振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン in 久美浜」に参加する(2)

(写真)豪商 稲葉本家。

2024年(令和6年)5月26日(日)、京都府京丹後市久美浜町で開催された「ウィキペディアタウン in 久美浜」に参加しました。「ウィキペディアタウン in 久美浜」に参加する(1)からの続きです。

 

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3. Wikipedia編集

久美浜町の中心部には久美浜観光の拠点である豪商 稲葉本家があり、稲葉本家の2階がWikipedia編集会場となりました。

 

3.1 Wikipediaにおける編集と閲覧の特徴

まずはedit Tangoの中心メンバーである漱石の猫さんから、Wikipediaの仕組みや意義に関する説明を聞きました。特に興味深かったのは「能登半島地震 (2024年) - Wikipedia」の記事編集と「夏目吉信 - Wikipedia」の閲覧に関する説明です。

(写真)Wikipediaの説明。

 

能登半島地震は2024年(令和6年)1月1日16時10分頃に発生した地震です。そのわずか32分後、16時42分にはもうWikipedia日本語版に地震の記事が作成されました。作成後の1時間で50回以上の編集が行われ、地震発生から24時間後時点の編集回数は約600回にもなりました。地震発生から5か月が経過した現在、この記事の総編集回数は3000回弱に達しています。

能登半島地震の記事で見られるようなニュース速報的な編集は好ましくないのですが、即座に情報が更新されるWikipediaの特徴を表した記事と言えます。

 

夏目吉信は徳川家康の身代わりとなって討ち死にした戦国武将であり、2023年(令和5年)のNHK大河ドラマ『どうする家康』では俳優の甲本雅裕が演じました。5月14日の第18話では壮絶な最期が放送され、同日のWikipedia「夏目吉信」の閲覧回数は15万ビュー/日にも達しました。これは通常時の3000倍に相当します。

同年3月21日には愛知県幸田町で「ウィキペディアタウンin幸田」が開催され、2か月後に"死去"する夏目吉信を題材としてWikipedia編集を行いました。夏目吉信は幸田町における郷土の偉人ですが、イベント前の時点では幸田町に関する記述が全くありませんでした。町内にある墓石などの関連史跡をめぐったうえで、郷土資料などを用いて編集を行いました。

普段の3000倍も閲覧されたことは驚きでしたが、自身が編集した記事が閲覧されるのがわかると励みになりますし、より丁寧な記述を心がけるきっかけにもなります。なお、私はこのイベントで講師としてWikipediaの説明や編集サポートなどを務めました。

(写真)Wikipedia「夏目吉信」。夏目吉信が『どうする家康』に登場した2023年3月から5月の閲覧回数の推移。

 

3.2 Wikipedia「熊野酒造」の編集

ウィキペディアタウン in 久美浜」のイベント中には他の参加者への編集サポートを行いつつ、Wikipedia久美浜一区」を新規作成し、「熊野酒造」の編集なども行いました。

Wikipediaの編集を行う際、紙文献だけに頼ると現代における取り組みについて見落としがちになり、ウェブ出典だけに頼ると近代以前の歴史がおろそかになる傾向があります。このような点に気を付けながら、その題材の歴史について編年体で「歴史節」に既述した上で、特徴的な商品である海底熟成酒の龍宮浪漫譚、特徴的なイベントである丹後天酒まつりについて「プロジェクト節」を作って記述しました。

(写真)Wikipedia「熊野酒造」のプロジェクト節。

 

Category:Kumano Brewing - Wikimedia Commons」には熊野酒造の見学時に撮影した写真16枚をアップロードしました。販売所の建物、醸造タンク、酒瓶、酒屋看板、丹後天酒まつりの風景など、熊野酒造に関してあらゆる角度から説明できる写真の撮り方を意識しています。なお、この日撮影した写真は計82枚をアップロードしています。

(写真)Wikimedia Commons「Kumano Brewing」。

 

イベント後に帰宅してから、国立国会図書館デジタルコレクションでも熊野酒造に関する文献を探して加筆しました。熊野酒造についてGoogle検索を行うと、1944年(昭和19年)の統合以前の情報がほとんど出てこず、紙媒体の文献からウェブへの情報の移行が遅れている題材だと感じました。

1944年(昭和19年)以前の歴史を念頭において検索を行い、「熊野酒造」という検索語だけではなく、銘柄の「久美の浦」、杜氏の「井岸泰雄」や「柿本達郎」、前身となる「柿本酒造場」などでも検索しました。柿本酒造場で検索した際に創業者「柿本文八」や関連する「西垣酒造場」の情報が得られたため、さらに「西垣虎吉」や「西垣淳一」や「鰯屋」などでも検索しています。

 

題材の歴史を感じさせる写真や広告を見つけた際には積極的にWikipedia記事に取り込んでいます。

1915年(大正4年)の『京都府商工人名録』には西垣酒造場の広告が掲載されていますが、広告内に「西垣酒造場」という語句はなく、屋号の「いわしや」や代表者の「西垣淳一」のみ。文献調査の難しさを感じます。

(写真)Wikipedia「熊野酒造」の西垣酒造場節。

(写真)国立国会図書館デジタルコレクション『京都府商工人名録』。

 

イベントの前日夜には久美浜町にある古谷屋旅館に宿泊しました。古谷屋は1872年(明治5年)創業の老舗料理旅館であり、1915年(大正4年)の『京都府商工人名録』にも広告が掲載されていました。電話番号は「×5番」と記されていますが、「×」はどういう意味でしょうか。なお、広告内に電話番号が記されている企業や商店はとても少ないです。

古谷屋旅館の広告の隣には濱田竹蔵の文字が目立つ浜茶屋旅館の広告が掲載されています。大正時代竣工とされる浜茶屋旅館の建物は現存し、浜茶屋旅館経営者の孫が経営するTHE SPICEというカレー店となっています。

(写真)国立国会図書館デジタルコレクション『京都府商工人名録』における古谷屋旅館。

(写真)古谷屋旅館の朝食。