2階に響いてくる子どもの声を和らげたり、2階から1階を無断で撮影させるのを防ぐためかな。

 

2階は地域資料コーナー「まちの資料室」や学習室(会議室)や和室など。地域資料コーナーには吉田文庫(吉田茂 - Wikipedia)、坂西文庫(坂西志保 - Wikipedia)、大岡文庫(大岡昇平 - Wikipedia)がありますが、図書館年報や館内の掲示などでこれらの文庫の詳細を知ることはできません。吉田文庫は吉田茂の長男で文学評論家の吉田健一から寄贈を受けた図書、坂西文庫は坂西志保の遺族であるヨハネから寄贈を受けた図書だそうです。

私は関東の人間ではないので、大磯町が有名な保養地であることとか、伊藤博文吉田茂など多数の政財界人と関係が深いことはよく知りません。大磯町民なら小学生でも知っているのかもしれないけれど。図書館がその町の特徴を改めて知る場になっているといいですね。

 

地域資料コーナーの一角には、1968年(昭和43年)以降の「大磯関係新聞記事切り抜き」のスクラップブックがありました。この時代からクリッピングを続けている図書館が全国にどれだけあるでしょうか。この時代から意識が高い。データベースがない時代の新聞記事切り抜きはとても役に立ちます。珍しく住宅地図はすべて開架にあり、大磯町の住宅地図は1966年(昭和41年)や1972年(昭和47年)のものもありました。この時代の住宅地図を所蔵している町立図書館は少ないはずです。

 

なお、1983年(昭和58年)の開館時の2階は展示コーナーだったようですが、1991年(平成3年)の改修時に地域資料コーナーに変えられたようです。図書館の特徴のひとつだったスペースがたった8年でつくりかえられてしまうのは、設計者としては歯がゆいのでは。

訪れた3月末は図書館での学習者が少ない時期ですが、それでも会議室は学習室として使用されていました。会議に使う場合以外は、年間を通じて学習室として使用されているのでしょう。

 

blog.livedoor.jp

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(写真)「大磯関係新聞記事切り抜き」。1983年の大磯町立図書館開館時の新聞記事。

 

大磯町の映画館

戦前の大磯町の映画館

1909年(明治42年)7月4日には大磯町初の常設芝居小屋として、国鉄大磯駅南の大雲寺近くに「大磯座」が開館しました。1910年(明治43年)には大磯座でで初めて活動写真を上映。伊藤博文国葬の映画だったそうです。1925年(大正14年)には大磯町初の常設映画館として南本町に「大磯キネマ」が開館しました。

 

大磯ドライブインシアター(1993-2010)

戦後には町営映画館の設立を模索する動きがあったそうですが、戦後の大磯町に映画館が設立されることはありませんでした。しかし、1993年10月には、大磯プリンスホテル第一駐車場に「ドライブインシアターMovix大磯」(後に「大磯ドライブインシアター」)がオープンしました。日本初のシネコンであるワーナー・マイカル・シネマズ海老名が開館してから半年後のことです。

車1台に1人乗車だと1600円、車1台に2人以上乗車だと3200円というのは他のドライブインシアターと同等ではありますが、1人あたり1万1000円という "大磯プリンスホテル宿泊セット" があったというのが特徴的。デートで映画を観た後にホテルを使いたいカップル、旅行で大磯を訪れた家族連れなんかに支持されたのかな。

 

ドライブインシアターのピークは1990年頃とされます。シネコンが増え続ける中で大磯ドライブインシアターは17年も営業。2010年10月11日に閉館した際には "日本最後のドライブインシアター" だったようです。なお、2017年夏には7年ぶりに大磯ロングビーチでのドライブインシアターが期間限定復活し、2018年夏にも同様のイベントが開催されたそうです。なぜこれだけ長く営業できたのかは気になるため、神奈川県立図書館に大磯ドライブインシアターについてのレファレンスを行っています。

