振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

鳥羽市立図書館を訪れる

 f:id:AyC:20190327181835j:plain

(写真)鳥羽市立図書館。

2019年(平成31年)3月、三重県鳥羽市を訪れました。鳥羽市立図書館に立ち寄ってから伊勢湾に浮かぶ神島を訪れました。

※2024年2月には本記事から「鳥羽市の映画館」を分割しました。

 

ayc.hatenablog.com

1. 鳥羽市を訪れる

鳥羽市は志摩地方の中心都市であり、近世には鳥羽藩の城下町だったものの、人口は1.8万人にすぎません。南勢の主要都市である伊勢市が隣接してあり、伊勢市定住自立圏に組み込まれているようです。

鳥羽市には鳥羽水族館ミキモト真珠島などの観光スポットがあります。有人島の離島として菅島、答志島、坂手島、神島があり、三河湾の3島と同様に手軽に行ける離島観光地となっています。

ayc.hatenablog.com

f:id:AyC:20190327183636p:plain

 (地図)鳥羽市の位置。©OpenStreetMap contributors。

 

2. 鳥羽市立図書館

近鉄・JR鳥羽駅から南に2.3km、安楽島大橋で加茂川を超えた先には、鳥羽市域で数少ない大きな平地が広がっています。この平地に鳥羽中央公園、鳥羽市民の森公園、三重県鳥羽高校などがあり、鳥羽市民の森公園の中に鳥羽市立図書館があります。1960年代の航空写真を見ると、この平地は堤防でせき止められた池だったようにも見えます。

f:id:AyC:20190327190109p:plainf:id:AyC:20190327190112p:plain

(左)1960年代の航空写真。(右)現在の地形図。いずれも地理院地図。

 

2.1 図書館の館内

鳥羽市立図書館 - Wikipediaは2階建てですが、開架はすべて1階にあるワンフロア型の図書館。入って正面にカウンターがあり、左手に一般図書エリアが、右手に児童図書エリアが、右奥に郷土資料室があります。

f:id:AyC:20190327182129j:plain

(写真)一般書の書架。

f:id:AyC:20190327182130j:plain

 (写真)一般書の書架。

f:id:AyC:20190327182146j:plain

(写真)一般書の書架。

f:id:AyC:20190327182147j:plain

 (写真)中国資料コーナー。「謙譲以人交期初志貫徹 谷口俊郎書」とある。

 

無駄に広いAVコーナーやパーテーションで仕切った展示コーナーの使い方はやや奇妙であり、他の公共施設からの転用かとも思ったのですが、1988年(昭和63年)に図書館として建てられた建物のようです。

f:id:AyC:20190327182153j:plain

 (写真)AVコーナー。

f:id:AyC:20190327182156j:plain

(写真)展示コーナー。

 

2.3 郷土資料

この図書館の特色を強いて挙げるなら江戸川乱歩コーナーでしょうか。乱歩は鳥羽市に居住していたことがあり、また乱歩の妻は鳥羽市の坂手島出身だそうです。鳥羽市街地には資料館の「江戸川乱歩館~鳥羽みなとまち文学館~」がありますが、図書館とうまく連携できていればよいですね。なお、三重県内でも名張市立図書館には鳥羽市立図書館より大きな江戸川乱歩コーナーがあります。

自治体規模や図書館の規模を考えれば、鳥羽市立図書館の郷土資料室は大きいです。ただし、観光業(鳥羽水族館ミキモト真珠島)や養殖業(カキや真珠)などの産業についての文献/展示が目立っているわけではありませんでした。

地元の方にとっては "いまさら説明されるまでもない" のだろうし、図書館ではなく博物館/資料館等で行っていることなのでしょうが、市外から訪れた図書館見学者としては産業も重視してほしいです。

f:id:AyC:20190327182203j:plain

 (写真)郷土資料室前の江戸川乱歩コーナー。

f:id:AyC:20190327182206j:plain

(写真)郷土資料室。

f:id:AyC:20190327182214j:plainf:id:AyC:20190327182212j:plain

 (左)児童雑誌コーナーとおはなし室。(右)児童図書エリア。

 

3. 鳥羽市街地を歩く

昼間に訪れた神島から戻った後、鳥羽市中心市街地を散策しました。市街地の中心には標高約40mの鳥羽城跡があり、その北西側・西側・南側に市街地が形成されています。鳥羽城跡北側の妙慶川は埋め立てられずに残っており、相橋は近世と同じ位置に架かっているようです。

f:id:AyC:20190327193532j:plainf:id:AyC:20190327194030p:plain

(左)『鳥羽城古絵図』。(右)現在の地形図を30度回転。地理院地図

f:id:AyC:20190327182320j:plain

(写真)鳥羽城の堀でもあった妙慶川。

 

