(写真)井手町図書館が入っている井手町立山吹ふれあいセンター。塔屋は天文台。
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。地図の出典はOpenStreetMapであり、その作者はOpenStreetMap contributorです。
井手町を訪れる
2018年2月4日(日)、京都府綴喜郡(つづきぐん)井手町(いでちょう)で開催された「井手町ウィキペディア・タウン」に参加した。
井手町は京都市と奈良市を結ぶJR奈良線の沿線にある自治体。京都市よりもやや奈良市に近い。木津川の対岸には京田辺市がある。JR奈良線に“井手駅”はなく、今回の編集対象にもなった玉川に因む玉水駅で降りる。
玉水駅の標高は27mであるが、井手町図書館の標高は90mであり、徒歩15分の間に63mもの高低差を上る。航空写真を見ると市街地は玉水駅周辺と上井手地区の2段からなっているのがよくわかる。玉水市街地から自転車や徒歩で図書館訪れるのは難しく、中高生の利用者は少ないかもしれない。2010年代だったらこんな場所に図書館を作らない。1994年らしい立地だと思う。
(写真)井手町立山吹ふれあいセンターの入口。上の写真の裏側。
まちあるきする
09:30-12:30 趣旨説明、まちあるき
12:30-13:30 昼食
13:30-14:00 Wikipediaの概要説明
14:00-16:00 Wikipediaの編集
16:00-16:30 成果発表
16:30-16:45 閉会挨拶、写真撮影
今回のイベントのスケジュールは上の通り。井手町立図書館の開館は10時であるため、9時30分の集合場所は図書館前の屋外。寒かったので晴れてよかった。なお、今回の参加者に隣接する城陽市在住者はいたものの井手町在住者はいなかった。
まちあるきには3時間というゆったりした時間が取られている。地図上で計測した歩行距離はちょうど3kmだった。ただし、井手町図書館(標高90m)から、玉津岡神社(131m)、井手町町づくりセンター椿坂(67m)、玉川の桜並木(47m)、井堤寺の柱跡(66m)、井手町図書館(90m)というコースにはちょっとした高低差がある。特に図書館から玉津岡神社までの区間は急な坂もあるため、その旨をあらかじめ告知しておいたほうがよいと思った。
OpenStreetMapにおいて井手町は、まだ道路すらも完全に書かれていない。あとからルートを確認するために、初めてイベントでOSM Trackerを使った。玉津岡神社に向かう際にはGoogle Mapにも書かれていない道を通ったため、OSM Trackerを起動させておいてよかった。
(写真)Google Mapにも掲載されていない「山背古道」を歩く参加者。
(左)玉津岡神社。(右)地蔵禅院のシダレザクラと眼下の市街地。
(左)小町塚。(右)井手町まちづくりセンター椿坂。
(写真)開花時期には桜並木がもっともきれいに見えるという橋の上。
(地図)今回のまちあるきコース。
橘諸兄によって橘一族の氏神として創建された玉津岡神社 - Wikipedia(郷社)は、井手町の玉水地区全体を見下ろしている。すぐ下には地蔵院 (京都府井手町) - Wikipediaがあり、参道の入口には小野小町塚 - Wikipediaがある。現在は玉水駅周辺が井手町の中心地であるものの、かつて(中世?)は玉津岡神社に近い「上井手」が中心地だったという。
木津川支流には天井川が多い。「京都山背の天井川形成史と環境評価」によると、山城地域の木津川支流のうち、長谷川・青谷川・南谷川・玉川・渋川・天神川(ここまで右岸)・天津神川・防賀川・馬坂川・手原川(ここまで左岸)の10河川が天井川であり、その中でもっとも流域面積の大きな河川が玉川 (井手町) - Wikipediaだという。関西地方ではそれほど珍しくないイメージがある天井川だが、これだけ集まっている地域は珍しい。地形図ではこのように示される。
玉川がある木津川右岸は平地に出てから木津川に合流するまでの距離が短い。そのうえ天井川とあれば、頻繁に洪水が起こったことだろう。その極めつけが1953年の南山城水害 - Wikipediaだそうで、井手町だけで109人の死者が出たという。強固な堤防を作れない時代に「上井手」が中心地だったというのもうなづける。なお、南山城水害という記事は京都府立南陽高校の授業外学習で作成された記事であり、今回も加筆された。
(図)この地域の天井川の模式図。才田川以外はJR奈良線がトンネルで河川をくぐっている。
玉川 (井手町)を作成する
今回のイベントはそれほど参加者が多くなかったため、午後の編集ワークショップではひとりまたはふたりでひとつの記事を新規作成し、主催者であるCode for 山城の青木さん、オープンデータ京都実践会のMiya.mさんとMiyaさんの3人が編集初心者のサポートにまわった。主催者が用意した編集対象には玉津岡神社、小町塚、地蔵院などがあったが、私は井手町の歴史に深くかかわる地理記事「玉川」をひとりで新規作成することにした。まちあるきの時間が長かったので、編集ワークショップ(2時間)の時間はそれほど長くない。
まず『角川日本地名大辞典』『日本歴史地名大系』『京都大事典』という3つの事典を使い、水源や延長距離や流域面積などの基本的な情報を洗い出していく。できるだけ頭を使わないように淡々と作業し、この題材にとって重要な部分を漏らさないように骨格を作る。名称や灌漑用水の歴史なども事典から得られた。歴史的に重要な河川であることを示すために、この地で詠まれた歌を4首掲載した。
次にまちあるき時にガイドから聞いた情報を思い出し、『井手町の自然と遺跡』『平成の名水百選』などで肉付けしていく。「桜祭りの期間中には約5万人の花見客が訪れる」こと、「日本でも代表的な天井川地帯」であることなどを追加した。そして新聞記事から“おもしろみ”のある記述を追加する。今回の場合は「馬の絵が彫られた重さ数百トンの駒岩」があり「南山城水害では駒岩でさえも流された」ことを書き加えた。
最後にこまごまとした作業を行った。自身が撮った桜並木の写真を加え、すでにWikimedia Commonsに上げられていた大正池の写真を加えた。葛飾北斎の掛軸、歌川広重の浮世絵、『拾遺都名所図会』の絵図をウェブから探してきて掲載し、歴史的な重要性を視覚的に説明している。イベント終了時には約10,000バイトになった。
参加者が協力してひとつの記事を作り上げることが魅力のイベントなのに、今回はひとりで作業した。そこで成果発表時には、この記事の課題として「桜が満開の時の写真が欲しい」「駒岩の写真も欲しい」という2点を挙げた。特に桜並木の写真については井手町在住者でないとなかなか撮影できないので、地元の方が写真を掲載してくれると嬉しい。
(左)今回準備された文献。(右)成果発表。