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(写真)大磯ロングビーチと大磯プリンスホテルWikipedia Commonsより。作者 : Mznuma。

 

熱海市立図書館を訪れる

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(写真)熱海市立図書館。

2019年(令和元年)3月末、静岡県熱海市にある熱海市立図書館を訪れました。

※2021年6月には本記事から「熱海市の映画館」を分割しました。

 

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1. 熱海市立図書館

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(地図)静岡県熱海市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1.1 図書館の歴史と特徴

1915年(大正4年)には田方郡熱海町に町立熱海図書館が開館。しばしば熱海に滞在したB文芸評論家の坪内逍遥も図書館の設置に協力しており、開館時の蔵書の中心は逍遥の蔵書でした。

その後、逍遥先生記念町立熱海図書館、逍遥先生記念市立熱海図書館、市立熱海図書館、熱海市立図書館と名を変えながら、100年以上に渡って途切れることなく歴史が続いており、熱海市立図書館は「静岡県に現存する最古の図書館」であるとされます。その歴史の深さに興味を持ち、2016年(平成28年)9月には「熱海市立図書館 - Wikipedia」を作成しました。

(写真)坪内逍遥

 

施設面では東京電力熱海営業センタービルを賃貸借している点、蔵書面では温泉資料コーナーや熱海市立図書館デジタルライブラリーなど、運営面ではカウンターボランティアの存在が特徴として挙げられます。建物に入ってすぐの場所には大きな文字で「熱海の歩みを学べる図書館」「市民が集える図書館」「市民と共に創っていく図書館」という方針が掲げられています。

 

1.2 民間施設の賃貸借

2009年(平成21年)から熱海市は、東京電力熱海営業ビルの3階から5階を賃貸借して図書館として利用しています。東電ビルは傾斜地にあるため、図書館への入口は4階です。4階にはブラウジングコーナー・地域資料・文芸書などがあり、3階には児童書、5階には一般書があります。図書室外の階段またはエレベーターを使って移動する必要があり、各階で図書館が分断されてしまっています。3階層それぞれにカウンターが設置されており、各階にカウンターボランティアが常駐しています。

なお、多目的ホールや図書館が入る複合施設「熱海フォーラム」の建設して移転する構想がありますが、PFI方式の採用に対する市民からの反対意見もあり、2020年東京オリンピック後まで凍結されているようです。

(写真)熱海市立図書館の建物。

 

1.3 地域資料と温泉資料

熱海市の市制施行は1937年(昭和12年)であり、静岡市浜松市沼津市清水市に次いで静岡県で5番目でした。地域資料コーナーには戦前や戦後すぐの時代の熱海について書かれた資料も多数あります。保養地として東京方面との交流が深く、神奈川県に接していることもあって、地域資料は「熱海市」、「静岡県」、「神奈川県」に分類されています。

地域資料コーナーの隣には温泉資料コーナーがあります。2019年3月29日の蔵書点検日に、それまで展示書架にあったコーナーを移動させたばかりだそうです。なお、空いた展示書架にはヤングアダルトコーナーの拡張に用いられる予定で、『この世界の片隅に』などの漫画が置かれるのだそうです。

温泉資料コーナーの蔵書は約200冊。雑誌の『温泉批評』『温泉科学』『週刊 日本の名湯』から、参考図書の『温泉大百科』、学術書の『温泉権の研究』まで、温泉に関する様々な文献が集められているのですが、観光客などが「熱海の温泉」について簡潔に知りたい時に役に立つかといえば疑問でした。熱海市には公立の資料館や博物館はないようであり、温泉資料を書架に詰め込むだけでなく、よりわかりやすい形で提示する意義はあると思います。

 

新聞コーナーには「2019年4月から日本経済新聞の紙媒体の購読を取りやめる」旨の貼り紙がありました。熱海市立図書館では「静岡新聞データベース plus 日経テレコン」を導入しており、紙媒体からデータベースへの移行を促したいのだと思われますが、購読を取りやめてしばらくは苦情もありそうです。