鳥羽城の北東側は「鳥羽市鳥羽2丁目」。鳥羽2丁目には本町通り(鳥羽街道)と大里通りという2本の通りが伸びており、現在でも飲食店やスナック/パブが多数存在。かつてにぎわった歓楽街だった雰囲気を漂わせています。1968年の住宅地図には「トルコ」や「ストリップ」と書かれた店舗がいくつも見えます。

f:id:AyC:20190327182736j:plain

(写真)鳥羽市の歓楽街の地図。上が南。

f:id:AyC:20190327182536j:plain

(写真)大里通り。

f:id:AyC:20190327182331j:plain

 (写真)大里通り。

f:id:AyC:20190327182812j:plain

 (写真)大里通り沿いにある資料館「江戸川乱歩館」。

f:id:AyC:20190327182351j:plain

 (写真)本町通り。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

神島を訪れる

f:id:AyC:20190326024643j:plain

(写真)鳥羽港と神島港を結ぶ鳥羽市営定期船。

 

2019年3月のよく晴れた日、伊勢湾口に浮かぶ神島を訪れました。行政上は三重県鳥羽市に属していますが、愛知県の渥美半島のほうが近い。鳥羽港渥美半島伊良湖岬から定期船が運航されています。

f:id:AyC:20190328004930p:plain

(地図)神島の位置。©OpenStreetMap contributor。

神島の「大漁座」

旅行先では図書館や映画館について調べます。神島には鳥羽市による図書室もないし、かつて映画館が存在したこともありませんが、1967年の『鳥羽市住居表示案内図』(住宅地図)には「大漁座」という施設が掲載されていました。現在の神島保育所のグランドの位置にあったと思われます。「大漁座」に関する文献情報は乏しいのですが、『三重県史 別編 民俗』によると “舞台” だったそうです。

f:id:AyC:20190328004536p:plain

(地図)神島における大漁座の位置。地理院地図

神島の写真

鳥羽港-神島港

f:id:AyC:20190326024651j:plainf:id:AyC:20190326024714j:plainf:id:AyC:20190326024718j:plain

 (左・中・右)鳥羽港と神島港を結ぶ鳥羽市営定期船。

 

f:id:AyC:20190326024727j:plainf:id:AyC:20190326024740j:plain

(左)近鉄志摩線中之郷駅や旧鳥羽小学校。(右)ミキモト真珠島。 

 

f:id:AyC:20190326024734j:plain

(写真)鳥羽マリンターミナル。

 

f:id:AyC:20190326024743j:plainf:id:AyC:20190326024746j:plainf:id:AyC:20190326024751j:plain

(左)海上から見た鳥羽市街地。(中)鳥にえさをやりながら航行する観光遊覧船。(右)鳥羽港から見た神島。 中央奥にうっすら見える円錐形の島。

 

f:id:AyC:20190326024812j:plainf:id:AyC:20190326024818j:plainf:id:AyC:20190326024820j:plain

 (写真)最初の寄港地である答志島の和具港。1960年頃の『全国映画館総覧』には答志劇場と答志中央劇場が確認でき、住宅地図で場所も特定できた。

 

f:id:AyC:20190326024848j:plain

 (写真)近くを通る伊勢湾フェリーにかなり接近した。

 

f:id:AyC:20190326024851j:plainf:id:AyC:20190326024855j:plainf:id:AyC:20190326024858j:plain

(左)神島の遠景。右は神島最高峰の灯明山。(中)神島港。(右)神島桟橋。 

 

神島の島内

f:id:AyC:20190326024910j:plainf:id:AyC:20190326025704j:plainf:id:AyC:20190326024920j:plain

(左) 神島定期船待合所。(中)潮騒公園の「三島文学潮騒の地」。定期船待合所の前にある広場。(右)神島総合開発センター。市役所支所兼公民館的な公共施設。

 

f:id:AyC:20190326024924j:plainf:id:AyC:20190326024928j:plainf:id:AyC:20190326024936j:plain

(左)神島郵便局。(中)中部電力の神島発電所。集落内にある火力発電所。(右)神島保育所。グランドの位置に舞台「大漁座」があったと思われる。

 

f:id:AyC:20190326024942j:plainf:id:AyC:20190326024946j:plainf:id:AyC:20190326024956j:plain

