振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

離島の映画館

北木島の映画館

何年か前に、岡山県西部の笠岡諸島にある北木島を訪れたことがある。Wikimedia Commonsには北木島に期間限定で復活したという映画館「光劇場」の写真が投稿されている。石材業で栄えた1950年代には北木島に4館の映画館が存在したらしいが、最後の「光劇場」も1967年に閉館となり、2014年には47年ぶりに映像が上映されたという。

 

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光劇場。撮影者:Muscla3pin。

 

 

離島の映画館(1953年)

たまたま手元には『全国映画館総覧 1953年版』の全ページ分(約190ページ)のコピーがある。映画最盛期には岡山県の離島にどれだけ映画館が存在していたのか確認してみたが、1館もなかったことになっている。「光劇場」などという映画館は見当たらない。これだから映画館総覧はあてにならない。

 

気を取り直して、全国の離島にある映画館を調べてみる。確認できただけで57館もあった。もっとも映画館が多い島は淡路島(11館)。映画館のある島数がもっとも多い県は広島県長崎県(7島)。愛知県の篠島 - Wikipediaにも2つの映画館があったらしい。この時期の篠島は現在の2倍、約4,000人の人口を有していた。なお、1953年の文献なので沖縄の映画館は掲載されていない。

 

・11館 - 淡路島(兵庫県

・7館 - 佐渡島新潟県)、壱岐島長崎県

・6館 - 因島広島県

・4館 - 天草下島熊本県

・3館 - 小豆島(香川県)、福江島長崎県

・2館 - 篠島(愛知県)、大崎下島広島県)、能美島広島県

・1館 - 大崎上島広島県)、生口島広島県)、倉橋島広島県)、厳島広島県)、対馬島長崎県)、平戸島長崎県)、生月島長崎県)、小値賀島長崎県)、中通島長崎県)、種子島鹿児島県

 

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 1977年の篠島。国土画像情報(カラー空中写真)。

 

 

離島の映画館(2016年)

たまたま手元には『2016年版 映画年鑑 別冊 映画館名簿』もある。現在の離島にはどれだけの映画館があるのか探した。

 

・1館 - 天草下島熊本県)、宮古島沖縄県

 

現在も営業しているのは2館だけだった。宮古島の映画館は吉本興業が運営する特殊な映画館であるため、現在も営業中の従来館は天草下島の「本渡第一映劇 - Wikipedia」のみと言える。なお、沖縄本島には5つのシネコンと1館のミニシアターがある。

日本の離島を人口順に並べると、淡路島、天草下島佐渡島奄美大島宮古島福江島福江島対馬島石垣島種子島、小豆島 となる。淡路島の人口は16万人。天草下島は10万人を切っている。淡路島の「洲本オリオン - Wikipedia」は2013年に閉館となり、天草下島より一足早く淡路島から映画館が消滅した。

 

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(左)天草市街地。撮影:690 Noda。(右)洲本オリオン。撮影:At by At。

 

 

 

 

 

 

『39席の映画館』

各地のミニシアター

旅行したときにはその土地のミニシアターを訪れる。

函館ではシネマアイリスで、札幌ではシアターキノで、福岡ではKBCシネマで、大分ではシネマ5で映画を観た。札幌ではシアターキノ狸小路)と蠍座(札幌駅北)のどちらに行こうかと迷ったが、結局シアターキノで『屋根裏部屋のマリアたち』を観た。

「次に札幌に来る時には蠍座」と決めていたが、蠍座は2014年12月で閉館となった。この2016年夏には『札幌の映画館<蠍座>全仕事』(寿郎社、952ページ、4860円)が刊行された。大きな書店に行くと映画コーナーで存在感を放っている。

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函館・五稜郭そば。繁華街から一歩引いた住宅街のアパート1階にあるシネマアイリス。『かぞくのくに』を観た。撮影者:DecKeYE。CC BY-SA 4.0。

 

 

鹿児島市の映画館

鹿児島市にはミニシアターが1館、シネコンが3施設ある。ミニシアターのガーデンズシネマに加えて、ティ・ジョイ系列のミッテ10、TOHOシネマズ与次郎、天文館シネマパラダイス。天文館シネマパラダイスはシネコンといえども、事業費の4割が国や鹿児島市からの補助金富山市フォルツァ総曲輪に近い。