豊富にある歴史的な文献を活かすための熱海市立図書館デジタルライブラリーの存在は大きいです。2018年(平成30年)12月には電子書籍の貸出も開始されていますが、静岡県では磐田市浜松市に次いで3番目。地域の歴史を重視し、かつ文献のデジタル化も重視している点に好感が持てます。

 

1.4 カウンターボランティア

熱海市立図書館にはカウンターボランティアが配置されており、図書の貸出・返却、書架の図書整理、図書の修復作業を行っています。『広報あたみ』によると同様のボランティアの存在は「全国でも例がない」のだそうです。私が観察していた限りでは、カウンターにはボランティアしかいませんでした。複写の申請や書庫資料の出納を行いましたが、対応してくださったのはいずれもボランティアでした。

60代以上と思われるボランティアも複数いましたが、30代・40代と思われる男性のボランティアも複数いました。30代のボランティアの方と軽く話しましたが、この方は熱海市民ではなく沼津市民とのことです。JR東海道線で来るとしたら交通費がかかるし、自家用車で来るとしたら峠を越える必要があります。カウンターボランティアという制度がどのような仕組みで成り立っているのか気になりました。逍遥のように白いヒゲを蓄えたボランティアの方もいましたが、この方は名物ボランティアとして知られているに違いないです。

珍しい存在が興味深い一方で、カウンターボランティアの利用者への対応はややルーズで危なっかしさも感じます。また、司書や正規職員の顔が見えず、最初に対応してくださるのがボランティアだとわかっているため、レファレンスもしづらいです。

 

1.5 写真撮影申請の対応

カウンターで(ボランティアの方に)「館内の写真を撮りたい」と言ったところ、まずは正規職員と思われる方に取り次いでくれ、それから管理室長という肩書の方に取り次いでくれました。この日は館長が不在であり、この方は館長に次ぐ地位の方だと思われます。

「写真は撮ってもよいが、肖像権などの問題があるため利用者を写さないように」「写真を(論文などで)外部に出す場合は、図書館に対してメールで改めて申請してほしい」とのことでした。

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(左)利用者用入口脇が定位置(?)という珍しい移動図書館車。(右)図書館入口と図書返却ポスト

 

志摩市立図書館を訪れる

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(写真)庭園越しに見た志摩市立図書館。

2019年(平成31年)3月、三重県志摩市阿児町鵜方(あごちょううがた)を訪れました。

 

1. 阿児町鵜方を訪れる

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(地図)三重県志摩市の位置。©OpenStreetMap contributors。

 

志摩市は2004年(平成16年)に浜島町大王町志摩町阿児町磯部町の5町が合併して発足した市。志摩市役所や志摩市立図書館は阿児町鵜方(あごちょううがた)にあり、志摩市の中心となるのが近鉄鵜方駅のようです。

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(写真)近鉄志摩線鵜方駅。バス乗り場などがある南口。

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(地図)阿児町鵜方の中心部。地理院地図

 

1.1 鵜方の街並み

鵜方駅でバス乗り場やタクシー乗り場があるのは南口。南口正面には古びた3-5階建てのビル群があり、人工的に築かれた町並みの匂いを感じました。「阿児町鵜方 - Wikipedia」を読むと、1960年代には「約6haの水田が埋め立てられ、東西300mに及ぶ近代的なビル街が出現した」のだそうです。現在は歯抜けになっていますが、当時の町民や観光客は驚いたのではないでしょうか。なお、このWikipedia記事を書いたのは有名なMiyuki Meinakaさんです。

1960年代の航空写真を見ても駅南側には水田が広がっているばかりですが、上記の記述からこの航空写真は1966年以前ということがわかります。南口からは志摩市の各地区に向かうバスが発着しており、またテーマパークの志摩スペイン村に向かうバスも発着しています。

