振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

福智町図書館・歴史資料館「ふくちのち」を訪れる(2)

ayc.hatenablog.com

 8月10日には福智町図書館・歴史資料館「ふくちのち」を訪れました。(その1)のつづき。ようやく1階から2階に上がります。館内については広報ふくちのフロアガイドも参照してください。

http://www.town.fukuchi.lg.jp/pdf/kouhou/170401/p02_09.pdf

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。撮影者は「Asturio Cantabrio」です。ただしオリジナルサイズの写真の多くはCategory:Fukuchinochi - Wikimedia Commonsにアップロードしています。

 

 

 

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 (写真)2階から見た1階中央部と吹き抜け。

 

 

炭鉱に関する展示

 2階への階段を上がると、両側と正面には炭鉱に関する展示物が置かれていました。 ガラスケース入りの石炭もありましたが、直接さわれるむき出しの石炭もあります。隣にはおてふきが置かれていたものの、本を汚される可能性を考えると勇気がある展示。私にとって筑豊地方は社会の授業で習った「筑豊炭田」のイメージしかないのですが、筑豊の子どもたちにとって炭鉱とはどんな存在なんだろう。福智町にあった炭鉱では旧方城町の方城炭鉱の閉山年は1964年、旧赤池町の赤池炭鉱の閉山年は1970年ということで、炭鉱が稼働していたのは半世紀も前のことです。

 「炭鉱の小道」の裏はグループ学習室。座席は8席で両側がガラス張り。この町の規模を考えると中高生よりも大人の利用が多いかもしれません。

 

 公式サイトの「ふくちのちができるまで」によると、ふくちのちに近い赤池ニュータウンはかつてボタ山だったらしい。Google Earthでふくちのち周辺を見た時には赤池駅南西側のソーラーパネル群に気を取られましたが、このメガソーラーが立地している丘もボタ山だということには気づきませんでした。「ふくちのちができるまで」のまちあるきシリーズには赤池マーケットヤダレという何やら興味深い単語が登場する、ことに気付いたのは愛知に帰ってきてからです。

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 (左・右)「炭鉱の小道」。2階に上がってきた利用者が必ず目にする展示。展示の裏はグループ学習室。

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(写真)展示物。中央は手に取ってさわれる石炭。

 

2階南側の開架

 炭鉱に関する展示を中心にして、2階南側の回廊には文学以外の一般書が置かれています。各書架の中央通路側の側面には、それぞれの分類にあった漫画が置かれていました。ふくちのちの開館時の蔵書数は約5万冊で、ほぼすべて開架にあるようですが、6類の棚などは蔵書数の少なさを感じてしまいます。

 2類の236(スペイン)は計5冊。スペインに関する本が3冊、ポルトガルに関する本が2冊ありました。『ハプスブルク・スペイン 黒い伝説』(筑摩書房)と『喜望峰が拓いた世界史』(中央公論新社)は昨年から今年にかけて出た新刊ですが、5冊のうち2冊がこれなのか。各国の歴史については河出書房新社の「ふくろうの本」シリーズ、スペインやフランスなどの主要国の歴史は明石書店の「世界の教科書」シリーズが置かれています。

  ふくちのちの建物は福智町役場赤池支所(元の赤池町役場)をリノベーションしたとのことですが、言われなければ役場だったとは気づかないほど手が加えられている様子。赤池町役場はいつ竣工したのか気になりました。特に2階は役場だった時の様子が想像できなかったのですが、改修工事の写真が掲載されている館長日記を見ると劇的に変化しているのがよくわかります。

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(写真)2階南側の開架。(中)こち亀が置いてある3類の書架の側面。

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 (左)0類の棚。(右)236 - スペインの棚。

 

 

サイレントルーム

 2階南側の開架から時計回りに進むと、「サイレントルーム」という名称の読書室があります。ここはかつて福智町議会議場だった部屋で、椅子や机はもちろん「教育長」などの札もそのまま残されています。堅苦しい雰囲気で落ち着かないという方もいそうですが、ふかふかの椅子で鑑賞できる映画上映会は他館ではまねできない。公式サイトによると大人向け/子ども向け/乳幼児向けが毎月各1回ずつあり、7月からの2か月間の上映作品は以下のとおり。図書館による映画上映会としてはかなりの頻度です。

