振り返ればロバがいる

Wikipediaの「利用者:Asturio Cantabrio」によるブログです。ロバです。東京ウィキメディアン会・関西ウィキメディアユーザ会所属。図書館界で静かなブームとなっている(?)ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などを書きます。

オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1に参加する

opendatakyoto.connpass.com

2017年6月18日(日)、京都府宇治市で開催された「オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1」に参加しました。

 

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(写真)イベント会場の宇治市川東集会所。

 

 この日のスケジュール

10:00-10:30 イベント開始・主催者挨拶

10:30-11:00 WikipediaOpenStreetMap、Strolyの説明

11:00-12:00 お昼ご飯

12:00-14:00 まち歩き

14:00-16:00 Wikipedia & OpenStreetMapの編集作業

16:00-16:30 成果発表

16:30-17:00 閉会挨拶・記念撮影・アンケート記入

17:00 撤収完了(懇親会)

 

宇治市中央図書館を訪れる

9時開館の宇治市中央図書館に寄ってからイベント会場の川東集会所をめざした。図書館は宇治市文化センターと呼ばれる文化ゾーンにある。京阪宇治駅から徒歩25分-30分、くわえて丘の上にあるため自動車以外では行きづらい。約70mの高低差と最大18度の坂に驚きながら図書館にたどり着いた。

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 (図)黒線は図書館までの往復コース。赤線と青線はイベントでの街歩きコース。OpenStreetMapを元に作成。

 

宇治市中央図書館は1984年開館。1992年には東宇治図書館が、1997年には西宇治図書館が開館し、現在は3館体制となっている。開館当時から宇治市「中央」図書館だったということは、 東宇治図書館と西宇治図書館の設置も計画済だったんだろう。ただ人口19万人の都市としては、また広大な文化ゾーンにある施設にしては狭さを感じる。中央図書館の延床面積は1,786m2。西宇治図書館は596m2、東宇治図書館にいたっては325mしかない。1980年代の図書館計画ではこの狭さも仕方ない。

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この図書館の見どころは書籍の横積み。書架には書籍が隙間なく並べられている上に、一般書はもちろん、郷土資料だって、参考図書だって、宇治市史だって横に積まれている。特に一般開架室にあった宇治市史の平積みは斬新で、思わず手に取ってしまった。天井は高く、通路はゆったりしているし、中央部に低い書架が集められているので、書架の写真ほどの圧迫感はない。9時30分近くになって図書館を出て、10時のイベント開始には何とか間に合った。

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 (左)一般書。(中)郷土資料。お茶に関する資料。(右)宇治市史の平積み。

 

オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1

今回のイベントの会場は宇治市川東集会所。宇治市に約130か所ある「集会所」のひとつらしく、宇治市の観光スポットの起点となる京阪宇治駅から徒歩2分という好立地にある。ウィキペディアタウンは図書館でやるのが理想だとは思うけれど、ウィキペディアタウン丸亀城下町と今回とで公民館のありがたさを感じた。『宇治市史』のような厚い本から、『やさしい宇治の歴史』(役に立った)のような軽い本、パンフレットなどの薄い本まで、並べられていた文献は相変わらずバランスがよかった。

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 (写真)イベントのために是住さんが集めた文献。

 

今回のイベントは「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」の森田さんと京都府立図書館の是住さんが大学院で行っている研究も兼ねている。「-未来をつくる会」は、「源氏物語」「平等院」「宇治茶」という3大コンテンツを基盤におきながらも、これら以外の「ちはやぶる価値」(地理的背景や歴史的背景)でまちづくりをしようという団体。ふたりの挨拶のあと、Miya.mさんによるWikipediaの説明、坂ノ下さんによるOpenStreetMapの説明、高橋徹さんによるStrolyの説明と続いた。

Miya.mさんのスライドは毎回少しずつ変化している。今回であれば「博多祇園山笠の写真は曳き手の肖像権と山笠の著作権の関係でWikimedia Commonsにはアップロードできない」という話があった。「アメリカ合衆国著作権法が絡んでくるCommonsにはアップロードできないがウィキペディア日本語版にはアップロードできる写真がある」という理屈は、いつまで経っても理解できない。