鵜方駅北口には、線路と並行してさびれた商店街が広がっています。商店街通りと並行して北側にある通りが昔の街道でしょうか。石積みやコンクリート塀で敷地を囲っている民家が多い。街道のさらに北側には志摩市立鵜方小学校があり、この場所はかつて鵜方城があった場所だそうです。

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(左)鵜方駅南側の街並み。3-5階建てのビル群。(右)鵜方駅北側の街並み。さびれた商店街。

 

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(写真)鵜方の旧市街地。旧街道と思われる道。

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 (写真)鵜方の旧市街地。旧街道と思われる道。

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 (写真)鵜方の旧市街地。

 

2. 志摩市立図書館

2.1 図書館の建物

志摩市立図書館は鉄筋コンクリート造2階建てですが、外観には煉瓦風タイルが用いられており、東京駅を模しているそうです。なぜ東京駅を模しているのかはわかりませんでしたが、こじつけでもいいのでストーリーが欲しいですね。今回は館内の写真を撮りませんでしたが、こちらのブログなどでわかるように、館内も格調高さを感じさせるような設計です。

一般開架部分の天井は2層分の高さで開放感があり、重厚感ある木製の書架やソファは品があります。1991年の開館当時、阿児町の人口はわずか2万人。Wikipediaによると「総事業費は13億5658万円」とのことで、町の規模に不釣り合いなほどの施設だと感じました。

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(写真)正面から見た志摩市立図書館。

 

2.2 近年の動向

2004年(平成16年)の合併前には、5町のうち3町に図書館があったそうですが、この図書館(旧・阿児町立図書館、現・志摩市立図書館)以外の2館は図書室に格下げされたようです。志摩市立図書館の郷土資料は、5町それぞれの資料ごとに分けて並べられていました。

2013年(平成25年)には三重県で初めて電子書籍の貸出を開始。英虞湾に面する志摩市は大きな平地が少なく、中小規模の地区が点在しています。地理的な制約から図書館に来るのが難しい市民は多いと思われ、電子書籍をいち早く取り入れたのは素晴らしい取り組みです。

なお、志摩市立図書館は2019年度に大規模改修工事を行うため、2019年(平成31年)4月1日から2020年(平成32年)4月末までの約1年間は利用できません。

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(写真)志摩市立図書館と庭園。

 

3. 阿児町鵜方の映画館

3.1 志摩国際劇場(1953年4月20日-2008年頃)

所在地 : 三重県志摩郡阿児町鵜方(2008年)
開館年 : 1953年4月20日、1967年8月(建て替え)
閉館年 : 2008年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2008年の映画館名簿では「志摩国際劇場」。2009年の映画館名簿には掲載されていない。。近鉄志摩線鵜方駅西側の踏切のすぐ北東の建物。「中華あこや」の南側の建物。

 近鉄鵜方駅のすぐ西側には志摩国際劇場という映画館がありました。1995年(平成7年)のゼンリン住宅地図には鵜方国際劇場(志摩国際劇場ではない)として掲載されており、2000年(平成12年)の映画館名簿にもまだ志摩国際劇場の名前があります。人口わずか2万人の旧阿児町で21世紀まで映画館が営業していたことは驚きです。晩年は成人映画館だったのではないかと思われますが、ウェブではまったく言及がないのでわかりません。

住宅地図以外では『阿児町商工会四十年の歩み』(2001年)で名前が確認できただけ。どんな映画館だったのか気になります。2019年(平成31年)3月時点では建物が現存しており、入口の扉やその隣のシャッター部分は映画館の面影を残しています。

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(写真)志摩国際劇場。鵜方駅のホーム西端部が見える。

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(写真)志摩国際劇場の入口。

 

志摩市の映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(三重県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 

参考文献

「特集 志摩市立図書館」志摩地域みっちゃく生活情報誌『さみっとくらぶ』2018年10月号

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。