 筑豊地方にある常設の映画館はTOHOシネマズ直方だけのようです。『君に届け』(2010年公開)と『信さん 炭鉱町のセレナーデ』(2010年公開)は劇場公開時にも上映されたと思いますが、『きっと、うまくいく』(日本での劇場公開は2013年)は筑豊地方初上陸なのでは。素晴らしい映画です。

君に届け』(7/8、大人向け)

トムとジェリー 花火はすごいぞ』(7/15、子ども向け)

『かわいいミッフィー』(7/22、子ども向け)

『きっと、うまくいく』(8/12、大人向け)

『銀河がマロを呼んでいる』(8/19、子ども向け)

『ルルロロいろ』(8/26、乳幼児向け)

『信さん 炭鉱町のセレナーデ』(9/9、大人向け)

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(左)議長席からの視点。(中)教育長席。(右)議員席。

 

 

2階の歴史資料館ゾーン

 サイレントルームからさらに時計回りに進むと、1階にもあった歴史資料館ゾーンが2階にもあります。上野村(現・福智町)出身の音楽家である河村光陽、この地方の伝統工芸である上野焼(あがのやき)の展示がありました。Wikipedia記事「上野焼」は2016年11月24日に開催されたミニウィキペディアタウンで加筆された記事です。その時には文章だけの記事だったのですが、今年3月にはロシア人(?)利用者によってロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵の徳利の写真が追加されて見栄えがよくなりました。

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 (左)河村光陽の展示。(右)上野焼の展示。

 

 

和室

 2階の歴史資料館ゾーンのそばには開放的な和室があります。ふくちのちではエリアごとに形の違う照明器具を使っていますが、ここでは丸い照明でほのぼのした雰囲気です。他館の畳コーナーは奥まった場所にあって学生の勉強場所になっていることも多いですが、ふくちのちでは畳コーナーに来るとのんびりとした気分になる。後で訪れた時にはお昼寝中の方がいました。

 フロアガイドを見るとわかるように、この建物にはかなり大きな吹き抜けがあり、1階で子どもが遊ぶ声は2階にも聞こえてきます。しかし、この和室部分も含めた2階の四隅に来ると雑音がぴたりと止みます。北東側の角では和室の壁、南西側の角ではグループ学習室、南西側の角では書架が音を遮る役割を果たしているようです。※隣接県の某TSUTAYA図書館では設計だけで外部からの音を聞こえなくしたスペースがあると宣伝していますね。

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2階北側の開架

 和室から更に時計回りに進むと、2階北側は9類の開架。スタッフのおすすめ本のコーナーや特集展示などもありました。

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(写真)2階のふくちのちカウンター。左側は自動貸出機。1階と2階に1台ずつ(だと思う)。

 

 

ふくトラ広場(YAコーナー)

 2階南東側の角はふくトラ広場(YAコーナー)。ヤングアダルト用の本や座席があるほかに、階段状の台とその正面の黒板が目に付きます。2016年夏には中高生が一週間も合宿して図書館の使い方を考えたとかで、他館のとってつけたようなヤングアダルトコーナーとは本気度が違う感じです。大学のラーニングコモンズに似た雰囲気がありますが、ホワイトボードではなく黒板なのが公共図書館的です。階段状の台でうまい具合に死角をつくっていますが、2階南側の書架からの一体感もあります。

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(左)黒板。椅子がかわいい。手前は台。(右)黒板の向かいにある階段状の台。

 

 

まとめ

 ふくちのちの館内をぐるりと回って各コーナーを紹介してきましたが、絶対的な蔵書数が少ないこともあって書架以外の部分に目が行きます。いちばん印象に残ったのは1階のものづくりラボです(ただし写真を撮るのを忘れました。あ~)。

 私の地元の愛知県でも、この6月1日に開館した安城市図書情報館が3Dプリンターを導入しました。塩尻市立図書館や山中湖情報創造館でどう使われているのかは知らないのですが、奥まった作業室に設置されている安城市図書情報館の3Dプリンターは限られた利用者のためのものに見えます。

 ふくちのちでは3Dプリンターが開放的な「ものづくりラボ」にあり、安城市図書情報館とはものづくり系機器を設置している意味合いがまったく違うように感じました。8月には11回も「工作チャレンジ」という子ども向けのものづくり教室が開かれており、(実際には使わなかったとしても)手の届く場所にこれらの機器が置かれている部屋でやるものづくり教室はこどもの想像力に大きな影響を与えているのではないかと思います。

