(写真)稲沢市中央図書館。2016年。
稲沢市を訪れる
稲沢市は愛知県の尾張地方にある人口13万人の自治体。かつては尾張国の国府が置かれ、尾張大国霊神社(国府宮)は尾張国の総社とされています。名鉄名古屋本線国府宮駅は特急停車駅ですが、駅前が大いに発展しているわけでもなく、どこに町の中心があるのかわからない印象を抱く都市でもあります。
植木・苗木の町
稲沢市中央図書館の中央部には、植木をはじめとする「緑」に関する図書が集められています。稲沢市植木・苗木の産地として知られ、埼玉県川口市(安行植木)、大阪府池田市、福岡県久留米市とともに日本の4大産地として知られているらしい。稲沢市のゆるキャラである「いなッピー」も植木をモチーフとしています。
特に、尾張国分寺跡がある矢合町(やわせちょう)周辺が植木の産地のようです。矢合町のすぐ南には愛知県植木センターがあるほか、尾張国分寺跡を囲むように造園業者が集積しています。しかし、なぜ稲沢が4大産地と言われるまで成長したのかはよくわかりません。
日本植木協会が4大産地を紹介している文章を読むと、4大産地の中でもっとも歴史が古いのは稲沢のようです。近世には名古屋という大きな市場があったのも大きいのでしょう。しかし、稲沢があるのは濃尾平野の中央。氾濫原と自然堤防しかないという地理的条件は、植木の生産には適していないのではないでしょうか。世界的な植木産地である川口市は、荒川と綾瀬川からほどよい距離がある、赤土の関東ローム層に覆われた大宮台地の上。素人目に見ても、川口市と稲沢市には地理的条件に大きな差があるように思えます。
(地図)愛知県における稲沢市の位置。©OpenStreetMap contributors
(左)濃尾平野における稲沢市の位置。「尾」の字も「平」の字も稲沢市域。まさに濃尾平野の中心。地理院地図。(右)三宅川流域。稲沢市の旧市街地である稲沢町、尾張国分寺があった矢合。1893年発行の1/20000地形図「稲沢町」。今昔マップより。
稲沢市中央図書館
好みではない図書館
稲沢市中央図書館は2006年に開館した新しい図書館です。この時期は愛知県の図書館施設に大きな変化があった時期だと考えており、2000年頃の施設(豊川市中央、春日井市、津島市立など)と2000年代後半の施設(稲沢市中央、岡崎市立中央、日進市立など)の間にははっきりとした差があるように感じます。単独館から複合施設への移行であったり、ICT設備の導入であったり。稲沢市中央図書館も明るく開放的な施設であり、ゆっくり本を読むためのソファ席、広いブラウジングコーナーや持ち込みパソコン利用席などがあります。1人あたり貸出冊数などの数字は愛知県でも上位に位置しています。
しかし、2016年に初めて稲沢市中央図書館を訪れた時の印象はよくありませんでした。館内には注意書きがベタベタ貼られているし、個人用キャレル席に多数あるコンセントは使用禁止になっているし、長机のグループ学習室だったはずの部屋は単なる個人席の学習室になっているし、レファレンスを頼んだら軽い調査しかしてもらえずに打ち切られるし、写真撮影の可否を尋ねたら副館長に「なぜ私はあなたに写真撮影をしてほしくないのか」だらだら説明されるし。新しい考え方の図書館施設を作っても、運用する側の意識が古い。こんなこともあって、稲沢市中央図書館は「自分の好みではない図書館」というイメージを持ったのでした。
好みではなくても興味深い図書館ではあるため、2016年12月には「稲沢市図書館 - Wikipedia」を作成しています。「稲沢市中央図書館 - あの図書館、こんな図書館」というブログには館内の写真が掲載されているので参考にしてください。(※このブログの管理者はどの図書館でも無許可で館内を撮影しているものと思われます)
(写真)画像募集中。館内の写真は撮影できなかった。
映画館のレファレンス
この2018年から2019年、「消えた映画館の記憶」という個人サイトの作成に熱心に取り組んでいます。かつて愛知県に存在した/現在も存在する約400の映画館すべての場所を特定し、また文献から得られる情報を蓄積していくサイトです。各年版の『映画館名簿』を見ると、1960年代の稲沢市には3館の映画館があったことがわかります。そのうち「稲沢東映館」と「稲沢大劇」については、1960年代や1970年代の住宅地図から場所を特定できましたが、「稲沢映画劇場」だけは掲載されているはずなのに見つけられませんでした。そこで、稲沢市中央図書館を訪れてレファレンスを行いました。結局は図書館司書でも特定に至らなかったのですが、レファレンスの申込/回答方法には好印象を持ちました。