(左)桂光院。島内唯一の寺院。(中・右)八代神社。島内唯一の神社。

 

f:id:AyC:20190326025040j:plainf:id:AyC:20190326024951j:plain

 (左)「田村元先生之像」。衆議院議員の田村元は神島漁港を整備した偉人。(右)「天野兵太郎氏彰徳碑」。天野兵太郎は八代神社を整備した人物。

 

f:id:AyC:20190326025049j:plainf:id:AyC:20190326025054j:plain

 (左)時計台。かつては島内唯一の時計だったとか。(右)洗濯場。近くの寺田さんちには『潮騒』執筆時に三島由紀夫が滞在した。いくら人気作家でも新婚1か月の夫婦の家に押し掛けるのはどうかと思う。

 

f:id:AyC:20190326025059j:plainf:id:AyC:20190326025103j:plain

 (左・右)高台から見た神島の街並み。細い路地が無数に走っている。

 

f:id:AyC:20190326025107j:plainf:id:AyC:20190326025112j:plainf:id:AyC:20190326025115j:plain

(左)集落から灯台に至る近畿自然歩道。舗装路。(右)伊良湖水道と伊良湖岬。ひっきりなしに船が通航する。(右)神島灯台。 「日本の灯台50選」。

 

f:id:AyC:20190326025121j:plainf:id:AyC:20190326025125j:plainf:id:AyC:20190326025126j:plain

(左)灯台から監的哨跡に至る近畿自然歩道。未舗装路で階段が多い。(中・右)監的哨跡。2階や屋上にも上れる。『潮騒』のクライマックスに登場。

 

f:id:AyC:20190326025132j:plainf:id:AyC:20190326025140j:plainf:id:AyC:20190326025210j:plain

 (左)神島南端の弁天山。遊歩道はないみたい。(中)弁天山と古里の浜と八畳ヶ岩。まじかに見るとでかい。(右)古里の浜と八畳ヶ岩。

 

f:id:AyC:20190326025150j:plainf:id:AyC:20190326025157j:plainf:id:AyC:20190326025204j:plain

 (左)カルスト地形。海の青さとの対比で爽やか。(中)鳥羽市立神島小中学校とカルスト地形。(右)神島小中学校。2017年に新校舎が完成。集落と現行の小中学校の間には「神島中学校跡」がある。

 

f:id:AyC:20190326025217j:plainf:id:AyC:20190326025221j:plain

 (左)鏡石。集落から遠いほうの水源池近く。かつては鏡代わりに使ったというけれど、とてもそんな風には見えない。(右)かつて島内に2か所しかなかった水源池の片方。集落に近いほうの水源池と比べると大きい。

 

神島のねこ

f:id:AyC:20190326025232j:plainf:id:AyC:20190326025229j:plainf:id:AyC:20190326025237j:plain

(左・中・右)神島のねこ。島内をぐるぐる回ったけど1匹しか見かけなかった。何を食べてたんだろ。

 

f:id:AyC:20190326025240j:plain

 

「カワテク東三河」に参加する

f:id:AyC:20190308042524j:plain

 

 

2019年3月3日(日)、愛知県豊橋市で開催された「豊川用水通水51周年記念 川×テクノロジの祭典 カワテク東三河」に参加しました。

uzura.doorkeeper.jp

 

3月3日(日)のイベント

開催意図

この企画のメインイベントは、翌日3月4日(月)に行うIoT樽の放流。1968年5月の豊川用水通水記念式典で行われた樽流しを模して、小型コンピュータを搭載した耐水樽を流してYou Tubetwitterでのリアルタイム配信を行います。「普段意識することのない豊川用水の存在を再認識する機会を創出」することが目的だそうです。

豊川用水(とよがわようすい)通水50周年の節目の年だった2018年には、「エロティック東三河」という謝水祭が行われています。その不思議な名称に反して、愛知県や豊橋市水資源機構などが協賛している大規模なイベント。カワテク東三河(告知開始時のイベント名はカワティック東三河)は “豊川用水への感謝” というエロティック東三河の意思を受け継いでおり、名前までもパクってインスパイアされています。さらには、エロティック東三河の主会場は東京の六本木ヒルズアリーナだったそうですが、カワテク東三河の会場は豊橋市・松葉通りのラウンジ「Roppongi Pills」跡でした。オマージュですね。

f:id:AyC:20190308042554j:plainf:id:AyC:20190308042557j:plainf:id:AyC:20190308042601j:plain