 

 本ブログに掲載した写真にはほとんど利用者の姿が写っていませんが、実際には巨大ダンボール迷路の周りを走って遊ぶ子ども、床に直接座って本を読むやんちゃな風貌の少年、カフェで友達とおしゃべりする女子中学生、畳コーナーでいねむりするおじさん、サイレントルームで長時間読書するおじさんなどがいました。ふくちのちの淡い色合いの什器、裾が色鮮やかなカーテンなどからは、家にいるような安心感を感じます。

 ふくちのちは全国から注目を浴びている図書館ではありますが、TSUTAYA図書館のように全国的な知名度を持つ図書館には感じられない、「町民のための図書館」の雰囲気を感じました。ふくちのちができるまでの過程は今後生まれる町立図書館には大いに参考になるのだろうともいます。

福智町図書館・歴史資料館「ふくちのち」を訪れる(1)

台風5号が去った2017年8月9日と8月10日には九州北部を小旅行。8月9日には長崎市立図書館、諫早市諫早図書館、武雄市図書館を訪れ、8月10日には福智町図書館・歴史資料館「ふくちのち」を訪れました。館内については広報ふくちのフロアガイドも参照してください。

http://www.town.fukuchi.lg.jp/pdf/kouhou/170401/p02_09.pdf

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。撮影者は「Asturio Cantabrio」です。ただしオリジナルサイズの写真の多くはCategory:Fukuchinochi - Wikimedia Commonsにアップロードしています。

 

 

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福智町の概要

福岡県を4地域に分けると筑豊地方に含まれる田川郡福智町は、平成の大合併で3町が合併して発足した町。田川市直方市の中間付近に位置し、都市圏では田川都市圏または北九州都市圏に含まれるようです。

福智町の人口は約22,000人。旧赤池町(合併時9,500人)、旧金田町(合併時8,000人)、旧方城町(合併時8,000人)は規模が似通っており、郡名を冠する自治体(田川市)がすでにあったため、町の北西端に位置する福智山から福智町という名称が採用されたようです。地形図を見ると旧金田町と旧方城町にはベタ塗りの集落がありますが、旧赤池町にはベタ塗り部分がなく、ふくちのちの西方にある赤池ニュータウンが人口を押し上げていたようです。福智町役場は旧金田町に置かれています。

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 (写真)これが福智山らしい。平成筑豊鉄道の車窓からはもっと優美な姿が見えた。

 

 

ふくちのちを訪れる

 福智町は福岡市からも北九州市からもほどほどに遠い。この日の朝は鳥栖駅から博多駅を経由し、直方駅平成筑豊鉄道に乗り換えるルートで福智町に向かいました。平成筑豊鉄道では前々日に通った長崎本線との快適さの違いを感じます。単行の気動車ではありますが、全線複線で線形がよく、1時間に2本走っています。直方駅から赤池駅までわずか8.5kmの距離に7駅があり、多くは第3セクター転換後に設置された駅だそうです。

 旧赤池町域では堀割の中を進み、ふくちのちからほぼ同じくらいの距離にふれあい生力駅赤池駅があります。行きは赤池駅で降りて図書館まで歩き、帰りはふれあい生力駅から乗りました。

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(左)平成筑豊鉄道気動車直方駅。(右)ふくちのち最寄駅のふれあい生力駅。直方方面は森の中に突っ込んでいく、雰囲気のある駅。

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(写真)ふくちのち。

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 (写真)入口から奥を見渡す。

 

 

カフェ「としょパン」、キオスク

 まず気になるのは入って左側にあるカフェ「としょパン」。図書館部分とのあいだにはこれといった仕切りがない。これだけ開放的な図書館カフェははじめてです。蓋つきの飲み物は館内の持ち歩き自由。パンなどの食べ物はカフェ部分で食べる必要があります。

 このカフェのメニューは通常料金でも良心的な価格設定ですが、図書カードを持っているとジュースが200円、ソフトクリームが150円。これは安い。焼き直ししてもらったベーグルとアイスコーヒーを注文しました。ひととおり館内を歩いた後にはこのカフェで鳥越館長を見つけました。

