振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「相模原市立図書館」の加筆をみる

相模女子大学附属図書館

相模女子大学附属図書館・・・新図書館は女子大学附属図書館として、前面の広場とともに、キャンパス全体の核となるよう計画された。内部は、2つのまとまった開架閲覧室と、他の事務・閉架書庫部門を各階のホールがつなぐ。それぞれの場所で、光の採り入れ方の工夫をすることで、内部空間をより豊かにしている。閲覧室は制御された間接光で満たし、ホール吹抜は直接光の落ちる光井戸となる。さらに図書館の日時計は、閲覧席からも時間が読めるだけでなく、広場を活気づける装置となっている。
                 『建築設計資料 43 図書館2』p.176

『建築設計資料 43 図書館2』(建築思潮研究所/1993年)に相模女子大学の附属図書館が掲載されている。日時計の記述や写真が印象的で、3,300人(1995年)の学生数でこんなに堂々と立派な図書館をつくるのか、と思った。

 

この2017年6月初頭から7月末にかけて、相模女子大学の司書課程の授業でWikipediaの「相模原市立図書館 - Wikipedia」が加筆された。6月上旬以降の6回の授業が「相模原市立図書館」の加筆に充てられ、珍獣ウィキペディアンであるらっこさんがゲストとしてサポートしていたらしい。司書課程3年生の12人が3グループに分かれて、相模原市立図書館(本館)、相模大野図書館、橋本図書館を1館ずつ担当していたそうだ。

 

記事「相模原市立図書館」の加筆をみる

私が神奈川県・東京都で訪れたことのある図書館は6館(海老名・大和・町田・都立多摩・武蔵野プレイス・東久留米)。相模原市立図書館のことは何も知らないし、そもそも相模原市内の鉄道駅で降りたことがない。ようするに土地勘がない。

授業前・・・5月25日の版

授業後・・・7月19日の版

授業開始前の5月25日、「相模原市立図書館」の分量は3,400バイトだった。授業後の7月19日には35,000バイトと、数回の授業を経て10倍にもなった。目次にはかっちりした節タイトルが並んでいて、一見すると充実した記事になったようにみえる。ただ授業前の5月25日の版と授業後の7月19日の版を読み比べていて気になった部分も多い。

 

・記事の要点をつかみにくい

図書館の概要について知りたい人にとっては、授業後の35,000バイトの記事よりも授業前の3,400バイトの記事のほうが役に立つかもしれない。授業後の記事では総体としての相模原市立図書館についての説明が少なく、特に歴史をざっくりと知りたい人にとって授業後の版は厄介だ。一般的な自治体では本館と分館には規模に差があるものだが、相模原市立図書館はそうでない。それは相模原市の発展過程に由来するものなのだろうけれど、土地勘がないものにとっては3館の歴史や位置づけを読み取るのが困難だ。開館時間や休館日などの利用案内、他機関との連携については各館で共通のはずなのに、それぞれの館の小節で重複して説明されているのもわかりづらい。
相模原市立図書館全体の歴史をざっくりと振り返る歴史節や利用案内節を設けてもいいかもしれない。それぞれの館の性格の違いを確認するために、各館の蔵書数や貸出数を表にしてみるのもいいかもしれない。『図書館建築発展史』(丸善プラネット/2010年)には1970年代前半の公共図書館建築の代表例として相模原市立図書館が登場し、「1,000m強の(当時としては)思い切った開架室」が特徴だったらしい。このような魅力的なエピソードを盛り込みたい。

 

・出典の提示の仕方がやや雑

大学の授業やウィキペディアタウンなどで記事を作成/加筆する場合、単純な誤字脱字やウィキ記法の誤りはまったく問題ではない。例えば授業後時点のこの記事では数字が全角になっていたり、秦野市が秦野氏になっていたり(これは直し忘れたので誰か直して!)、Template:Sfnがうまく機能していなかったりしていたが、こんなミスは誰かが直してくれる。

しかし出典の提示についてのミスが多いのは気になった。例えば授業後の版にあった“日本図書館協会が発行した「神奈川の図書館」という文献”は存在しない。この文献の発行者は神奈川県図書館協会だ。“日本図書館協会が発行した「図書館図集′79」という文献”も存在しない。文献名は正確には「図書館建築図集′79」だ。“キハラの『LIBRARY and LIBRARY』”がどの文献を指しているのかもよくわからなかった。さらに言えば、出版年が書かれていなかったり、著者が書名や出版社名より後にあったり、書籍と雑誌の区別がつかないといった出典の書き方が多かった。出典の書き方は分野ごとに異なるとはいえ、相模女子大学学芸学部が定めている標準的な書き方に統一してほしい。

 

・出典を探す際に視野を広げたい

出典には図書館の事業年報やパンフレットなどを中心として、図書館建築について書かれた書籍や郷土史家のエッセイ集を使っている。記事主題の関係者による情報源が多いし、相模原市の規模ならもっと多くの文献があるはず。『日本の図書館 統計と名簿』や『近代日本図書館の歩み』のような文献が使われていないし、『神奈川の図書館』は使われているがうまく活用されていないように見える。これらの文献を使うことで、「神奈川県/日本の図書館界における相模原市立図書館の立ち位置」について書けるのではないかと思う。

 

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さんざんディスってしまった。上で挙げた改善してほしい点の大部分は、今回の授業の形態ではどうしようもできない点であり、授業の到達目標をはるかに超えていると思われる。90分×6回の授業ということで、どういう文献を探せばよいか考える時間や、どんな文章をかけばよいか考える時間や、加筆した後に内容を見返して修正する時間はそれほど取れなかったのだろう。Wikipediaを編集したことがなかった学生たちが、わずか6回の授業でWikipediaの理念から編集方法まで完全に理解し、なおかつ全体のバランスや出典の明記方法にまで細心の注意を払って編集しろというのは無理だ。

ただ、今後この記事を読む方の大多数はこの記事が大学の授業で加筆された記事だということを知らない。著作権侵害などのまずい編集があった時には、教員のメールアドレスではなく、北極ペンギンさんやちくわぶくんさんやぺんすけさんのノートページにコメントが書かれる。記事の読み手はらっこさんと違ってルエミーさんがどんな方なのか知らないので、司書課程の女子学生ではなく50代くらいのおっさんだと思われて辛辣な文句が飛んでくることもある。

 

ここでもう一度授業前の5月25日の版を読んでみた。要点はまとまっているものの、これといった感想が浮かんでこない、あまりおもしろくない記事だ。あれこれとあら捜しができたのは今回の授業で加筆してくれたからだ。

相模原市立図書館や神奈川県図書館協会は『相模原市の図書館 や『神奈川の図書館』(それぞれ事業年報)をPDFでウェブ上に上げているが、その内容をWikipediaにテキストで書いたことで情報に到達しやすくなった。神奈川近辺の図書館にしかないであろう『わがまちの変遷』の内容や、ウェブ検索だけではなかなか出てこない『図書館建築図集 '79』の内容にも手が届くようになった。

ひとつひとつの情報はすでに誰かが提示している情報であるけれども、図書館の奥深くにしまい込まれていた情報が、時代に即した形でもう一度表に出された。それがどんなにすごいことかはらっこさんや宮原先生が伝えているはずだけれど、ほんとにすごいことだ。Wikipedia記事「相模原市立図書館」についての授業は終わったそうだけど、自分の興味のある分野でたまにでもWikipediaの編集をしてくれる学生がいるといいな。