日本最小、座席数39席のミニシアターがガーデンズシネマ。天文館シネマパラダイスとガーデンズシネマはそれぞれ、天文館と呼ばれる繁華街にある。

何年か前に鹿児島を訪れた。天文館シネマパラダイスとガーデンズシネマの番組編成を見比べて、天文館シネマパラダイスにノルウェー映画を観に行った。大西洋ではなく大平洋を航海(実質的には漂流)する話だった。シネマパラダイスは繁華街にあるが、驚くほど客が少なかった。公費の投入が問題視されるのも当然だと思った。

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天文館シネマパラダイス。撮影者:At by At。CC BY-SA 3.0。

 

『39席の映画館』

藤井さんのFacebookで、2016年4月に刊行された『39席の映画館』(燦燦舎)という本のことを知った。2010年に開館したガーデンズシネマについての書籍で、著者は「ガーデンズシネマ部」。上映した作品のコラムが3/4を占めており、残りの1/4は支配人の黒岩美智子さんが映画館の歩みを書かれている。

 

黒岩さんは1958年生まれ。鹿児島大学を卒業後に鹿児島でOLをしていたが、1989年に上京して東京テアトルの子会社に勤めた。1995年に鹿児島に戻ると天文館の映画館は衰退しており、2006年には2館が閉館したことで映画館がなくなった。

黒岩さんは2007年に自主上映団体「鹿児島コミュニティシネマ」を立ち上げる。2010年に三越鹿児島店がマルヤガーデンズに生まれ変わる際、マルヤガーデンズに常設映画館の設置を決意する。映画館設立の経緯はシネマ尾道の河本清順さん(女性)に似ている。

 

巻末には開館後に行ったイベントの一覧が掲載されている。2014年度までの5年間でざっと200近いイベントを開催している。監督や俳優の舞台挨拶/トークイベント/ティーチインはもちろん、映画評論家や鹿児島大学の教授を招いた講演会や、上映作品に関連するイベントが多数ある。ただの展示会は少なく、ゲストを招いて話をさせるイベントが多い。

開館時の手持ち資金は10万円、初回上映作品の観客数は1人、開館時のスタッフは専任1人(黒岩さん)とパート2人、座席数はデジタル対応している映画館では日本最小の39席。この規模のミニシアターがこれだけのイベントを開催していることに驚いた。

 

『39席の映画館』を刊行しているのは、鹿児島県の燦燦舎という出版社。著者の「ガーデンズシネマ部」は、映画館の常連が集まってワイワイ楽しむ緩やかな団体らしい。刈谷日劇の「語る会」の発展版をイメージしている。

 

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 2010年開館当初のマルヤガーデンズと2016年のマルヤガーデンズ。この中に映画館がある。蔦が伸びたがタクシーは変わっていないらしい。撮影者:Sanjo。CC BY-SA 3.0。

 

図書館での写真撮影(その4) 2016年のまとめ

ayc.hatenablog.com

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2016年にAsturioが行った、図書館/オープンデータに関する活動をまとめた。

2016年の展開を時系列に並べる

2014年12月、初めてオープンデータ京都実践会のウィキペディアタウンイベントに参加した。無鄰菴がメインの街歩き&エディタソンのイベントだった。京都実践会のウィキペディアタウンには2015年4月、8月、12月、2016年以降にも参加している。京都実践会の中心メンバーには大きな刺激を受けている。何人かのウィキペディアンにお会いした。

2016年1月、東京・二子玉川で開催されたウィキペディア15周年イベント東京に参加した。数多くのウィキペディアンにお会いした。神奈川や北海道でCode for Xの活動をしている何人かの方には、このイベントの後にもお会いしたり手助けしてもらったりした。

2月には瀬戸内市ウィキペディアタウンを訪れ、嶋田学さんや岡本真さんにお会いする。3月には伊那市高遠町ウィキペディアタウンを訪れ、諸田さんや平賀さんにお会いする。京都から愛知に引っ越す2日前には、あこさんの東工大博物館の「博物館をひらく」に参加した。成果物のレベルの高さに驚き、京都では理解しきれていなかったウィキペディアタウンの可能性を感じる。懇親会ではなぜだか野原みあさんのインパクトが大きかった。