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 カフェの手前にある「キオスク」(オリジナルグッズなどの売店)、逆サイドにある大型モニターも目につきます。キオスクではふくちのちオリジナルのトートバッグやクリアファイルやてぬぐい、地元産のジャムなどが販売されていましたが、備前焼のカップを販売している瀬戸内市民図書館「もみわ広場」とは違って、福智町名産の上野焼はみつけられなかった。図書館で本を売っているのは珍しいです。大型モニターでは館長の姿がちらりと写りました。

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 (左)「キオスク」。(右)大型モニター。

 

 

写真撮影に対する対応

 ふくちのちは写真撮影可能な図書館です。「無許可撮影禁止」(≠許可を得れば撮影できる)という表示をしている館は珍しい。1階奥にあるカウンターで名前と所属を書くと、シール式の撮影許可証がもらえます。これまで140館弱で写真撮影の可否を尋ねましたが、シールを渡された館は記憶がありません。「撮影許可申請書への記入&ネックストラップor腕章」な館よりも敷居が低く、「(撮影許可申請書などがなく)自由に撮影可能」な館よりも敷居が高いのですが、許可を得てからでないと撮影させないところには好感が持てます。個人的な好みかもしれませんが、なんの許可もなく自由に写真撮影させる館には不安を覚えます。

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 (右)シール式の撮影許可証。

 

 

新聞・雑誌コーナー

 カフェの隣は新聞・雑誌コーナー。新聞は1週間分が並べて置かれています。なかなか見ない形態。雑誌の中には雑誌スポンサーが提供しているものもあり、鳥越館長がスポンサーになっている雑誌もありました。もしかして個人でもスポンサーになれるのかな。新聞・雑誌コーナーは南面にあり、建物南側にある芝生の広場が見えます。

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歴史資料館部分

  図書館部分と歴史資料館部分の境界を感じさせないフロアの構造は瀬戸内市民図書館「もみわ広場」に似ている。どちらが先ということはないと思うけれど。瀬戸内市福智町は名産として焼き物があるのも似ています。館内に入って正面の壁には旧赤池町役場時代から上野焼が飾られています。

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 実は建物入口とカフェの間には影の薄い企画展示室があります。この時は「福智町と戦争」に関する展示を行っていました。

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こどもひろば(児童書)

 1階の左手奥は児童書です。奥側の書架や机・椅子はカラフルで楽しげ。手前側は死角が多く取られていて隠れ家的な雰囲気があります。

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(写真)手前側の書架。円形部分は「おはなしのへや」。

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(写真)奥側の書架。

 

各種ラボ

 ふくちのちの1階には「ものづくりラボ」と「クッキングラボ」が、2階には音ラボが、計3つのラボがあります。この中では特に「ものづくりラボ」が印象に残りました(※ただし写真は撮り忘れた)。3Dプリンターレーザー加工機、ミリングマシンなどが置いてあるこのラボは入口からすぐの場所にあり、ガラス張りのため中がよく見えます。一般的な図書館利用者が気付かないような奥まった場所にある安城市図書情報館とはまったく考え方が異なるのでしょう。

 3Dプリンターにしてもレーザー加工機にしても、専門知識がないと使いこなせない設備です。この町の規模や特性を考えると過剰な設備、ほとんど使われないままホコリを被ってしまう設備ではないかと思っていたのですが、実際に図書館を訪れてみるとまったく違う印象に変わりました。ものづくりラボは子ども向けのイベントで頻繁に利用されており、容易にこれらの設備を眺めたり触ったりできます。子どもだけでは使いこなせないけれど、身近な場所にでーんと置いてあるだけで想像力を育めそうな気がしてきます。勉強して知識を付ければ使えるようになる、ということに気付く道具にもなります。館内の一等地にこのようなラボを設置するのは勇気がいりますが、このふくちのちから他館に真似されていくような設備である気がします。

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(写真)クッキングラボ。

 

 

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その2につづきます。

ayc.hatenablog.com

「オープンデータソン in 伊丹『有岡城惣構え』」に参加する

2017年7月29日(土)、兵庫県伊丹市で開催された「オープンデータソン in 伊丹『有岡城惣構え』」に参加しました。イベントのタイトルの『有岡城惣構え』は、Wikipediaではそれぞれ伊丹城 - Wikipedia総構え - Wikipediaとして作成されている語句です。なにやらこだわりを感じます。

