(写真)足利学校。
2024年(令和6年)3月、栃木県足利市を訪れました。
かつて足利市街地には8館の映画館がありました。現在は郊外にシネコンのユナイテッド・シネマアシコタウンあしかががあります。「足利市の映画館(2)」「足利東映プラザ劇場を訪れる」に続きます。
1. 映画館名簿
1.1 『日本映画事業総覧 昭和5年版』
活動写真/活動常設館に代わって映画/映画館という表記が定着した頃、1930年(昭和5年)の『日本映画事業総覧 昭和5年版』には足利市の映画館として有楽館、末広座、大成館の3館が掲載されています。
有楽館は戦後に足利東映有楽館(→足利東映プラザ劇場)となり、末広座は戦後に足利末広劇場となりました。大成館のみは戦前で歴史が途絶えた映画館のようです。1932年(昭和7年)の『足利市全図』には大成館も描かれており、後に暗渠となった旧袋川東岸の助戸3丁目(現在のたか鮨や炭火焼真八付近)にあったようです。
(写真)足利市に3館が掲載されている『日本映画事業総覧 昭和5年版』国際映画通信社、1930年。
(地図)大成館が描かれている1932年の『足利市全図』。足利市立図書館所蔵。
1.2 『映画便覧 1958年版』
全国の映画観客数がピークに達した1958年(昭和33年)、足利市街地には8館の映画館がありました。8館すべてで経営者が異なっているのがこの時代らしい。なお、範囲を現足利市域に広げると、足利郡坂西町に葉鹿座と小俣座、足利郡御厨町に御厨セントラルもありました。
(写真)足利市に8館が掲載されている『映画便覧 1958』時事通信社、1958年。
1.3 『映画館名簿 1980年版』
映画人気が一気に冷えた1960年代を経て、町村部では映画館の閉館が進み、都市部でも個人経営から企業による経営への移行が進みました。1980年(昭和55年)時点の足利市には5施設7館があり、うち2施設3館は富士映画興行、1施設2館は東宝系の東興映画(旧・東宝東部興行)の経営でした。なお、栃木県では宇都宮市に拠点を置く斎藤興行部、群馬県では前橋市に拠点を置く野中興業などが有力な興行会社として存在していました。
(写真)足利市に5施設7館が掲載されている『映画館名簿 1980』時事映画通信社、1980年。
1.4 『映画館名簿 1995年版』
1993年(平成5年)には日本の映画館数が底をつき、1994年(平成6年)以降にはシネコンの影響で増加に転じます。1995年(平成7年)の栃木県にあった映画館はわずか34館ですが、12館の宇都宮市、6館の小山市に次いで、足利市には5館の映画館がありました。
小山市にはシネコンの小山シネマロブレが、栃木市にはビデオシアターのジャスコファミリーシアターが、鹿沼市にはモナミドライブインシアターがあり、既存興行館以外の形態の映画館が登場し始めた時期でしたが、足利市の3施設5館は従来の興行会社による経営だったようです。
(写真)足利市に3施設5館が掲載されている『映画館名簿 1995』時事映画通信社、1995年。
1.5 『映画館名簿 2008年版』
1996年(平成8年)には両毛地域初のシネコンとして、群馬県太田市に7スクリーンの太田コロナシネマワールドが開館しました。2000年(平成12年)には足利東映プラザ劇場の2館が、2001年(平成13年)には足利中劇・足利シネマ2が閉館し、足利市から映画館がなくなりました。
足利市の吉谷宗男市長は映画ファンでもあり、足利市の大型商業施設にシネコンを誘致した結果、2007年(平成19年)には千葉市の千葉興行を経営者とするシネマックス足利が開館しています。しかし、2003年(平成15年)開館のイオンシネマ太田、2005年(平成17年)開館の109シネマズ佐野も含めて両毛地域4サイト目のシネコンであり、供給過多によって観客数は低迷し、2009年(平成21年)にはもう閉館に追い込まれています。
その後2012年(平成24年)には太田コロナシネマワールドが閉館。2016年(平成28年)には7年前に閉館したシネマックス足利の施設を用いて、ユナイテッド・シネマアシコタウンあしかがが開館しています。
(写真)シネマックス足利が掲載されている『映画館名簿 2008』時事映画通信社、2008年。
足利市の映画館について調べたことは「足利市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(栃木県版)」にマッピングしています。