 (左)豊橋一の歓楽街である松葉通り。(中・右)イベント会場のRoppongi Pills。

f:id:AyC:20190308042846j:plainf:id:AyC:20190308042613j:plain

 (写真)進行役を務めるCode for MIKAWAの木村さん。

 

豊川用水について

まずは独立行政法人水資源機構の方から豊川用水の歴史についての説明を聞きました。「豊川用水の取水量の1/4は(豊川ではなく)天竜川から」「2000年代に完成した大島ダムと万場調整池のおかげで有効貯水量が30,000千m3から50,000千m3に」「受益地の農地18,000haのうち11,000haは畑地」などの説明が興味深かったです。

豊川の水を東三河地方南部に引くという構想は、大正時代に政治家の近藤寿市郎 - Wikipediaが発案したものでした。建設工事が始まったのは戦後の1949年になってから。発案から約半世紀後の1968年、国営事業の豊川用水はようやく全通します。近藤の死去から8年後のことでした。

豊川用水・明治用水愛知用水を愛知県下の三大用水と呼ぶそうです。私が住む西三河地方を流れる明治用水は、その名の通り明治時代に完成した用水ですが、明治用水の通水時には発案者である都築弥厚の死後57年が経過していました。都築も近藤と同じように、その用水における最大の功労者として扱われ、教育委員会が小学生向けの学習漫画を製作しています。Wikipediaにはまだ都築の記事がなく、いつかウィキペディアタウンで作成されることを期待しています。

全通から51年が経過した現在の東三河地域は全国有数の農業地域となりました。近藤も現在の状況は予想していなかったのでは。「規模では豊川用水を上回る用水はあるが、日本でもっとも農業に大きな影響を与えた用水ではないか」という話がありました。計画としては豊川用水よりも後発の愛知用水は1961年に全通していますが、豊川用水の全通が遅れたのは、木曽川と豊川の規模の違い、政治力の違いなどでしょうか。

f:id:AyC:20190308042608j:plain

 (写真)水資源機構の方による豊川用水の歴史の説明。

 

Wikipediaの編集

今回の編集記事

豊川用水 - Wikipedia - 加筆

宇連ダム - Wikipedia - 加筆

豊川 - Wikipedia - 加筆

大島ダム (愛知県) - Wikipedia - 新規作成

万場調整池 - Wikipedia - 新規作成

 

Wikipediaについて説明した田原市役所の木村さんからは、全員がWikipediaまたはWikimedia Commonsに何かしらの足跡を残すというお題が出されました。豊橋市役所の行政職員、国立豊橋技術科学大学豊橋市内の高校の教員、豊橋技術科学大学の院生などが参加者だったこともあって、参加者は自分の取り組むべきテーマを見つけて熱心に編集作業をしていたように見えます。

Wikipediaの編集サポート役としては木村さん、円周率3パーセントさん、是住さんがいたこともあり、私は編集サポートからは離れて独自に豊川用水 - Wikipediaの加筆を行いました。今回のようなイベントを開催するにあたっては豊橋市役所や水資源機構の協力が欠かせず、参加者の内面に与える効果と同じくらい、Wikipedia記事の質の向上(外向きの効果)も必要だと思ったからです。

豊川用水の加筆にあたっては、水資源機構の方の説明が大いに参考になりました。この記事のキモは “水不足に悩まされた東三河地方が豊川用水のおかげで農業の先進地に変貌した” という点だと判断し、既存の文章の精度を高めたり、通水以前の状況を加えたりしています。東三河地方以外の方にとってはその規模がわかりにくいと思われ、今後は「幹線水路図」と「受益地図」を記事に入れたいと思っています。

f:id:AyC:20190308052934j:plainf:id:AyC:20190308052924j:plain

(左)豊川用水の幹線水路図。(右)豊川用水の受益地図。

 

ウィキペディアタウンに参加しだした頃は、せっかく大人数が集まって行うイベントなのだから、自分で記事を編集するよりも周りをサポートすることのほうが大事だと思っていました。Wikipedia LIBを契機に考えも変わりはじめ、必要に応じて自分が編集したほうが主催者の役に立てるのかもと思っています。
f:id:AyC:20190308042616j:plainf:id:AyC:20190308042619j:plain

 (写真)Wikipediaの編集作業中の会場。

f:id:AyC:20190308042620j:plainf:id:AyC:20190308042623j:plain

 (左)Wikipediaの成果発表。(右)翌日のスケジュールを案内するCode for MIKAWAの辻さん。

f:id:AyC:20190308042626j:plainf:id:AyC:20190308042629j:plainf:id:AyC:20190308042633j:plain