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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 初めて伊丹市立図書館を訪れたのは2016年8月のこと。1階にいたガイドさん(?)と一緒に館内を回り、何十枚か撮って帰った写真の一部は「Category:Itami City Library - Wikimedia Commons」に上げています。11月の図書館総合展ではLibrary of the Year 2016を受賞。私が訪れた時には図書館内を見て帰っただけですが、LoYでは「市民と図書館員が一緒につくりあげる」という部分が評価されたわけなので、いつかこの図書館のイベントに参加してみたかったのでした。

 

伊丹市で開催された過去のウィキペディアタウン

 2015年8月に大阪市立中央図書館で開催された「Wikipedia ARTS 大阪新美術館コレクション」の際に、初めて三皷(みつづみ)由希子さんにお会いしました。2015年11月8日にはみつづみさんらが中心となって「ウィキペディアタウン in 伊丹 ~伊丹のまちを編集しよう~」を、2016年11月27日・12月4日にも「ウィキペディアタウン in 伊丹」を開催しています。2015年11月のイベントでは發音寺 - Wikipedia伊丹台地 - Wikipediaを新規作成し、岡田利兵衞 - Wikipedia金剛院 (伊丹市) - Wikipedia猪名野神社 - Wikipediaを加筆しています。2016年11月・12月のイベントでは須佐男神社 (伊丹市) - Wikipediaを新規作成、御願塚 - Wikipedia御願塚古墳 - Wikipediaを加筆しています。

 私はどちらのイベントにも参加していませんが、2015年に新規作成した「伊丹台地」は当時から気になっていました。伊丹市立図書館の脇でも台地と低地で10m程度の高低差があり、さらに北の加茂遺跡のあたりでは20mもの高低差があるといいます。リンクした大阪高低差学会のブログではカシミール3Dや地形図を使ってこの段丘崖のようすを視覚化していますが、「伊丹台地」の記事にも伊丹台地の範囲図や模式図があれば、せめて段丘崖の写真があれば、もっとわかりやすい記事になると思っていました。

 2016年11月・12月に開催されたウィキペディアタウンでは、2週にわけるという画期的な方式を取ったようです。第1週の週末には「図書館とウィキペディアタウン」の講演・Wikipedia文化財のレクチャー・次週に行うことについてのミーティングを、第2週の週末にはまちあるきと編集作業を行っています。WikipediaのレクチャーとWikipediaの編集作業の日が分かれていることで、はじめてWikipediaを編集する方にとっては負担が大きく軽減されるのではないかと思います。普段のウィキペディアタウンでは「何を書きたいか」「何を書くか」「どう書くか」についてじっくり考える時間がないのですが、2週に分かれているとこのあたりのことを整理する時間も生まれるのではないかと思います。

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(左)カエボン棚。(中)伊丹作家コーナー。(右)テーマ展示。

www.city.itami.lg.jp

 

伊丹市立図書館を訪れる

 今回のイベントは10時開始。阪神地区や京都の他には、岡山県津山市から参加された方もおり、最年少参加者は小学5年生の女の子でした。まずは11時までの1時間で各種説明。是住さんによるオープンデータの説明、Miya.mさんによるWikipediaの説明、仲野さんによるOSMの説明と続きます。今回は坂ノ下さんによる「どのような生き方をしたいか」という熱い説明がなかったのが残念。

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(写真)この日の文献。迷いがあるのがわかる文献の選び方。

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(写真)各種説明。中央は仲野さん、右はみつづみさん。

 

伊丹をまちあるきする

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 今回のまちあるきコース。OpenStreetMapより作成。

 

 11時10分から13時までの110分間がまちあるき時間。まちあるきガイドの池田利男さん(伊丹市文化財ボランティアの会会長)は昭和7年生まれの85歳だそうですが、歯切れのよい話しぶりに明快な説明がきもちよい。まちあるきコースでカギとなるポイントは猪名野神社、有岡城跡、墨染寺の3か所でしたが、猪名野神社の説明でやや時間が押したため、墨染寺は省略されました。110分のまちあるき時間でスケジュールが組まれていましたが、夏場・冬場に2時間弱のまちあるきはけっこう大変。もっと短くてもよいと思います。

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 (写真)まちあるきガイドの池田利男さん。

 