川崎市で行われたウィキペディア街道のミーティングと街歩き下見にこっそり参加する。5月には世田谷上町で開催されたウィキペディア街道に参加する。ここで藤井慶子さんにお会いできたのは大きい。6月以降には岡崎立中央図書館の連続講座に参加し、懇親会ではバスク地方について神代浩さんに鋭い指摘を受ける。

個人的な活動としてWikipedia記事「瀬戸内市立図書館 - Wikipedia」「伊那市立図書館 - Wikipedia」「田原市図書館 - Wikipedia」「陸前高田市立図書館 - Wikipedia」などを作成。Wikipediaの中と外に対するアピールのために、Wikipedia:良質な記事 - Wikipediaを狙って取った。

9月には地元の愛知県で第1回ブラトヨハシが開催される。どうしようもないくらいに迷惑をかけてしまったが、Wikipediaの編集をサポートする役を務めた。東久留米でのウィキペディアタウンにも参加した。

あることがきっかけで、この1年は意識的に同年代と関わるのを避けていた。11月には日帰りで図書館総合展を訪れた時には、初めて同年代と名刺を交換した。藤井さんが引き合わせてくれた。総合展後初の週末は第2回ブラトヨハシがあり、ここでもいろんな方との出会いがあった。

イルミネーションが飾られる季節、県立長野の平賀さんを囲んでご飯を食べる会に参加させてもらう。愛知県周辺の図書館人はこんな場所にいたのかと気づく。安城市中央図書館や岐阜市図書館での講演会に参加すると、自分たちの図書館のWikipedia記事の変化に気付いてくれる司書さんや館長さんがいた。

 

Asturioは図書館員でもなければエンジニアでもない。柄にもなく外に出ることの多い1年だったが、1人でコツコツとWikipedia記事を作る活動がメインなのは変わらない。

 

 

2016年に訪れた図書館96館

関東地方(4)

宇都宮市立中央、東久留米市立、大和市立(新館)、海老名市立中央

 

北信越地方(11)

県立長野、小布施町立、伊那市立伊那、伊那市立高遠、富山市立(本館)、富山市立駅南・こども、高岡市立、金沢海みらい、福井市立桜木、越前市立、鯖江

 

東海地方(18)

岐阜県岐阜市立(本館)、岐阜市立分館、飛騨市高山市、多治見市、三重県立、四日市市立、桑名市立中央、亀山市立、伊勢市立伊勢、皇學館大学附属、静岡県立中央、静岡市御幸町静岡市立清水中央、浜松市立中央、浜松市立城北、浜松市立駅前分室

 

愛知県(40)

愛知県、名古屋市鶴舞中央、名古屋市港、名古屋市瑞穂、名古屋市東、名古屋市西、南山大学附属、一宮市立中央、一宮市立子ども文化広場、春日井市犬山市立、小牧市立、稲沢市中央、稲沢市祖父江の森、名古屋文理大学附属、北名古屋市立、清須市立、津島市立、蟹江町尾張旭市立、長久手市中央、日進市立、おおぶ文化交流の杜、東浦町中央、岡崎市立中央、豊田市立中央、安城市中央、安城市KEY PORT、刈谷市中央、刈谷市富士松、刈谷市城町、高浜市立、碧南市民、西尾市立、みよし市立中央(新館)、知立市立、豊橋市中央、豊橋市大清水、田原市豊川市立中央、蒲郡市立、

 

関西地方(20)

滋賀県立、彦根市立、草津市南草津長浜市立、近江八幡市立、東近江市八日市東近江市能登川東近江市永源寺京都府立、京都市立中央、京都市立右京中央、立命館大学平井嘉一郎記念、奈良県図書情報館、奈良市立北部、大阪市立中央、伊丹市立、芦屋市立、芦屋市立打出分室、高砂市立(新館)、赤穂市

 

中国地方(2)

瀬戸内市立(旧館)、瀬戸内市牛窓

 

 

図書館の写真を撮る

twitterには2016年に93館の図書館(図書室も含む)を訪れたと書いたが、きちんと確認したら96館だった。ただし、うっかり休館日に訪れてしまって館内に入っていない図書館を含めて水増ししている。

 

Asturioは司書課程履修者でもないし、図書館関係者でもない。館内の写真を撮りたいというと困惑されることも多かった。図書館によって対応はさまざまだった。「館内で写真を撮る」という明確な目的があったことで96館も積み上がった。

