振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

鶴来町の映画館

f:id:AyC:20210326010341j:plain

(写真)鶴来別院。

2021年(令和3年)3月、石川県白山市の鶴来地区(旧・石川郡鶴来町)を訪れました。かつて鶴来町には映画館「鶴来劇場」がありました。

 

1. 鶴来町を訪れる

1.1 鶴来町の街並み

鶴来町手取川扇状地の扇頂にある町であり、市街地の標高は約90mです。金沢市野町駅から手取川扇状地の東側を北陸鉄道石川線が走っており、その終着駅が鶴来駅です。鶴来駅の駅舎は1927年(昭和2年)竣工だそうで古めかしい。2020年(令和2年)には鶴来駅と同じ年に竣工した加賀一の宮駅(廃駅)の駅舎が登録有形文化財に登録されており、鶴来駅も登録の予定があるのか気になります。

f:id:AyC:20210326010027j:plain

(写真)北陸鉄道石川線鶴来駅

f:id:AyC:20210326114828p:plain

(地図)鶴来町の位置。地理院地図

 

鶴来町は鶴来街道の宿場町として成長し、酒造業などで栄えた町のようです。鶴来市街地には菊姫酒造と小堀酒造という2軒の酒蔵があり、特に菊姫酒造に近い新町には町屋が多く残っていました。町屋にしても寺院にしても、黒色でつやつやした瓦屋根が多い。同じ日に歩いた白山市沿岸部の美川町は赤茶色の石州瓦が多く、同じ白山市でも内陸部と沿岸部でまったく異なる文化圏に見えました。

f:id:AyC:20210326010035j:plainf:id:AyC:20210326010046j:plain

(左・右)新町付近の街並み。

f:id:AyC:20210326113611p:plain

(左)黒色の瓦屋根が多い鶴来町。(右)赤茶色の瓦屋根が多い美川町の街並み。地理院地図

 

1.2 金劔宮・鶴来別院

鶴来町には白山比咩神社 - Wikipedia(しらやまびめじんじゃ)があり、白山信仰の中心にあり加賀国の一宮でもあることから全国に知られていますが、鶴来市街地からやや外れた場所にあります。鶴来市街地には県社の金剱宮 - Wikipedia(きんけんぐう)があり、本町通りから参道を兼ねた道路が伸びています。現在は境内が県道で分断されていますが、紀元前の創建という伝承がある金剱宮には多くの参拝者がいました。

f:id:AyC:20210326010055j:plain

(写真)金劔宮。

 

鶴来市街地には有力な寺院として真宗大谷派鶴来別院 - Wikipediaがあり、やはり本町通りから参道を兼ねた道路が伸びていました。鶴来別院前の道路脇には緑色の瓦屋根が鮮やかな良源寺、山門前の桜が美しい西乗寺、福正寺、法性寺などがあり、さながら寺町の様相を呈しています。

f:id:AyC:20210326010103j:plainf:id:AyC:20210326010114j:plain

(左)良源寺。(右)福正寺。

f:id:AyC:20210326010122j:plain

(写真)寺町ともいえる鶴来別院前の通り。左前が良源寺、中央奥が鶴来別院。

 

1.3 白山市立鶴来図書館本町分館

白山市立鶴来図書館は鶴来市街地から約5km離れた郊外にあるため、今回は訪れていません。鶴来駅前の白山市役所鶴来支所内には鶴来図書館本町分館がありました。100m2に満たない図書コーナーですが、地の利が良いので利用者は多そう。職員は図書コーナー内に常駐しているようです。カウンター脇には郷土資料コーナーもありました。

f:id:AyC:20210326010131j:plainf:id:AyC:20210326010800j:plain

(左)図書室が入る白山市役所鶴来支所。(右)白山市立鶴来図書館本町分館。

 

2. 鶴来町の映画館

2.1 鶴来劇場(1953年-1967年頃)

所在地 : 石川県石川郡鶴来町上東町ヨ22(1967年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1967年の映画館名簿では「鶴来劇場」。1968年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「鶴来別院」南西70mにある「マシロ白山オフィス」を含む民家数軒と道路。最寄駅は北陸鉄道石川線鶴来駅

郷土資料では『鶴来商工会70年史』(鶴来商工会、1968年)、『目で見る 松任・石川郡の100年』(郷土出版社、2001年)、『写真アルバム 小松・加賀・白山の昭和』(いき出版、2017年)、『つるぎの歴史 改訂版』(鶴来青年クラブ、2010年)などが鶴来劇場に言及しています。

1963年(昭和38年)6月5日には鶴来町商工会によって第12回商工まつりが開催され、歌手の音羽美子の公演はいずれの回も満員となったようです。なお、郷土資料では鶴来劇場の正確な場所はわかりませんでした。

(写真)鶴来劇場。『鶴来商工会70年史』鶴来商工会、1968年。

(写真)1963年に鶴来劇場を訪れた音羽美子。『鶴来商工会70年史』(鶴来商工会、1968年)。

 

鶴来劇場が最後に登場する1967年の映画館名簿では所在地が「鶴来町上東町ヨ22」となっています。1960年代の航空写真を見ると鶴来別院の南西に巨大な建物があり、この建物が鶴来劇場ではないかと推測して現地を訪れました。

(写真)鶴来劇場が掲載された1967年の映画館名簿。

 

良源寺の正面に住んでいる男性(80代?)に話を聞くと、

この家から用水路を挟んで東側に映画館があった。もとは鯉のいる池があったが、裕福な鶴来の有志が池を埋め立てて映画館を建てた。この映画館は邦画しか上映せず、これだけ近くにあったのに入ったことがない。私は北陸鉄道野町駅まで出て金沢の映画館に通った

有志の世代が変わると資金繰りが続かずに閉館した。今はこの辺りの住民でも映画館のことなど知らない人が多いのではないか。鶴来劇場の跡地だったか、この辺りには鶴来病院もあった」とのことでした。映画館のことを思い出すのは久々だったようで、ゆっくりといろいろ話してくださいました。

f:id:AyC:20210429131352j:plain

(写真)撮影年不明の鶴来劇場。『つるぎの歴史』(鶴来青年クラブ、2010年)

f:id:AyC:20210326010139j:plainf:id:AyC:20210326010150j:plain

(左・右)鶴来劇場跡地。

f:id:AyC:20210326010510p:plain

(地図)1963年の鶴来劇場跡地付近。地図・空中写真閲覧サービス

f:id:AyC:20210326021004p:plain

(地図)現在の鶴来劇場跡地周辺。Google My Maps

 

鶴来町の映画館について調べたことは「石川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(石川県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com