 猪名野神社は伊丹市立図書館のすぐ北にあります。ここは伊丹郷町の北端部にあたり、有岡城惣構えの遺構が残っています。伊丹に24、西国街道以南に10ある神社のひとつであり、郷社なのに「97もの石灯篭があること」、「本殿と拝殿の間に幣殿があること」、「注連柱があること」などが珍しいらしい。境内には伊丹市立相撲場の土俵があり、ここに設置された理由も話してくださった気がしますが(忘れた)、ネットで検索してもでてこない。これは文献で調べて書くべきですね。

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(左)猪名野神社拝殿。注連柱がある。奥には幣殿と本殿が。(右)猪名野神社に97(+1)ある石灯籠。

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 (写真)猪名野神社の各ポイントで説明を聞く参加者。

 

 下の図左が現在の伊丹市街地における伊丹郷町の範囲を示したもの。どことなく琵琶湖に似ています。伊丹郷町のうち、町の部分は南北約1,700m、東西約800m。現在のJR伊丹駅に近い東端部に100m×140m程度の有岡城がありました。近江塩津付近、北端のとがった部分が猪名野神社。郷町の外と中を隔てて神社から南西に道路が伸びていますが、かつてはここに小さな川が流れていたらしい。神社には砦の痕跡の石垣がありました。

  猪名野神社からは伊丹市立図書館を横目に南下。中間地点にある旧岡田家住宅・酒蔵で休憩を取り、彦根付近にある有岡城跡まで歩きました。JR伊丹駅のすぐ近くですが静かな有岡城跡からは琵琶湖を横断し、三軒寺前広場を抜けて対岸に向かいます。広場と阪急伊丹駅の間には地図で見ても怪しげな曲線を描く路地がわかりますが、こんな場所にも小規模な崖と石垣が残っているのでした。

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 (左)伊丹郷町の範囲。OpenStreetMapより作成。(右)16世紀末の伊丹郷町。

 

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 (写真)休憩ポイントの旧岡田家住宅・酒蔵。

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(左)有岡城跡の石垣。(右)怪しげな路地にある高低差と石垣。

 

 池田さんの説明にもガイドマップにも、しきりに「伊丹郷町」(いたみごうちょう)という語句が出てきます。ググってもこの語句をうまく説明しているページはないのですが、街中には下の写真のように立派な案内図があり、まちあるきした範囲だけでも「伊丹郷町」を冠したマンションが何軒もありました。休憩した旧岡田家住宅・酒蔵は「伊丹郷町館」の一部。

 飯田市における「橋北 / 橋南」なんかと同じです。全国的に知られた寺社なら他地域在住者がネット検索しただけでもWikipedia記事は作成できますが、「伊丹郷町」や「橋北 / 橋南」のような広域地名はそうはいかない。こんな語句こそ、現地在住の方がWikipediaに書いて発信すべき。大きな範囲なので簡単に調べただけでは書けませんが、いつかいたみアーカイ部でチャレンジしてほしいな。
 まちあるきの解散場所は飲食店の多い三軒寺前広場付近。昼食を取ってから各自で図書館に戻るように促されます。私は三軒寺前広場にある韓国料理店「尚州(サンジュ)本店」で冷麺を食べました。

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 (左)この日の重要キーワードのひとつである「伊丹郷町」。(右)おひるごはんの冷麺。

 

Wikipedia / OSMを編集する

 午後のスタートは伊丹市立図書館の司書さんによる図書館の使い方講座。資料の探し方とレファレンスについて教えていただきました。イベントによってはイベントの専属司書的な立場の方がいることもありますが、司書がどうやって文献を探しているのかが見えにくい。今回のようにレファレンスの仕方を説明してくださると、自分でレファレンスカウンターまで行って尋ねてみようかという気になります。

 ウィキペディアチームは約11人が3グループに分かれ、「伊丹城」(有岡城)、「総構え」、「猪名野神社」の3記事を加筆します。「伊丹城」には主に是住さんが総構えに関する記述を加筆。私がいた「総構え」グループも伊丹城の総構えについての記述を加筆していきました。

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 (写真)図書館司書による図書館の使い方の説明。

 

 みつづみさんがこだわったのは「日本最古の総構えが有岡城である」という記述の真偽。2006年8月19日に記事「総構え」が作成された時からこの記述があるのですが、10年以上出典がないままでした。事前に準備されていた文献には総構えに関する記述が見当たらなかったため、3階の郷土資料コーナーに探しにいったのですが、やはり「日本最古」であると明確に言及している文献は見つからず。レファレンスカウンターで聞いてみようかとも思ったのですが、別のグループのレファレンスで忙しそうだったのでやめました。