レファレンス内容:
稲沢市にあった3館の映画館について知りたい。①「稲沢東映館」、②「稲沢大劇」、③「稲沢映画劇場」。①と②の場所は住宅地図で特定できたが、③の場所は特定できなかった。③の場所について知りたい。また、①②③それぞれについて文章や写真での言及がないか知りたい。
レファレンス回答:
稲沢市の映画館2館の写真が掲載されている『新修 稲沢市史 本文編 下』をご案内。「稲沢映画劇場」の場所は判明せず。
私が行ったのは上のようなレファレンス。稲沢市中央図書館のレファレンスカウンターでレファレンスを頼むと、まずはレファレンス依頼書への記入を促されました。私にとっては口頭での説明よりも文章での説明のほうが得意なのでありがたい。レファレンス依頼書を司書に渡すと、司書はパソコンや書架に向かうことをせず、「1週間後に電話でレファレンス結果を報告する」とのことでした。時間と手間がかかるレファレンスであることを即座に判断して、その場での調査を行わないことにしたのでしょうか。
1週間後に電話で報告してくださった司書は、カウンターでレファレンスを依頼した司書とは異なる方でした。電話後に図書館に赴いてレファレンス結果を尋ねると、また別の司書から口頭でレファレンス結果を説明され、さらにレファレンス結果報告書(「レファレンス内容と回答」と「調査した資料一覧」)を紙媒体でもらうことができました。もっとも知りたかった「稲沢映画劇場」の場所については「調査の結果わからず」ということでしたが、レファレンス前の調査で見落としていた文献を提示してくださり、有意義なレファレンスとなりました。
このレファレンスには司書3人が関わっていますが、情報の伝達に齟齬は発生しておらず、こちらの求めている情報について正確に調査して報告してくださっています。それはレファレンス依頼書のおかげでもあるし、レファレンス結果報告書のおかげでもあります。他の図書館でもレファレンス依頼書を記入したことはありますが、紙媒体でのレファレンス結果報告書をもらったのははじめてでした。
(左)「レファレンス内容と回答」。(右)「調査した資料一覧」。
自力での調査
図書館でのレファレンス後も、自力で稲沢市の映画館についての調査を続けました。レファレンスのメインテーマだった「稲沢映画劇場」についてわかっていたことと言えば、"下津町南六反田にあった" ことだけでした。JR東海道線稲沢駅の東側にある下津は、明治時代から一定の規模を持っていた集落です。このため「稲沢映画劇場は稲沢駅の東側にある」という先入観をもってしまい、掲載されているはずの住宅地図から探し出すことができなかったのでした。しかし、視野を広げたうえで再び住宅地図を開くと、稲沢駅の西側にある「稲沢劇場」をあっさりと見つけることができました。レファレンスを担当した司書もこの住宅地図を確認したはずですが、私と同じように見落としたようです。
(地図)稲沢市の映画館。©OpenStreetMap contributors
稲沢市の映画館
稲沢大劇(-1960年代中頃)
旧市街地の稲沢町。営業中の稲沢大劇が掲載されている住宅地図は存在せず、1960年代の住宅地図でも稲沢大劇の痕跡は見つけられないが、「1972年の全航空住宅地図帳」に「大劇あと」とあることで場所が判明。『新修 稲沢市史 本文編 下』に写真あり。跡地はマンション「セルリアンクォーレ」。以下の地図は地理院地図。
稲沢映画劇場(-1970年代前半)
JR東海道線稲沢駅前。営業していたころの所在地は「下津南六反田」。現在の下津町/下津〇〇町は稲沢駅東側の地名であるが、ある時期までは下津町の一部が稲沢駅西側にも存在していた。跡地はうなぎ屋「魚熊」と「稲沢駅前郵便局」の間の民家。1970年代は「魚熊」の場所に郵便局があった。『新修 稲沢市史 本文編 下』に写真あり。以下の地図は地理院地図。
稲沢東映館(-1968年)
旧市街地の稲沢町。映画館名簿や住宅地図以外の文献では「1968年閉館」(一宮・尾西・木曽川地域情報誌『City-1』第12号、1990年)という言及しか確認できていない。地図中に見える細い黄色線は美濃路。稲沢東映館や稲沢大劇がある稲沢町にはかつて稲葉宿が置かれており、現在も渋い町並みが残っている。跡地は民家。以下の地図は地理院地図。
ユナイテッド・シネマ稲沢(1999年-)
アピタ稲沢店に併設。比較的早い時期の、西尾張地方初のシネコンだった。1999年当時はまだTOHOシネマズ津島もTOHOシネマズ木曽川も存在せず、名古屋市の一部から一宮市までの広い範囲を商圏として開館した。以下の地図は地理院地図。