(左)豊橋技科大学・村井さんの IoT樽紹介。(中・右)漫画家の見ル野栄司さんwithラズパイ団 森岡さんの愛機紹介。

f:id:AyC:20190308042907j:plain

(写真)「ええじゃないかとよはし映画祭」の垂れ幕が目立つ豊橋駅 

 

3月4日(月)のイベント

私は参加していませんが、翌3月4日には新城市でIoT樽の放流が行われ、YouTubeのストリーミング配信やtwitterの自動実況ツイートが行われました。想定通りには動かずに苦戦している様子がわかります。

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

twitter.com

見ル野栄司さんは『シブすぎ技術に男泣き!』などの取材漫画を描いている漫画家。とてもおもしろい方でした。「見ル野栄司 - Wikipedia」によると「見ル野」という特徴的な姓は本名だそうです※出典なし。

f:id:AyC:20190308141243p:plain

 

映画館情報サイト「消えた映画館の記憶」

 

「消えた映画館の記憶」

hekikaicinema.memo.wiki

“愛知県の映画館の総合情報サイト” であり、“日本の映画館の総合データベース” であるサイト「消えた映画館の記憶」を作成しています。無料レンタルwikiサービスのSeesaawikiにありますが、管理人である私のみが編集可能な設定としています。2017年1月に作成を開始。永遠に未完成だと思いますが、この2019年3月で情報量を増やすのはひと段落です。

このサイトは図書館に埋もれている情報をウェブに出すためのサイトであり、映画館の文章・写真・位置情報(地図)の保管庫と位置付けています。基本的には営業中の映画館ではなく “消えた” 映画館が中心です。あなたの知っている “消えた” 映画館をサイト内検索してみるとおもしろいかもしれません。データベース部分のライセンスはCC0(パブリック・ドメイン)、文章部分のライセンスはCC BY-SAです。

 

サイトの作成意図

閉館した映画館の情報がウェブには断片的にしか存在しないことに不満を持っていました。紙媒体の自治体史や地域写真集にはかつて存在した映画館の文章や写真が掲載されていても、それらの情報は図書館に埋もれたままになっていました。先人が作成してくれた映画館の記録を掘り起こし、ウェブに出すことでもう一度光を当てたい。数百冊の書籍の中に、数百冊の住宅地図の中に、さらにはウェブの片隅にころがっていた映画館の情報をひとつずつ探し出して掲載しています。なお、著作権侵害を回避するために、全文引用ではなく要約という形をとっています。

中原行夫の部屋(リンクはインターネットアーカイブというサイトには1957年の日本に存在した映画館一覧が掲載されていましたが、2016年11月にニフティホームページサービスが閉鎖されたことで「中原行夫の部屋」も閲覧不可能に。それ以後は全国の映画館を一覧できるウェブサイトが存在せず、紙媒体の映画館名簿を見るしかありませんでした。「中原行夫の部屋」は1957年の1年間分のデータベースでしたが、「消えた映画館の記憶」では1930年/50年/53年/55年/60年/63年/66年/69年/76年/80年/85年/90年/95年/2000年/05年/10年/15年/18年の18年間分のデータベースとし、各年代における比較も可能としました。

これらの情報を体裁よくまとめるとWikipedia記事になります。Wikipediaにおける私(User:Asturio Cantabrio)の副アカウント(User:Razgrad)では、「フォルツァ総曲輪 - Wikipedia」や「十日町シネマパラダイス - Wikipedia」など約70の映画館記事を作成しています。

 

コンテンツ

コンテンツ1「消えた映画館の記憶地図」

映画黄金期以後の愛知県に存在した全映画館の所在地を登録。場所の特定には住宅地図や各種書籍などを用いている。全国版地図にはゆるゆると登録中。以下はコンテンツ例。

www.google.com

www.google.com

 

コンテンツ2 各年代の映画館データベース

各年代の日本に存在した映画館のデータベース。全国分は約10年ごとに、東海地方は約5年ごとに掲載。以下はコンテンツ例。

hekikaicinema.memo.wiki

hekikaicinema.memo.wiki

 

コンテンツ3 各地域の映画館情報

図書館の文献から得られる愛知県の映画館情報をかき集めた。以下はコンテンツ例。

hekikaicinema.memo.wiki

hekikaicinema.memo.wiki

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者は「Asturio Cantabrio」です。