坂ノ下さんは「なぜ私たちが地図を作る必要があるのか」という説明を強調する。「様々な主体が地図を提供すること」の重要性。「街のささやかな変化を記録して将来の投資にする」。OpenStreetMapの説明を聞くことでWikipediaの立ち位置を再認識させられる。最後は丸亀でも聞いた高橋徹さんの説明。丸亀でStrolyの説明を聞いてから、「場所の記憶を地図に表す」自由研究を進めている。この話は後日。

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(写真)是住さんと森田さん。30人以上入って熱気がある部屋。

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(写真)Miya.mさんによるWikipediaの説明のスライド。

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 (写真)坂ノ下さんの熱い説明。

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 (写真)高橋徹さんによるStrolyの説明。

 

宇治のまちあるき

3人の説明のあとはお昼ごはん。おにぎりなどで済ませた参加者が多かった。12時からは約2時間のまちあるき。川東集会所を起点として、宇治橋のたもとにある通圓、橋寺放生院、宇治神社宇治上神社、大吉山、朝日山、興聖寺、恵心院と歩いて川東集会所に戻る。

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(図)今回のまちあるきコース。OpenStreetMapを元に作成。

 

まずは宇治橋の目前にある茶屋・通圓で、第24代当主通圓祐介さんに解説を聞く。通圓の創業は1160年。歴代当主はこの地で橋守として旅人に茶を提供してきたらしく、その時々の権力者からもひいきにされていたらしい。現在の建物は1672年に完成。今回作成したWikipedia記事「通圓」には昭和初期の写真を掲載したが、もちろんこの時から建物は変わっていない。

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 (左)昭和初期の通圓。(右)通圓の建物前で解説を聞く参加者。

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 (左)通圓前から見た宇治川。1996年以前は写真左側から奥に向かって架かっていた。(右)OpenStreetMapを元に作成。

 

通圓を後にして宇治神社方面に向かう。初夏の休日ということで観光客は多かったが、 「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」ののぼりのおかげで誰もはぐれずに済んだ。このあたりでもっとも知名度のあるスポットは宇治神社宇治上神社であり、それぞれの境内を通ったものの、両社は今回のイベントの執筆対象ではない。イベント前にはすでにWikipedia記事がある程度充実していたので執筆候補から外したらしい。宇治神社の氏子は旧宇治地域、宇治上神社の氏子は槇島地域の住民だと聞いたが、宇治市の旧市街地にある縣神社と宇治神社/宇治上神社の関係はどうなっているんだろう。

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(左)こんな道でも車の往来は多くて興ざめ。(左)宇治川の川辺。

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 (左)川に近いほうは宇治神社。(右)山側にあるのは宇治上神社

 

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(写真)宇治神社拝殿。ウィキペディアタウンに参加するとイベント風景を撮ることに意識が働くので、Wikipediaに掲載するための写真を撮り忘れる。右のように人が入らないタイミングで撮るのは難しいし、きれいな写真を撮ることに集中するとガイドの解説を聞き漏らしたりする。

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 (写真)世界遺産古都京都の文化財」の構成遺産である宇治上神社平安時代後期の本殿は国宝。Wikipedia的には人が入らないように撮れ、という説明写真2枚。

 

標高20mほどの宇治市街地から、標高130mほどの大吉山と朝日山に登る。大吉山展望台からは、平等院のある宇治市街地、巨椋池干拓地、男山方面が見えた。宇治川巨椋池と宇治の町の関係を説明するのにこの展望台は都合のいい位置にある。琵琶湖南端部の瀬田から山間部を流れてきた宇治川は、宇治の街で平地に出る。宇治より下流には広大な巨椋池が広がっていた。宇治川を下ってきた木材が巨椋池を経由して、木津川を上って奈良まで運ばれていた時期もあったらしい。

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(写真)大吉山展望台。川向こうに平等院宇治市の旧市街地が見えた。

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(写真)大吉山と朝日山の中間にある四差路。奥が朝日山。

 

朝日山を下ると曹洞宗興聖寺。大吉山や朝日山から先のまちあるきはさすがにダレた。特に今回のまちあるきには寺社が5つも含まれていた。宇治神社宇治上神社の関連はともかく、橋寺放生院・興聖寺・恵心院の3寺も何かしらの関連があるのだろうけど、よくわからなかった。中近世の歴史は人物名など固有名詞の予備知識がないと解説が頭に入ってこない。もともとまちあるきは2時間の予定だったが、結果的には2時間45分かかった。