 そうこうしているうちに、是住さんが「日本最古」と書かれた神戸新聞の記事をみつけます。伊丹市立図書館の新聞データベースはヨミダスのみのはずなので、個人契約のG-Searchを使ったのかな。研究報告書などではなく単なる新聞記事であることについては参加者の間で多少のやり取りがありましたが、「伊丹城」と「総構え」の記事それぞれに神戸新聞の記事を出典として加えました。「総構え」の記事には現地で撮った石垣の写真や、現代の地図における総構えの位置を示す図を掲載しました。

 「猪名野神社」の記事も加筆されています。境内が広く摂社・末社が数多くある猪名野神社のような題材には、下のような図が掲載されていてもいいのではないかと思いました。

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(図)OpenStreetMapから作成した猪名野神社周辺の図。OSMチームの今回の成果も兼ねて。

 

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 (写真)Wikipedia & OSMの編集作業中の室内。おおざっぱに分けると四角い机を囲んで作業しているのがWikipediaチーム、壁に沿って一列に並んで作業しているのがOSMチーム。

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(左)Wikipediaチームの成果発表。(右)OSMチームの成果発表。

「相模原市立図書館」の加筆をみる

相模女子大学附属図書館

相模女子大学附属図書館・・・新図書館は女子大学附属図書館として、前面の広場とともに、キャンパス全体の核となるよう計画された。内部は、2つのまとまった開架閲覧室と、他の事務・閉架書庫部門を各階のホールがつなぐ。それぞれの場所で、光の採り入れ方の工夫をすることで、内部空間をより豊かにしている。閲覧室は制御された間接光で満たし、ホール吹抜は直接光の落ちる光井戸となる。さらに図書館の日時計は、閲覧席からも時間が読めるだけでなく、広場を活気づける装置となっている。
                 『建築設計資料 43 図書館2』p.176

『建築設計資料 43 図書館2』(建築思潮研究所/1993年)に相模女子大学の附属図書館が掲載されている。日時計の記述や写真が印象的で、3,300人(1995年)の学生数でこんなに堂々と立派な図書館をつくるのか、と思った。

 

この2017年6月初頭から7月末にかけて、相模女子大学の司書課程の授業でWikipediaの「相模原市立図書館 - Wikipedia」が加筆された。6月上旬以降の6回の授業が「相模原市立図書館」の加筆に充てられ、珍獣ウィキペディアンであるらっこさんがゲストとしてサポートしていたらしい。司書課程3年生の12人が3グループに分かれて、相模原市立図書館(本館)、相模大野図書館、橋本図書館を1館ずつ担当していたそうだ。

 

記事「相模原市立図書館」の加筆をみる

私が神奈川県・東京都で訪れたことのある図書館は6館(海老名・大和・町田・都立多摩・武蔵野プレイス・東久留米)。相模原市立図書館のことは何も知らないし、そもそも相模原市内の鉄道駅で降りたことがない。ようするに土地勘がない。

授業前・・・5月25日の版

授業後・・・7月19日の版

授業開始前の5月25日、「相模原市立図書館」の分量は3,400バイトだった。授業後の7月19日には35,000バイトと、数回の授業を経て10倍にもなった。目次にはかっちりした節タイトルが並んでいて、一見すると充実した記事になったようにみえる。ただ授業前の5月25日の版と授業後の7月19日の版を読み比べていて気になった部分も多い。

 

・記事の要点をつかみにくい

図書館の概要について知りたい人にとっては、授業後の35,000バイトの記事よりも授業前の3,400バイトの記事のほうが役に立つかもしれない。授業後の記事では総体としての相模原市立図書館についての説明が少なく、特に歴史をざっくりと知りたい人にとって授業後の版は厄介だ。一般的な自治体では本館と分館には規模に差があるものだが、相模原市立図書館はそうでない。それは相模原市の発展過程に由来するものなのだろうけれど、土地勘がないものにとっては3館の歴史や位置づけを読み取るのが困難だ。開館時間や休館日などの利用案内、他機関との連携については各館で共通のはずなのに、それぞれの館の小節で重複して説明されているのもわかりづらい。
相模原市立図書館全体の歴史をざっくりと振り返る歴史節や利用案内節を設けてもいいかもしれない。それぞれの館の性格の違いを確認するために、各館の蔵書数や貸出数を表にしてみるのもいいかもしれない。『図書館建築発展史』(丸善プラネット/2010年)には1970年代前半の公共図書館建築の代表例として相模原市立図書館が登場し、「1,000m強の(当時としては)思い切った開架室」が特徴だったらしい。このような魅力的なエピソードを盛り込みたい。

