2017年7月29日(土)、兵庫県伊丹市で開催された「オープンデータソン in 伊丹『有岡城惣構え』」に参加しました。イベントのタイトルの『有岡城惣構え』は、Wikipediaではそれぞれ伊丹城 - Wikipedia、総構え - Wikipediaとして作成されている語句です。なにやらこだわりを感じます。
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初めて伊丹市立図書館を訪れたのは2016年8月のこと。1階にいたガイドさん(?)と一緒に館内を回り、何十枚か撮って帰った写真の一部は「Category:Itami City Library - Wikimedia Commons」に上げています。11月の図書館総合展ではLibrary of the Year 2016を受賞。私が訪れた時には図書館内を見て帰っただけですが、LoYでは「市民と図書館員が一緒につくりあげる」という部分が評価されたわけなので、いつかこの図書館のイベントに参加してみたかったのでした。
2015年8月に大阪市立中央図書館で開催された「Wikipedia ARTS 大阪新美術館コレクション」の際に、初めて三皷(みつづみ)由希子さんにお会いしました。2015年11月8日にはみつづみさんらが中心となって「ウィキペディアタウン in 伊丹 ~伊丹のまちを編集しよう~」を、2016年11月27日・12月4日にも「ウィキペディアタウン in 伊丹」を開催しています。2015年11月のイベントでは發音寺 - Wikipediaと伊丹台地 - Wikipediaを新規作成し、岡田利兵衞 - Wikipedia、金剛院 (伊丹市) - Wikipedia、猪名野神社 - Wikipediaを加筆しています。2016年11月・12月のイベントでは須佐男神社 (伊丹市) - Wikipediaを新規作成、御願塚 - Wikipedia、御願塚古墳 - Wikipediaを加筆しています。
私はどちらのイベントにも参加していませんが、2015年に新規作成した「伊丹台地」は当時から気になっていました。伊丹市立図書館の脇でも台地と低地で10m程度の高低差があり、さらに北の加茂遺跡のあたりでは20mもの高低差があるといいます。リンクした大阪高低差学会のブログではカシミール3Dや地形図を使ってこの段丘崖のようすを視覚化していますが、「伊丹台地」の記事にも伊丹台地の範囲図や模式図があれば、せめて段丘崖の写真があれば、もっとわかりやすい記事になると思っていました。
2016年11月・12月に開催されたウィキペディアタウンでは、2週にわけるという画期的な方式を取ったようです。第1週の週末には「図書館とウィキペディアタウン」の講演・Wikipediaや文化財のレクチャー・次週に行うことについてのミーティングを、第2週の週末にはまちあるきと編集作業を行っています。WikipediaのレクチャーとWikipediaの編集作業の日が分かれていることで、はじめてWikipediaを編集する方にとっては負担が大きく軽減されるのではないかと思います。普段のウィキペディアタウンでは「何を書きたいか」「何を書くか」「どう書くか」についてじっくり考える時間がないのですが、2週に分かれているとこのあたりのことを整理する時間も生まれるのではないかと思います。
(左)カエボン棚。(中)伊丹作家コーナー。(右)テーマ展示。
伊丹市立図書館を訪れる
今回のイベントは10時開始。阪神地区や京都の他には、岡山県の津山市から参加された方もおり、最年少参加者は小学5年生の女の子でした。まずは11時までの1時間で各種説明。是住さんによるオープンデータの説明、Miya.mさんによるWikipediaの説明、仲野さんによるOSMの説明と続きます。今回は坂ノ下さんによる「どのような生き方をしたいか」という熱い説明がなかったのが残念。
(写真)この日の文献。迷いがあるのがわかる文献の選び方。
(写真)各種説明。中央は仲野さん、右はみつづみさん。
伊丹をまちあるきする
今回のまちあるきコース。OpenStreetMapより作成。
11時10分から13時までの110分間がまちあるき時間。まちあるきガイドの池田利男さん(伊丹市文化財ボランティアの会会長)は昭和7年生まれの85歳だそうですが、歯切れのよい話しぶりに明快な説明がきもちよい。まちあるきコースでカギとなるポイントは猪名野神社、有岡城跡、墨染寺の3か所でしたが、猪名野神社の説明でやや時間が押したため、墨染寺は省略されました。110分のまちあるき時間でスケジュールが組まれていましたが、夏場・冬場に2時間弱のまちあるきはけっこう大変。もっと短くてもよいと思います。
(写真)まちあるきガイドの池田利男さん。
猪名野神社は伊丹市立図書館のすぐ北にあります。ここは伊丹郷町の北端部にあたり、有岡城惣構えの遺構が残っています。伊丹に24、西国街道以南に10ある神社のひとつであり、郷社なのに「97もの石灯篭があること」、「本殿と拝殿の間に幣殿があること」、「注連柱があること」などが珍しいらしい。境内には伊丹市立相撲場の土俵があり、ここに設置された理由も話してくださった気がしますが(忘れた)、ネットで検索してもでてこない。これは文献で調べて書くべきですね。