 

・96館のうち95館では外観の写真を撮影。東久留米では撮り忘れた。

・96館のうち56館では館内の写真を撮影。

 

 

写真を公開する

外観・館内それぞれの写真はWikimedia Commonsにアップロードしている。おそらく1,000枚弱。誰かの役に立つかどうかはわからない。

 

訪問した図書館のマイマップを作成。外観の画像1枚と館内の画像1枚を掲載し、Wikimedia Commonsへのリンクを貼った。

例)大和市文化創造拠点SiRiUS - Category:SiRiUS - Wikimedia Commons

例)TOYAMAキラリ - Category:Toyama KIRARI - Wikimedia Commons

例)飛騨市図書館 - Category:Hida City Library - Wikimedia Commons

 

www.google.com

 

雑誌スポンサー制度についての調べ学習

雑誌スポンサー制度(ざっしスポンサーせいど)とは、公共図書館において、企業やNPO法人が雑誌の購入費を負担し、その対価として雑誌カバーに広告を掲載する取り組みのこと。

 

 

雑誌スポンサー制度について調べる

Wikipedia記事「越前市立図書館 - Wikipedia」を作成した際、雑誌スポンサー制度は越前市が先駆けであるかのような新聞記事を読んだ。出典を誤読しているのではないかという不安があるため、制度についてちょっとした調べものをした。

 

雑誌スポンサー制度の歴史、内容やその課題についてまとまった文章がないか検索してみる。レファレンス協同データベースには2013年11月の事例が紹介されていた。

図書館における雑誌のスポンサー制度を採用している図書館を調査した資料が見たい」という質問に対して、埼玉県立久喜図書館は「該当するような資料は見つからなかった」と答えている。

crd.ndl.go.jp

 

NDLサーチによると、図書館系雑誌では『図書館雑誌』2014年7月号に「相模原市図書館における雑誌スポンサー制度の取り組み」という文章が掲載されているらしい。

年末年始で愛知県図書館も休館中。ということで中身を読めないが、全国の雑誌スポンサー制度について調べたものではなさそう。

 

朝日と読売の新聞記事データベースで「雑誌スポンサー制度」を検索する。大半は制度を導入した自治体の紹介記事で、制度全体について深く調査して書かれた記事は見つからなかった。

ただし、どうやら越前市図書館は全国2番目の事例であり、全国初は岐南町図書館であることが分かった。JRでも名鉄でも、岐阜市まで行くときに必ず通過する自治体だが、図書館を訪れたことはない。

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岐南町図書館。カーリル(CC BY-SA 2.1 JP)より。撮影者:maruyon

 

 

今回の簡単な調べものの結果をまとめた。

  制度の歴史と課題(Wikipedia風)

2008年7月、岐阜県岐南町図書館が全国で初めて雑誌スポンサー制度を導入した。同年度には福井県越前市図書館でも同様の制度を導入している。岐南町図書館では伊藤恭博館長が発案した。

図書資料費の削減が進むことを背景にして、類似の制度が全国の図書館に浸透していった。朝日新聞の調査によると、2015年度時点では分館を含めて少なくとも355館が雑誌スポンサー制度を導入している。

 

この制度は基本的に単年度契約のため、スポンサーの安定した確保が課題とされる。岐南町図書館を例にすると、初年度の2008年度には購読69誌のうち10誌が6社によってスポンサードされたが、2013年度には6社9誌に減少している。

図書コンサルタントの岡本真は「資料費が年々減る中で工夫された良い制度の一つ。図書館も戦略が必要」と指摘している。

 

 

都道府県初の事例

2008年度

岐南町岐阜県)、越前市福井県

2010年度

奈良県立(奈良県)、伊勢市三重県)、徳島県立(徳島県)、野洲市滋賀県)、小山市(栃木県)、さいたま市(埼玉県)、天童市山形県)、厚木市(神奈川県)

2011年度

岡山県立(岡山県)、島田市(静岡県)

2013年度以降

新居浜市愛媛県)、大津町熊本県)、蔵王町&登米市宮城県)、大月市山梨県

開始年不明

加西市兵庫県)、松戸市(千葉県)、前橋市群馬県)、豊見城市沖縄県