 

・出典の提示の仕方がやや雑

大学の授業やウィキペディアタウンなどで記事を作成/加筆する場合、単純な誤字脱字やウィキ記法の誤りはまったく問題ではない。例えば授業後時点のこの記事では数字が全角になっていたり、秦野市が秦野氏になっていたり(これは直し忘れたので誰か直して!)、Template:Sfnがうまく機能していなかったりしていたが、こんなミスは誰かが直してくれる。

しかし出典の提示についてのミスが多いのは気になった。例えば授業後の版にあった“日本図書館協会が発行した「神奈川の図書館」という文献”は存在しない。この文献の発行者は神奈川県図書館協会だ。“日本図書館協会が発行した「図書館図集′79」という文献”も存在しない。文献名は正確には「図書館建築図集′79」だ。“キハラの『LIBRARY and LIBRARY』”がどの文献を指しているのかもよくわからなかった。さらに言えば、出版年が書かれていなかったり、著者が書名や出版社名より後にあったり、書籍と雑誌の区別がつかないといった出典の書き方が多かった。出典の書き方は分野ごとに異なるとはいえ、相模女子大学学芸学部が定めている標準的な書き方に統一してほしい。

 

・出典を探す際に視野を広げたい

出典には図書館の事業年報やパンフレットなどを中心として、図書館建築について書かれた書籍や郷土史家のエッセイ集を使っている。記事主題の関係者による情報源が多いし、相模原市の規模ならもっと多くの文献があるはず。『日本の図書館 統計と名簿』や『近代日本図書館の歩み』のような文献が使われていないし、『神奈川の図書館』は使われているがうまく活用されていないように見える。これらの文献を使うことで、「神奈川県/日本の図書館界における相模原市立図書館の立ち位置」について書けるのではないかと思う。

 

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さんざんディスってしまった。上で挙げた改善してほしい点の大部分は、今回の授業の形態ではどうしようもできない点であり、授業の到達目標をはるかに超えていると思われる。90分×6回の授業ということで、どういう文献を探せばよいか考える時間や、どんな文章をかけばよいか考える時間や、加筆した後に内容を見返して修正する時間はそれほど取れなかったのだろう。Wikipediaを編集したことがなかった学生たちが、わずか6回の授業でWikipediaの理念から編集方法まで完全に理解し、なおかつ全体のバランスや出典の明記方法にまで細心の注意を払って編集しろというのは無理だ。

ただ、今後この記事を読む方の大多数はこの記事が大学の授業で加筆された記事だということを知らない。著作権侵害などのまずい編集があった時には、教員のメールアドレスではなく、北極ペンギンさんやちくわぶくんさんやぺんすけさんのノートページにコメントが書かれる。記事の読み手はらっこさんと違ってルエミーさんがどんな方なのか知らないので、司書課程の女子学生ではなく50代くらいのおっさんだと思われて辛辣な文句が飛んでくることもある。

 

ここでもう一度授業前の5月25日の版を読んでみた。要点はまとまっているものの、これといった感想が浮かんでこない、あまりおもしろくない記事だ。あれこれとあら捜しができたのは今回の授業で加筆してくれたからだ。

相模原市立図書館や神奈川県図書館協会は『相模原市の図書館 や『神奈川の図書館』(それぞれ事業年報)をPDFでウェブ上に上げているが、その内容をWikipediaにテキストで書いたことで情報に到達しやすくなった。神奈川近辺の図書館にしかないであろう『わがまちの変遷』の内容や、ウェブ検索だけではなかなか出てこない『図書館建築図集 '79』の内容にも手が届くようになった。

ひとつひとつの情報はすでに誰かが提示している情報であるけれども、図書館の奥深くにしまい込まれていた情報が、時代に即した形でもう一度表に出された。それがどんなにすごいことかはらっこさんや宮原先生が伝えているはずだけれど、ほんとにすごいことだ。Wikipedia記事「相模原市立図書館」についての授業は終わったそうだけど、自分の興味のある分野でたまにでもWikipediaの編集をしてくれる学生がいるといいな。