(左)猪名野神社拝殿。注連柱がある。奥には幣殿と本殿が。(右)猪名野神社に97(+1)ある石灯籠。
(写真)猪名野神社の各ポイントで説明を聞く参加者。
下の図左が現在の伊丹市街地における伊丹郷町の範囲を示したもの。どことなく琵琶湖に似ています。伊丹郷町のうち、町の部分は南北約1,700m、東西約800m。現在のJR伊丹駅に近い東端部に100m×140m程度の有岡城がありました。近江塩津付近、北端のとがった部分が猪名野神社。郷町の外と中を隔てて神社から南西に道路が伸びていますが、かつてはここに小さな川が流れていたらしい。神社には砦の痕跡の石垣がありました。
猪名野神社からは伊丹市立図書館を横目に南下。中間地点にある旧岡田家住宅・酒蔵で休憩を取り、彦根付近にある有岡城跡まで歩きました。JR伊丹駅のすぐ近くですが静かな有岡城跡からは琵琶湖を横断し、三軒寺前広場を抜けて対岸に向かいます。広場と阪急伊丹駅の間には地図で見ても怪しげな曲線を描く路地がわかりますが、こんな場所にも小規模な崖と石垣が残っているのでした。
(左)伊丹郷町の範囲。OpenStreetMapより作成。(右)16世紀末の伊丹郷町。
(写真)休憩ポイントの旧岡田家住宅・酒蔵。
(左)有岡城跡の石垣。(右)怪しげな路地にある高低差と石垣。
池田さんの説明にもガイドマップにも、しきりに「伊丹郷町」(いたみごうちょう)という語句が出てきます。ググってもこの語句をうまく説明しているページはないのですが、街中には下の写真のように立派な案内図があり、まちあるきした範囲だけでも「伊丹郷町」を冠したマンションが何軒もありました。休憩した旧岡田家住宅・酒蔵は「伊丹郷町館」の一部。
飯田市における「橋北 / 橋南」なんかと同じです。全国的に知られた寺社なら他地域在住者がネット検索しただけでもWikipedia記事は作成できますが、「伊丹郷町」や「橋北 / 橋南」のような広域地名はそうはいかない。こんな語句こそ、現地在住の方がWikipediaに書いて発信すべき。大きな範囲なので簡単に調べただけでは書けませんが、いつかいたみアーカイ部でチャレンジしてほしいな。
まちあるきの解散場所は飲食店の多い三軒寺前広場付近。昼食を取ってから各自で図書館に戻るように促されます。私は三軒寺前広場にある韓国料理店「尚州(サンジュ)本店」で冷麺を食べました。
(左)この日の重要キーワードのひとつである「伊丹郷町」。(右)おひるごはんの冷麺。
午後のスタートは伊丹市立図書館の司書さんによる図書館の使い方講座。資料の探し方とレファレンスについて教えていただきました。イベントによってはイベントの専属司書的な立場の方がいることもありますが、司書がどうやって文献を探しているのかが見えにくい。今回のようにレファレンスの仕方を説明してくださると、自分でレファレンスカウンターまで行って尋ねてみようかという気になります。
ウィキペディアチームは約11人が3グループに分かれ、「伊丹城」(有岡城)、「総構え」、「猪名野神社」の3記事を加筆します。「伊丹城」には主に是住さんが総構えに関する記述を加筆。私がいた「総構え」グループも伊丹城の総構えについての記述を加筆していきました。
(写真)図書館司書による図書館の使い方の説明。
みつづみさんがこだわったのは「日本最古の総構えが有岡城である」という記述の真偽。2006年8月19日に記事「総構え」が作成された時からこの記述があるのですが、10年以上出典がないままでした。事前に準備されていた文献には総構えに関する記述が見当たらなかったため、3階の郷土資料コーナーに探しにいったのですが、やはり「日本最古」であると明確に言及している文献は見つからず。レファレンスカウンターで聞いてみようかとも思ったのですが、別のグループのレファレンスで忙しそうだったのでやめました。
そうこうしているうちに、是住さんが「日本最古」と書かれた神戸新聞の記事をみつけます。伊丹市立図書館の新聞データベースはヨミダスのみのはずなので、個人契約のG-Searchを使ったのかな。研究報告書などではなく単なる新聞記事であることについては参加者の間で多少のやり取りがありましたが、「伊丹城」と「総構え」の記事それぞれに神戸新聞の記事を出典として加えました。「総構え」の記事には現地で撮った石垣の写真や、現代の地図における総構えの位置を示す図を掲載しました。
「猪名野神社」の記事も加筆されています。境内が広く摂社・末社が数多くある猪名野神社のような題材には、下のような図が掲載されていてもいいのではないかと思いました。
(図)OpenStreetMapから作成した猪名野神社周辺の図。OSMチームの今回の成果も兼ねて。
(写真)Wikipedia & OSMの編集作業中の室内。おおざっぱに分けると四角い机を囲んで作業しているのがWikipediaチーム、壁に沿って一列に並んで作業しているのがOSMチーム。