今回は宇治市周辺からの参加者が一定数いたし、歴史や寺社に造詣の深い参加者も多かったのだと思うが、ちょっと詰め込みすぎたのではないのかとも思った。

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 (写真)曹洞宗興聖寺。異国風? 黄檗宗風?の山門。

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(左)宇治十二景のひとつである琴坂。紅葉の名所。(右)宇治発電所から流れてくるたっぷりとした水量の水路。

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 (写真)あじさいの名所・恵心院。

 

ウィキペディアを編集する

当初の予定ではまちあるき2時間、編集作業2時間だったが、結果的にまちあるきが2時間45分程度かかったので、川東集会所での編集作業は1時間強に減った。ウィキペディアチームの4グループはそれぞれ「通圓」(新規作成)、「朝日山」(新規作成)、「興聖寺」(加筆)、「恵心院」(加筆)を担当し、事前に準備された文献で作業に取り掛かった。

私は4人で「通圓」を担当するグループに入った。今回の4記事の中ではいちばん「歴史」要素が薄い。まずは全員で15分程度文献を読み、Wikipediaに書けそうな部分を探して付箋に書き込む。付箋の内容を全員で共有して節構成などを決めた後、まずウィキペディア編集経験者の榎さんが記事の外枠を作る(通圓の初版)。その後、私は「歴代当主」の表を作成し、通圓公式サイトから昭和初期の建物の画像を探してきて追加(差分)。ウィキペディア初編集のMさんは通圓の「特色」と「沿革」を(差分)、同じくウィキペディア初編集のKさんは「登場する文芸作品」を加筆する(差分)役割分担を行った。編集時間は短かったが形にはなった。

通圓を説明する上でいちばんの特徴は、平安後期の1160年に創業している超長寿企業であるということ。 『雍州府志』(1686年)や『都名所図会』(1780年)にはもちろん掲載されており、これらは国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる(はず)。江戸時代より前の地誌や名所図会にも掲載されているはずで、その画像1枚だけで何行の文章よりも説得力のある記事になる。なお、現時点のWikipedia記事「通圓」にでは 『雍州府志』の画像も『都名所図会』の画像も掲載されていないので、どなたか通圓に興味のある方はデジタルコレクションを閲覧するなどして掲載してください。

 

ところで、宇治は「川霧が立ち冷涼で霜の少ない」ため茶の栽培に適しているらしい。今日の宇治茶の主産地は宇治市ではなく和束町南山城村・宇治田原町木津川市であるけれど、これらの自治体も中近世の宇治と同じ条件を備えているのだろうか。宇治川流域(宇治市・宇治田原町)と木津川流域(和束町笠置町)は30km近く離れているので気候などは大きく違いそうなものだけれど。

また、茶業統計を見ると玉露の多い宇治田原町碾茶の多い和束町、煎茶の多い南山城村かぶせ茶の多い木津川市と特徴が異なっているけれど、これは何を意味しているのだろう。そもそも玉露碾茶かぶせ茶の違いがよくわからない。通圓での祐介さんの説明はぼんやり聞いていたけれど、Wikipediaに書くために文献を調べるといろいろ疑問が出てくる。

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(写真)1863年刊行『宇治川両岸一覧』。このように通圓を主題として書かれた絵図が何枚もある。

 

 

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(上)机を4-5人で取り囲むウィキペディアチーム。(下)横一列に並ぶOSMチーム。

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 (写真)成果発表。

 

 さて、「オープンデータソン2017 in 宇治」は4回連続シリーズの第1回。1か月に1回のペースで9月まで行う。ぴちぴちの院生2人による大学院の研究の一環ということで、オープンデータ京都実践会のこれまでのイベントより計画と評価と改善に重みを置いているのだろう。4回目が終了してどんな研究結果が出るのか楽しみ。

 

7月08日(土) ウィキペディアタウンin豊中 とよ散歩

7月23日(日) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

7月29日(土) 伊丹市(募集開始前)

8月26日(土) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

9月30日(土) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2